10 エレナ・シュバルツ
夕方、診療所を閉めた後毎日彼女は訪れる。
それが自分との契約だからだ。
表向きは友人を装い女同士外へ出掛けたりもするが、彼女と過ごすのはほとんどこの診療所の地下。
エレナの所有する秘密の研究所だった。
自分は遺伝子学の研究者。
そして彼女アンジェラは自身の研究する被検体。
彼女との契約はこうだ。
自身の研究を好きにやらせる。その代わり、自分の都合のいいように立ち回ってほしい。また、その研究結果はエレナの存命時は非公表。どこにも漏らしてはいけない。エレナが死して初めてその研究は世界へ知られる。というものだった。
エレナは二つ返事で承諾した。
こんなチャンス2度と来ない。
例え自分が生きているうちに研究結果が発表できなかったとしても、知的好奇心を抑えられない。
まさか自分の目の前に何百年前の研究者が残したキメラが現れるなんて。
それを好きに研究できるのだから、断る理由はなかった。
「それにしても…本当に美しい遺伝子配列ね…。この細胞の一つ一つもどうやって形を保っていられるのかわからないくらい繊細だわ。」
田舎町に似つかわしくない機械だらけの地下室。
エレナはモニターを見つめてうっとりと溜息を漏らした。
「被検体No.104 コードネーム:アンジェラ。貴女は最高よ。」
「それはどーも。」
アンジェラは退屈そうに椅子に座りモニターに夢中になっているエレナを眺める。
「天使、悪魔、人魚、メデューサ、その他諸々。相容れない遺伝子がギリギリの均衡を保って共存している…。これだけめちゃくちゃなDNAを持っていながらヒトの形を保てるなんて…。貴女は芸術品ね。」
エレナはアンジェラに向き直り、その体に手を這わせる。
顔、首、肩、腕、胸、腹。
その手は下腹部で止まった。
「生殖機能がないのか残念ね。子宮さえあれば交配もできた可能性があるのに。」
「こんな化物増やしたって、どうしようもないでしょ。」
「そんなことないわよ。被検体が増えればもっと研究が進む。研究が進めば人類はもっと進化できるわ。貴女の持つ様々な能力が解明されれば、いつかきっと世界は変わる。次のステージへと進めるのよ。これは凄いことなのよ。」
「私にはよくわからないわ。こんな能力あったって、ただ悪い人たちに狙われるだけ。利用されるだけ。」
「世界中から狙われるだけの価値があるってことよ。貴女は特別なんだから。」
数百年前に秘密裏に行われていたのは異なる種族の遺伝子を配合した人造人間を造る実験だった。
人間の遺伝子に様々な種族の遺伝子を掛け合わせ、人類の進化の可能性を探る実験だった。
最初は人間と魔物、2つの遺伝子の掛け合わせから始まった。
しかし、なかなかうまくいかなかった。
当然だ。相容れない2つの種族の持つ遺伝子はそう簡単には結合しない。
稀に結合がうまくいき、培養して成長させても人間の形をしている被検体はほとんどなかった。
研究者は考えた。どうしたら自分たちの理想の人造人間が出来上がるかを。
魔物の種類を変えてみた。結果は変わらない。
魔物の種類を変え、数を増やしてみた。結合は上手くいったが、人の形も知能も持っていなかった。
それならばいっそ、もっと上位の遺伝子を組み込んでみるか、研究者はそう考えた。
天使と掛け合わせる。上手くいかない。
悪魔と掛け合わせる。上手くいかない。
そうやって様々な遺伝子操作をして、奇跡のように出来上がったのがアンジェラだった。
ヒトの形をし、ヒトと同等の知能を持つキメラ。
彼女には数十の魔物や異なる種族の遺伝子がギリギリの均衡を保ち組み込まれていた。
研究者達は歓喜した。
すぐにアンジェラに対してその身体と能力への解明のための研究が始まった。
同時に第二、第三のアンジェラを造る実験が行われたが、こちらは上手くいかなかった。
