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ちょっと物をあげただけかもしれないが

~~~~~~~~~~

【御成敗式目第二条】

「一、可修造寺塔勤行佛事等事

  右寺社雖異崇敬是同 仍修造之功 恆例之勤宜准先條 莫招後勘 但恣貪寺用 於不勤其役輩者

  早可令改易彼職矣」


 訳:寺塔を修理し、仏事を行うこと

 寺社は武士とは異なる存在だけど、敬いなさい。

 建物の修理とかをおろそかにして、後々非難される事がないようにしよう。

 寺の物を勝手に使ったり、お努めをしない僧侶は追放するように。

~~~~~~~~~~




 鎌倉武士は結構信心深い。

 相手がちゃんと成仏するように、仏事は欠かさない。

 費用が掛かり過ぎたり、面倒臭い場合は「南無阿弥陀仏」と唱えれば良い念仏宗(後の浄土宗、浄土真宗、この時代は名称的な区別はされていない)に走ったりする。

 ちゃんとした武家である俺の先祖は、略式ではやらない為、戒律も重んじる達磨宗(禅宗)に帰依している。

 ではあるが、領内の寺社には宗派関係なく布施をしたりしている。

 武士はいわゆる源平合戦(治承寿永の乱)、梶原景時や比企党の滅亡、承久の乱等の戦乱で恩賞を得たり、奪われたりして来た。

 新しい領地の信仰が、自分たちの宗派と違うからと言って

「すわ、改宗せよ」

 とはしないものだ。

 これをやるようになるのは、もっと後の時代である。

 鎌倉新仏教よりも、天台宗や真言宗は古くから存在し、その荘園も多い。

 戦って奪うか、信仰するか、適度に付き合っていくか、それはその武家に任せられる。

 ただ、御成敗式目を定めた北条泰時が熱心な仏教徒であった為、寺と事を構えるのは幕府に睨まれると考えられた。

 であるなら、宗派違いでも季節の贈り物をしたり、挨拶を欠かさない程度のお付き合いをした方が楽である。

……クソ坊主は追放して良しと言われているし、まともな寺ならばそれで問題無いだろう。

 なお、「まとも」は鎌倉時代基準である。

 寵童百人はクソ坊主だが、九十五人くらいなら許容範囲、女犯(にょほん)は破戒僧だが男は可、という謎判定なのだが……。


 そんな訳で、俺の隣の鎌倉武士は現代日本の寺社に対しても挨拶は欠かさない。

 俺の先祖の鎌倉武士は

「未来の日本に、他の御家人は足を踏み入れていない。

 即ち自分たちが独占している。

 子孫も多いし、黙っていても農作物やら酒やら珍品を納めて来る。

 自分たちに治安活動も任せられている。

 これはもう、自領って言って良いだろう」

 と考えているようで、積極的に関わっては来ないが、きちんと「統治」していた。


 さて、鎌倉時代とはギリギリ通貨経済の時代になる。

 宋銭がもたらす「銭の病」が旧来の支配者を揺るがせたりした。

 しかし、東国で自領を統治するだけなら銅銭は必要ない。

 絹を納める、米や麦を税とする、馬を飼う、貴人より衣服を下げ渡す、こういう経済で問題無い。

 故に寺社への寄進も、建物用の木一本とかそんなのだ。

 以前に祭りに参加した神社には、約束通り山から切り出した丸太を何本も寄進している。

 貰った方もさぞ困ったであろう。

 更に

「刀を奉納致す」

 として立派な日本刀も寄進された。

 出来たてホヤホヤながら、鎌倉古刀という謎の存在となる。


 一方、同じ臨済宗の寺院の他に、近所の浄土宗の寺院にも布施をしていた。

「御寺は阿弥陀如来を崇拝するものであろう。

 これを寄進致す」

 として立派な仏像が納められた。

 お返しに寺の方から海苔セットが返される。

(文化財級の物の返品が、この安い海苔かよ)

 同行させられた俺はケチだと感じたが、

「このような高価なものを!

