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子供たちの情操教育

「最近、子供たちの間で

『全てに勝つ僕は全て正しい』

 という思考が蔓延っています。

 勝利至上主義がとんでもない形で……」

 とある地区の自治会長がボヤいていた。

 俺の住んでる地域には小さい子供は余りいないが、周囲には結構いる。

 DQN団地のDQNも子沢山なのが多かったりする。

 DQN団地とは反対側も、普通の子供たちが住んでいる地域があるが、そちらの方に八郎の「鎌倉武士精神」が伝染しつつあった。


「あちらの地域に、とある事情があるのは理解しています。

 凄く我々とは感覚が違う……所謂武士の世の感覚である事も。

 そこで、どうにかならないかお客様をお呼びしました。

 是非説明をお願いします」

 隣人で付き合いが深い俺と、まだしも話が通じると思われたのか譲念和尚が参考人として呼ばれた。

 うん、客とか言ってるけどぶっちゃけて言うよ、参考人招致だろ!


「お坊さんなら、人の道を説いていますよね。

 子供たちがこのように勝ちに意地汚くなるのはどうなのでしょう?

 ご意見を伺いたいのですが」

 これは、良くないと言わせて、言った当人に説得を依頼する肚なのだろう。

 なにせ、出来れば自分ではやりたくない事だから。

 だが、鎌倉坊主の反応は違った。

「人とは本来、勝ちを求める業深き生き物ぞ。

 いずくんぞ童に其が無きや」

 子供だって根本的には人間、勝ちに拘るのは当然じゃないか?

「し……しかしですね、余りにも行き過ぎてはいませんかね?

 勝ちさえすれば何でも良いってのは、歪んでいませんか?」

「ふむ、確かに過ぎたる欲は身を滅す。

 禅僧は禅の為に坐する広ささえ有れば良いとする」

「では……」

「じゃが、それは欲を知った者の為じゃ。

 童はまず、其が如何なるものかを知らねばな。

 勝ち負けに拘り過ぎると恨みを買うのは確かじゃ。

 なれど、まさに育ちつつある者を型に嵌めると、それこそ歪になろう。

 過ぎたるは良くないが、己が思いで止むるもまた悪しき事ぞ」

「その行き過ぎを正すのが、大人の務めですよね」

「それに答える前にハッキリさせよう。

 其方は人の道について問答をしたいのか?

 それとも其方の子の躾についてわしに何とかして欲しいのか?

 わしには、躾をわしに任せる為に人の生き方、欲についての問答を仕掛けているように聞こえるが、如何に?」

(やっぱり鎌倉脳だけど、馬鹿ではないんだよな、このクソ坊主)


 歴史を見れば、臨済宗の坊主なんて危険極まりない。

 今川義元や徳川家康を育てた太原崇孚、伊達政宗を育てた虎哉宗乙、幼少期の織田信長の教育をした沢彦宗恩、武田信玄の相談役の快川紹喜、この人たち全員臨済宗の僧侶である。

 更に北条早雲(伊勢宗瑞)は臨済宗で出家、安国寺恵瓊も臨済宗の僧侶だが、武将としても活動している。

 なんとなくだが、臨済宗の僧侶である譲念和尚に子供を預けて教育を委ねたら、立派な鎌倉武士が現代に量産されるのではないだろうか。


 押し付けたかった町内会の人たちは、本音を見抜かれてバツが悪い顔になっている。

 譲念が追撃をする。

「わしに任せるならそれはそれでわしは良いが、其方たちは本当に良いのか?」

「良いですよ。

 子供たちを正しく教えてくれますよね?」

「わしの正しさぞ。

 其方たちの其れとは異なるぞ。

 出家させるのでなくば、わしは武士の育て方をするぞ」

 つまり、もっと勝利至上主義者、

「『勝利して支配する』!それだけよ……。

 それだけが満足感よ!

