中世はほとんど進化しなかった学問
「学校がつまらない」
隣の鎌倉武士の八男坊が俺にそう相談を持ち掛けて来た。
正確には
「小学校で学ぶ学問がつまらない」
であり、友人関係とか体育、給食なんかは楽しいようだった。
「例えば算数とか言うもの。
余りにも基礎的に過ぎる。
学問はこの数百年進歩しておらぬのか?」
そんな事を言っているが、俺には分からない。
何故なら、鎌倉武士たちは揃って数字が苦手ではないか。
聞くと、九九は奈良時代からあり、武士の上位者はそれを知っている。
しかし二桁の掛け算となると、間違う者の方が多い。
武士の上位者と言ったが、所領も少なく貧しい武士や、分家の更に分家といった家格の低い家の者等は九九すら知らない。
指折り数えたりしていて、特に七が絡む掛け算は間違っている。
その事を指摘すると
「低い方に合わせるな。
わしは暦学にも使われる算学を知りたいのじゃ」
とか言っていた。
……お前、自分の年齢考えろよ。
小学生なんて、そんな事出来ないんだからさあ。
とりあえず俺は、小学校というものを説明した。
現代の子供は、幼い頃から農作業とか武術鍛錬とか、そういう生活に関わる事を課せられていない。
職業選択の自由があるから、ある程度成長してから、自分の意思で何になりたいかを決められる。
だから児童と呼ばれる年齢の内は、何でも学習する。
基礎的な事を段階を追って学んでいく。
これを怠ると、鎌倉武士程度の学力になってしまうのだ。
現代の小学校を6年きちんと勉強し終われば、全ての者はちょっとした公家程度の知力に達する。
その後、中学校に進んでもう少し応用的な学問なものに突っ込んでいく。
運動も基礎的なものを脱し、もっと競技的なものになる。
その他、技術や音楽も基礎や楽しむものから専門的になっていく。
こうしてある程度の特性を見極めての卒業後に、あとはスポーツをしたければ、学問がしたければ、商業関係に進みたければ、芸術を極めたければ、それぞれの道に進むのだ。
「むう……幼き頃より出家を決められておったわしには、よく分からぬが、良いのか悪いのか……」
八郎は、これでは秀でた者を育てられないのではないか、と言う。
僧侶になる事を前提に学問をして来た八郎からすれば、文字の違いにこそ戸惑ったものの、小学校で習う漢字なんかは「既に知っている」から、経を読んだり和歌を詠んだりする上で役に立たない。
もう分かっているのだから、先に進んだ方が良いのに、低い方に合わせるのはどうか、と。
「そういう考えはある。
小学校から進学前提の学校もあるし、それで物足りない場合は塾に通う。
まあ何にせよ、小学校ってのは基礎的な事、普通に生活出来るようになる事、社会生活で必要な事を学ぶものだ。
不満がある、自分にはレベルが低い、という人たちもいるし、言ってる事は分かる。
でもまあ国っていうものの教育の指針は、少数の優れた、あるいはどうしても合わないって人よりも、多くの人が最低限の事を身につけられる方を重視しているからね」
自分の責任で国家の学習指導要領と違った事をしたければ、それで良い。
多くの人は学校に教育を任せているのだから、国が決めて指針に沿った教育を受ければ、失敗が少ないと言えるだろう。
この辺、国の学校なんてものがなく、自家の教育が第一、高僧や公家や学者を招いて教育係にする事も含めて、全部自己責任な鎌倉時代人にはピンと来ないようだ。
要は「最大多数の最大幸福」とかいうもので、自己流は「当たればでかいが、外れたら社会不適合者を産む」から、ローリスクな方を選択した方が良いよ、といった感じだろうか。
「まあ良い。
塾なるものがあるなら、そこに行きたい。
暦学に通じる程の算学を!」
そう願っていたから、俺はとりあえず知り合いを通じて家庭教師を雇う事にした。
事情を呑み込んでくれ、かつ「どれくらいの数学レベルか分からないから、広く深く色々教えられる人」で探したから、中々難儀した。
金はある、報酬は高くて良い、から何とか見つかった。
そうして学校の後で、個人的に数学を学ぶ八郎。
「結構高度な事を知っているよ。
単語は全然違うけど、内容は既に知られている事だったりする。
あれでしょ? 武士の子なんでしょ? 凄いね。
鎌倉時代の武士も侮れないよな」
そう友人の友人の知り合いの家庭教師、会ったのは初めてだけど同じ大学に通っていたっぽい現塾講師の人がそう感想を述べる。
なんでも平方根、立方根、ガウスの消去法、ピタゴラスの定理、多次元連立方程式なんかは既に中国の学問書で覚えたらしい。
文字を読む方が面倒臭く、内容はすんなり頭に入った、ただ漢数字での計算が面倒臭く、現代日本というか世界共通のアラビア数字や記号を覚えれば「便利」だと八郎は言っていた。
考えてみれば、測量は兎も角、古代からきちんとした、現代にも残るような寺院を建築していた訳で、高度な学問を持っている人は持っていた訳だ。
近代以前は、総合的に学問をせず、武士だと武力に全振り、学者だと学問に全振りでステータスを割り当てていたようなものだから、特定の分野でチートが生まれやすい環境ではあるな。
……多くの失敗した者の屍の上に、ではあるが。
「まあ、現代人が負ける訳にもいかないから、天才数学者たちの編み出した公理の積み重ねの上にある今の数学の凄さを教えてやってるよ。
とりあえず今は、Xのn乗+Yのn乗=Zのn乗を満たす、3以上の整数は存在しない事を証明するよう宿題を出した」
「待て、それ絶対に解けない!」
フェルマーの最終定理ってやつだ。
「いや、既に証明されているぞ」
「鎌倉時代の十歳未満の子供に解ける訳ないだろ」
「まあね。
答えはあるけど、今のあいつでは解けない。
学問の奥深さを知るには良いんじゃないかな。
今のままだと、学問をナメてしまうぞ。
まあ自分としては、一個集中してしまう宿題に掛かりっきりになってくれれば楽だ、という打算があっての事だけどな」
「……一つ聞く。
もし、解いてしまったらどうする?」
「万が一にも無いと思うけど、その時は飛び級で大学進学を進めてみるよ」
万が一をやり兼ねないチートだと思うが、さてどうなるやら。
おまけ:
タイトルの回収。
古代中国で大体の算術書が出来ていて、平安時代には輸入も終わっていて、あとは暦学で閏年や閏月を計算する、日食月食(穢れた光は忌むべきもの)の予測以外で、数学は鎌倉~戦国時代にかけて発展しなかった模様。
実用的なものは大体揃っていたし。
ヨーロッパでも17世紀以降が爆発的な発展となったようで、微積分とか複素数とか非ユークリッド幾何学とかは近代数学の賜物ですな。
(中世はアラビア数字ではなくローマ数字を使っていたり、記号も存在せず「プラス」「イコール」のような記述方式だった為、ヨーロッパはイスラムやインドよりも数学が劣っていた模様。
インドとかイスラムは物凄い進んでいたようですが、やはりある時期に政治的とか諸々で停滞が滞ってしまい、結局現代に伝わっているのはヨーロッパの学問になってしまってまして)




