鎌倉殿のシェフ(後編)
鎌倉時代最新の宴席料理は本膳料理だ。
本式なら品数も相当に多い。
今回は特に行事もない、通常の招待なので
「式三献、雑煮、本膳、二の膳、三の膳、硯蓋の標準的なもので良い」
と言われた。
確かに七の膳とか言われたらたまったものじゃないが、これでも十分に多い!
俺は分からなかったので、硯蓋について聞いてみた。
「菓子を乗せて出せば良い」
という事で、要は
「食前酒、スープ、1の皿、2の皿、3の皿、そしてデザート」
という組み立てだと解釈した。
食前酒に当たる式三献に、例の辛口の純米大吟醸を出し、アテの三品は鮭トバ、梅干し、アワビのヒモとする。
「いきなり鮭の楚割は礼儀知らずと思われるやもしれぬが、あれは中々美味い故、最初に出そう」
藤十郎の案である。
そしてスープは味噌汁!
禅寺でもないのに、味噌汁。
というか、蛤の潮汁とか俺は作れない。
買って来て出せば良いかもしれないが
「醤汁とは作るのに手間暇が掛かるもの。
これをさりげなく出せば、我が家も評判となろう」
と、やはり藤十郎が言っていた。
現代日本からしたら蛤のお吸い物とかは高級品なのだが、鎌倉時代では味噌汁もまたご馳走。
大豆味噌を使った擦り味噌汁は、宋の雰囲気が漂うもののようだ。
……まあ擦り味噌なんか使わず、現代日本の味噌使うけどね。
そして一の膳。
フランス料理なら、前菜、魚料理、メインディッシュと進むのだが、ここにはそんな決め事は無い。
むしろ飲酒量が少なく、まだ酔いが回っていない一の膳こと「本膳」にドカンと派手なのを持って来よう。
後の方になると、どうせ酔って味なんか分からなくなるだろうし。
ここで俺は秘策を使う事にした。
この料理を完成させる為、新鮮な食材を鎌倉側に用意して貰った。
お陰で現代日本の俺の家の方も、鎌倉武士の屋敷も、しばらくは高級食材の練習品を味わいまくる事になった。
二の膳にも気合いを入れてみた。
調べたら、あの料理は宋の時代に出来たようだから、大丈夫だろう。
肉食もどうやら可のようだ。
まあ何の肉かは誤魔化すようだが。
三の膳は完全に酒のツマミ系。
試食会で出したもの、要はお惣菜メイン。
これでやってみよう。
そして鎌倉殿と小侍所の者たち訪問の日を迎える。
俺は基本的に、隣の自宅で料理をする。
母親にも手伝って貰う。
出来た料理を、急いで平吉たち雑色が運んでいった。
「此度は我が家に御成あそばし、誉れに御座います」
当主一同平伏して挨拶をし、饗応が始まる。
「これなるは、南都(奈良)のさるお方より頂いた酒に御座います。
偶に出来たる美味き酒にて、是非とも鎌倉殿に味わって頂きたく存じます」
そう言って、容器を取り換えた辛口純米大吟醸を少量ずつ注ぐ。
(案外ケチじゃの。
これくらいしか注がぬとは)
そういう陰口が聞こえたようだが、藤十郎他は怒らない。
(味わって驚くが良い)
そう思っていたそうだ。
そして一口飲んで
「む、これは確かに面白き味わいの酒ぞ。
くどさがまるで無い」
鎌倉殿の近習の文官(京下りの公家だったりする)が驚いていた。
武士たちは悪口が殺し合いになるから、無用な口は利かない為、感想は主にこいつらだ。
「斯様な酒は都でも飲んだ事は無い。
一体どのようにして手に入れられた?」
興味津々で質問して来たそうだ。
「当家と関わりのある法師が、般若湯を美味くする法術を試しておるそうで、上手く出来たと此度は持参してくれ申した。
ただ、もう一度同じ酒が出来るとは限らぬとも申しておりましてな」
「ほお、では神仏の力で出来た酒という訳ですな。
いや、それならかほどに少なくても文句は言えませぬな」
「そしてこの肴もよろしい。
式三献で楚割とは、何とも分限者たるをひけらかすようで下品と思いましたが、なるほど柔らかく、味まろやかで酒に合いますな」
次いで味噌汁。
ネギの味噌汁で具はそれだけだ。
味噌汁を作るだけで苦労していると知っているので、文句は出ない。
そして本膳。
山盛りの白米と共に、鎌倉蝦の酒蒸しと塩焼きを出す。
鎌倉蝦とは、現代日本で言うイセエビの事だ。
半身にして、片方を酒蒸し、片方を焼いていた。
一同どよめいたそうだ。
酒蒸しという技法は既に知られていたが、こんな大きなイセエビをそうするとは。
「一体どのような台所なのですか?
これ程のものが作れるとは」
蒸し器をガスコンロにかけて使いましたさ。
火加減という一番料理において重要な技が、科学技術の発展で簡略化された素晴らしさよ。
「次の膳は、宋の料理を取り入れました」
藤十郎が珍しく料理の紹介をする。
俺(及び電子レンジ)の最高傑作「東坡肉」。
「領内の猪を狩りにて仕留めましてな」
肉の出自はそういう事にした。
現代日本の豚肉とは言わない。
三の膳は以前当主たちに試食で出したようなものを多数並べる。
酒を飲んだから味付けが濃い方が良いかな? とも思ったが
「そろそろ慣れた味じゃないと、刀抜いてイチャモン付けて来るから、濃くしなくて良い」
という藤十郎のアドバイスで、素材の味を生かしたもの(要は変に調味料を使わない)とした。
まあ現代日本の食材だから、鎌倉時代基準では相当に柔らかいのだが。
最後はデザートとして柿を出す。
なんと、鎌倉時代に突然変異で甘柿が出来たのだった。
調べてみてビックリしたよ。
だから甘柿と、伝統的な干し柿とを出すと
「甘き柿をこれ程持ち合わせているとは、実に豊かじゃなあ」
と感心していたそうだ。
……こちらでは金さえ出せば簡単に手に入るのだが……。
こうして鎌倉殿を招いての饗応は無事に終わる。
当主は面目を施したようで、上機嫌で俺に褒美として札束を渡して来た。
滅茶苦茶な臨時収入で嬉しい反面
(ほとんどは俺の技術関係無い!
俺は鎌倉時代の人間に食べさせて、時代を変えてしまわないか調べただけ。
後は買って来ただけ、現代の調理器具を使って温めただけ。
勘違いさせてしまって、後々怖いかも……)
そんな風に思ったのであった。
料理編終わり。
また鎌倉武士のほのぼの蛮行に戻ります!




