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お公家さんとお買い物その弍

 時間を巻き戻し、吉田民部の買い物の続きの話である。

 現代日本では鎌倉時代の工芸品は高値が付けられる。

 一方、現代日本では量産に成功した意外なものが、鎌倉時代では高価だったりする。

 まずは海苔だ。

 海苔の養殖が無かった時代、海苔は税として認められるくらいの貴重品であった。

 吉田民部は、現代日本では余りに安い事に愕然としつつも

「贈り物としては実に良い」

 と様々な海苔を購入している。

 贈答用に海苔が使われるのは現代でもそう変わらない。

 昔の高価だった時の名残か、葬式なんかの返礼品には海苔のセットが使われている為、買い物でも特に違和感が無かった。

 ただし

「この熨斗紙はいただけない」

 と不満を持っていた。

 現代の熨斗紙は、熨斗がペイントされたものである。

「斯様な誤魔化しではなく、熨斗鮑の紐を使ってだな……」

 なんて言っていたが、海苔より紐の方が高額となる何か違うよな、という状態に。


 現代では安くなったもので、鎌倉時代の貴重品には真珠もある。

 真珠は現代でも高額でない訳ではないが、アコヤガイ内に偶然出来るのを探していた時代と比べ、人為的に作れるようになってからは安く大量に安定して得られるようになった。

「涼太殿、この白珠は本当にこれ程の値しかせぬのか?

 売る者が愚かなのか?

 それとも見た目は良いが、実は曰くがあるとか、左様な事有りや?」

 と公家が驚く程、ネックレスとして何個も真珠が連なったものが鎌倉時代比で安く売られていた。

 聞くと真珠は仏具としても有用。

 彼等からしたら、ネックレスではなく数珠に見えているようで

「延暦寺や興福寺に寄進すれば喜ばれよう」

 と興奮している。

 あの何かと武力介入して来る寺を味方に出来れば、京での活動はしやすくなるだろう。


 続いて砂糖も、当時は貴重品で現代はありふれたものと言えよう。

 砂糖は鑑真僧正が仏教の戒律と同時にもたらしたとされる。

 鎌倉時代も日宋貿易によって、ごく少量が「薬」として輸入されている。

 まあ病気の時に甘い物はあながち間違いでもないか。

 室町時代の狂言「附子ぶす」では砂糖を食べられたくない主人が、使用人の太郎冠者と次郎冠者に「これは毒である」と嘘を吐いていたが、結局バレて全部舐め尽くされる話だ。

 また後年の江戸時代、薩摩は支配下に置いた奄美にて砂糖生産を開始し、これを専売する事で巨利を得ていた。

 この砂糖生産で薩摩は農奴とも呼べる存在を大量生産するのだが、その話は置いておく。

 こうして生産された砂糖は、金銀と交換されるものだった。

 実に貴重な物であった事が分かる。

「石蜜(氷砂糖)、蔗糖(黒砂糖)は某も僅かながら見知っておる。

 この白きもの(白砂糖)も蔗糖(砂糖)なのか?

 こちらの方が多く有るが、粗悪なる故に多いのか?」

「……舐めて味わってみましょうよ」

 そして舐め比べて、味の差こそあるが、どれも甘しと書いて「美味し」と読む感想になる。

 大量に買っていき、小分けにして如何にも「苦労してこの少量だけ手に入れました」という体で献上するそうだ。

「じゃあ、湿気対策で乾燥剤(シリカゲル)でも入れておきましょうか?」

「食べまするか?」

「食べられません!」

 前言撤回、シリカゲルは入れてはならない!