 過程や……方法なぞ……どうでもよいのだァ─────ッ」

 って人間を育てる事になる。

 決して

「激しい『喜び』はいらない。

 その代わり深い『絶望』もない……『植物の心』のような人生を」

 という人間には育てないだろう。

 臨済宗の僧侶に育てられた武将なんて

「オレは『帝王』だ。

 オレが目指すものは

『絶頂であり続ける』ことだ。

 ここで逃げたら……

 その『誇り』が失われる」

 というタイプが多いように思えてならない。


 町内会の人たちにも、どうも自分たちが望むような僧侶ではないと伝わって来たようだ。

 正直、世の中が平和で、その中で起こる不安や悩みに対して説諭する現代の僧侶と、明日生きているか分からない時代の僧侶では価値観も違うだろう。

 葬式仏教なんて言われる時代と、何時死ぬか本当に分からない中で悟りと解脱を求める時代は違う。

 まあ目の前に居るのは悟りとか解脱を求めたのではなく、家の都合で出家させられた生臭坊主だが。

 家業の関係で出家するという生臭具合は、現代もそう変わらないかもしれない……。


 その生臭坊主が喝破する。

「まずは己が自らの子と向き合うべし。

 僧と言えど、余人に頼るべからず。

 子を育てるのは、その家の勤めぞ。

 或いは勝ちを求め過ぐるは歪みやも知れぬ。

 左に非ざりて、その子の本質やも知れぬ。

 見定めずして己の思う様に子を育てるもまた、歪みぞ。

 親等いずれ死ぬもの。

 親死しても子は生きる。

 親無くしても己の足で立てるよう育てる為には、親の我儘を通してはならぬ。

 それは親が居なくば何も考えられぬ子に育てる事ぞ。

 親の思うように育たぬ子でも、その者に合った育ち方をすれば良い。

 どうせ親やお主たちのような老人は、子よりも先に死ぬのじゃ。

 子の本質が武士なのか、僧侶なのか、山賊なのか、いずれ死ぬお主たちには関わり無く事。

 どのような生き方でも、生きていける事こそ本義ぞ。

 まずは我が子の本質を見定めよ!」


 結局、勝利至上主義云々の話は何処かに行き、今凶暴もしくはサイコパス或いは「帝王は自分ッ 依然変わりなく!」な子供の教育は家族が責任を持て、という話に落ち着いた。

 もしかしたら今までの

「皆と仲良くしなさい、欲張っちゃダメですよ、平等に」

 というのが、子供の個性を潰していたかもしれない。


(だけど、親としては自分の子をサイコパスに育てるのは嫌だよなあ)

(家としての誇りを鎌倉武士だって大事にしているじゃないか。

 子が恥知らずに育てば、その家の不名誉なんじゃないか?)

(つーか、自分の思い通りに育たなかった子は、出家させたり、居なかった事にしていないか?)

 色々言動不一致過ぎて腑に落ちない部分もあるが、自分の子は自分で育てろ、悪い影響なら自分たちで何とかしろ、は道理ではある為、これで会合はお開きとなった。

 その帰り道、譲念坊主は呟く。

「面倒事を押し付けられずに済んだわい」

 と。

 最初から、面倒事を押し付けようって魂胆を見抜いていた。

 だから。ああ言えばこう返す、こう言われたら別な返しをする、と屁理屈捏ねる気だった模様。

(一理あるような、良い事も言ってたようにも聞こえたが、あれは全部心にも無い台詞だったのか!?)

「まあ、僧侶の嘘を方便と言う」

 そんな風にカッカッカと笑ってやがった。

 やはり糞坊主は糞坊主だな。

おまけ:

(曹洞宗林泉寺で出家)上杉謙信「全く、臨済宗の坊主の弟子にはろくな者がおらぬな」

(日蓮宗妙覚寺で出家)斎藤道三「まったくじゃ!」

(キリスト教に帰依)大友宗麟「あんな邪教は焼討じゃ」


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― 新着の感想 ―
[良い点] >歴史を見れば、臨済宗の坊主なんて危険極まりない。 >今川義元や徳川家康を育てた太原崇孚、伊達政宗を育てた虎哉宗乙、幼少期の織田信長の教育をした沢彦宗恩、武田信玄の相談役の快川紹喜、この人…
[良い点] >後書き 括弧で括れば同類項 [一言] 仏教だもの、仕方無いね
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