休話3 アダムとソフィア
結婚を決めたのは、子供ができたからだった。
アダムとは私が働いている料理屋で知り合った。
最初はお互いに何の意識もしていなかった。
ただの店員とたまに来る客。それだけの関係。
アダムはいつも夕方から夜にかけての時間に背の高い友人と共に訪れた。
2人とも戦士の訓練生の制服を着ていたから戦士であることは容易に想像できた。
2人の関係が変化したのは、団体の予約で店が大盛況していた日のこと。
私は酔っ払いのおじさんに絡まれ困っていた。
酔っ払いは卑猥な言葉をかけたり、私の身体を無理矢理に触ろうとしてきた。
怖くてされるがまま固まっている私を助けてくれたのがアダムだった。
アダムは酔っ払いを私から引き剥がし、店の外へと連れて行った。
長くはない時間だったと思う。
戻ってきた酔っ払いはバツの悪そうな顔で私に謝罪し、すぐに会計を済ませ出ていった。
アダムがお灸をそえてくれたのだろう。
その酔っ払いが店に現れることは二度となかった。
私はすぐにアダムに声をかけた。
感謝の気持ちを伝え、何かお礼がしたいと言うとアダムは「気にするな。当然のことをしただけだぜ。」と涼しい顔で答えた。
「でも、もし嫌じゃないのなら…今度食事に付き合ってくれないか。」
それから私達の関係は始まった。
何度か食事をし、付き合うまでにそれほど時間はかからなかった。
妊娠がわかったのは、18になったばかりのことだった。
きっと堕ろしてくれと言われるのだろうと不安でいっぱいの気持ちのままアダムに妊娠したことを伝えた。
アダムは「そうか。」と短い返事の後、「じゃあ結婚しよう。」と躊躇いもなく言った。
若い二人の早すぎる決断だったと思う。
でも、アダムは私を大事にしてくれたし、誠実でもあった。
両親には大反対された。
文字通りどこの馬の骨かもわからない男が突然娘を孕ませたのだ。そりゃ信じられないし受け入れられないだろう。
それでもアダムは結婚の許しを求めて私の両親に頭を下げ続けた。
父親は「帰れ!お前の話は聞きたくない!」とアダムを殴った。
アダムはやり返すことなくそれを受け入れ、尚も頭を下げ続けた。
結局、私の両親が根負けして私達の結婚は認められた。
あまり祝福はされなかった。
今となっては当然だと思う。
若さ故の過ち。若気の至り。
そんな言葉がよく似合う結婚だったと思う。
世間的によく思われていないのは2人とも理解していた。
だから、式も挙げていないし、2人の結婚は極僅かな親しい人間にしか伝えなかった。
それでも、私は幸せだった。
アダムは優しかったし、一緒にいると毎日が楽しかった。
2人で小さな家を借りて一緒に暮らした。
けれど、その幸せは長くは続かなかった。
お腹の赤ん坊が大きくなるにつれ、アダムは仕事を理由に帰宅が遅くなっていった。
その頃のアダムはギルドに所属し、毎日を忙しなく過ごしていた。
彼はこの国の王になるのが夢だと、毎日目を輝かせて語っていた。
彼は目的のためなら努力を惜しまない男だ。
自分自身を犠牲にしてでも、成し遂げたいことは掴み取るタイプの人間。
そういうところが好きで結婚したはずだった。
けれどアダムは次第に家を空ける日が増え、ほとんど家で過ごす時間はなくなった。
もしかして浮気をしているんじゃないかとか、そんな疑心暗鬼に苛まれることもあった。
けれどアダムはいつもボロボロの姿で息を切らして「すまない、仕事で遅くなった。」と家に帰ってきた。
そんな姿を見ると胸にモヤモヤとした気持ちを抱えながらも、愛していたからアダムを許した。
けれど、決定的だったのは、子供達が産まれた時だった。
外で買い物をしている時に陣痛が始まり、産院へと運ばれた。
すぐにアダムにもその知らせが届いたはずだった。
けれど、アダムが産院へ駆けつけたのは子供が産まれてから随分と時間がたち、全てが終わった後だった。
その日はギルドの昇級試験があったのだ。
アダムは自分と子供よりも、自分の夢を取ったのだ。
許せなかった。というよりは、なんだか急に冷めてしまった。
数日後、私はアダムに別れを切り出した。
アダムは驚いたような顔をしたが、すぐに目を伏せ「…わかった。」とただの一言だけで私達の婚姻関係は終わった。
