鎌倉武士相手にナメた事したなら
度々触れて来たが、鎌倉武士はナメられたらおしまいである。
どういう事か?
強くなければ、近隣の武士に領地を奪われてしまう。
それは合戦を仕掛けて……なんて露骨なものではなく、境界線を少しずつ動かしたり、領民を引き抜いたり、境界線はそのままだけど挨拶とか納税先を変えさせたり、そんなやり方をする。
訴えれば勝てるものも多い。
それでも懲りずにやって来る。
御成敗式目の特徴の一つで、明確な罰則が書かれているものと、禁止すると書かれているだけのものの落差が大きいというのがある。
基本的に御成敗式目は御家人の為の規定と、御家人と他の者が揉めた場合の対処法とがある為、御家人同士の場合は問題解決しやすいが、それ以外だとケースバイケースだったりもする。
御家人同士でも、相手が弱い場合は式目に抵触しないやり方で徐々に利権を奪っていったりする。
鎌倉幕府はよく「組合」に例えられる。
労働組合ではなく、協同組合の方だ。
共通の利害の為には手を取り合うが、基本的には同業他社なのであり、競争相手なのだ。
だからお隣さん同士共に戦う事があっても、隙有らばお隣さんの利益を奪いたいのだ。
それが「ナメられたらおしまい」という意識の根底にあるもので、兎に角面目を守るよう行動する。
この考えは、実は現代でも十分に通用する。
同業他社と同じ組合団体に所属しても、決して仲良しこよしな訳ではない。
例えば経団連に所属し、共に政府に対して要望を出したりはするが、シェアの奪い合いにおいては、相手の足を引っ張る、優秀な社員を引き抜く、技術を合法的に供与させる等をするものだ。
余りにも露骨、悪質だと争いになるから紳士協定というか、どこまでやって良いかの決め事はある。
企業団体はずっとマシな方で、ひと昔前の田舎では喧嘩一歩手前までやる事は多々あった。
共同の用水路を独占するとか、隣の山の木を伐って勝手に売るとか、畑を貸してと言って貸したら「返すとは言っていない」となったとか。
こういう事をされるのは大抵、「あそこの家はたまにしか土地を見て回らない」とか「葬式にもろくな有力者が来てないから、大した力を持っていない」とか「夫婦喧嘩で揉めている、家族もまともに纏められない奴だ」とかと、相手にナメられたからである。
だから田舎でも面子は極めて大事だったのだ。
……今は高齢化で、ナメて悪い事する人も間もなく別な世界に旅立つ段階だが。
このような話を書いたのは、鎌倉武士相手にやはりナメた奴が出た為である。
俺の隣の鎌倉武士の家では、嫡男死亡に伴い相続の変更が行われた。
某家から山村を奪った六郎は、真に恐ろしい男だった。
反社すら叩き潰す武闘派である。
その六郎が、亡き嫡男に代わって本家に戻ってしまう。
代わって山村の担当になった弟の七郎は、現代で言えばまだ中学生だ。
はっきり言って狙いやすい。
十代前半の少年なんて、強く言えば委縮するだろう。
弁護士がついているようだが、依頼主を落とせばどうにでもなる。
幸いにも、前任の六郎が反社壊滅を行った事で、その遺族と裁判で揉めているようだ。
この辺から突いてみようか。
そう思った奴が、遺族側に加担するような行動を取り始める。
昔の表現で言えば流言飛語、密告、偽証にならない程度に武士側不利になるような情報を遺族に吹き込む。
これでどう出て来るか、七郎を試していた。
七郎が弱気に出たり、後手後手に回ったりしたら、しめたものだ。
財産を奪うような事は出来なくても、色々とマウントを取って利用出来る。
例えば地域で何かをする際に、ここにだけ大金を出資させるとか。
負担を押し付ける形で自分たちが得を出来たらそれで良い。
こう考えた奴は甘い、実に甘い。
元服をした七郎だが、その元服に先立って物騒な儀式をして来て、既に教育完了していた。
以前から「ナメた奴は〆る」という気質の稚児であったが、進化して「ナメた奴は殺す」という立派な武士に変身したのだ。
ちなみに彼はあと二回、その変身を残している。
これがどういう事か、分かるだろう。
(「ナメた奴は殺す」→「ナメて来そうな奴はナメられる前に殺す」→「ナメちゃいないけど、目についたから殺す」にまで変身してしまえば、鎌倉時代ですら討伐対象になるけど)
「わしが若年だからナメておるな。
それがどうなるか、思い知らせてやる。
外道坊を呼べ!」
あの人殺しが大好きな白人は、正規のルートで日本入国していないから、あらゆる政府機関の保護対象ではないが、一方で何でもやれる便利な存在である。
