そうだ、京都に行こう
隣の鎌倉武士の下女だったお熊さんは、現在モデルとして芸名「一条ひめか」と名乗っている。
この一条は、五摂家の一つの一条家ではない。
鎌倉幕府とは繋がりが深い、源頼朝の妹・坊門姫を娶った一条能保の系統の一条家である。
現在は衰退気味ではあるが、隣の鎌倉武士はこの家と近しい関係にあった。
鎌倉武士には京都大番役という仕事もある。
元々三年程京都の御所なり摂関家の屋敷なりを警備するもので、命じられる武士の負担は大きかった。
これを鎌倉幕府創始者の源頼朝は半年に短縮させる。
頼朝が全国の武士の支持を得た理由の一つである。
この大番役は、各地の守護に催促されて派遣されている。
今回、隣の鎌倉武士に当番が来て、嫡男の三郎が京都に赴く事になった。
「三郎もこちらの世の薬師によって、漸く大任に耐えられる体となった。
実に目出度き事ぞ」
当主は喜んでいる。
武家にとって大番役は負担こそ大きいが、一方で公家と親しくなれる機会でもあり、メリットもそれなりにあった。
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【御成敗式目第三十九条】
「一、官爵所望輩、申請關東御一行事
右被召成功之時 被注申所望人者 既是公平也 仍非沙汰之限 爲昇進申擧状事
不論貴賤一向可停止之 但申受領檢非違使之輩 於爲理運者 雖非御擧状 只有御免之由
可被仰下歟 兼又新敍之輩 巡年廻來浴朝恩者 非制限」
訳:朝廷に直接官位要求するな、幕府の推薦状を貰ってからにしろ。
ただし受領(守とか介とか)・検非違使・引継ぎの場合はこの限りではない。
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御成敗式目で官位要求は禁止されている。
しかし上記のように検非違使は例外であり、家名を高める為にこれに任官して欲しいと思っていた。
そこで宮中における存在感は低下しているとはいえ、一条家とのコネを上手く使って検非違使任官を狙っている。
「さて、良き手土産は無きや?」
俺が武家屋敷に呼ばれたのは、そういう理由である。
ぶっちゃけて言うと、現代日本の文物を公家に賄賂として送ろうというものだ。
一条家の他、家政担当の吉田民部の実家たる吉田家、その係累等が対象である。
価値というものだが、割と現代日本はおかしい。
鎌倉時代の刀とか反物とか仏像とか、ロストテクノロジーの産物だったりもするが、鎌倉時代に比べると凄まじい高値がつけられている。
隣の鎌倉武士からすれば、発注したり何処かから略奪して来て手に入れた物を、現代日本に売れば莫大な利益を得られる事になる。
大儲けとなるから税務署は目を付けてはいるものの、例外中の例外で「日本国憲法通用外」な為、それ以外の法律も適用されない事を知ると、手出し出来なくなる。
国からのサービスは一切受けないし、逆に納税の義務も無い。
話を戻すと、付加価値というものが凄い日本においては、鎌倉時代の工芸品は想像以上に金額が上がってしまい、鎌倉武士にしたら
「精々馬数頭分で買えるものが、百頭分以上になるとは奇怪なる事よ」
と意味不明ながらも大儲けをしていた。
逆に現代の物を鎌倉時代に持っていけば?
そこまでの付加価値は付かない。
その物の持つ価値相応の価格設定となるだろう。
美味い酒や甘い米、使い勝手の良い筆や墨等の文房具は、高値ではあっても、目が飛び出るような価値にはならない。
……茶器とかそういうものに、異常な付加価値を付けるようになったのは織田信長と茶人たちの画策ともされる。
一方で、例えばデジタル機器なんかを持っていって、当時にしたら魔法のような性能を見せたとしたらどうなるか?