それでも、私達には子供がいたから、アダムとの関係はそこで綺麗サッパリ終わりというわけにはいかなかった。
離婚した後もたまにアダムは私の家に顔を出した。
最初はそのことに戸惑ったが、今は子供達に会うのは昼間のうちだけ、二人で過ごすのは月に1回だけというルールを決めて彼と逢瀬を重ねている。
アダムはいつも上等なワイン一本とケーキを一つ持って訪れる。
初めてのデートの時に行った店で私が美味しいと言ったショートケーキだ。
それを飽きもせずに毎回律儀に手土産として持参してくるのが不器用な彼らしい。
アダムが夜に訪れる日は子供達は実家に預けている。
アダムの持参したワインと私の手料理で大人二人だけの時間を過ごす。
テーブル越しに向かい合ってお互いに最近の近況を話したり、子供達の成長について教えたり。話題は尽きることはなかった。
そして、ワインが空になる頃、アダムはいつも同じ事を言う。
「なあソフィア。俺たち、やり直さないか。」
力強い金の瞳がじっ、と自分を見つめる。
「またその話?」
「君が首を縦に振ってくれるまで何度だって言うさ。」
「何度言われても答えはノーよ。」
「どうしてだ。君は俺のことが好きだろう。」
「どこからその自信が出てくるのよ。私達、もう終わった関係なのよ。」
「俺はソフィアが好きだ。君も同じ気持ちじゃないのか…?」
「…好きだけじゃ、やっていけなかったでしょ。」
「じゃあ俺はどうしたらいい?どうしたら君はまた俺を受け入れてくれるんだ?」
「さあ?自分の胸に手を当てて考えてみたら?」
言われるまま、アダムは胸に手を当てる。
そしていつも決まってよくわからないという顔で首を傾げるのだ。
「なあ、ソフィア。抱き締めても?」
「どうしてそうなるの。」
呆れたように返すと、アダムは立ち上がりソフィアの横に腰掛ける。
そして、その力強い腕でソフィアを抱きしめた。
普通の人より高いアダムの体温に包まれる。
「キスは?」
「…馬鹿。」
グイッと無骨な手で顎を上げられ、唇が触れる。
アダムはいつもこうやってお伺いをたてるくせに、NOの返事以外は全部YESと捉える。
長いキスだった。
「ふふふっ、愛おしいな。」
唇が離れると、アダムは目を細めて微笑んだ。
自分が思ってる以上に、この男は自分のことを愛している。
あれから彼は相当努力したのだろう。夢を叶え、この国の王になった。
立場が立場なだけに、自分とは比べものにならない程の美人や自分とは違いスタイルのいい女性から言い寄られることもあるだろう。
それでもアダムは飽きもせずに自分との関係修復を求めていた。
「君が初めてだったんだ。」
私の肩に凭れ掛かり、アダムはポツリと呟く。
「君も知っていると思うが、俺は孤児院の出身でな。家族なんていなかったから、こうして人に甘えることも知らなかった。」
アダムの指がソフィアの指に絡まる。
「君に触れたらドキドキするとか。君に触れられると気持ちいいだとか。抱きしめられたらもっとほしくなるとか。キスをしたら我慢できなくなるとか。…そんなの、知らなかったんだ。」
2人の絡んだ指を口元に持っていき、アダムは手の甲にキスをした。
「心地いいな、君の側は。」
そう言って、心底愛おしそうな顔をする。
ソフィアは言葉の代わりに、アダムの傷んだ髪を撫でた。
外では完全無欠の王様として振る舞っているくせに、この男は自分の前だとまるで寂しがりの子供のような姿を見せる。
甘えられるのが、自分しかいないのだ。
アダムには家族がいない。
だからこそ、一度家族になった自分を手放せないのだろう。
「もし君が、他にいい男を見つけてソイツと一緒になりたいのなら、俺はそれでもいいと思っている。」
アダムは目を伏せ、淋しげな顔で呟く。
「でも、もし。もし、少しでも君の気持ちが俺に向いているのであれば…俺はそれに縋っていたいと思うんだ。ソフィア、それは許してくれるか…?」
「…勝手にすれば。」
その返事に、アダムは再び目を細めた。
満足そうに微笑み、再びのソフィアの肩に凭れ掛かる。
そしてその体温を堪能し、ふふ、と笑みを零した。