 説明書置いても見ずに食いかねない。

 さっさと全部消費して貰った方が良いな。


 甘い物には蜂蜜もある。

 蜂蜜に関しては、砂糖よりは早く日本でも生産されていて、平安時代には甲斐や信濃からの献上品として名が挙がっていた。

 それでも貴重品には違いない。

 養蜂は失敗しているようで、蜜を集める量が少ないニホンミツバチが作った自然の蜜巣を、人力で採って回っているのだろう。

……甲斐からの献上品って時点で、甲斐源氏が刀を抜きながら領民に蜂と戦わせている様子が目に浮かんでしまった。

 現代日本では、蜜をより集めるセイヨウミツバチを、養蜂によって比較的安定して集めているから、安くなっている。

 更に日本産よりももっと安い輸入品だってある。

 蜂蜜もまた、タイムパラドックスを起こさずに重宝がられる品物と言えた。


 そして、それら買った物を小分けにする壺や甕。

 芸術品としての陶器なら、鎌倉時代の方が価値があるだろう。

 中国の景徳鎮の青磁なんかは当時全盛期。

 現代の技術でも、当時と全く同じ物は再現不可能だという。

 また瀬戸焼き丹波焼きという国内の窯業も、宋からの輸入品を模した物を作っていた。

 一方、庶民が使う陶器なんかは別に存在する。

 そういう物は質が悪く、公家からは見向きもされない。

 現代の大量生産の陶製容器は、美術品には劣るが、庶民の物よりは各段に質が良い。

 形が整っているし、見た目も釉薬を使っていて、素焼きの物より高級感がある。

 主役は中身なんだし、外側はどうでも良いという考えは現代人でも余り通用しない。

 何だかんだで外側も見た目が良い方が好まれる。

 そんな手頃な入れ物が、100円ショップとかで買えるのが現代日本なのだ。

「ううむ……唐物(からもの)に比べれば品を感じぬが、献上品の入れ物としては十分じゃ。

 斯様な物がここまで安く手に入るとはのお……。

 なるほど、やはりこちらの世は、数百年先の世であるのだなあ……。

 人品を見ると、それ程変わったようには見えぬのだが……」

 悪かったな!

 文明が進んでも、人間性ってのは変わらない場合があるし。

 それでもあの蛮性バリバリの時代からすれば、別世界の生物のように温和になっていると思うのだが。

 昭和二十年八月を境に、日本人ってかなり変わったというか、変えられたというか、違って来たと思うぞ。

 あと平成になって以降、豊かさが身についた為に、より殺伐さが消えて金持ち喧嘩せずな気質になっている。

 鎌倉時代まで遡らずとも、百年前と比べても違う国民性になっているのだが。

 鎌倉武士の一党が相手にしているのがDQNが多いせいか、なんか現代もちょっと誤解されているのかもしれない。


 あとは鎌倉時代にも存在するが、油とか、より進化した味噌なんかも購入。

 和紙や硯等の贈答品も一通り揃えて買い物は終了した。

「以前、ご当代殿が京に赴いた時は、それはそれは支度に手間が掛かったそうじゃ。

 挙句に官位を授かる事も無かった。

 それに比べれば、斯様に安易に良き物を取り揃えられるとは、良き世じゃのお。

 献上される方も、嬉しかろう」

 いや、もう付け届けで何かが決まるってのは、「表向きは」禁止されているので。

「表向き」はね。

 それだけでも世の中は変わったと言えるのかな。


「ところで、随分と木を色とりどりに飾り付けておりますな」

 季節柄、そういうのが目に付く。

 人形とか玉とか電球とか星とかでデコレーションしていた。

「我等の世では、木に吊るされるのは罪人の首じゃからな。

 梟首と申して、古来宋の国にては梟とは親を殺して喰らう不孝のモノとされ、

 その首を取って木より吊るすという風習があったようじゃ。

 それに倣い、罪人の首は髷で木に結わえられて吊るされたりするようになった。

 京でも戦乱の後は身分卑しき者の首は左様に木に吊るされたそうじゃ。

 それに比べ、全くもって穏やかな事よのお」


 最後の最後、物騒な逸話を述べて帰っていく鎌倉時代の下級公家であった。

……圧倒されたままで終わりたくなかったんだろうなあ。

おまけ:

斬首された後、首を矛に刺して高く掲げて練り歩き、獄の門の木や柱に吊るすようになったのは平安時代後期からだそうで、鎌倉時代から「獄門首」と言い出した模様。

平宗盛、清宗もこうして首を吊るされました。

そしてその木はモミの木ではなくセンダンの木。

やがてこのセンダンの木で、吊るすのではなく乗せる為の獄門台が作られるようになったそうです。


滅理(メリー)・苦離済ます……。

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― 新着の感想 ―
[一言] 当時高価だってけど今だと安いもの。 他にはシイタケとか布、茶葉でしょうか? 大体お歳暮で送る物って昔高かったものな記憶がありますね。
[一言] 後書きW ワロタ。
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