幾多の研究者が何度同じ配合で遺伝子操作をしても彼女のような人造人間にはならなかった。
彼女まさに、奇跡のような存在だった。
これまで解明された彼女の研究成果は多くはない。
一つ、不死であること。
彼女は心臓を刺されても、銃で頭を撃たれても、手足をもいでも、その身体を炎で焼かれても、薬物でドロドロに溶かされても、死ぬことはない。
否、一度は死することはあるが、すぐに完全な姿で復活する。
なお、身体の損傷具合によって復活時の外見が若返ることがわかっていた。
しかし、何度も何度も何度も殺されても遡るのは人間でいう14.5歳くらいの外見までだという。
数度、彼女を老衰させる実験があった。
彼女は80歳まで生き、その息を引き取った後再び少女の外見で生き返ったそうだ。
現状、彼女を殺せる術はない。
二つ、彼女には望んだ相手を虜にする魅了という能力があった。
その能力が確認されたのは彼女が15の頃。
彼女を造った研究者が彼女に狂い、彼女を研究所から逃がそうとして仲間の研究者たちに殺されたのだと言う。
奇跡のキメラを生み出した偉大な研究者の早すぎる死だった。
彼女の魅了が発動する条件は二つ。
彼女の目を見ること。そして、彼女がそれを望むこと。
意図的に強い魅了をかける条件は上記の二つだが、彼女は無意識下で常にその能力を発揮している。
これは彼女の意志ではコントロールできないらしい。
故に、人々は無意識に彼女に対する好感を持っている。
また、その魅了が解かれることはない。
そのため、彼女に魅了をかけられた人間は彼女に狂ったままその生涯を終える。
彼女は意図的に魅了をかけることができても、解く術を持たないことがわかっている。
三つ、彼女の血液は人間にとって毒である。
体内に取り込めば、酷い拒絶反応が起き数秒で全ての内臓が機能を停止しショック死する。
稀に、死することがない人間がいる。その場合、彼女の血液によって細胞が書き換えられ、新しい能力が開花することがある。
これは、まだ研究が尽くされていない分野なので不確かだが。
エレナはアンジェラの血液についての研究を主にしていた。
彼女から採取した血液で未知の薬を作る。
最初はマウスで試した。
彼女の血液をそのまま与えれば、皆数秒のうちにショック死した。
次に、血液の中から毒物になるものを取り除いて与えた。
マウスたちは死ななかった。
代わりに、各々様々な能力が発現した。
傷が瞬時に再生するもの、魔術のようなものを使うもの、宙を浮くもの、巨大化したもの、人の言葉を話すもの。
エレナは全てのマウスを殺した。
生き返ったものは一匹もいなかった。
次に、森へ入り小さく力の弱い魔物相手に同じ実験をした。
結果はマウスと同じ。様々な能力が発現した。
そしてそれを全部焔に殺させた。
全ての魔物は息を引き取り、生き返ることはなかった。
何度か同じ実験を繰り返し、不死の能力が発現するものはいなかった。
また、傷付いたマウスに薬を与える実験もした。
致命傷を与え死にかけているマウスに薬を投与すると、みるみるうちに傷が癒え、新しい能力が発現した。
再びそのマウスに致命傷を与え薬を投与すれば、なんの効果もなくマウスは死んだ。
薬を与えることで致命傷から復活するのは一度のみだとわかった。
ある時、好奇心が湧いた。
自分がこの薬を摂取すると、どうなるのだろう。
焔には止められた。アンジェラは呆れながら好きにすればいい、そう言った。
もしもの時は焔に殺させる、そう約束して薬を飲んだ。
しかし、何の能力も発現しなかった。
それから月日が流れ、彼女と契約して早30年。
エレナは彼女の血液によって不老の能力を手に入れていた。
実年齢はとうに50を越えている。
不死の力があるかは、まだわからない。
一度死んでみなければ生き返るかどうか定かではないからだ。