そして何かあっても、鎌倉時代に逃がしてしまえば追及出来なくなる。
なにせ、現代日本と鎌倉幕府の間に犯罪者相互引き渡し協定は結ばれていないのだ。
警察が最近では、何かあれば武士が動くより早く犯人を確保するのも、捕まえてしまえば武士側に引き渡す義務は無いからである。
全くの余談だが、江戸時代まで警察権はこんな感じだ。
どこかの藩のお尋ね者が江戸で捕まった場合、江戸での刑期が終わるまで手出し出来ない。
釈放された瞬間を狙って捕縛に行き、そのまま国に連れ帰るとかだ。
江戸時代に起きた有名な鍵屋の辻の決闘も、拗れた理由は「岡山藩で事件を起こした者を旗本が匿い、岡山藩からの引き渡し要求を旗本が拒否した」からである。
なお旗本がこんな事をした理由には、その旗本の親戚にあたる家で起きた犯罪者を岡山藩が受け入れ、引き渡し要求を拒否したからである。
逮捕とかと少々違うが、こんな感じで「当家に居る者をおいそれと渡す訳にはいかない」という意識があり、交渉はしてみるけど、相手に拒否されたら手出し出来なかったのだ。
幕末の諸外国との条約で、治外法権があるから「不平等条約」とされているが、当の江戸幕府からしたら「藩が違う、家が違う、寺社とかと管轄が違えば警察権も違うし、引き渡し義務まではない、預かった側が生殺与奪の権を持つのだから、外国人を外国領事が裁くくらい問題無いだろう」的な意識で不平等と思ってなかった説もある。
話を戻そう。
流石に相手を殺害しようとする短慮を、顧問弁護士が諫める。
ここは日本国憲法の適用内であると。
だが、六郎よりも物分かりが悪い七郎は
「例えわしが捕縛されたとしても、やる事をやらねば家の為にならぬ。
わしがここでナメられては、わしの後にこの地に入る者も難儀しよう。
決して引かぬ!」
と覚悟完了している。
そこで弁護士は、御成敗式目を引き合いに出し、揉め事は勝手に処理してはダメじゃないかと言った。
すると七郎は笑う。
「既にこういう時はどうするか、聞いてきておるわ!」
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【御成敗式目第四十四条】
「一、傍輩罪過未斷以前、競望彼所帶事
右積勞効之輩 企所望者常習也
而有所犯之由 令風聞之時 罪状未定之處 爲望件所領 欲申沈其人之條 所爲之旨敢非正義
就彼申状有其沙汰者 虎口之讒言蜂起不可絶歟 縱使雖爲理運之訴訟 不被敍用兼日之競望」
訳:裁判の結果が出る前に、他の御家人の所領を望む事
労せずに人の領地を望むとか、よくあるよね。
その為に噂ばら撒いたりして、裁判中の相手を不利にするのは正義じゃないから!
例え正当な理由があっても、他人の裁判を不利にさせる事は禁止!!
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「……という条文がある」
「(脳筋の癖に知ってやがったのか……)
いや、まあそれでも『禁止する』であって、勝手に処分して良いとは書いてないでしょ」
「やってはならぬとも書いておらぬのお」
(どうしてこう、御成敗式目は肝心な部分で曖昧なんだろう……)
弁護士が北条泰時に心の中で文句を言っても始まらない。
結局、また犯人不明の強盗殺人事件が起きたというニュースが流れる事になる。
「実の所、刑法第41条『14歳に満たない者の行為は、罰しない』とあって、七郎君はギリギリ適応されるのですけど、絶対に喋っちゃダメですよ!」
顧問弁護士が事の顛末を教えてくれた後、どこかの名探偵のようにお茶に大量の砂糖を入れて、気持ち悪くなるくらい甘くなったものを流し込みながら、俺に釘を刺して来た。
味覚がおかしくなるくらい、精神的に疲れている模様。
なお、隣の鎌倉武士の所の下級公家・吉田民部が六法全書を入手し、読んでいる以上、遅かれ早かれ気づかれると思うぞ。
おまけ:
ついに、御成敗式目五十一箇条のうち、五十条を消化出来ました!
全部使い切るという目標が縛りとなった感はありますが、これで解放された気分です。
ラス1は、もう使い所が決まっているので、それまではまた気楽に書こうと思います。
(普通に考えて、ヤバ過ぎる人にちょっかいを掛ける人も、噂が広まれば出なくなるし、居ても物理的にどこかに消えるし、以前書いた下級武士と違ってこっちの武士は品格と教養があるから無茶な事しないので、DQN征伐が大人しくなって来てるジレンマはあります。
どこかに強烈なネタ転がってないかなあ……)




