隣の鎌倉武士の末息子
「亮太殿、この稚児は我が甥じゃ」
譲念和尚が前髪立ちの少年を紹介して来た。
稚児なんて言うから一瞬焦った。
僧侶と稚児といえば、そういう関係ってのが中世は普通だったし。
以前、相当に色っぽくなったお熊さんと、乗用車車内という至近距離で乗り合わせても、当時の武士のような直情的な行動に出なかったから、女性ではなく男性の方が好きなのかとも思っていたが……。
まあ甥っ子に手を出す事は無いだろう。
なんかそういう俺の思考を読んだように、生臭坊主は反論する。
「わしにそっちの方の癖は無いわ!
京の偉そうな坊主どもは寵童を侍らせておるが、わしの好みは女子じゃ。
あればかりは出家してもどうしようもない」
なんて言って来ている。
(それなら妻帯可能な浄土真宗に改宗すれば良いのに)
と思うが、別の質問をしてみた。
「しかし、弟とかそういう立場の人は、妻帯不可能と聞きましたけど。
万が一子が出来たら相続が面倒になるから、と」
そう言うと、クソ坊主は豪快に笑い
「万が一にも子など出来ぬよ。
したくなった時は、こう伝えておる。
『しりあなかくてい』とな。
これなら子は出来まい」
おい……。
話が脱線したが、少年は幼名こそ教えてくれないが、通称「八郎」と言う。
六郎の二つ下の弟で、現在のところ末弟。
「こいつは幼い癖に生意気でのお」
「まあ子供の頃はそんなものではないんですか?」
「生意気にも、兄たちはおろか、わしや父である当主よりも学があるのよ」
「へ?」
いや、この子が賢いのか、他が脳筋過ぎるだけなのか、判断出来ない。
「それでしょっちゅう、すぐ上の兄の七郎からは
『兄より優れた弟はいねえ!』
といじめられておってなあ」
やはり世紀末だから、頭が良いのではなく、上が駄目過ぎるだけなのでは?
「この子の学識は、吉田民部殿すら舌を巻く。
更に蹴鞠も得意と来ておる。
武家ではなく、公家のようじゃ」
だから余計に嫌がられるのかもしれないな。
坂東武者は頭でっかちは嫌いそうだし。
「まあ妾腹の末っ子など、出家する運命にある。
その前に、色々と世の中を見せてやろうと思うて連れて参った」
良いのかな?
未来情報も技術も「手に余る」として無視している武士たちと違い、色々と理解しそうで、しかも記録を残す寺院に入る者に未来を見せて良いのだろうか?
この子、キョロキョロと俺の部屋の中を見回している。
子供だけに好奇心旺盛なんだろうか?
それにしては無口だなあ、と思っていたら、意外な事を言い出した。
「わしではなく、俺で良いな?
もう少し色々会話を聞き取れたら、言葉をこちらの世に合わせる事が出来ようが……」
ゲッ、確かに頭が良い。
この短時間で、俺の言葉を聞きながら現代語を学んでいやがった。
実の所、この時代で暗躍している六郎も、根本的な部分では現代語を理解していない。
何となく使えるようになっただけで、一人称は相変わらず「わし」だし、左様とか斯様とかいう言い回しを続けている。
モデルとして身売り……じゃなく就職したお熊は、言葉遣いを矯正されている真っ最中だ。
必要だからでもなく、強制でもないのに、積極的に言葉を覚えようとしたのはこの子が初めてだ。
「じゃあ、しばらく頼む。
わしは御父上と茶を飲んでくるでな」
子供を放置して、親父たちの部屋に行きやがった。
えーと、子供をどう扱ったら良いか分からない独身男性に、何を期待している?
「まずは書物を読みたい。
見せてくれぬか?」
そう言って、大した量は無いが俺の部屋の本を片っ端から読み始める。
没頭し始めたから、どうやら放置で良いな。
俺は八郎の事は横目で確認しつつ、スマホで暇を潰す事にした。
お、漫画を見つけたか。
読み始めているな。
しかし、読む速度が尋常じゃなく速いぞ。
斜め読みかな?
あ、そっちの隠してある方には手を出すな!
お前にはまだ早い!
どっちかと言ったら、六郎とか譲念坊主向けの本だ!
慌ててそういう本を引ったくり、見るなと言った。
「そっちの方のは駄目だけど、他の本は見ていて分かったのか?」
と聞いてみると
「実に面白い」
と八郎は返事をした。
「こちらの世は我等の世に比べ、知るべき事が多過ぎるようじゃ。
恐らく世の全ての者が、全てを理解は出来ぬのじゃろう。
それで絵草紙で噛み砕いて説明しておる。
仏の道における方便のようなものじゃな。
その後に、文字ばかりの書物を読めば、より分かりやすい」
やはり子供っぽくねえ……。
生意気だって言っている兄の気持ちが理解出来てきた。
「さて、聞きたい事がある」
「何?」
「子供が自分の事を呼ぶのに、俺よりも、この『しもべ』の方が『らしい』のか?」
「しもべ?」
指さす先を見る。
「ああ、僕か。
『ぼく』って読むんだ」
「下僕の『ぼく』か。
随分と遜った言いようよの」
「まあ……そうだね」
僕という呼び方は、遥か後年に出来たもので、しかも読み方が「ぼく」となって普及したのは明治になってから。
そんな一人称を鎌倉時代に使うとか、タイムパラドックスになるか?
「大丈夫だよ~、僕ねえ、お兄さんが心配しているような事はしないからねえ」
いきなり子供口調?
気持ち悪い!
「どうした、一体?」
「うん、この方が子供っぽい喋り方なんだよね。
僕分かっちゃった。
この喋り方、気持ち悪いんだけど、こちらの世ではこの方が良いよね?
これで服を変えて外に出たら、問題ないよね」
なんつーか、この子供、普通にチートっぽい。
朝やって来て、夕方までにここまで学習したのかよ。
そんな目で見ていると、八郎は溜息を吐いた。
その辺り、まるで子供っぽくはない。
「わしが全力を出すと、兄上たちから殴られる。
武芸もろくに出来ぬのに、学問とか蹴鞠とかに現を抜かすでない、とな。
わしと筋道の通った話が出来るのは、吉田民部殿くらいなのじゃ……。
わしは元の世では厄介者なのよ。
こちらの世の方が楽しい。
色々と知る事が出来よう。
それ故、また来たいのじゃが、其方もわしを嫌がるのか?」
「いや、そんな事は無いさ」
何か、この子の闇を見た気がする。
きっと現代日本では「天才」とか「神童」と呼ばれるだろう。
公家や僧侶に混ざったなら、鎌倉時代でもそうかもしれない。
しかし、チートな頭の良さも坂東武士の中では無意味っぽい。
もつれたゴルディアスの結び目を解きほぐす能力より
「そんなものはこうするのだ!」
と一刀両断にする連中「しか」いないのだから。
ちょっと同情したのだが、考えを改める。
何故ならこのガキ、こんな事を言いやがったからだ。
「しかし、真の所よく分からぬ事を、絵で分かりやすく説明しておるのなら、
その説明の時点で八分程真実、二分程嘘を織り交ぜれば、巧妙に騙せるのではないか?
その騙し方も、騙す側の都合の良いようにすれば、上手く人を支配出来ように」
……何だかんだで、こいつも危険人物な気がしてならない。
予告:
明日、この子を中心にしたネタ回を前後編でします。




