DQN団地乗っ取り計画~きっかけは何だっていいんだよ~
その子に最初に気づいたのは鎌倉武士の八男坊であった。
既にチート級の頭脳と、鎌倉時代基準の体力や容赦の無さで、この地域のガキ大将に成り上がっていた。
その八郎がふと、みすぼらしい格好で痩せた子供を見つける。
「あの子は?」
八郎の問いに、周囲は
「あの子と遊んじゃダメだって、ママが言ってた」
と答える。
頭の中身が鎌倉武士だけに、八郎も
(身分卑しき者か。
しかし、この時代になっても忌避されておるのじゃな)
と納得していた。
その子はDQN団地の住人である。
親による児童虐待を受けていた。
母親と、再婚した父親は普段は遊び歩き家には居ない。
食事もろくに与えず、家の外に出して放置していた。
だからDQN団地には夜しか居ないし、他人には迷惑を掛けていない事もあり、団地攻略担当の六郎の目に付かずにいたのだ。
放置子は、常に空腹でヨレヨレの服を着ていた。
ちょっとでも同情すれば、その家にずっとやって来て居座ってしまう。
それが
「あの子と遊んじゃダメ」
という残酷な言葉に繋がるのだが、本人は食事が出来るのであればどんな意地汚い事でも出来た。
それくらい育児放棄が酷い子であった。
八郎が、ほとんどミュージシャン化している兄の慈悟の部屋に遊びに来た時に、初めて放置子がこの団地の住人と知る。
「ねえ、君はここに住んでいるの?」
八郎が声を掛けた。
鎌倉時代、既に「河原者」という概念があった。
河原は無税であるから、そこに住まざるを得ない者たちも居た訳だ。
かつてお熊が、芸能人になるのを嫌がった理由に、遊芸者が河原者に含まれていた事がある。
土地を耕す農民の方が、何も生み出さず、精々殺生をして生きるような者たちよりも上だという意識があったのだ。
それがもたらす差別というものは置いて、とりあえず鎌倉時代人からしたら
「河原に住んでいないなら、それなりの者」
という見方がある。
だから、団地の階段に座り込んでいる放置子を、八郎は疑問に思ったのだ。
事情を聞き、慈悟僧侶の部屋に連れて行く。
デスメタルの琵琶リストだが、本職は仏僧、飢えた者への施しとかはするのだ。
「さて、如何しよう。
わしの世話人として、ここに住まわせても良いが。
わしとてまだ目が悪いし、この世での暮らしに不都合もある。
兄上から雑色を借りたままなのも心苦しい。
その子がわしの世話をしてくれるなら、ここに住まわせ、食事も共に取って良いが」
身内相手には、拙僧という一人称ではなく「わし」と言って砕けた口調で話している。
この兄は大概の事は自分で出来るようになっているが、それでも少し不便はある。
僧侶が男子を住まわせるのは、平安時代以来、性的なアレ目的の場合が多いが、この兄にはその気は無い。
純粋に菩提心を出した兄に対し、八郎はニヤリと笑った。
「後は五郎兄上ではなく、六郎兄上の領分じゃろう。
ちと話して来る」
だが六郎は興味を示さなかった。
「親無き子でも育つ者は居る。
弱いのが悪い。
大体、わしはその者から助けを求められておらぬ。
仮に助けを求められても、助ける義理も無い」
こんな回答であった。
基本身内以外が鎌倉武士に物を頼む時はギブ・アンド・テイク。
見返りが無ければ動かない。
見返りを無視して強引な事をすれば、数倍プラス熨斗付きで報復されるのは既に何度も見て来た。
(これはこの屋敷より、また一人追い出す理由になる)
そう八郎が説明しようとしたら
「許せねえっす!
そいつ、俺が叩き出してやる!」
と六郎の側近化しているリュウ少年がいきり立った。
この少年もまた、育児放棄され、母親の恋人とかに暴力を受けながら育ったのだ。
同じ境遇の者を見て、怒りが沸き起こったようだ。
「郎党のお主がやるというなら、わしに否やは無い。
存分にするが良い。
お主に対しては、何があろうがわしが後ろ盾となろう」
リュウ少年は、六郎のこういう部分が好きである。
責任放棄されて育った彼には、しっかり自分の面倒を見てくれる人間が有難い。
こうして六郎たちを動かし、後に引けなくなった時点で俺の所に話を持って来やがった……。
「で、おっちゃん、こういう場合は後はどうしたらいいの?」
小学生っぽい表情になって聞いてきやがる。
子供っぽく振る舞ったって騙されないからな!
