託児ママの大誤算
「ちょっと、ここのおばさん、どこ行っちゃったの?」
鎌倉時代の武家屋敷の前、通称「DQN団地」に住む女性が喚いていた。
この女性、所謂「託児ママ」として有名な人だ。
シングルマザーながら羽振りは良い感じだ。
たまに見かけると、色んな男にしな垂れかかっている。
その横には、無表情な幼児が所在無げに立っている事も多い。
(あの女性はともかく、子供は気の毒だな……)
旧町民にはそう思う者も少なくない。
旧町民は人が良く、おっとりしているから、それに付け込んでいる。
託児ママはそんな可哀想な子を連れて来ては、
「子供は地域で育てるものでしょ!」
と押し付けているのだ。
俺の3軒隣だった家には、子育ても終わった老夫婦が暮らしていたのだが、そこに
「子供が居なくて寂しいでしょ!
だから、あたしが子供を育てさせてあ・げ・る!
子供が居ると張り合いがあって、ボケないで済むわよ!」
とか言って、いつも押し付けてパチンコやカラオケに行っていた。
それが、あの地震の後に何かいかつい屋敷に変わっている。
にも関わらず、いつものようにギャーギャー喚いているのは、こいつがDQNだからだろう。
(そう言えば、あの気の良い老夫婦、どこに行っちゃったんだろう?
入れ替わりで鎌倉時代に行っていたら……)
考えれば気の毒に感じられた。
だがDQNは感傷に浸る時間を作ってくれない。
薙刀を持った門番に食ってかかっている。
「あたしは!
ここの住人に子供を預かって貰うって約束してたの!
急に居なくなって、こっちは迷惑してんのよ!
どうにかしなさいよ!」
ギャーギャーうるさい。
発情期ですか? とツッコミ入れたかったが、正直門番から殺気が発せられていて、それどころじゃない。
(血を見るかもしれない……)
そう思ったが、中から執事の藤十郎と雑色の平吉が出て来た事で一旦落ち着く。
「子供を預けると申されたか?」
「申した申した」
「二言はあるまいな」
「無いっつーの」
「なれば平吉、お主が預かれ」
「はっ」
「ラッキー!
なんだ、おじさん物分かりがいいじゃん!
じゃあ、頼んだよ!」
女はニコニコしながら去っていった。
託児ママは盛大に誤解している。
いや、無知なのだ。
武家社会における「預かる」は、生殺与奪の権を得る事なのだ。
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源頼朝の挙兵後、石橋山の合戦で彼を破った大庭景親という武士がいた。
大庭景親の兄、大庭景義は頼朝の軍師のような立場で従っている。
富士川の合戦で平家を追い返した後、この大庭景親は頼朝に降伏した。
この景親を、頼朝は兄の景義に預けようとした。
だが景義はそれを断る。
預けるという事は、生殺与奪の権を得る事。
兄の自分は、弟をきっと許してしまうだろう。
それでは示しがつかない。
景義の言を聞き、頼朝は大庭景親を上総広常に預ける事にした。
上総広常は意図を察し、預けられた大庭景親を始末した。
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武家に預けるというのは、こういう事である。
鎌倉時代の常識からしたら、子を預けるなんてのは
「育てた後は、雑色としてこき使える貴重な労働力が来た!」
と言う事なのだ。
預かった者を返す必要等無い。
寺に預けたら、それは出家を意味する。
〇〇家預かりと言ったら、家人として仕えさせるも、罪人として始末するも勝手なのだ。
雑色の平吉は、その子をどこかに連れていく。
「さあて、馬の世話とか、掃除とか、水汲みとかを叩き込んでやるか。
長じて腕が立つなら郎党として合戦に行って貰う。
賢いなら出家させて僧にするのも良いな。
役に立たないなら、人買いにでも売るか……」
なお寛喜三年(西暦1231年)、大飢饉に際し執権北条泰時は飢饉による口減らし殺害などを避ける為、人身売買を黙認する事にしていた。
それまでは人身売買は禁止されていたが、この処置以降、人身売買は行われ続ける。
いくら北条泰時が「暫定的なものだ」と言っても、一回出来た市場は無くならないのだ。
人買いとか、僧にするとか、そんな言葉を聞いた幼児は、我が身にとんでもない事が降りかかったのを何となく察した。
そして泣き喚くと、彼の母親は暴行を加えるのだが、ここに居るのはもっと恐ろしい感じである。
可哀そうに、幼児は言葉も無く、泣く事も出来ず、黙って連れられて行った。
そしてパチンコの営業時間が終わり、夜が更けても託児ママは帰って来ない。
珍しく大勝でもしたのか、彼氏にでも会ったのか、どこかに飲み歩いているのだろう。
次の日の夕方になって帰って来て、大騒ぎとなる。
俺はその声を聞き、野次馬根性もあって外に出てみた。
「返しなさいよ、この誘拐犯!」
「聞き申したぞ、二言無きやと?」
「何言ってんのよ。
確かに預けたけど、返さないとか無いでしょ、有り得ない!」
「故に預かった。
預けた子を返せ等、げにおかしき者よ」
「キー!
何言ってんのよ、この犯罪者!
返してもらうわよ、そこをどきなさい!」
だが門番が薙刀を持ち、通せんぼしている。
この押し問答を見ている俺に、執事の藤十郎が話し掛けて来た。
「これは亮太殿。
お伺い申す。
こやつも我が殿の子孫や否や?」
どうやら鎌倉武士は、この女性が自分の子孫かと思って手加減していたのだ。
だが、俺にもこの人の素性は知らない。
DQN団地に引っ越して来た人で、古くから住んでいる人ではない。
「多分違うと思いますよ」
(言っちゃまずかったかな)
そう思いつつも、俺は正直に答えた。
藤十郎は頷き、門番たちに目配せをする。
その一瞬の隙に、託児ママは門を潜った。
まだ「門内日本国憲法適用外」の協定は適用外ではある。
それでも鎌倉法的にこれで不法侵入成立で、生殺与奪は勝手放題となる。
「試しに聞こう。
女子、そなたどこぞの家門か?」
「は?
何言ってんのよ。
あたしが誰かなんて、どうでもいいでしょ!」
それは死刑執行所にサインしたような発言であった。
その直後、託児ママの首は宙に飛んだ。
誰でも無い者、鎌倉時代そんな者に権利は全く無い。
ただでさえ武家や公家でなければ女性自体権利が無いようなものだ。
誰でも無い者は、死んでも生きていても、この世と無縁の者である。
「始末しろ」
とすら言われない。
黙ってその遺体はどこかに運ばれ、雑色たちが出て来て掃き清めていた。
(改めて恐ろしい連中だな……)
俺は目の前で起こった惨劇に、固まって一言も無かった。
第4話は明日の17時に投下します。
よろしくお願いします。