 御坊は稀に見る高僧じゃ」

 と鎌倉武士は感動していた。

 養殖技術が無かった時代、海苔は天然ものしか無く、古くは朝廷に献上されていた程の高級品であった。

 税として納めても良いものだ。

 そんな鎌倉時代の高級品が、数箱分も返礼される。

(これ、お歳暮とかで余ったものを押し付けただけだろ)

 と、海苔=安物な俺は見ている。

 どう見ても価値が釣り合っていない。


 しかし、鎌倉武士が現代の価値を分かっていなかったように、この寺の住職も仏像の価値を分かっていなかった。

 まあ確かに高価な物ではある。

 寄付として数十万円の物とか数百万の物とか、有難いが、今までも無かった訳ではない。

 阿弥陀如来像も慶派の特徴はないし、鎌倉武士も

「どこぞで手に入れた物である」

 と謙遜して喋っていた。

 フリーマーケットか何かの掘り出し物だろう。

……実際には、恐らく承久の乱に参加した、現在(と言っても時間軸上は過去なのだが)の当主の祖父辺りが京都とかから略奪して来たものなんだろうけど。


 そんな意識でいた為、礼儀こそ尽くすが、大した物扱いはしなかった。

 きちんと陳列はするが、それでは足りない事が判明する。

 この住職、現代の僧侶なだけあって、中々俗な人物であった。

 SNSを使って

「新しい阿弥陀様」

 と公開したのだが、これが文化庁の目に留まる。

 例の文化財に目が無い職員が、この地域の寺社情報は念入りにチェックしていたのだ。

 その職員・知念氏が飛んで来た。


「この仏像、こんなぞんざいな扱いしてはならん!!!!」

 思いっ切りいきり立っていたそうだ。

 住職は困惑した。

「これは円派の特徴を持った仏像だ。

 これ、武士から貰いましたね?

 そうですよね?」

 現在の僧侶の方が、案外物を知らない。

 というか、美術品扱いになる為、そんな細かい特徴なんか知った事じゃない。

 大体、円派と呼ばれた仏師たちの作品は、現在ほとんど残っていないのだ。

 見つかったなら、単なる文化財ではなく、重要文化財とか国宝とかに値するかもしれない。

「どうしてあの人たちは、重要文化財級の物をポンポンあげるかな……。

 それくらいなら我々に寄贈してくれれば良いのに、それはしないと言う。

 寺には布施が当然だが、役所には治める道理が無いとか無茶苦茶な事を言われたよ。

 分かってはいるけど、分かっちゃいるんだけど、価値観が違うんだよなあ……」


 どいつもこいつも、俺の家に上がり込んでお茶飲みながら愚痴とか零していく。

 俺にどうしろって言うんだよ。

「隣の武士が出入りしている神社にも行ったら、これまた重要文化財級の太刀が奉納されているじゃないか。

 あれは実戦用じゃなく、神社とかに奉納された大太刀。

 鎌倉時代の大太刀って、江戸時代に短く擦り上げられたりして、当時の形を残している物は少ないんだよ。

 宗教法人へのお布施だから、我々がどうこう出来る話じゃないし、管理の仕方を教えて、出来ないなら然るべき設備がある美術館に寄贈して欲しいと指導はして来たけどさ。

 何だかなあ……」

(対価は海苔の詰め合わせだったと言ったら、きっとこの人卒倒するだろうな)

 俺はその辺は語らない事にした。

※円派

円勢、長円、賢円、忠円、明円、朝円、寛円、定円という円が名前に付く仏師の集団。

京都で活動、優美な作風が特徴。

調べると「現存する作品は非常に少ない」「確実な現存作品は確認されていない」とかそんなのばっかり。

だから鎌倉武士が令和の世に持って来てばら撒いてるって説でもいいんじゃないかな。

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