鎌倉時代の女性人権問答
「折角鎌倉時代と繋がっているのですから、是非インタビュアーを!」
こう言って来たのは、隣の鎌倉武士の子孫ではなく、かといってDQNでもなく、マスコミ関係者でもない女子大学生であった。
ちょっとフェミニズム好きっぽいが、ガチガチではない。
現代の女性の立場との比較で、過去の女性はどうだったのか研究の為にインタビュアーしているそうだ。
だから近所の婆様たちとも顔なじみだったりする。
その近所の婆様は鎌倉武士の子孫、そこから話が伝わったらしい。
……婆さんたち、口が軽いんだよ。
鎌倉武士並にタイムパラドックスを理解していないし、何か問題が発生しても
「まあどうにかなるんじゃないの?
今までだって大体そうだったし」
という鈍さだから仕方ないかもしれないが。
「で、門前払いされたんですよね?」
俺に自分の研究のテーマを話している時点で、そう察した。
鎌倉武士に限らず、江戸時代の武士だって初めて会う人の不意の訪問は受け付けない。
予め手紙を送って都合を確認してから訪ねる事となる。
いきなり行っても大丈夫なのは、余程親しい間柄に限られる。
あとは猿回しや獅子舞といった正月の角付け芸人くらいか。
江戸時代だとここに虚無僧も含まれる為、よく他家の様子を探る密偵の変装に用いられるようだ。
この女子大生、一応その辺の礼儀は弁えていて、アンケートの協力依頼の手紙は送ったようだ。
だが鎌倉武士に「アンケート」というものが伝わらず、意味不明な怪文書として焚きつけにでも使用されたと推測。
その後、書いた日に訪問したものの、薙刀を突き付けられて追い返される。
(もうその時点で、女性の人権もへったくれも無いと推測しろよ)
と思ったものの、この女性は妙に鎌倉時代にシンパシーを持っていた。
是非話を聞いてみたいと言って、取次役の俺に頼みに来たのである。
「お婆さんたちに聞いたんですけど、普通に接してくれるって」
まずそれは、見た目の年齢こそ逆転しているけど、婆様たちはその武士の子孫で身内扱いだからだよ。
これがこの女性を錯覚させてる理由なんだな。
どうも諦めるつもりは無いようだから、一個だけ入れ知恵をした。
「近所の婆様たちだって、基本的に手ぶらでは訪問しないよ。
招待された時だって、庭で作った野菜とか果物とか持って行ってますよ。
手ぶらで行けるのは、向こうから用事があると呼び出された時くらい。
歴史上の人物なんだから、今とは勝手が違う事は理解しましょうね」
この事は婆様たちから教わっていなかったようだ。
まあそれも理解出来る。
あの人たちにしたら、手土産とかお裾分けは「当たり前」の事で、特別に教える事も無いのだ。
特に用事が無い時だって
「これ、作って余ったから食べて頂戴」
と漬物とかを持って来るし、近所の住民だけでなく、武家屋敷の方にも雑色経由で献上している。
ちなみに俺は、こき使われている事、鎌倉武士の親族の方が勝手に上がり込んでお茶なんかを飲み食いしていく事、たまに持っていく日本酒がえらく評判が良い事で、普段は手ぶらで大丈夫だし、当主不在の時でも門番顔パスで入る事が出来る。
そして土産が必要と理解した女子大生は、それを持って再訪して来た。
献上品を持って来たとあれば、無碍には扱わない。
それに事前に、何日に訪問すると予定を伝えてあった為、一応屋敷内に入れて貰える事になった。
俺も執事の藤十郎に、こういう人が行くから対処よろしくと伝言していた。
どう対処するかは藤十郎次第だから、これ以上はシラネ。
「北条政子さんには会えますか?」
こんな事を言われたから、藤十郎は思わずのけぞった、と後から教えてもらった。
まず名前を言うとか、おかしい。
鎌倉武士たちは二位の尼、尼御台といった呼び方をしている。
ギリギリ、北条政子が本名ではない事で、無礼討ちを免れたのかもしれない。
政子とは父の北条時政から一字使った朝廷交渉時のパブリックネームであり、名前による呪詛を避ける為の名前でもあったのだから。
諱を口にしたら、その時点で反射的に斬っていたかもしれない。
