9 カラスの森
正午を知らせる鐘が鳴る。
アダムは書類から顔を上げると、すっかり冷めたコーヒーに口を付け一息ついた。
今日はノエルは東の森へ遠征に行っていて、帰ってくるのは夜の予定だ。
なんでも魔物たちが凶暴化していたり、新種の魔物も現れたらしい。
その調査にノエルは駆り出されたのだ。
多少書類の進みが遅れたくらいで口うるさく言うヤツもいない。
火急の自体がない限り、この時間にここを訪ねる者もいないだろう。
アダムはクローゼットから一番地味な上着を手に取り、羽織る。
帽子を深く被り執務室を出ると、人通りの少ない城の裏口から外に出た。
人目を避け、裏通りを通り北の湖を越えすっかり人気のない街道を歩く。
北の森の入口に近づくと、数匹のカラスが鳴き声を上げた。
そのまままっすぐ進み、昼間だと言うのに薄暗い森の中、一人の影が見えた。
その影の周りには無数のカラスが木に止まり、こちらをじっと見つめていた。
『待っていたよ。』
『遅かったね、何をしていたの。』
『待ちくたびれたよ。』
『約束の時間はとっくに済んでるよ。』
気味の悪い歪んだ声が次々に浴びせられる。
アダムは帽子を取り、変装とは言えない変装を解いた。
「すまない、少し仕事が建て込んでいて…。待たせたな、レイヴン。」
真っ黒なロングコート。深く被ったフードからは銀の髪が覗く。
黒いマスクで口元を覆い、目元だけを露出させた黒尽くめの影は何も言わずに佇む。
そもそも、彼は生まれつき口が聞けない。
代わりに、使役するカラスたちが彼の言いたいことを伝えてくれる。
彼は隠されたNo.6。その詳細はほとんど不明だ。
名前はない。本人に聞いても好きに呼べばいいと言うので、その能力から分かりやすくレイヴンと名付けた。
目元しか見えないので正確な年齢は分からないが、自分とそう変わらないように見える。
銀色に輝く長い睫毛が印象的で涼しい目元はどこか中性的な雰囲気を漂わせていた。
彼の能力は使役。
動物や魔物を使役し、情報収集や諜報活動を得意とする。
主にカラスを媒介して、国中のあらゆる情報が彼のところに集まる。
アダムは彼にもアンジェラの素行調査を依頼していた。
「例の件、聞かせてもらおうか。」
アダムは適当な木の根に腰掛ける。
彼は立ったままカラスに目配せすると、カラスは歪んだ声で語りだした。
『君が僕のところに来たのが3日前の昼。収穫祭の翌日だ。その日、アンジェラはエレナ・シュバルツと過ごしていた。』
『西地区のレストランでランチ。メニューはトマトのサラダとカルボナーラ。デザートにコーヒーとプディング。』
『このパスタ美味しいだとか、北地区のクレープ屋が気になるだとか。いたって普通の友人同士の会話だった。』
『その後アンジェラはエレナの診療所で1時間ほど過ごし、城へ戻った。夜更けた23時頃、正面玄関ではなく裏口からこっそりと城を抜け出す。』
『向かった先は東地区の離れ。ジャック・スターローンの居住する家。』
『2人は玄関先で抱き合い、キスをした。そのままジャック・スターローンはアンジェラを部屋に招いた。』
「…2人は恋仲だったのか?」
意外な関係に、思わず言葉が出た。
自分はジャックとそこそこ仲がいいと思っていたが、そんな素振り一切なかったはずだ。
『そこまでは知らない。僕たちはただ事実を伝えるだけ。その事実を元に考えるのは君の役目だ。』
『そこで何を話していたのかは不明。でもカーテンが開いていたから中の様子は確認できた。2人はベッドで身体を重ねた。』
「…続けてくれ。」
彼は何も言わずに再びカラス達に目配せをする。
