給食は鎌倉飯
「小学6年の給食で、鎌倉時代の食事を出したいんですが」
隣の鎌倉武士の取次役になっている俺の所に、八郎が通う小学校から電話が来た。
社会科の授業で習った鎌倉時代。
一回その時代の食事を生徒たちに味わって貰いたいそうだ。
そこで、本物に当時の食事を作って貰いたいから、鎌倉武士に取次をお願いしたい、との事だった。
確かに彼等は現役の鎌倉時代人。
その食事は再現ではなく、実際のものである。
「昔はこんなものを食べていたんだ、と生徒たちに分かって欲しくて」
俺はその表現に少し引っ掛かった。
「あの、すみません。
ニュアンス的に、昔はこんな酷い食事だったって有りませんか?
だとしたら改めて下さい。
彼等はプライドが高い。
自分たちの食事が不味いもののように言われたなら、怒るだけでなく、下手したら刀抜いて切り掛かって来ますよ」
鎌倉武士とて、現代の食材での料理を経験しており、自分たちの料理が劣る事は承知している。
しかしそれでも、特別な事でも無い限りは粗食を変えない。
慣れ親しんだ味であり、美味過ぎる料理は落ち着かないという理由もある。
それ以上に、運動量が物凄いから大量に食べる為、現代食だと体に異常を来す事を本能で感じていた。
玄米を五合食べるのと、白米を五合食べるのでは栄養が違って来る。
甘い酒を浴びるように飲む為、飲水の病こと糖尿病の気があるのだ。
だから甘い白米よりも玄米とする一方、酒だけは現代のものを好み、辛口を少量飲んで満足するようになった。
こんな風に、彼等の体や生活に合わせた食事なので、味云々を語る事は無い。
必要な食事スタイルなのだ。
それを「昔はこんなに不味かったんですよ」みたいに紹介されたら、下手したらブチ切れる。
「分かりました。
仰る通りです。
誰しも、自分たちの文化を馬鹿にされたくないですからね」
と電話の先の教師は反省してくれた。
頭を下げて、教えて貰う態度でお願いすると言う。
それなら、と俺も安心して取り次いだ。
その日、隣の武家屋敷からは女中たちが小学校に出掛けて行った。
米を大量に持って。
玄米は、水に浸してすぐに炊くものではない。
四時間から半日近く浸してから炊くものなのだ。
だから頼まれた後、その日から逆算して準備していたものを運び込む。
そして学校で炊き上げると、それを屯食にする。
これはおにぎりのようなものだ。
鎌倉時代は一日五合の玄米を食べる。
これは大人の食事量で、一日二食だから一食辺りではその半分だ。
子供は更に少ないから、一食の量は一合半程度だろう。
これでも多いかもしれない。
だから食べやすいおにぎりタイプの方が良いだろう。
山高く盛られたご飯は、その見た目だけで気持ち悪くなるかもしれないし。
おかずも、彼等にしては豪華なものを揃えている。
なにせ武士はナメられたらおしまい、誇りが高く、子供たち用の食事であっても「振る舞い膳」ならば気合いを入れてくる。
汁物は蛤と芹を塩だけで作ったもの。
よく働く武士用の味付けだから塩辛くはあるが、それでもただの塩味ではなく、きちんと味が出ていた。
塩辛いものには梅干しもあった。
現代が甘いだけで、梅干しは歴史上長い間保存食であり、塩の結晶が浮くくらい塩分濃度が高かった。
そして梅「漬け」でなく梅「干し」は硬い。
それがご飯の添え物として、醤と共に出される。
玄米のボソボソした感じも、これで舌休めと……なるかな?
ご飯も梅干しも硬いから、顎が疲れる事必定だろう。
煮物に使われる食材は、長芋や里芋であった。
日本中で採れる食材だ。
これは汁物や梅干しと違って塩味抑え目である。
素材の味重視と言えば聞こえが良いだろう。
……醤油と味噌が一般的でない事は黙っていようか。
野菜系はギリギリでOKを出したが、魚介類と肉類は用意したものを使って貰う。
子供たちに食べさせるものだから、安全には気を使うのだ。
モンペが怒鳴り込んで来るのはともかく、食中毒とか寄生虫病にさせたら責任問題だ。
この当時、食肉用の畜産は行われていない。
全て狩りで獲って来たものである。
また魚介類も、冷蔵庫が無い時代のものだから腐敗する可能性がある。
野菜だって、決して生のものは食べさせられない。
時代的に微妙な時期ではあるが、人糞を使った肥料を使うようになると、野菜の表面には寄生虫の卵が着いていたりするからだ。
現代日本だと、料理をする者だって口にはマスク、髪が落ちないよう帽子を被り、手はビニール手袋で徹底的に衛生管理を行う。
鎌倉時代の女性たちは極めて不思議がっていたが、無理にでも合わせて貰った。
鋼鉄の胃腸を持っていた昔と違って、現代人は簡単に生水に中るし、腐りかけの物を食すと簡単に病気になってしまうのだ。
梅干しのように、明らかに味が違うものはともかく、楚割(鮭トバ)のように代替が可能なものは現代の食材を使ってもらった。
こうして提供された鎌倉飯、見た目は品数も多いし豪華に見える。
最初は驚き、どよめいていた子供たちだったが、食べていくに従って口数が減っていく。
美味しくて喋らなくなったのではない。
硬くて噛み続けないと飲み込めない、美味い訳でもない、塩辛いから水を飲みたい、そんな感じである。
子供たちは忖度など一切しない。
「不味い」
「顎疲れた」
「ご飯ばっかり多い……」
と文句言っているのが聞こえて来る。
教師は策を弄し、この給食の前は体育で思いっ切り腹を空かせていたから、不味くても空腹に勝てずにいたようだ。
それでも女の子には残す子が結構出る。
唯一、果物には皆が貪りつくようにして食べていた。
こればかりは現代と変わらない味だから。
子供たちは言う。
「もう二度としないで欲しい」
と。
決して、女中にも武士にも聞かせてはならない。
学校側は、劇団に所属したり演劇部の生徒に
「ありがとうございました。
私たちの時代の味とは違っていても、大変美味しかったです!」
と感謝の挨拶をさせていたから、その辺は分かっていたようだ。
鎌倉時代どころか、もっと古い縄文時代の料理を再現とかする企画がある。
この時、料理は監修という人がどうにかしていた。
そういう調整役は必要としみじみ思ったのだった。
おまけ:まあ現代の子供に、昭和中期までの飯を食わせても文句言うだろうなあ。
見た目は一緒なんだけどね、
・焼き魚は焦げ焦げで、塩がガッツリ効いている
・味噌は昔の製法だから、結構匂いがきつい
・漬物は家庭で作るもので、万人向けの味ではない(つーか、今が旨味成分多過ぎ)
・肉類少な目、クジラのベーコンとか魚肉ソーセージならある
・醤油も減塩とか軟弱なものはない
戦後でもこんな感じ。
(都市部だと大正の頃からもっと現代に近くはあったけど)
戦前、洋食ガッツリ食いたいなら、兵学校入って士官になって海軍入りがベストですな。
……だから士官と下士官・兵士の間に溝があったんだが。
陸軍は隊長でも同じ釜の飯を食うから、いざという時兵士も一緒に立つのは陸軍の方。