彼等は執権北条氏も、役職としてはともかく、出自としてはいまだに侮っているのだが、源頼朝と北条政子夫妻は神聖視している。
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【御成敗式目第七条】
「一、右大將家以後代々將軍并二位殿御時所宛給所領等、依本主訴訟被改補否事
右或募勳功之賞 或依宮仕之勞拜領之事 非無由虬 而稱先祖之本領於蒙裁許 一人縱雖開喜絓之眉
傍輩定難成安堵之思歟 濫訴之輩可被停止 但當時給人有罪科之時 本主守其次企訴訟事
不能禁制歟 次代々御成敗畢後擬申亂事 依無其理被弃置之輩 歴歳月之後企訴訟之條
存知之旨罪科不輕 自今以後不顧代々御成敗 猥致面々之濫訴者 須以不實之子細被書載所帶之證文」
重要部分だけの訳:右大将(頼朝)以後の将軍と、二位殿(政子)から貰った所領は、訴えれられても権利を失う事はない。
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なので、武士からしたら崇めるに値する女性なのだ。
そして何よりも、会いたいと言われても既に死亡している。
御成敗式目発布時にはもうこの世にはいなかった。
藤十郎は「頭が弱い人」として、多少の非礼は許す事にしたようだ。
この点、他の者が応対しなくて正解だったろう。
下級公家の吉田民部なら大丈夫だが、他の武士なら
「気狂いに付き合っておれぬ」
と良くて席を立つ、悪くて物理的に叩き出す、最悪の場合「頭のおかしい女子はわしが正しい有り様を教えてくれぬ」と性的(以下略)をする可能性があったのだ。
基本的に精神病患者の方が人権が無かった社会であり、女性である事よりも「狂っている」方が危ういのだ。
色々話していて、大体は予想通りの事が聞ける。
この時代女性の地位は低くなっている。
その中で尊敬されるのは、北条政子のように政治でもって恩賞を多く与えた者、巴御前や板額御前のように武力に秀でた者、比企尼とか寒河尼のように当主不在時に武士団を統率した女傑である。
要は「力という基準で平等」なのだ。
政治力も武力も統率力も権威も無い女性は、立場が低くなって当然であった。
だが一点、女子大生が驚く平等があった。
それは
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【御成敗式目第十八条】
「一、讓與所領於女子後、依有不和儀、其親悔還否事
右男女之號雖異 父母之恩惟同 法家之倫雖有申旨 女子則頼不悔還之文 不可憚不孝之罪業
父母亦察及敵對之論 不可讓所領於女子歟 親子義絶之起也 既敎令違犯之基也 女子若有向背之儀者
父母宜任進退之意 依之女子者爲全讓状 竭忠孝之節 父母者爲施撫育 均慈愛之思者歟」
訳:男女の違いはあっても、父母の恩は同等である。
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という土地相続に関する条文である。
女性にも土地を与える事が出来るが
「故に、男と同様に土地の没収も可能となったのじゃ。
今まで公家の法では、女子に相続させた土地を親が取り返す事は出来なかったからな。
親に甘えて土地を貰った後に不義理を働く者が居った故、斯様に相成った。
其方が望むような男女同じうするとは、このような事ではないのか?」
ある意味女性に与えられていた特権を、「男女平等」という考えで剥奪されていた事に、女子大生はしばし驚いていたそうだ。
ま、男女平等とは女性に特権を与える事ではないと、北条泰時さんは分かっていたようで。
おまけ:
女子大生「これ献上品です」
そう言ってパンを渡す辺り、この人どこかズレている。
藤十郎「何じゃこれは?
民部殿なら知っておるかもしれぬな」
吉田民部「ふむ、聞いた事がある。
宮中に唐粉供御人が麩なるものを供奉したと」
藤十郎「なれば貴重品か」
なお、麩が一般的になったのは室町時代からで、武士は知らないが宮中には一応あった模様。




