代官にも色々ある
俺の家の隣に転移した鎌倉武士だが、その所領は現代日本だけなんて事は無い。
鎌倉時代の日本にも多数の所領を持っている。
基本的には坂東で活動する武家な為、西国に点在する荘園の管理は間に合っていない。
こういう時に使うのが代官である。
この代官、質が悪い。
「ゆゆしき武者」と評された畠山重忠も、地頭となった地に派遣した代官が伊勢神宮と揉め事を起こし、結果重忠自身が千葉家に預けられた事があったりする。
この時は重忠が恥じ入って、七日の間寝食を断ち、一言も発しなかった為、源頼朝が同情して処罰を解除したりした。
重忠はこの代官の不手際を受けて
「恩に浴する之時者、先ず眼代之器量を求む可し。
其の仁无くん者、其の地を請ける不可」
(恩賞を貰った後は、まず才覚のある代官を求めないと!
そういう人が居ないなら、領地を得るべきでないな)
と述べたと言う。
その後も事情的には大して変わらなかったようで、
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【御成敗式目第十四条】
「一、代官罪過懸主人否事
右代官之輩有殺害以下重科之時 件主人召進其身者 主人不可懸科
但爲扶代官 無咎之由主人陳申之處 實犯露顯者 主人難遁其罪 仍可被沒收所領
至彼代官者可被召禁也 兼又代官或抑留本所之年貢 或違背先例之率法者
雖爲代官之所行 主人可懸其過也
加之代官若依本所之訴訟 若就訴人之解状 自關東被召之 自六波羅被催之時
不遂參決 猶令張行者 同又可被召主人之所帶
但隨事之躰可有輕重歟」
訳:代官(守護代、地頭代)の罪が雇い主に影響するか否か
代官が罪を犯した場合、雇い主がそれを報告すれば、雇い主は無罪。
庇ったり報告を怠れば、雇い主の所領没収、代官は入牢。
年貢を横取りしたり、あるいは先例や法律を破った場合には雇い主も同罪とする。
鎌倉もしくは六波羅探題より呼び出しに応じない場合、雇い主の所領没収。
ただし、犯した罪の重さによって軽重がある。
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という条項が作られるに至る。
なお代官だけが悪いのではなく、和田義盛・足利義兼という重鎮ですら地頭を勤める荘園からの税を収めず、熊野大社から苦情を受けて処罰された事があった。
こんな逸話を紹介したのは、隣の鎌倉武士の所領において、代官が問題を起こしたからである。
問題とは年貢の横取りである。
領家から訴えられたのだが、その訴えは留め置かれているそうで、内々に処理されよという伝言が幕府問注所の者から為されたという。
簡単に言えば、雇い主である隣の武士が、この代官を捕えて六波羅探題に引き渡せばペナルティ無し、出来ないならばその地は没収という事だ。
北条泰時没後、式目の杓子定規的な運用はせず、内々に処理出来るならやって貰うという方針に変わっている。
無論、訴状は「留め置かれ」ている為、時間が掛かれば受理されてしまう。
だからその前に、件の代官を始末しなければならない。
その代官にしても、無抵抗で捕縛されないだろう。
討手が出される。
場所は西国でなく奥州だが、それでも結構遠いと思う。
先日配下に加わった外国人もこの討手に加えられた。
ゲオルグという名前が馴染み無いようで
「外道坊」
と、なんともピッタリな名前に変えられていた。
「亮太殿も加わられよ」
え?
なんで俺が?