「それにしても、王様がこんな甘えたなんて知ったらみんなびっくりするわね。」
「意地悪言わないでくれ。君の前ではただの男なんだ、俺は。」
拗ねるようにアダムは唇を尖らす。
そんな仕草でさえも子供っぽくて、なんだか可愛く思えてつい笑ってしまう。
やっぱりまだアダムが好きなんだなと自覚した。
「ソフィア、愛してる。君がいるなら俺は何だってできる。もし死んでしまったとしても、君が望むなら生き返ることだってできる気がする。」
「なにそれ。死ぬとか縁起でもないこと言わないでよ。」
「ふふ、すまない。でも本当にできそうな気がするんだ。それくらい、君を愛してる。」
2人の想いは通じ合っていた。
けれど、ソフィアは最後の一歩が踏み出せないままでいた。
自分の一言でこの関係は修復されるのに、その一言が言い出せない。
ソフィアは昔から素直じゃない女だった。
それは、アダムもよくわかっているのだと思う。
だからNO以外の返事は素直になれないだけのYESだと受け取る。
アダムのことが許せないんじゃない。また傷付くのが怖いだけ。
ソファに隣り合って座り、穏やかな時間を過ごす。
アダムの囁く愛の言葉にソフィアは曖昧な態度を返す。
アダムは少し困ったような、それでいて慈しむように眉を下げた。
触れ合う肩からアダムの体温が伝わる。
普通の人より少し高いアダムの体温に、ソフィアは居心地の良さを覚えた。
この時間がもっと続けばいいのに。
けれど、そんなことこの口からは言えない。
夫婦でもない。恋人でもない。友達でもない。そんな名前のない関係。
時計の針は22時を回ろうとしていた。
「…名残惜しいな。なあ、今日はこのまま泊まっていっても?」
アダムは甘えるように上目でソフィアを見つめ、首を傾げる。
「それはダメよ。」
「そうか…。そうだよな。すまない、君に甘えすぎだな、俺は。」
ハッキリとしたNOの言葉に、アダムはわかりやすく肩を落とした。
曖昧な言葉は全てYESと捉え行動に移す彼だが、NOと拒絶されれば絶対に無理強いはしない。
ソフィアの嫌がることはしたくないと、おとなしく引き下がるのだ。
あからさまに元気がなくなった彼を見て、少し可哀想なことをしたと思うが、ここは絶対にソフィアも譲れなかった。
夜を共にすることを許せば、自分の決意が揺らぐ。
そう確信するほど、アダムのことが大切で、どうしようもなく愛していた。
アダムの手を取ることは簡単だ。
けれど、それはアダムの負担になることを意味する。
一度ダメになった関係。優しい彼は、次はきっと自分を優先しようとしてくれるだろう。
しかし、アダムはこの国の王だ。
守るべきものがたくさんある。大切なものも山ほどある。
その全てを守り続けることは、どんなに大変だろう。
それはきっと、優しくて、誠実で、努力家な彼にとっても難しいことに違いない。
アダムの負担になりたくない。
だからこそ、ソフィアは今のアダムの手を取れずにいた。
「…もう一度だけ、キスしてもいいか?」
おずおずと、彼にしては弱気な声で伺い立てる。
ソフィアは返事の代わりに目を閉じ、唇を突き出した。
アダムの唇が触れる。触れるだけの優しいキス。
角度を変え何度も何度も唇を合わせた。
唇が離れると、アダムは自分を力いっぱい抱きしめ、絞り出すように言葉を零した。
「…離れがたい。」
ソフィアも同じ気持ちだった。
私も、という言葉をグッと飲み込み、ソフィアは子供をあやすようにアダムの背に背を回し、その大きな背中をさすった。
「また来月、ね。」
「…ああ。」
何の進展もない月に一度の逢瀬。
この日を待ちわびていのはアダムだけではなかった。
その手を取ることは叶わないけれど、今はこの距離感がきっと二人にとってはちょうどいいのだ。
少なくとも彼が王であり続ける限り、ソフィアは彼の手を取ることはない。
それは愛しているからこそ、彼のためを思ってのことだった。
そしていつか、その時が訪れたら再び彼の手を取ろうと決めていた。
その決意が、あんな形で崩れるとは夢にも思っていなかった。
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