乱心と狂気
DQN団地には、様々な厄介な人たちが住んでいる。
その中の一人に「無敵」の人がいた。
所謂「メンヘラ」と呼ばれるオッサンである。
通院していて、そういう人用の手帳も持っている。
そうなるきっかけが、警察による冤罪で人生を奪われ、家族が離散した事であった。
自殺未遂の後、言動がおかしくなる時がしばしば起きて、定職に就けなくなった。
だが、要は国家権力のミスによる病気であった為、支援団体みたいなのが取り憑き
「この人は国によって人生を狂わされた可哀想な人なんです。
皆さんで面倒を見て当然じゃないんですか!」
「貴方たちは、この人が不当逮捕された時に、差別しなかったと言えますか?
貴方たちにも責任はあるんですよ!」
「身寄りを全部失った可哀想な人なんです。
ちょっと粗相をしたくらい、大目に見てやったらどうですか!」
苦情を入れでもしたら、こんな感じで団体の人たちが押し寄せて来て、猛抗議をする。
それでも反論すると
「ここの人は差別主義者です」
と声高に騒ぎ立てるのだ。
こうして甘やかされ、特権のようなものを与えられて十数年、すっかり迷惑な人間に変わってしまった。
正気の時間と、変な状態とを使い分けているんじゃないか、とすら疑っている。
突然歩いている女子高生とかに
「可愛い、可愛い!
ほら、パパでちゅよ~」
と言いながら抱き着き、頬をナメたりする。
性犯罪まではしない為、本当に居なくなった娘と混同しているのか区別は出来ない。
(見た目が可愛い娘にしかしないから、分かってやってねえか?)
と疑いはするが、例の団体が五月蝿いから泣き寝入りとなってしまう。
他人の玄関で立ち小便をしても
「俺の家のトイレで用を足して何が悪いんだ?」
と叫んだり、コンビニで勝手に飲み食いし
「金は払ったんだ!」
と言ったりする。
そして正気になった時に
「申し訳ございません」
と言って金を払ったりして、ギリギリの線で社会生活をしていたりする。
(いっそ犯罪とかしてくれたら、病院に強制入院とか、逮捕とかあるんだが……)
そう思う人も多かった。
この人が、懲りずに公園で遊んでいる鎌倉武士の娘、末ちゃんに抱き着こうとした事で、事件は起こる。
「ああー……可愛いねえ」
と、本当にそう思っての行動だったかもしれない。
しかし、自動迎撃型子守のおいのさんは、手を伸ばした瞬間に
「曲者!」
とその男の手を逆さまに捩じり上げた後は転倒させ、そのまま短刀の柄で殴打を加えたのだ。
男は大人とは思えない感じで泣きながら帰っていく。
そして、例の団体が押し寄せて来たのだが……
「あの、すみません。
俺、何かしましたか?」
おいのの住居を調べたまでは良いが、門を入ろうとしたら薙刀を突き付けられ、追い返されたという。
先日侵入騒動があり
「如何に普請中とは言え、容易く入り込まれる等、たるんでおる!」
と郎党たちは叱責されたばかりだ。
かなりピリピリしている。
「隣の人の取次が無いと通す訳にはいかないとか言われて……。
団体の一人が無理に入ろうとしたら、本気で殴られ、別の人は服を斬られたんです。
警察に言っても相手してくれず。
どうなっているんですか?
あの人たち、頭おかしいんですか?」
(頭おかしいんなら、あんたらの支援対象だろ!)
「警察は何してるんですか?
あんな人たちを野放しにして良いんですか?」
(そのままブーメランで自分たちの後頭部に突き刺さっているぞ)
「我々は武器を持っていないんですよ!
弱い人間を寄ってたかって攻撃するとか、人間としてどうかと思います!」
(今まさに、集団で家に押し掛けて文句言ってるあんたらはどうなんだよ!)
本当、一般市民には迷惑顧みずに色々言って来る連中だ。
俺に言わせれば、殴られたとか、服を斬られただけで済んだのは幸運なんだぞ。
首とか腕とか目とか耳とか、色々斬り飛ばされるんだぞ。
こっちの世界の狂気が、あっちの時代では「そうでもしないとナメられて生活出来ない」っていう理性的な行動になるんだが。
迷惑を顧みず、帰ろうとしない連中に辟易していると、
「御免!