「そう言う時は児童相談所に通報すれば……」
「聞き込みをしたけど、児童相談所は動くには動くけど、両親がいるし、最低限の生活はさせて貰ってるからって注意以上は出来ないんだって」
「じゃあ、実力行使でどうにかするしかないって事?」
「やだなあ、分かってる癖に。
そういう状態になったから、後の事をどうするか相談に来たんじゃないか」
「……そういう状態に追い込んだんだろ?」
「ほら、分かってる。
これで相手を追い出し、子をわしらの家で引き取る、そこまでは良い。
子を奪われ、家を追い出された者を、どう後腐れ無く処理するかを聞きたい」
口調がジジ臭くなって来た。
段々「見た目は子供、頭脳は鎌倉武士」の本性が出て来ている。
俺は溜息を吐きながら言った。
「答えは出ているんじゃないのか?
日本国憲法適用外の君の家に引っ張っていって、そこで始末するんだろ」
「そうしたい所じゃが、あの者、子を甚振る以外はそれなりにまともなのじゃ。
討ち取られて当然の者を始末するのは容易いが、そうでない者は難しかろう?
我等の時代でも、悪事を成す者がいつの間にか消されても誰も気に留めん。
されど、良民が消えたら大騒ぎとなる」
(昔は、村の厄介者は何者かに消され、そんな人は居なかった扱いになるって言うしな)
事情を理解した俺は、案を八郎に授けた。
そして、リュウ少年たちDQNに踏み込まれた、ネグレクトのDQNという構図完成。
「やめて……ごめんなさい。
子はちゃんと育てます……」
「いいや、許せねえ。
てめえみたいな親は、ボコボコにしてやるよ」
「リュウさん、六郎さんから借りたこの刀で、鼻とか耳とか削いでやりましょうよ」
「やめろ!
そんな事をしたら、警察に捕まるぞ」
「警察が怖くてこんな事出来っか!」
まさに惨事となろうとした時、
「間に合いました。
そこまでにして下さい」
と顧問弁護士到着。
俺と八郎も同行した。
「さて、貴方たちの育児放棄について、証拠は揃っています。
どうです?
私を後見人にして、子供を手放すっていうのは?」
「は?
そんな事したら、手当が無く……」
「なんだって? あ?」
「はいリュウ君、相手を脅迫しない、どうどう。
この子たちは貴方たちがその子をネグレクトした事に怒ってるんです。
このままじゃ、また殴り込みに遭いますよ。
だから、ここから退去する、その子の面倒を私に見させる、これを呑んで貰えば、私が責任を持って彼等を近づけないようにしますよ」
流石は悪徳弁護士と言ったところだ。
こうして理詰めと暴力での交渉の結果、親たちはその条件を呑んだ。
児童手当が無くなる事には文句があったが、同時に負担も無くなるわけだ。
引っ越し費用はかかるが、こんな危険な場所に居るよりはマシだ。
こうして子供を捨てる形で出て行く親たち。
「これであの人たちは、社会人としてはやっていけるし、
子供は私が責任を持って小学校に通わせる事が出来ますし、
お坊さんも同居人兼世話人を手に入れられるって事です。
……血は見ましたが、生首を見ずに済んだのは良い事です」
弁護士が眼鏡を外し、眼球を瞼の上からマッサージしながらそう語った。
この人も、慣れてはいるし、実入りは良いが、鎌倉武士とDQN相手の仕事はストレスになっていそうだな。
かくしてまた一部屋、鎌倉武士の手に落ちた。
もう間もなく、この団地も制圧出来るであろう。
おまけ:
北条時政、身内が奥州藤原氏と通じた疑いでペナルティ。
畠山重忠、代官の不正行為でペナルティ。
足利義兼と和田義盛、代官が年貢を荘園主の熊野大社に納めず、ペナルティ。
部下がやらかすと、結構主人もペナルティ食らってます。
部下は主人を守り、時に身代わりになって死ぬのが誇り。
主人は部下のケツ持ちをする。
こんな感じの主従関係だったりします。
(家臣が主君に一方的に従うのは、戦国時代に主君独裁が進み、江戸時代に朱子学で理論武装されてからですね。
……江戸時代でも家臣による主君押し込めとかありますが)




