15 虚像
あれから数日経った。
密入国者の騒ぎも落ち着き、サヴァリアは平穏を取り戻していた。
あれから変わったことはないもない。いつも通りの日常。
あいも変わらずこの国は平和そのものだった。
今日は久しぶりに交易船がサヴァリアに寄港した。
以前秘密裏に商人に依頼した滅びの魔女に関する書物が数冊届いた。
アダムはそれを誰にも見つからないように執務室へと運び、机の上に積んでいた。
ノエルもレイヴンも彼女に関する情報は掴めない
ままでいるようだ。
ノエルの情報によれば、ジャック、焔、エレナ、ベルとアンジェラがアミュレスからサヴァリアに移住したのが同時期。
けれど、誰も彼女との交流を持っていない、彼女に関する情報を持っていない、というものだった。
そんなわけがない、とアダムは思う。
けれど、彼らの口からアンジェラのことは語られることがなかったと言う。
本当に彼女との交流がない者もいるかもしれない。
けれど、4人で口裏を合わせている可能性もある。
レイヴンの情報によれば、彼女は毎日エレナの診療所へと足を運んでいる。
患者としてなのか友人としてなのかは不明。
彼女は健康そうに見えるし、診療所へ行くのも診療時間を過ぎてからの方が多いため、友人としてあるいは何かの目的があってエレナに会いに行っているのだろうか。
そして、彼女は毎晩違う男の元へと通っている。
そのことに、アダムは頭を抱えることになった。
レイヴンの情報によれば、ここ数日のうち1番彼女が多く訪れているのはノエルの家だった。
当の本人はというと、いつもと様子が変わらないように思える。
いつも通り仕事を真面目にこなし、昼と夕方に自分の様子を見にこの執務室を訪れる。
彼女と付き合っているのだろうか。
あるいは、彼女の魅了にかかってしまっているのか。
どちらにせよ、アダムにとっては好ましい状況ではなかった。
前者なら友人として祝福するべきだろうが、相手は謎に包まれた女だ。
素直に心から祝福できない。
後者ならなおさらだ。早くアイツの目を覚まさせてやらないと。
けれど、アダムはどう切り出そうか迷ったままでいた。
ふいに机に積まれた書物が目に入る。
滅びの魔女に関する書物。
受け取ったはいいが、その内容を確かめる勇気がなくて積んだままにしていた。
全て事実が書かれているとは限らない。
中には憶測や作話だってあるだろう。
しかし、火のないところに煙は立たない。
現に、商人が用意したのは7冊の書物だった。
7冊もあるということは、以前手に入れた雑誌の内容は少なくとも全てが作話ではないということだ。
アダムは覚悟を決めて、その書物に手を伸ばした。
書物を読み終え、アダムはその内容に目眩がした。
内容を要約するとこうだ。
滅びの魔女が最初に確認されたのは約700年前。
今まで彼女が現れた国は必ず滅んでいる。
彼女に滅ぼされた国は100を越えていた。
彼女はこの700年間その容姿をほとんど変えず、十代後半から二十代後半の姿で現れる。
そして、彼女の周りにはいつだって彼女を守る男が複数存在していた。
体格のいい騎士や強大な力を持つ魔術士、人間だけではなく吸血鬼や悪魔なども彼女を守っていたと記録に残っている。
またしてもアダムが頭を抱えることになったのは、このことだった。
30年前エストリアという国が滅びの魔女によって滅ぼされたらしい。
その際彼女の側にいた男の名は、鬼神カグツチ。
記事に挿し込まれた写真を見て驚いた。
東洋の顔立ちに左頬から耳にかけて残る傷。
髪は漆黒で今より若い風貌をしているが、身体的特徴からしてこれは焔に間違いなかった。
数日前の密入国者の騒ぎの際に耳にした名前と一致する。
間違いない。焔はアンジェラ側の人間だ。
そして、10年前のアミュレスが滅んだ時の記事。
鬼神カグツチと共に現れたのは、詠唱もなく大魔法を連発したという黒いローブで顔を隠した魔術士。
不明瞭な写真で顔の判別はできないが、記事にはハッキリとこう書かれていた。
『のちに行方不明となった天才魔術士、ジャック・スターローンではないかと噂されている。』
アダムは魔術に関しては明るくはない。
だが、一介の魔術士は詠唱もなしに大魔法を連発できるわけがないのは考えなくてもわかっていた。
そんなことをできる人間は限られている。
いや、ほとんどいないはずなのだ。
ジャックも、アンジェラ側の人間だ。
彼女のことを調べれば調べるほど、身の毛がよだつ思いがした。
自分が知らなかっただけで、この国は自分のものではなく、ほとんど彼女の支配下に置かれているのではないか。
現にNo.3であるジャック、No.4である焔、そしてNo.2であるノエルでさえも掌握しようとしている。
そして同時期にアミュレスからサヴァリアに移り住んだというNo.5のエレナも、多分アンジェラ側の人間だ。
No.7のベルはどうかわからない。あんな幼くて純真な子が自分を騙しているとも思えない。
そもそもベルが銃を持ち戦うようになったのはここ数年だ。
彼女が関係しているとは…思いたくはない。
思いたくはないが、用心しておくことに越したことはないだろう。
No.6のレイヴンは彼女との関係を否定した。
彼がアミュレスに住んでいたという記録はない。
そもそも、彼の存在自体が謎に包まれている。
けれど、彼の存在は王である自分にしか知らされていないはずだ。
