犬は喜び駆け回り
現代では犬は鎖に繋ぎ、猫は放し飼いにしている。
鎌倉時代は逆に、猫は紐で繋ぎ飼いとし、犬は放し飼いであった。
猫は米麦を鼠から守る大事なペットである。
平安時代から「猫可愛がり」をされていた。
一方の犬は、狩りの友であり、泥棒を警戒する番犬であり、犬追物では動く標的であった。
そして時には食用とされる。
狼の血を引く和犬は、従順な種もいるが、基本的には野性を重視されている。
猫よりも扱いは悪く、鎌倉武士に「犬」と悪口を言えば太刀を抜いて襲い掛かって来る程だ。
公家が室内で飼う狆は、外で飼う犬とは違う漢字が当てられているように、有る意味別物と言える。
武士の飼い犬は、見た目も狼に近いものがあった。
武家屋敷の敷地内で放し飼いにされていた犬だが、雪を見て大喜びで門外に走り出る。
この辺は門番も見て見ぬふりをしている。
主従関係を知る犬は、どうせ一通り遊べば戻って来る。
戻って来なくても、まあ知った事ではない。
どこかの非人に捕まって喰われているかもしれないし、山に逃げて野犬化したかもしれない。
気まぐれにどこかの武家屋敷に住み着き、そこで飼われるかもしれないし、犬追物の標的にされているかもしれない。
隣の鎌倉武士の時代より少し下ると、時の権力者・北条高時が闘犬にハマり、税を犬で納める事を認めた、全国より珍しい犬を集めさせた、犬を着飾らせて輿に乗せて運んだ、等とされる。
伝説に近いし、高時が田楽や闘犬を好んだのは執権を退いた後で、鎌倉武士の面倒臭さに心身を病む北条一門が結構居た事を考えれば、引退後くらい好きに遊ばせてやっても……と思ったりはする。
まあ鎌倉幕府の予算を使っていたなら言語道断だし、それに「犬」が殺人沙汰に発展する悪口なのが、その犬を貴人のような扱いにしたら、武士たちもムカつくんじゃないかな。
話を戻すと、雪に向かって犬が突進し、身体中に雪を擦り付けてはしゃいでいた。
ペットは飼い主に似るという。
この犬も基本的に馬鹿犬だ。
はしゃぎ過ぎて電柱に衝突したり、走りながら小便をあたり構わず撒き散らしていた。
そして俺の前に来て、尻尾を千切れんばかりに振っている。
俺が隣の鎌倉武士一党から身内のように扱われているのは、この馬鹿犬に懐かれた事もあった。
最初は警戒していたが、門を潜る度に威嚇されるのも嫌だったので、ドッグフードで買収した。
なお、武家屋敷の中の猫様は、チュ◯ルでとっくに懐柔している。
「鼠を獲らなくなるから、余り美味い物を与えないで欲しい」
と文句を言われたが、隙を見てご馳走しているのは内緒だ。
さて馬鹿犬だが、ひとしきり門の周辺で遊ぶと、急に駆け出す。
鎌倉時代人はいつもの事と無視しているが、ここは鎌倉時代ではない。
野犬になられたら困る。
急いで後を追うと、何の事は無い、八郎の新居に匂いを辿ってやって来たのだ。
そして、そこに遊びに来ていた小学生たちに撫でられていた。
男には背中だけだが、女の子には腹まで晒している。
お前はそれでも、狼の血を引く猟犬・秩父犬か?
今の時代、子供でもSNSをやっている。
この犬の写真が公開されてしばらくしたら、何ヶ所からか問い合わせや苦情が来たそうだ。
一つ目のグループは、絶滅若しくは絶滅危惧種である和犬の保全団体であった。
「この犬の居場所を教えて欲しい!」
というもので、目的は分かるだろう。
二つ目のグループは、
「放し飼いにしているのは危険だ!
直ちに改めろ!」
という正義メンである。
子供たちにそれを言われても、彼等の飼い犬じゃないし、知った事ではない。
三つ目のグループは
「これは野犬じゃないのか?
狂犬病とか大丈夫なのか?」
と気にする人たちである。
まあ分からないでもない。
これに関しては、そのメッセージを受けた子の母親から俺に問い合わせがあったから、鎌倉武士にどうにかして貰う事にした。
「この屋敷の犬が病気を持っていると申すか?」
いきり立つ武士たち。
迂闊な事を言うと身内でも危険だから気をつけている。
だが今回は武士たちの誤解だ。
「放し飼いにしていると、外から悪い病気を持って来るかもしれないから、そうならない予防するって事です」
「病気の予防とは何か?
左様な事が出来るのか?」
ワクチンも抗何とか剤も、定義自体が無い時代である。
説明に骨が折れる。
「狂犬病のお……。
聞いた事が無いのぉ」
「あれか?
犬神憑きの事か?」
「そうじゃな。
狐憑きとはまた違うようじゃ」
既に狂犬というものは知られていたが、大流行したのは徳川綱吉の時代からとされる。
小規模な流行は有ったかもしれないが、おそらく多くは犬神憑きとか乱心とかとされ、精神病やオカルトの類いとして処理されていた、だから記録に残らなかったのかもしれない。
なにせ、そういう状態の者が出ると「一族の恥」とされ、闇に葬られていた時代なんだし。
とりあえず現代日本では飼い犬に狂犬病他、人獣共通病の予防拙者をさせるのは義務だと納得させ、獣医を呼ぶ事になった。
(あいつら、知らない人には獰猛だからなあ。
大人しくしてないだろうし、獣医も大変だろう)
俺はそう思っていたが、犬たちはあっさり陥落している。
「猛犬にもお注射する事はありますし、こういう事が出来ないと獣医なんて務まりませんよ。
それに、よく訓練された猟犬じゃないですか。
ちょっと難しい所は有りましたけど、こういう犬の方が手当たり次第噛む犬よりはよっぽど利口ですし、コツさえ分かれば大丈夫ですよ」
なんて言っていた。
こういう事は、現代の獣医とかブリーダーとかの方が経験豊富で頼もしい。
かくして犬たちは無事予防接種を打たれた。
そして犬たちは獣医を見ると、吠えこそするが、明らかに腰が引けているし、尻尾が丸まっている。
(お前ら、それでも鎌倉武士の飼い犬か?)
人の方が獰猛に感じるのは気のせいだろうか?
おまけ:
猫は放し飼い、というのは江戸時代からだそうで。
慶長七年に京都で「猫放し飼い令」が出されたのが始まりだそうです。
犬は放し飼い、地域共通の飼い犬なのは江戸時代を通じてそのままで、明治時代になってから繋いで飼うのが主流になったとか。
まあその前から猛犬、猟犬は繋ぎ飼いだったようです。