『彼女の滞在時間は3時間ほど。ジャック・スターローンが眠りに落ちると彼女はそのまま部屋を出て裏口から城へ戻った。』
『翌日、その日は午後からひどい雨だった。彼女は城の裏口から出て、傘もささずに北地区の離れの街道へ向かった。しばらく道端にしゃがみ込み、そこでノエル・クラークと出会う。ノエル・クラークはアンジェラを自身が居住する家へ招いた。』
「ノエルが?…何かの間違いじゃないのか?」
『いいや、確かにノエル・クラークだった。』
嘘だろ、と言う言葉を飲み込む。
『中で何が行われていたかは不明。カーテンが閉められてきたので中の様子は確認できず。彼は几帳面な性格なようだ。』
『彼女の滞在時間は2時間ほど。帰りは来た時と服装が変わっていて、サイズの合わない男者のシャツ1枚の姿でまた城の裏口から部屋へ戻った。』
目が合うだけで恥ずかしいと照れていた男が彼女を家に連れ込むなんて、アダムは信じられなかった。
そんな事ができる男だとは、到底思えない。
けれど、カラスたちが言うことならば、事実なのだろう。
アダムは胸の奥になんだかモヤモヤしたものがたまるのを感じた。
『その後、夕方になり着替えた彼女は城の正面からエレナ・シュバルツが営む診療所へ向かう。診療所は既に診療を終えていて、患者として行ったのかエレナ・シュバルツの友人として出向いたのかは不明。滞在時間1時間ほどで城の正面玄関から部屋に戻った。』
『翌日、彼女は夕方まで自室で過ごし、昨日と同じく夕方にエレナ・シュバルツの診療所へ出向き、滞在時間1時間ほどで再び城へ戻った。』
『その後23時過ぎ。裏口から城を抜け出し南地区のはずれ、焔の居住する家を訪れる。』
アダムは静かにカラスたちの声に耳を傾ける。
『2人はベッドで過ごしていたが、何をしていたのかは不明。途中でカーテンを閉められてしまった。』
『でもカーテンが閉められる寸前。2人はキスをしていた。』
『彼女が焔の家を出たのは朝5時前。城の裏口から部屋に戻った。』
『そして今日はまだ一度も外に出ていない。これがこの3日間の記録だ。』
『彼女は毎日エレナ・シュバルツと会い、毎日違う男のところへ行っている。』
カラスたちが語り終えると、アダムは静かに息をつく。
彼女の身辺は、思った以上に複雑だ。
彼女と関係のある人間は彼女の本当の姿を知っているのだろうか。
天真爛漫な天使ではなく、先日アダムが見た化物の片鱗を。
まだまだ彼女を探る必要がある。
アダムはカラスたちの報告を頭の中で反芻した。
「…すごい女だな。毎日違う男と…。それもNo.持ちの男とばかり関係を持っているのか。まさか、君まで彼女と関係を持ってるとは言わないよな?」
『馬鹿にしないでくれ。僕は尻の軽い女なんてごめんだ。』
レイヴンは表情を変えることなくアダムを見据える。
「…信じていいんだな?」
『信じるも信じないも君次第さ。』
『でも君が僕のことを信用しないなら、僕の情報は全てデタラメになる。』
『1つ疑えば、全てが疑わしくなる。』
『疑心暗鬼。』
『それでもいいなら、お好きにどうぞ。』
畳み掛けるようにカラスたちは言う。
そもそも自分はアンジェラへの正体を知るために彼に依頼した。
彼を疑ってもしょうがない。
「…いや、すまなかった。君のことは信用しよう。引き続き彼女の動向を探ってくれ。」
『承知したよ、サヴァリアの王よ。』
薄暗い昼間の森。
無数のカラスたちは次々にどこかへと飛び立っていった。
@kakakakarashuya
https://x.com/kakakakarashuya
Xのフォロー&リポストお待ちしております。