タイムパラドックスはこの際置いておく。
価値がつかないだろう。
どう評価したら良いか分からない。
まして活用法が分からないし、壊れたら修理も不可能、想像もつかない物だから自慢しても他がポカーンとするだけで美味しくない。
だからオーバーテクノロジーなものは、しっかりその凄さが分かる時代でないと、魔法の道具的ポジションで終わるだろう。
その上で膨大な付加価値を付けない時代なら、分からない物に高値は付けない。
実際隣の鎌倉武士たちは、現代のテクノロジーには興味を示していない。
便利なのは分かるが、技術が隔絶し過ぎていて「仏界の何か」といった手の届かない物程度に考えている。
鉄砲には何度か痛い目に遭っているので、武器として興味を持っているものの、自分たちで作れない事が確定しているので「いざという時に有れば良いかな」と、密かに何丁かガメているようだが。
「実際のところ、どんなのが喜ばれるんですか?」
公家の好みを聞いておかないと、現代日本からの土産も選びようが無い。
通貨代わりの馬とか反物なんかは鎌倉時代でも調達可能だ。
酒は……トラックも冷蔵庫も無い時代だから、京都まで運ぶ最中に劣化する可能性がある。
聞くと、承久の乱の後に勢力を振るった西園寺公経は、日宋貿易で手に入れたオウムを摂関家・近衛家実に献上したという。
代金というものは兎も角、献上品としてはやはり珍しい物は有効なようだ。
また、その西園寺公経は金箔塗りの牛車を乗り回しているそうだ。
「即物的な金が良いのかな……。
オウムならこの時代、金を出せば簡単に買えるけど……」
「それは良い。
ではオウムを買おう」
「いや、待って下さい。
時代的におかしくは……ならないか、既に近衛家に献上されたとあったから。
ですが、大量に買って献上したりしたら、物珍しさが無くなって価値が下がりますよ」
そう注意するも
「左様な事は分かっておる。
自家だけが特別な物を持っておる、贈られた、そういう事こそが歓心を買えるのじゃ」
蛮人のように見えて、やはりこういう機微には通じているようだ。
「よし、珍しき動物、珍しき文物を買えば良いのじゃな。
当家には紙幣とかいう、銭の代わりの物はいくらでも有る。
民部殿、亮太殿に従い適当な物を見繕ってはくれぬか?」
「承りました」
こうして俺は、検非違使任官を働きかける為の賄賂購入に付き合わされる事になったのだった。
ところで俺はどうにも疑問に思う事がある。
検非違使は幕府の推薦無しでも任官OKなんだよな?
だったら、勝手に検非違使任官で怒られた九郎「判官」源義経の立場はどうなるんだ????
※義経さんの場合、
・任国制圧という大義名分を持つ「伊予守」任官前に、検非違使という畿内限定の職に就いたせいで、四国遠征軍から外さざるを得なくなった。
・畿内警固の検非違使なのに、その職のまま屋島とか壇ノ浦で戦った。
・手柄を独占してしまった。
・義経を前例に、他の御家人が無断任官しまくった。
・頼朝を従二位に推挙した一条能保の郎党と、義経郎党が喧嘩騒ぎを起こした。
といった感じの数え役満でああなったのであり、検非違使任官程度が問題では無かったようで。
ちなみに無断任官は、武士ではない下級公家の大江広元(当時は中原広元)もやっていた。
特にお咎め無かったようで。
おまけ:
譲念「三郎殿が検非違使なら、わしも何か役職が欲しいのお」
吉田民部「式目で禁止されてますよ」
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【御成敗式目第四十条】
「一、鎌倉中僧徒、恣諍官位事
右依綱位亂蟖次之故 猥求自由之昇進 彌添僧綱之員數 雖爲宿老有智高僧 被越少年無才之後輩
即是且傾衣鉢之資 且乖經敎之義者也 自今以後不蒙免許昇進之輩 爲寺社供僧者 可被停廢彼職也
雖爲御歸依之僧 同以可被停止之 此外禪侶者 偏仰顧眄之人 宜有諷諫之誡」
訳:官位を貰って、年長者や高僧を飛び越える事は、寺の秩序崩壊になるから禁止。
幕府付きの僧も例外じゃない。
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僧というのもヒエラルキーの中で生かされる存在というお話。
(だから鎌倉仏教が反発して、あんなロック集団になったかも)




