鎌倉武士の現代日本探訪(準備編)
「お頼み申す!
お頼み申す!
亮太殿にお繋ぎ申す」
俺は在宅ワーク中、玄関先から響く大声に驚かされた。
その声は知った人物からのものである。
隣に引っ越し(?)て来た鎌倉武士に仕える雑色・平吉の声であった。
(チャイムを鳴らせば良いのに……)
と思うが、彼等はそれを知らない。
教えても使い慣れていない為、頑固に鎌倉時代と同じ事をするだけだ。
「はい、何でしょうか?」
先のチャイム云々の文句は吞み込んで応対する。
「書を預かって参りました」
そうして俺に手紙を渡す。
崩し字は読めない。
初めてこの人たちと遭遇した時、筆談で意思疎通を図ろうとしたが、恐らく出来なかったな。
楷書体は、無かった訳ではないが一般的ではなかった、特に日本では。
調べたら宋の頃に一般化し出したようだから、時代的にギリギリな感じだ。
まあ明の時代に作られた「明朝体」は確実に無かったな。
「読めません!」
俺がそう言うと平吉は不思議そうな表情になる。
彼は俺が字を書けるのを知っているからだ。
だから
「字が違う。
俺たちの時代の字はこんな感じなの」
と言って現代日本で一般的な楷書体の字を見せると、字が読めないながらも
「承った」
と字の形が違う事は分かったようだ。
「されど受け取られぬは非礼なり」
と言って来たので、書状は受け取った上で口頭でも用件を聞く。
こういうやり取りが実に面倒臭い。
用件は、お隣の六男坊がこちらの世界を見てみたいとの事で、案内を頼むという事だった。
「あの……門から出ればこちらの法に従う事になりますよ」
「委細承知。
故に案内をお頼みした所存」
……要するに、ただの道案内ではなく、こっちの世界の常識とかもフォローしてやれって事だ。
面倒臭い。
ただ、流石に礼儀作法にはうるさいようで、きちんと都合の良い日を聞いて来た。
アポイントメントを取る事、現代よりもきちんとしている。
とりあえず週末を指定した。
もちろん「土曜日」とか言わずに、何日後の何の刻という言い方で。
あと、書状を送られた以上、返答も必要に思えたので、崩し字に変換してプリントアウトしたのを持たせてやった。
「この紙は何じゃ?
手触りがまるで違う。
字も達筆じゃ。
祐筆に頼みたい程じゃの」
返書を受け取ったご先祖様はそう唸ったそうだ。
……PCとプリンタを使えれば、最強の祐筆を電気代とインク代だけで雇える訳だな。
そして週末、彼等はやって来た。
そう、彼ではなく、彼等なのだ。
六男坊とはいえ、単独での行動ではない。
従者一人と雑色が一人着いて来た。
(聞いてねえよ、三人の面倒を見るのかよ……)
今までの彼等との接触で、当主一家は穏やかな感じである。
その分、従者や雑色といった者が実力行使を行う。
所謂「ナメられたら生きていけない」世界のやり方で、である。
その事を思うと頭が痛いが、それ以上に問題は
(こいつら、臭え)
という事であった。
鎌倉時代の風呂と言えば、蒸し風呂であり、その後は貴人をもてなす時は香を焚いて臭いを消す。
まあ斎戒とか、鎌倉近辺には温泉もあり、湯浴・水浴も無かったわけではない。
だからまずこいつらを風呂に入れる事にした。
(でないと、こんな汗臭い、垢の臭いがするのを連れ歩けん)
不思議と門内では臭いがそれ程気にならなかった。
門内では言葉がすんなり通じるように、何か不思議な作用で、感覚が鎌倉時代準拠になるのかもしれない。
だがここは現代日本だ。
ちょっとこの臭いのを連れ歩くのは勘弁願いたい。
そういう意味での入浴指示だったのだが
「なんと!
風呂の馳走とは忝い」
とその御曹司と従者一同、座って礼をして来た。
どうも風呂を振る舞うというのは、かなりの礼儀であるようだ。
「湯帷子を持参しておらぬ。
平吉、取って参れ」
(そう言えば、この時代は着衣でサウナだった!)
温泉に浸かるとしても、基本着衣である。
(乾燥機フル稼働だな……)
風呂から出た後の濡れた衣服をどうにかしないと。
とりあえず浴槽に湯を張るまでの間、休日だから家に居る両親と、先祖の一人である若者が会って話をしている。
お茶と菓子を振る舞っていた。
「斯様に美味い物、初めてじゃ」
若者は上品に、だが大量に食べていた。
「さあ、そちらの方も遠慮なく」
従者にも勧める様子を見て、御曹司・六郎は俺に小声で尋ねる。
(此処は禅寺か?)
(いや、普通の家庭です)
(身分卑しき者にも馳走する等、わしは禅寺しか知らぬ)
普通は護衛の武士は隣の間に控えさせ、雑色は家に上げずに土間か庭に置くものだという。
またお茶も座禅を組んだ後に出されるもので、気軽には手に入らない高級品だそうだ。
この六郎も参禅させられた事があり、その時と重なると言っている。
そしてヤング鎌倉武士のカルチャーショックは風呂でもあった。
「温泉じゃと!」
湯を張った湯舟に衝撃を受けている。
これ程大量の湯を沸かすには、多くの人手と薪が必要であろう。
だが、そんなものを見てはいない。
という事は、温泉の湯をそのまま使っているのだろう。
そして、温泉で気軽に「湯治」が出来るのは身分高き者や僧侶である。
勝手に温泉を使わせないよう、温泉奉行を置く武家もある。
それなのに、ここでは気軽に温泉を使わせた。
(ここは我が家の子孫じゃと聞いた。
太刀を佩かず、身なりも変わっておって、大した事無き身分じゃと思っておった。
じゃが誤りのようじゃな。
温泉を斯様に気軽に使う等、実は貴人なのやもしれぬ。
或いは相当の富貴者か。
我が子孫なれば我が家の誉れなれど、侮りがたし……)
六郎はそう思っていたと後で聞いたが、俺はとりあえず
「ただ湯に浸るだけでなく、石鹸も使って洗って下さい」
と指示をした。
そして「石鹸とは何か?」という問答と、使い方のレクチャーをする事になる。
……全員を風呂に入れ終わった後、湯も浴槽も浴室もかなり汚れていた。
嗚呼、帰って来たら風呂掃除もしないと……。
明日もまた17時と19時の2話投下します。