鎌倉武士に聞いてみた
不定期復活の番外編です。
テレビでニュースを見ていた俺は、どうにも理解不能な事態に陥っている。
それは戦争中の某国で起こった事だ。
前線で戦っていた民間軍事会社が、突如不満を漏らしながら首都に侵攻を始めた。
お、これはクーデターか! と期待していたのに、あっさりと撤退し、ほぼ何事も無かったように収まってしまう。
この後に何が起こるかはまだ分からないが、とりあえず何をしたかったのかさっぱり分からない。
こういう時は、似たような連中に聞くに限る。
俺は隣の鎌倉武士にアポイントメントを取って、当主と話してみる事にした。
「かくかくしかじか、このような事なのですが……」
俺の説明に、先祖である当主も、執事の藤十郎も首を傾げていた。
DQNであっても他のDQNの事は分からないのだろうか?
やはり意味不明な行動なのか?
そう思った俺の方が、まだ鎌倉武士を理解出来ていなかったようだ。
「その行為に何の疑問があるのか?」
「そうじゃのお。
不満があれば強訴するのは当たり前ではないか」
「叡山の法師どももしておるしな」
「然様ですな。
それを押し返すのも、六波羅に出仕した我等御家人の仕事ですし」
どうやら当然過ぎて、意味不明と思う我々の方が意味不明のようなのだ。
「その者は侍所別当(国防大臣)と所司(参謀長)の解官を求めておったそうじゃな」
「はい」
とりあえず鎌倉時代でも通じる役職に変換して説明したのだが。
「梶原殿の件と同じですな」
「そうじゃな、梶原殿の一件じゃ」
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鎌倉幕府の軍事担当者である侍所別当・梶原景時が、源頼朝の乳母兄弟である結城朝光を疑った事がある。
これは結城朝光が
「忠臣は二君に仕えず」
と発言した事が原因である。
要は「頼朝には忠誠を誓ったけど、息子の頼家にそのまま引き継がないよ」という、忠義は一代限りという事なのだが、それを問題視した為に不満を持たれた。
「二君と謂う者、必ずしも父子兄弟に依不歟」
こうして有力御家人六十六人が集結し、政所を通じて鎌倉殿に圧を掛けた結果、梶原景時は職を退いた。
その後梶原景時は討伐されるのだが、その後日にも事件は起こる。
梶原景時に恩があった城長茂が京都で挙兵。
そのまま大番役として京都に居た結城朝光の兄である小山朝政を襲う。
しかし返り討ちにあった為、今度は軍勢を率いて土御門天皇の御所に押し掛けて来た。
そして天皇に向かってこう叫ぶ。
「四門を全て閉ざしました。
さあ、鎌倉追討の宣旨を出して下さい!」
結局天皇が相手にせずに無視を続けた為、不安になった兵たちが離散し、城長茂の京都での反乱は腰砕けとなった。
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「それで、その一党(軍事会社)に御所を襲われた主君(大統領)は如何した?」
俺は逆に当主から質問される。
「今のところは特に何も……」
「然様な甘いものでは無かろう。
今話した城四郎(長茂)の時は、院(後鳥羽上皇)がそれはお怒りになられてな。
武家に非ずとも、ナメられてはお終いじゃ。
城四郎やその一党は悉く討ち取られたのよ。
主君はそれくらいせねば収まらぬ」
「それをしなければ?」
俺の質問に、分かり切った事を聞くなという表情の当主。
「それをせねば、後から後から同じ事を繰り返す者が現れ、威厳は地に落ちよう」
(いや、でもあんたら、梶原景時を失脚させたんじゃないか)
内心そう思ったが、口には出さないでおいた。
実際後から調べたら、梶原を解任せざるを得なくなった鎌倉殿・源頼家は権威の回復に手こずり、やがて決済権を剥奪され御家人の合議制へと移行する羽目になった。
黙って認めたりしたら主君の権威は低下するものなのだ。
「聞きたい事はそれだけか?」
俺はもう一個聞いてみた。
「もしも、当主様の領内で同じような強訴が起こったらどうされます?」
これも知れた事よ、という表情で
「街道に首を晒すまで」
という返事であった。
去り際、当主は
「さてもさても、こちらの世は進んでおると思うたが、我等武家の世と大して変わらぬようじゃのお」
という、中々痛い言葉を吐いていた。
日本や先進国はともかく、世界を見渡せばそうなのかもしれない。
世界の大半が鎌倉武士と同じメンタル。
だからこそ、源頼朝のような指導力と残忍さを合わせ持つ独裁者が必要で、そのような者で無ければ治められない社会もまだあるという事だ。
【御成敗式目第四十九条】
一、兩方證文理非顯然時、擬遂對決事
右彼此證文理非懸隔之時者 雖不遂對決 直可有成敗歟
(意訳:理非がはっきりしているのに裁判起こすな!)
【結城氏新法度】
意訳:他人から頼まれたことを、無理なのに聞き入れたり、証拠がないのに上申するな!
【武家諸法度・寛永令】
新儀ヲ企テ徒党ヲ結ビ誓約ヲ成スノ儀、制禁ノ事
(意訳:徒党を組んで行動すんな!)
【五榜の掲示】
何事によらす、よろしからざる事に、大勢申合候を、ととうととなへ、ととうして、志いてねがひ事くわだつるを、ごうそといひ、あるひハ申合せ、居町居村をたちのき候を、てうさんと申す、堅く御法度たり、若右類之儀これあらば、早々其筋の役所へ申出べし、御ほふひ下さるべく事
(意訳:徒党・強訴・逃散は禁止だ!!)
歴代の武家政権どころか、明治直前まで身勝手で数を頼んだ押し掛けには困っていたという証かもしれない……。
時事ネタです。
室町時代なら御所巻という絶妙な事件があったのですが、この小説はそれより遥か前の時代でして。
(つーか、作中で書いたけど室町時代以前は「よくある行動」なのでは。
梶原景時さんですが「一々一族郎党で押し掛けて抗議するな」と言って、皆から疎まれた疑いもありますし)




