鎌倉仏教の僧侶?
「紹介しよう。
譲念和尚、わしの末の弟に当たる」
武家屋敷に呼び出された俺は、僧侶を紹介される。
僧侶?
いや、確かに僧侶には僧侶だと思う。
だけど髭をぼうぼうに伸ばし、衣服はボロボロ、腕は太くてどう見ても
「得度したのは少林寺ですか?」
と聞きたくなる容貌であった。
そして実際に
「ガッハハハ!
兄者、和尚とか言われると否定したくなるわい!
わしはただのクソ坊主よ」
と唯一僧侶らしい丸めた頭を撫でていた。
現当主の五男坊の出家は、涼やかな立ち居振舞いと、清潔な衣装であった。
お香の匂いも漂っていた。
デスメタル好きという意外な一面以外、普通に俺がイメージする僧侶だった。
しかしこの人、どっちかというと山賊って言った方が合っている。
僧侶っぽくない。
どっちかというと、血の匂いが漂っている。
「本領の近くに寺を造って住んでおったのじゃが、最近壊れて来てなあ。
兄者に手の者を借りに鎌倉まで参ったのじゃが、いつも使っていた正門が消えて無くなっておった。
裏門を見ると、こちらが立派になっておってのお。
聞くと御仏の業で不思議な事になっていて、正門は中に入るとそこに在った。
そして見かけぬ者どもが働いておった。
じゃから、あの者を今度はうちの寺に修繕に借りようと思うてな」
「という訳じゃ。
またこき使う故、お主に伝えたぞ」
例によって答えは聞いていない。
報告するだけマシなのだと、最近では慣れてしまった。
「領地にすぐ帰るのもつまらぬ。
暫くはこの鎌倉におる故、弥勒の世とやらも案内して貰うぞ」
ここは鎌倉ではなく、異なる地方都市なのだが、その説明は面倒だから止めた。
暫く話をして屋敷を辞そうとしたら、今度は近所の婆さんが野菜とお菓子を持ってやって来た為、当主の指示で俺も付き合う羽目になる。
白湯を呑みながら婆さんの身の上相談を受ける。
主に譲念和尚が聞いていたのだが。
(ああ、この辺はちゃんとした僧侶なのだな)
そう感心して見ていたのだが……。
悩み事は新興宗教勧誘についてである。
大学に通った時に孫がハマってしまい、その親や祖父母にまでしつこい勧誘が来て困っているという。
「あの子も大人が自分の考えで信仰したならええ。
じゃけど、家族の者にまでお布施を求めたり、入信するのを求めるのはねえ……」
そう言った婆さんに、譲念和尚は
「よし、わしがどうにかしてやろう」
と胸を叩いた。
(やめといた方が良い)
そう言いかけたが、俺は言えなかった。
言えば殴られそうな雰囲気もあったし、何より今日初めて会ったこの僧侶がどんな人物か分からず、もしかしたら本当に頼りになる人物かもしれないからだ。
勧誘に来た宗教の人は、いきなりぶん殴られた。
「何をするのですか?」
「仏に逢うては仏を殺せ、父母に逢うては父母を殺せ。
是を実践したまでの事」
いきなり鎌倉精神炸裂!
……と思ったけど、これは臨済宗の教えらしい。
まずは抽象的な「神」とか「父母」とかという固定観念を外せという意味だが、この僧侶は相当に魔改造した教えを持っている。
「信仰に凝り固まった者同士話をしても堂々巡りになるだけじゃ。
まずは素の其方を知りたい。
全てを捨てて、怒りに任せて戦ってみよ」
それで素の人間性が見える、という事だ。
「口だけでただ認めるような形では、お互い真の意味では認め合わないだろう。
戦って倒すくらいの事をしないと、認めない筈だ。
だからわしは戦い続けるー---っ!」
なんて言ってるが、あんたはどこぞの鉄面の貴公子か!?
