鎌倉武士を逮捕したらこうなってしまう
「えーと……整理しますね。
以前喧嘩を止められた少年たちが、祭りの場で武士を見つけて喧嘩を売った。
その場は大人たちに止められたけど、場所を変えて喧嘩に及ぶ。
相手の少年たちは10人以上で、手に武器を持っていた。
武器は鉄パイプ、角材、バールのようなもの、そしてナイフですね。
それに対し、武士たちが応戦した。
そういう事ですね」
俺の報告を元に、警察官が調書を取っている。
実のところ、俺以外まともに証言していないようだ。
やられた少年たちの中で、重傷の者は出血多量で生死の境を彷徨っている。
軽傷の者たちは
「あいつ、ヤベえよ。
頭おかしいよ。
マジで俺らの事殺しに来てるんだぜ。
あいつらを早く殺人罪で逮捕て死刑にしろよ!」
と言うだけで、自分たちの行動については口をつぐんでいる。
そして護衛の武士で、少年の腕を斬り落とした張本人・又五郎は
「戦を挑まれて応じたのみ。
御主君の身代わりとなるは光栄。
何ら神仏に恥じる事無し。
後は何も申すべき事無し」
と言ったきり、話をしてもくれない。
「いやあ、まともな市民の貴方だけが頼りです」
調書を取っている警官が頭を下げる。
どっちも言いたい事を言う以外はだんまり。
警察はそういうのに慣れているとはいえ、大変な事に変わりはないだろう。
俺としても、もっと早く判断していれば、こんな惨事にならずに済んだという後悔があった。
殴る蹴るの喧嘩なら良かったけど、相手も武器を持っていたし、祭りの日だからと鎌倉時代のままの衣服で、太刀も持って来ていたのだ。
そういう事態を察知出来なかった俺が阿呆だったと非難されても仕方がない。
まあ、止めても止まってくれるような連中では無かったが。
実際現場検証をしたら、少年の人数分の鉄パイプとか角材とかが落ちていたし、人数も少年たちの方が圧倒的に多い。
正当防衛というのは認められる。
ただ、現代の法に照らせば過剰防衛には確実になる。
「鎌倉時代の人間に現代の法を説いても意味は無いんですが、
それでも門外ではこちらの法に従うと決めていますからね」
そう言っていたが、甘い。
取り決めは取り決めなのだが、その枠内で無茶をやって来るのが鎌倉武士なのだ。
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『沙石集』
ある裁判の時、敗訴判決が出た下総の地頭がはたと手を打ち、「あら負けだ」とそれを認めた。
周囲が笑う中、その裁判を行った執権・北条泰時は
「いみじく負け給ひぬるものかな。
泰時、御代官として、年久しく成敗つかまつるに、いまだかくのごとくのこと承らず。
『あはれ、負けぬる』と聞こゆる人も、かなはぬものゆゑ、一言葉も陳じ申す習ひなるに、われと負け給へること、めづらしく侍り。
前の重々の訴陳は、一往さもと聞こゆ。今、領家の御代官の申さるるところ、肝心と聞こゆるにしたがひて、陳状なく負け給へること、かへすがへすいみじく聞こえ侍り。
正直の人にておはしけり」
(現代語訳:見事な負けっぷりだ。
明らかな敗訴でも言い訳をするのが普通なのに、自分で敗訴を認めた貴殿は実に立派で正直な人だ。
執権として長い間裁判をやってきたが、こんなに嬉しい事は初めてだ)
と言って涙ぐみ感動した。
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判決についてはごねるのが普通なのだ。
それは、素直に負けを認める者に対し、北条泰時が感動して涙を流す程に。
鎌倉武士にとって裁判とは、ごねる、横車を押す、手を変え際限なくまた訴えて来るとかするものである。
そんな連中が、自分の郎党が逮捕されていると聞いて、黙っている訳がない。
六郎を送り届けた警官と、六郎本人からあらましを聞いた当主たちは
「又五郎こそ天晴れなり!