しかし、これまでの研究で一度も不死の能力を発現した被検体はいない。
試してみたい気持ちもある。
だが、命を失うのは惜しい。
死んでしまったら元も子もない。
しかるべき時まで大事に取っておこうとエレナは決めていた。
「ねぇ、これは例え話なんだけど。」
ふいにアンジェラは口を開く。
「なに?」
「エレナは毒物で人を殺せる?それも病死に見せかけて。」
「できるわよ。誰を殺してほしいの?」
「…アダム・ウォード。」
意外すぎる人物の名前に、エレナは顔を顰める。
王を殺すということは、その座を奪うということだ。
「国を乗っ取るつもり?王を殺したとして、次の王に誰を据えるのかしら?貴女の手持ちにはふさわしい器はいないと思うけど。」
「別に今すぐどうこうするつもりはないわ。例え話だってば。」
「例え話だとしても、その先をもっと現実的に考えておかないといざと言う時困るわよ。」
エレナは思案にふける。
こちら側の人間の能力を考慮し候補を探す。
「焔はダメね。あのジジイ一応それなりの器量はあるけど歳も歳だもの。長く王を続けることはできないわ。ジャックは論外。アイツは王の器じゃない。ベルもそうね。向いてない。私は…絶対嫌よ。激務で研究を続けられないなら意味がないわ。」
「じゃあ他に、エレナは今のこの国で次の王に据えるなら誰だと思う?」
「そうね…。それなりに実力もあって地頭の良さもある人間…。加えて、若くそれなりに長く王で居続けられる人物と言うと…」
一人だけ、思い当たる人物がいた。
「…ノエル・クラークかしら。」
アンジェラは満足そうににっこりと微笑む。
「貴方…ノエル・クラークも手持ちに加えようって言うの?」
「実はもう、ちょっとだけ手を出しちゃった。」
「あれだけ無闇やたらにその能力を使うなと言ったのに…。」
アンジェラはいたずらっ子のような笑みを浮かべる。
彼女は人間と同等の知能はあると言ったが、けして賢いわけではない。
どちらかと言うと、思いつきで行動するような思慮の浅い部分がある。
彼女の能力は貴重だ。謎に包まれている面も多い。
思いのままに人間を操る能力と聞けば魅力的だが、リスクがないと確実に言える程研究が進んでいないのも事実だ。
「まぁ、でも、アダム君を殺すのは最終手段。できるならしたくないわ。彼、私のこと何か勘付いたみたいなのよね。加えて魅了も効かない。」
「それがよくわからないのよね。魅了の効く人間と効かない人間…。ジャックのように過度に効果を発揮する人間もいれば、焔のジジイのようにそれなりに効く人間もいて、全くその効果がない人間もいる。この差はなんなのかしら。」
「それはきっと、その人個人が持つ愛の重さよ。ジャックの愛は重い。きっと、彼は相手が私じゃなくても偏愛的で執着的な愛し方をするんでしょうね。焔だって、ああ見えるけど実は凄く独占欲が強いのよ。そして彼は少し狂った愛し方をする。それが、きっと私じゃなくても。」
「個人の愛の重さ、ね…。じゃあ効果がない人間は一体何が違うのかしら。」
「それはわからないわ。過去に何人もいたけど共通点はない…と思う。今後の研究テーマにでもしたら?」
「そうね。…ちなみに、私は貴女の魅了にかかっているのかしら?」
「いいえ。エレナにはかける必要ないもの。根っからの研究者の貴女が、こんな貴重なサンプルをみすみす逃すわけないでしょう?貴女には私を裏切る理由がない。」
「わかってるじゃない。私が貴女を見捨てる時があるとしたら、それは貴女に価値がなくなった時。不死の貴女にはそんな時は永遠に訪れないわね。」
クスクスとどちらともなく笑みが溢れる。
そう、これは利害の一致。
アンジェラとエレナはお互いの目的のために手を結んだ、いわば悪友のような関係だった。
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