女王であるアンジェラにすらも隠されている。
彼のことは信用していいだろう。
これだけの情報が集まった。
しかし、どう動けばいいのかわからなかった。
彼女に詰め寄ってもこの前のように躱されるだろう。
焔やジャックに真実を問いただしたところで誤魔化されるのがオチだ。
こういうとき、ノエルならどうするだろうか。
賢い彼なら最適なアプローチを考えられるはずだ。
しかし、彼もまた、彼女に惑わされている可能性がある。
アダムは身動きが取れなくなっていた。
ふいに、執務室のドアがノックされる。
時計を見れば、昼前。
この時間に訪れる人物は決まっている。
アダムは滅びの魔女に関する書物を書類の束で隠し、ドアに向かって呼びかけた。
「入ってくれ。」
「よお、調子はどうだ、王様?」
アダムの予想通り、入ってきたのはノエルだった。
彼は慣れた様子でソファに腰掛ける。
いつもと様子は変わらないように見えた。
「どうもこうもないさ。いつも通り書類に追われているぜ。」
「相変わらずだな。」
「そっちはどうだ?何か変わったことでもあったか?」
「いや全然。今日もこの国は平和そのものだよ。」
それからいつも通り他愛のない話をした。
西地区に新しくできたパン屋が美味しかっただとか、訓練兵でいい奴がいるとか、この前読んだ本が面白かったとか、そんな他愛のない話。
その話の中で、アダムは以前から違和感を覚えていた。
これまで嫌と言うほど聞かされてきた話を、彼は全くしなくなったのだ。
「君、彼女の話をしなくなったな。」
「…アンジェラさんのこと?」
「ああ。彼女と何かあったのか?」
「何かあったってわけじゃないけど…。もう、いいかな、って思って。…諦めたんだ。望みないし。」
「ふぅん。君らしくないな。」
そうかな、と彼はいじらしく前髪を触る。
「君、前の休みはなにをしていた?」
「前の休み?」
「収穫祭の2日後だ。あの日は確か午後から大雨だった。」
「あぁ、あの日は…。」
「街へ行って買い物してたよ。昼メシ食ってもう少しブラブラしようかなって思ってたら雨が降ってきて家に帰った。」
「それだけか?」
「おう。あまりの大雨で外に出る気も起きなかったさ。」
「誰かに会ったりしなかったか?」
「…いいや。あの日は誰にも会わなかった。」
彼は目を逸らし、また前髪を触った。
「…そうか。」
アダムは確信した。
間違いない。既にノエルは彼女の魅了にかかっている。
「君、彼女と寝たな?」
「…は?何言って…。」
「気付いているか?昔から君は、嘘を付く時前髪を触る癖があるんだ。」
「そんなこと…。」
ノエルは明らかに動揺し、床を見つめる。
「動揺すれば視線を落とす。…何年一緒にいると思ってるんだ。君のことで俺が知らないことなんてないぜ。」
彼の性格も、癖も、趣向も、アダムはなんでも知っていた。
長い時間を共にし、いつの間にか彼のことは手に取るように分かるようになっていた。
だから、ノエルの嘘はすぐに見抜けた。
「彼女のことは諦めろ。」
「…なんだよ突然。」
「君のその恋は幻だ。作られた虚像だ。」
「どういうことだ?」
「君が彼女に恋をしているんじゃない。彼女が君に恋をさせているんだ。」
「…言ってる意味がよくわからないんだけど。」
「君、10年前の凱旋パレードのあの日、彼女の瞳を見たな?」
「見た…けどそれが一体なんだって言うんだ。」
「彼女はその時君に種を蒔いたんだ。君を自分の奴隷にするために。」
「アンジェラさんはそんなんじゃない。」
「君は騙されている。彼女は思いのままに人の心を奪う能力がある。君は彼女の都合のいいように操られているだけなんだ。」
「アンジェラさんはそんなんじゃないって言ってるだろ!」
声を荒げたノエルを見て、アダムは驚いた。
長い付き合いだが、こんな彼は初めて見た。
彼はいつも冷静で理知的で、感情のままに動くことなんてしない人間だ。
そんな彼が、声を荒げてまで否定した。
彼女のことが、そんなに大切なのか。
自分の方が彼女より長い付き合いなのに、彼女の方を信じると言うのか。
「頼む…。俺は君のことを親友だと思ってる。これからも、ずっと。…そうでありたいと思っている。」
「それは…。俺だってそう思ってるよ。でも、アンジェラさんのことは違うだろ。お前に関係ない。」
「…関係なくはないんだ。」
アダムは書類に隠した滅びの魔女に関する書物を机の上に広げる。
そして、彼女の顔写真が印刷されたページをノエルに見せた。
「君はこれを見てどう思う?」
「なんだよ…これ。」
ノエルはその雑誌を手に取り、信じられないという顔で文字を追う。
「彼女だと思われる人物の記事だ。内容は1人でじっくり確認するといい。」
「思われる…って確証はないんだろ?」
「不確かな部分は多い。だが、限りなくクロに近いと俺は思っている。」
ノエルは明らかに動揺していた。
それもそうだ。自分の恋している相手がとんでもない疑惑をかけられているのだ。
その内容も、すんなりと信じられるようなものではない。
嘘だと否定したくなるような内容だろう。
それでも、彼に伝えなければならないと思った。
この国のために。彼のために。
「彼女…アンジェラは、この国にとって危険な存在だ。」
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