脳筋とチート頭脳が手を組めば結構強いんじゃね?
「山狩りの前に確認したき事がありますぞ、兄上」
鎌倉武士の八男が、考えるより先に動こうとする兄を制止する。
「罪人を殺さぬように致しましょう」
当然六郎の郎党たちが指パッチンを行う。
「爪弾き」はブーイングの意味があるのだ。
主君の子供だから表立って文句を言ったり、拳骨で言う事を聞かせられないから、こんな行動を取るのだ。
兄は流石に理由を聞く。
「兄上たちは先日、熊を狩った時に近隣の猟師と揉め事になったと聞き申した。
此度も同じ事を繰り返してはなりませぬ。
守護としてのお役目に支障を来しましょうぞ」
先日、駆除を頼まれていた猟友会を抜け駆けして、冬ごもり中の熊を殺害した為、これを面白く思わない者と傷害沙汰になる喧嘩をしていたのだ。
カッとなった相手が発砲した為、咄嗟に相手を殺害一歩手前まで斬った事は相殺となった。
武士たちは殺したつもりだったが、辛うじて生きていた為、色々と面倒になったと顧問弁護士がボヤいていたのを俺も覚えている。
というか、鎌倉時代基準では死ぬ傷が、現代では運が良ければ助かるのは医学の発展の賜物である。
「助かるとは思わなんだ。
首を落としておかなんだ我等の落ち度じゃ」
なんて言っているが、これで村は兎も角、近隣の町との関係は最悪になっている。
「守護は謀叛人、殺害人、夜討、強盜、山賊、海賊の捕縛が任。
更に彼の者どもは当地の検非違使なり侍所の罪人。
我等はあくまでも助勢のみとなりましょうぞ」
八郎の言は正論である。
守護の役割規定は御成敗式目第三条で定められている。
そして
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【御成敗式目第六条】
「一、國司領家成敗不及關東御口入事
右國衙庄園藭社佛寺領 爲本所進止 於沙汰來者 今更不及御口入 若雖有申旨 敢不能敍用
次不帶本所擧状 致越訴事 裵國庄園并藭社佛寺領 以本所擧状可經訴訟之處
不帶其状者既背道理歟 自今以後不及成敗」
訳:国衙領とか幕府の地頭が入っていない荘園で起きた事件には関与しないよ。
まあ相手から頼むと言われた時は別ね。
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とあるように、基本的に鎌倉幕府管轄地でないと事件には介入しないのだ。
御成敗式目とはあくまでも武士たち用のものであり、別な法体系で動いている地には関わるな、と規定されていた。
これは式目を模倣して作られた各地の武士団のものも同様だ。
……迂闊な介入をした先が寺社だったなら、揉め事どころの騒ぎでは済まなくなる。
「まあ、賊どもから手を出して来た場合は迎え撃つが武家の習い。
思う存分腕前を振るう為にも、筋を通しておくが肝要ぞ」
八郎のこの言葉に、武士たちも「それなれば……」と承服した。
……繰り返しになるが、この子供はまだ十歳にもなっていない、元服前の前髪立ちなのだ。
この辺の連絡は、鎌倉武士の婿である亀男が行う。
この人肉体労働で生活していた事もあり、フィジカルでは鎌倉武士と遜色は無いが、なにせ人を殺せない。
山狩りに参加しても足手まといになるから、留守番をしていた方が良い。
連絡係とかが最適解だろう。
俺もだけど。
俺の場合、過去何回かの助言が武士たちのツボにハマるものだったから、今回も知恵を貸せと言われている。
承久の乱の時の大江広元とか三善康信みたいなもので、前線に出る必要はない。
そんな役回りだけに、何か言わないとダメだよなあ。
という訳で、ありきたりな事を進言する。
「こういう外国人絡みの犯罪だと、同じ立場の人たちが匿っていたり、そうでなくても何かを知っているかもしれないよね」
武士たちは頷き合う。
「もっともな事じゃ。
なれば、心当たりの荘園に踏み込まん」
そもそも守護・地頭が設置されたのは、名目上「源義経追跡の為」である。
当時は惣追捕使と呼んだ守護は、義経や源行家を捜索する為に各国に常駐する。
その費用を出す為に、地頭が荘園に入り込んで税の一部を奪い、守護の活動費に充てる。
それが義経滅亡後も既得権益として常設化されたのだ。
朝廷なんかは、もう終わっただろ! と地頭の撤廃を散々に要求し、特定の荘園からの地頭撤退の是非が承久の乱勃発の一因ともなっていた。
この辺りは御成敗式目でも定義されていて、
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【御成敗式目第三十二条】
「一、隱置盜賊惡黨於所領内事
(中略)
同惡黨等出來之時者 不日可召渡守護所也 若於拘惜者 且令入部守護使 且可改補地頭代也
若又不改代官者 被沒收地頭職 可被入守護使」
訳:地頭が犯人を匿っている場合は、守護が警察権を行使する!
代官とか使っているなら解任しろ、さもなくば地頭職を没収する
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とある。
犯罪者が居る→守護の活動費捻出の為に地頭が置かれる→地頭が入った荘園は守護の立ち入りが可能となる、という流れで支配地を増やす訳だ。
中々悪辣なやり方だな。
それについての論評は抜きにして、まずは同様に技能実習生が働いている農家に突撃となる。
その為にも、早く周囲と連携をする必要があるだろう。
警察とか関係各所に連絡を入れ、同じ地域の住民から
「共同山とか人が立ち入らない山なんかの捜索を、自分たちに代わってして欲しい」
という嘆願書への署名をして貰い、協力者という立場を手に入れた。
更に「相手が武装をしている以上、こちらも相応の防具をつける」として甲冑着用を納得させる。
なお、太刀や弓は甲冑とセットなので、あえて許可は取らない。
何かあった時に証拠を残す為、強いには強いけど大人たちには勝てない八郎には、カメラとかレコーダーを持たせて記録をさせる。
……武士たちはどうせ文明の利器を使えないのだし。
「手柄を主張するにも、確たる証拠があった方が良いでしょ」
という説明で彼等は納得した。
万事根回しが済んだ後、やっと武士たちは出陣する。
こういう下準備をせずに、押っ取り刀で動くから問題が起こるのだ。
源頼朝とか文官集団が鎌倉から動かない理由ってのは、こういう前処理、後処理の為だったと実感出来た。
……六郎が
「当主は兄上(三郎)で構わん」
とか言っているのは、こういう手続きが嫌いだからだろうなあ。
馬(猛獣)に乗り、旗を流しながら出撃していく武士たちを眺めつつ、俺はそう感じていた。
おまけ:
合戦の場で「自分の手柄だ」ときっちり証明しないと、誰かに横取りされます。
だから
・郎党が名前を叫んで回ります(当人はそんな余裕はない)
・旗印、笠標でアピールします
・矢には名前を書いておきます
・証人を用意しておきます
とこれくらい準備しても、和田合戦の時なんかは
三浦義村「一番乗りは自分なのだが」
と言って、それを認めさせたりしてました。
(本当の一番乗りした武士が「三浦、お前わしが見えないとか、目が付いてのか?」と罵倒した為、逆に叱責して手柄を取り消した北条義時が恨まれてまして)




