鎌倉武士の子たちの兄弟喧嘩
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【御成敗式目第二十六条】
「一、讓所領於子息、給安堵御下文之後、悔還其領、讓與他子息事
右可任父母意之由 具以載先條畢 仍就先判之讓 雖給安堵御下文 其親悔還之 於讓他子息者
任後判之讓 可有御成敗」
訳:所領を子息に譲った後でも、悔返して他の子息に譲る事
父母の気持ち次第で、将軍から安堵状を貰っていても相続を変える事が出来るよ!
補足:鎌倉時代は悔い返しと言う、理由が有れば既に相続させた土地でも取り戻せる慣習法があった。
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「……という訳で、この家屋敷はわしに譲るのじゃ!」
七郎が弟の八郎にまた喧嘩を売っている。
俺は新居に移った八郎から、家電の使い方で分からない事があるから教えて欲しいと言われ、この家を訪問中である。
そうしたら、また兄弟喧嘩に遭遇してしまった。
ある意味では、この少年が一番鎌倉武士っぽい。
年齢は小学校高学年から中学生くらいだろうか。
うっすらとヒゲが生え始めている。
まず弟に対し、極めて理不尽である。
そして強欲である。
執着心が強い。
そして傲慢で横暴、乱暴。
……これで強ければ立派な武士になれるのだが、いつも年下の八郎に返り討ちに遭っている。
今回もこうして、八郎がきっかけで手に入れた家にやって来て難癖をつけたが、直後に八郎から手に持っていたスコップで頭を割られ、うずくまった所に膝蹴りを何発も食らわされた後に
「兄上は一体、何の世迷言を申しておるのか?」
と返されていた。
(普通、そっちが先だろ。
手を出してから質問するなよ)
この点、キレ者と言っても八郎もまた鎌倉武士であろう。
出家して僧侶にするのは延期となったが、まあ武士でも僧侶でも、どっちでもやっていけるんじゃないかな?
本人は学問三昧でいける僧侶を目指しているっぽいが。
「ここに父上が書かれた所領の悔返状がある。
お主は黙って、その所領をわしに譲れば良いのじゃ」
その直後、八郎は七郎の顔面を殴り、そのまま押し倒しながら喉に膝を落とす。
(本当、容赦の無い攻撃をする子供だよなあ)
そして書状を奪い取ると
「ほお、父上の筆跡を真似たようじゃな。
じゃが、ここの『自』の字を『白』と書いておる辺り、頭が悪いのが分かる。
浅知恵じゃな」
なんて言っていた。
そして、
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【御成敗式目第十五条】
「一、謀書罪科事
右於侍者可被沒收所領 若無所帶者 可被處遠流也 凡下輩者 可被捺火印於其面也 執筆之者
又與同罪 次以論人所帶之證文爲謀書之由 多以稱之 披見之處 若爲謀書者 最任先條可有其科
又無文書之紕繆者 仰謀略之輩 可被付藭社佛寺之修理 但至無力之輩者 可被追放其身也」
訳:文書偽造したら、所領を没収。
領地を持たない者は島流し。
庶民の場合は顔に焼き印を押す。
頼まれて偽造文書を作った者も同じ扱いとする。
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この条文を口にし、
「兄上、島流しが良いか?
それとも焼き印を押してやろうか?」
と詰め寄っていた。
「黙れ、八郎の癖に生意気じゃぞ」
「まったく……。
わしはいずれ出家するのじゃぞ。
その時まで待てぬのか?
待っておれば、黙っていてもこの家屋敷は手に入るやもしれぬのに、自ら墓穴を掘りおって」
「喧しきかな!
譲られる所領ではなく、押領してこそ武士であろう。
何よりも、今のわしが所領無しで、お主が持っておる事が許せぬのじゃ。
如何なる手立てを尽くしても、奪い取ってみせん」
「それが墓穴掘りじゃと申しておる」
「一々勘に触る者ぞ。
して、先程わしを斬りつけたそれは何じゃ?」
「これは、すこっぷなる物ぞ」
「武具か?」
「否。
土を掘り起こす物なり」
「?
何を掘っておったのじゃ?」
「兄上を埋める墓穴を掘っておったのよ」
「許せぬ!
お主は兄を兄とも思うておらぬゆえ、此度こそ成敗してくれん!」
「此度も返り討ちに遭うと、何故分からぬ?」
こうしてまた兄弟喧嘩を始める。
「おうおう、やっておるのお」
庶長子の太郎殿と、執事の藤十郎が覗きに来ていた。
所領が増えた事もあり、この二人と家政担当の吉田民部は色々忙しい。
領内の見回りは兎に角欠かしてはならない。
勝手に住み着かれたまま、知らずにいれば民法でいう「時効取得」をされてしまう。
御成敗式目にも
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【御成敗式目第八条】
「一、雖帶御下文不令知行、經年序所領事
右當知行之後過廿箇年者 任右大將家之例 不論理非 不能改替
而申知行之由 掠給御下文之輩 雖帶彼状不及敍用」
訳:二十年間実効支配した土地は、元の領主に返す必要はない。
実際に支配していないのに、支配してたと騙している場合は、その限りではない。
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とある為、不法占拠を許してはならないのだ。
発見し次第、追い出すか首を取るか。
攻守逆にすれば、自分たちがやって来た事だろうから。
「えーと、止めないのですか?」
俺は、喧嘩と言うより殺し合いをやっている子供たちを見ながら、そう聞いた。
「止めたいなら、己が止めれば良かろう」
「いや、俺には無理です。
そちらの弟でしょ?
このままではどちらかが死にますよ」
「こんな程度で死ぬような弟なら要らぬ」
どうも彼等にしたら
「子猫はよくじゃれ合いから、喧嘩になる事があるだろ?
子供の喧嘩なんてそんなものだ。
ああやって戦い方を覚えていくものだし、手出し無用」
という事らしい。
いや、何と言うか……人造人間の子供の茶色巨人と緑色巨人の戦いのように見えるのだが……。
あるいはどこかの尻尾が生えている戦闘民族の王子と天才戦士の超絶バトルというか。
「稚児の折に喧嘩もさせずに育てては、戦い方も知らぬ、手加減も出来ぬ者になろう。
怪我でもせぬ限り、好きにさせよ。
男子とは斯様なものぞ」
うん、言ってる事は大枠では正しいと思う。
だが、目の前の喧嘩は、明らかに手加減なんかしてないし、流血する怪我をしているじゃないか!
「腕が千切れたり、骨が砕けたりせぬ限り、怪我等とは言わぬ」
……こうした環境の中で、鎌倉武士は育っていくのだな、と何となく理解出来た。
おまけ:
俺「では嫡男の三郎殿は?」
太郎「嫡男に怪我でもしたら大事ぞ!
嫡男殿は大切に育てねばな」
藤十郎「然り!」
やはり正室腹の嫡男と、それ以外では格差がある模様。
御成敗式目五十一箇条、全部使いたいとは思うのですが、
「承久の乱に父子違う陣営だった場合」
なんてのは使い所が無くて……。
思いついた時に、既に出したのも含めて式目畳み掛けて消化していきたいと思います。




