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あわせ鏡

『廻り』

作者: 一条 香夜

【狂気】

 一.気が狂うこと。また、常軌を逸した心。(小学館 『日本国語大辞典 第二版 第四巻』より)



 浮かぶ。

 目の前の人が、物が、言葉が音が流れていく。めまいではない。立ち眩みや、よく起こる起立直後の眼前の暗闇でもぼやけるでもなく。目の前にあるのに実体を伴わないような曖昧さで流れていく。記憶にほんの少し留まり、浮かび漂う。


 霞む。

 私が自分の背中を見る。その背中が霞んでいる。たばこの煙が籠る部屋にいるような、はっきりとしない視界。そもそも背中を見れるわけがないのに、私は私からずれて、自分の背中を見つめる。

 肉体の視界は分からない。何を見ているのか、それすら分からない。私がずれてしまっているようになっている、そのことだけは知覚している。


 途切れる。

 睡眠でもなく、気絶でもなく。起床し、何かしら行動している中で途切れてしまう。思考が。感覚が。記憶が。分かるのは途切れたこと。途切れた合間は、私が知らぬ間に埋まっていること。

 嫌でも知覚する。自覚する。

 取った覚えのないノートやメモ。交わした記憶のないやり取りが残った携帯電話。一度だけではなく、何度も意識ある中で見る自分の後ろ姿。

 「ああ。おかしいのだ」と。


 浮かびを、霞みを。途切れを自覚する以前から、持っているものが世の中では“おかしい”と分類される自覚はあった。折り合いをつけて日を重ねてきた。

 歪んだのではない。ただずれていた、それだけのはずで。

 多少“おかしさ”からくる衝動に引きずられ、酩酊感に身を揺蕩わせたことはある。

 「なんでこんなこと」

 親兄弟から言われることはあれども、それが頻発するわけではなく。衝動が抑えられなくなった時くらい。それだけのはずだった。身を揺蕩わせていた時に霞みと途切れは始まっていたのだろうけど。

 はて。そうなると浮かぶような感覚はいつからか。記憶をたどる。

 浮かぶ、ということは足をつけてはいけないから。足をつけてはいられないから。流れていくのは、留めてはいけないから。留めると濁っていくから。“おかしい”ものの派生かもしれない。不完全な記憶だから、記憶の過信はできない。派生を疑いつつ、衝動を探りながら、記憶をたどっていく。


 そうして、気づく。

 「いつから私の足首を掴もうとする、いくつもの手があるのか」

 「いつから音が減った場所で声が聞こえるのか」

 「老若男女の声で“いつまで生きているのか”と声がして、足が引っ張られる感覚がいつからあったのだろう」


 “おかしい”のだ。

 おかしかったのだ。ずっと。何年も十何年も。今も。

 衝動が抑えられる。なんてそんなことができるなら、息をしながら自分の気管は押さえない。それでもまだまともを装っていられたのは、浮かびを自覚する決定的な出来事がなかったから。

 人は、私のことをきっとこういうのだろう。

 “気狂い”と。

 おおよそまともではないのだろう。元から解離のような状態の人間。それに輪をかけて、足首を掴む手と「どうしてのうのうと生きているのか」という声が聞こえるなんて。

 元より公にできぬ衝動と願望を抱えて今までいたのだ。そもそもどうして“おかしくない”と言えるのだろうか。


 第三者に危害を加えずとも、何度も私は自分自身を傷つけた。この状態を放置した。地に足をつけたら取られてしまうからの浮遊感と、数多の嘘と本当の声が耳に留まるようになってしまうまで。ぼやけた後ろ姿と、途切れの記憶に目を背け続けた結果がこれなのだ。

 先に綴った物語の中で第三者へ危害を加えた思考は“狂気”と、“常軌を逸している”と定義した私は、己相手ならば幾度繰り返そうとも“狂気”ではないと。そう判断するのか。

 これを正気とするならば、この先も私は自分自身に入る声を流しながら、時にずれた視界を戻し、掴まれたまま足を進めていくのだろうか。


 最早、これを綴っている今すら私の記憶は途切れている。途切れながらも、どうしてか文は続いている。何かが記憶を補完して書いているのだろう。

 幸いにして近頃、足首を掴む手の数は減り、耳に入る声は耳鳴りに負けることも多い。それでも世の大半の人々はこれを“正気”とは言わないであろう。当然だ。何一つ消えたわけではないのだから。

根本である、何十年も抱えた衝動そのものも今も波のように寄せては引いてを続けている。完全に波が引く日は私が終わるその日。


 浮かびも。霞みも。途切れも。ふとした瞬間に掴む手も。

 「いつまで」と私を詰める声も。その日に消えるはずだ。


 すべてすべて抱えたまま。“おかしい”まま、この先も私は生きていく。対外的には正気を保ちながら、いつかの将来で思考が完全に“狂気”が思考を。視界を、飲み込むその日まで。

 幾度自傷の真似事のようなことを繰り返しても。

 それでも。この“おかしさ”が生み出すものがあるから。合わせ鏡をするように自身の内の衝動に、感覚に。手に。声に問いかけ続けながら。

 

これからも、まだ私は生きていく。


『ある者の日記より』

(了)


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― 新着の感想 ―
常軌を逸していながらも、その自覚があるという抽象的な表現に、文学性を感じました。 狂気の中にも正気が残っているからこそ、人は苦しむのではないかということを、深く考えさせられました。 作中に出てきた『足…
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