上がるぞ!」
と譲念和尚が家にやって来た。
助けてくれるのか?
と思ったが、
「御父上と茶を飲みに来た。
わしに構わず続けられよ」
……って、本当にマイペースな人だよな!
「お坊さん、お隣に住んでいるんですか?」
ナイス!
面倒臭い奴等の標的がそっちになった!
「如何にも」
「では、貴方の家の奥さんが、可哀想な人に暴力を振るった事をどう思いますか?
暴力を振るわれた人は、昔、警察とかこの辺の人に酷い目に遭わされて……」
「その者がどう哀れなのか、我等には関わり無い事じゃ。
幼き子を拐わかそうとした事のみ、我等と関わる事。
子を守ったは天晴れな事だ」
うん、流石は公案禅の坊さん、言い負かされないな。
「大体、命が残っただけで神仏に感謝せねばならぬ。
数代前の事じゃが、畠山庄司(重忠)殿とか和田左衛門尉(義盛)殿とか、言われ無き挑発を受けたが潔く戦って死んだものじゃぞ。
畠山殿等、北条方が大軍ゆえ、引き返し態勢を整えるべきという進言に
『其の儀は然る不可(その必要無し)。
家を忘れ親を忘れる者、將軍の本意也(戦うなら、家も家族も忘れるものだ)。
去る正治之比、景時一宮の舘を辞し途中に於て誅に伏す(梶原景時だって館を出た後は黙って討たれたんだ)。
暫時之命を惜むに似たり(引き返すとか、ちょっとだけの時間命を惜しむような行為だ)』
と言ったとか。
これぞ武士の誉れ!
名高き勇者なり」
うん、やっぱり鎌倉武士の成れの果ての坊さんだ、言ってる事が現代の常識と違う。
支援団体の人たち、ポカーンとしてるわ。
それでも気を取り直して、
「武士じゃないですから。
家族を失って、心を病んだ方なんですよ」
と言ったところ
「なれば連れて参れ。
わしが治して進ぜよう」
と返す。
「いや、お坊さんに治せるとは……」
「聞こう。
其の方どもは、その乱心者を治したいのか、治したくないのか?」
「いや、治すとかそんなんじゃなく、そういう人でも生きていける社会を……」
「治す気は無いのじゃな!」
「いや、そうじゃなくてですね」
「治す気、有りや、無しや!」
「は、はい、治して社会復帰出来るなら、それで問題ありません!」
「真じゃな?」
「はい」
「本心はいつまでも乱心者を使い、己が甘い汁を吸おうと思っているのではあるまいな」
(この坊さん、意外に鋭い所あるよな)
俺はこのやり取りに感心してしまった。
団体の人は、流石に心外そうな表情で
「我々が弱者を食い物にしてると言うのですか!?
そんな事はありません!」
と否定していた。
結局
「その者を連れて来るが良い。
ものは試しぞ」
と言われ、団体さんは引き返したものの、その後は音沙汰が無くなった。
(本気でヤバい相手)
と気づいたのかもしれない。
例のオッサンは、相変わらず姿を見かけるが、和服の女性は避けるようになっていた。
「で、譲念和尚はどうやって治療する気だったんですか?」
勝手に人の家で茶を飲んでいる坊主に質問してみた。
「なあに、気病みは死ぬ程動けば、悩みそのものを忘れるものよ。
息つく暇も無い程働かせれば、自ずと立ち直ろうぞ」
という、ポル・ポトとかどっかのヨットスクールのような回答であった。
(あんたらみたいな、鎌倉武士メンタルとは違うんだよ!
あの団体、試しに連れて来なくて正解だったな)
うん、きっとそうだ。
なりすましでなく、本当に病んでいた人なら、これじゃ絶対治らないだろうから。
おまけ:
問「もしも乱心者が出たらどうしますか?」
解「密かに亡き者として居なかった事にする。
密かに山に捨てて居なかった事にする。
密かに人買いに売り、居なかった事にする。
一番温情を掛けるのは、何処ぞに押し込め、人前に出させず、やはり居なかった事にする」
鎌倉時代でなく、確か昭和前半でもこんな感じだったような。