「其方の助言は有り難いでな。
此度も宜しくお頼み申す」
言葉遣いは丁重だが、拒否出来ないのはいつもの事だ。
仕方なく、俺も行く事になった。
……リモートだから出社する必要は無いが、有給は取らないとな、トホホ……。
一方で新嫡男の六郎は討手に加わるのを禁じられていた。
「其方は嫡男ぞ。
大将が先手を務める訳には参らぬ。
学べ!」
と当主に叱られていた。
肉体言語も込みで。
七郎は
「初陣とも言えぬが、其の方も行って参れ」
と言われて喜んでいた。
かくして討手が出陣する。
武家屋敷からは騎馬のみで出て、途中で本領を守る次郎率いる部隊が合流する。
騎馬……つまり俺も馬、もとい猛獣に乗らねばならない。
「鞍にしがみ付いておれば何とかなる。
あとは、無闇に怖がるな。
怯えれば、それは馬が知って下に見ようぞ」
そんな助言のような精神論を聞くが、それで上手くいく訳無いだろ。
とりあえず、随分久しぶりにバイク用のプロテクターを着込んでみる。
「ほお、其方は甲冑を持っておったか。
それでこそ当家の末裔」
となんか褒められたけど、違うからね。
「外道坊は騎乗出来るか。
異な乗り方じゃが、良かろう」
現代は左から馬に乗るが、鎌倉時代は右から乗った。
左手は弓手と言い、左の腰には太刀を佩ている。
だからだろう。
道中の困難さは省略し、どうにか代官捕縛に到着した。
当たり前のように抵抗して来る。
矢の撃ち合いの後、輩は林に逃げ込んだ。
そこで元軍事会社に居た外道坊が格闘を挑み、貰った太刀や自らのナイフを使っての組み打ちとなる。
中々凄惨であった。
俺は思った。
鎌倉武士は確かに肉体的に我々平和な生活の一般市民より強いが、体格的に恵まれている訳ではないし、まして外国人より強靭ではない。
それでも訓練している現代人より強いのは、相手を殺せる精神的ストッパーの無さからだろう。
人間、これ以上やったら相手が死ぬかも、で無意識に制御が掛かってしまう。
鎌倉武士、いや戦国時代までは農民に至るまでそれは無い。
現代人でもDQNや反社、外国人等でそういうリミッターが付いていないのは存在する。
しかしそいつらより武士は訓練が出来ているから、やはり強かった。
では、躊躇なく人殺しが出来る精神な上に、常日頃戦闘訓練が出来ている者、要は精鋭軍人とか治安組織の特殊部隊が相手なら?
武士は有利ではなく、むしろ体格的に不利なのだ。
この戦闘はそういう結果に終わる。
まあ歴史を見ても、武士やそれに近いメンタルの者が最強なら、日本人は各種格闘技や戦闘において圧勝する筈である。
同じ条件で揃えたなら、戦前の日本人は体格的に劣る分、不利なのだ。
戦前から「恐るべき兵士」と個人の武勇を恐れられはしたが、だからといって相手にそれ以上がいなかった訳ではない。
「よし、殺した!」
「よくやった!
では首を取れ」
「!!
やって良いのか?
昔居た所では、流石に残酷だから耳とか指にしておけと言われたのだが」
「首を取ってこそ手柄ぞ。
そして相手への礼儀じゃ」
「うひょー!
ここは何て素晴らしい世界なんだ!」
……なんか、収まるべき所に収まるべき奴が収まった気がした。
おまけ:
鎌倉武士とか北方騎馬民族とかグルカとかの強さって、こういう理由だと思ってます。
道徳心とか憐憫を持っているなら勝てない。
兵士の教育で、人を殺しても良いとリミッターを外す事を教えるようですし。
「勇士は、同じ勇士の自分が殺してやるのが礼儀。
自分もそうありたい、戦場で死ぬのが最高。
撃って良いし、撃たれる覚悟も出来てるさ」
とナチュラルに思う連中は、そりゃ強いでしょう。
(江戸時代にこんな連中の牙を抜いた徳川幕府って、想像以上に凄いんです)
で、リミッターが無い殺人嗜好者は、素人相手ならあっさり殺しを出来ますが、訓練受けた相手には勝てない。
では、殺人嗜好者が軍隊に入ったなら?
しかもそいつは肉体的にも恵まれている。
まあ残忍で強い奴が生まれ、鎌倉武士だからって勝てる訳無いと思いますね。
……そして戦争が無い時期は持て余してしまう。
最初、ランボーのような米特殊部隊崩れで「怒りの鎌倉」とかにしたかったのですが、アフガン帰還兵が日本をフラフラしてないでしょうし、ランボーを追い込んだ保安官も居ないし(日本の警察って、◯◯県警ですら世界基準では紳士)、今ホットなのは別の戦争なので、外道坊という一過性ネタキャラを作った訳でした。