囚われの彼の者を救わん!」
と叫ぶ。
鎌倉武士基準からすれば
・喧嘩を売られた→応じないのは恥であり、恥をかいたら生きていけない
・太刀を抜いて戦った→相手も得物を持っていた以上、当然
・腕を斬り落とした→盗賊や無礼者への処置で何の問題も無い、殺してすらいないのだから
・代理で逮捕→主の代理は天晴れ、救い出す事こそ主君の勤め
なので、後は行動に移すのみである。
幸か不幸か、この日は祭りに参加する為、屋敷から出られる人数は出ていたのだ。
改めて動員をかける必要はない。
祭りの場を混乱させると、それはそれで面目丸つぶれなので、しばらくは大人しくしていた。
その間に、警察署では調書を取ろうと四苦八苦していたが、俺以外からはまともな情報が上がって来ない。
そうこうしている内に、鎌倉武士たちは礼を言って祭りの場から退出する。
そして集団で警察署に押し寄せて来た。
比叡山延暦寺の僧兵で有名な「強訴」であった。
六郎と、今逮捕されている又五郎の兄・又三郎が警察署の場所は覚えている。
薙刀の白刃を見せてはいないが、それでも武器を持っての襲来である。
「評定所の方々に伺いたき事、これあり!」
代表して執事の藤十郎がそう叫び、その後は特に何かするでもなく、静かに「布陣」を始めた。
完全武装で合戦の支度ではないものの、陣列を整え、何かあったら突撃出来る構えだ。
要求に応じなければ突入し、又五郎を救出するかもしれない。
そうなれば「警察署襲撃」となって大騒動になる。
どうせ言ったって誰も信じてくれないから、直接見聞きした地方自治体レベルで事を収めているのに、そうなれば全国レベルの問題となりかねない。
仕方がない、目の前の鎌倉武士の遠い子孫にあたる警察署長が応対する事にした。
面会前の署長に朗報が入る。
「病院の方から連絡です。
腕を斬り落とされた少年ですが、腕の接合手術が成功し、輸血も間に合って助かったそうです」
たまたまその病院に居た、通りすがりのマントの医師が凄腕で、驚くべく速度で手術を終えたようだ。
「その医師、もぐりの医師で、後から目が飛び出るような治療費を請求して来ないでしょうね?」
そうであれば、鎌倉武士との問題の他に、もう一個頭が痛い問題を抱える事になる。
まあ今はその事は置いておこう。
ともかく門内ではなく、門外での殺人事件にならずには済んだ。
傷害事件には変わりないから、そこをきちんと理解させねばならない。
「ちょっと長くなりそうだから、君は今日の所は家に帰って良いよ」
そう言って俺は解放される。
だが、折角警察署を出たというのに
「おお亮太殿。
そこもとも囚われておったのか、難儀な事よ。
其方も我が一族なれば、御当主の談判を共に見守ろうぞ」
と先祖たちに捕まってしまい、そのまま集団威圧の中に取り込まれてしまった。
……なんで周辺の道にも見張りを置いてるんだよ!
……合戦みたいなものだから、警戒要員を置くのは当たり前か……。
そのせいで、帰宅出来ずに捕まってしまったよ。
俺は結局、この祭りの後始末の最後まで見届ける事になる。
おまけ:
メタ的な暴露。
全国ネタにすると、話が大きくなり過ぎて執筆に困るのです。
風呂敷広げ過ぎると、畳むの苦労しますので。
影響範囲をなるべく限定的にしています。
(影響範囲をでかくし過ぎた結果、不確定要素ばかりとなり、専門分野では手に負えなくなった結果思うような結論に辿り着けなくなった拙作「1940アメリカ消滅」って例がありますもので。
あれは「当時の人間の科学知識的に、どう頑張ったって思うような方向に持っていけない」ってのもありましたが、何せ軍事・政治だけでなく、気象学・海洋学・農政・経済・資本主義の限界とか多岐に渡り過ぎて「一人じゃ全部書き切れない」ってなりましたもので)
19時にも更新します。