宗教勧誘の人、最初に非難の言葉を発した後は、脳震盪で倒れて立てなくなる。
「やれやれ、随分と手加減をしたのじゃが……」
なお臨済宗の僧侶の事績をまとめた「臨済録」では、
・仏の教えを黄檗和尚に聞きに行ったら殴られた。
師がまた行って聞いて来いと言うから行ったら、都合三度殴られた。
・意味不明だから止めてくれと黄檗和尚に言ったら、大愚和尚の所に意味を聞きに行けと言われた。
大愚和尚に愚痴をぶちまけたら、殴打は指導だと言われる。
なるほどと頷いたら「それで分かった気になるな!」と首を絞められ、そして三発肝臓打ち。
・黄檗和尚に「大愚和尚に首絞められて、腹を殴られました」と言うと、何故か激怒し
「大愚のクソ坊主がぁ! 今度会ったら殴ってやる」と言ってきやがった。
あまりの理不尽さに、いい加減にブチ切れた若い僧侶は、黄檗和尚をタコ殴りにし、ついに禅に覚醒した。
・その開眼した若い僧侶こと臨済義玄は「喝」と叫び、棒でもって周囲を殴りまくる人物に成長。
・臨済はまず弟子の普化を棒でもってボコ殴りにする。
抗議した同じく弟子の克符も棒で殴り倒す。
・修行僧「真理を得る為に、出家します」
臨済和尚「出家とか言って、単にかっこつけたいだけだろ」
・修行僧「仏陀は百千万億年という長い間修行を続けて究極の境地に到られました」
臨済和尚「知ったような事言うな。
あの人は八十歳かそこらで野垂れ死にした、ただの人間だぞ」
・修行僧「解脱し、この世の苦しみから逃れたいのです」
臨済和尚「この世以外にお前が行ける世界があるとでも思っているのか?
現実を直視しろよ」
・問:禅を組んでたら眠くなるんですが?
答:寝たかったら寝ろ。
隙を見て眠れんような奴は未熟者だ。
そもそも「寝ちゃいけない」って思う時点で固定観念に囚われてるわ。
・問:禅を組んでいたら仏が見えたけど、あれ何?
答:お前が勝手に妄想したものだ。
こんな感じである。
鎌倉時代にこの臨済宗を伝えた栄西も、民が飢えで困っていると聞いたら
「じゃあ、仏像造って欲しいって寄進された、この銅を売って食糧に替えましょう!」
ってやるような人。
当時は神仏に寄進されたら、それはもう人間界の物ではないから、本来の目的以外には使ってはいけないとされていたのだが、そんなの関係ない。
「寒かったら、木造の仏像とか経典とかを燃やして暖を取りましょう。
あんなのただの物に過ぎませんから。
そもそもこういうのを大事な物だと大事にする時点で、何かに囚われてますから。
中身を理解したなら、もう捨てましょう。
そんなのに拘ってる時点で、本質から遠いものになってるので」
こんな感じだから、もしかしたら鎌倉武士が好んだんじゃないかな。
とにかく、新興宗教の勧誘者は、言葉は通じるが常識が違う人物に翻弄され続ける。
どうにか殴るのをやめて貰って、教義に関して問答するも
「其は貴殿の心象に有らずや?」
(それって貴方の感想ですよね?)
「言説が現出したる証拠有りや?」
(なんかそういうデータ有るんですか?)
「あなおかしや、詭弁止むべし、喝!」
(なんだろう、嘘つくのやめてもらっていいですか)
と返していく。
後から聞いた俺は
(あんたは、ひろ〇きか!?)
って思ったが、兎に角勧誘の人に一切負ける事なく、言い返していたそうだ。
臨済宗は公案禅、師との問答で悟りに至る。
問答の中には、肉体言語も含まれる。
肉体言語を封じてなお、しっかり言い返すだけの修行はしていたのだ。
最終的に「お布施」については「人間一間の隙間が在れば生きていける、僧に富は不要」と言い、
グッズの購入については「ただの物に力なんか宿らない、肝心なのは心の内にある」と喝破。
神に帰依しないと地獄に落ちるという事に対しては
「ならばその神に帰依したお主をわしが殺す故、地獄に落ちぬ事を見せてみよ」
と言って、僧侶の癖に太刀を抜いたという。
相手は這う這うの体で逃げ出していったそうだ。
「ふん、相手にもならぬな」
そう言いながら、多数のお布施という名目で野菜とか酒とかを貰って帰った譲念和尚を見て、
「言ってる事とやってる事、なんか違ってないか!」
と思ったが、言うと「六道輪廻は真か偽かの実証実験」をされそうなので、やめておこう。
臨済録、面白いですよ。
殴ったとか、喝を飛ばし合ったとか、そんな話ばかり。
本文中で出た名前で
・黄檗:宇治の黄檗宗万福寺の名前の元
・普化:虚無僧の普化宗の名前の元
だったりします。
……臨済宗への風評被害文章だったかもしれん。




