鎌倉武士の所に家庭訪問
隣の鎌倉武士の子である八郎は、現代社会に溶け込んで小学校にも通っている。
喧嘩は半端じゃなく強いので、もう上級生でも挑戦して来る者はいなくなった。
その結果、極めて優等生な児童に見えるようになる。
ある分野では教師よりも遥かに物を知っている為、教師が採点不可能という部分、良い意味での「問題児」となっていた。
ただ、八郎はこの時代の人間ではない。
正規の生徒ではない。
体験入学のまま居座っている形になるのだが、現在の態度を見るにつけ、小学校としては追い出す必要も見出せなかった。
なので小学校としては
「正式に入学しませんか?」
という話をしたいようだった。
「だから俺の所に相談に来たんですね」
市の教育委員会の人と、担任が相談に来ている。
隣の鎌倉武士の屋敷に入るには、俺の取次が必要となる。
俺も無条件で取り次ぐ訳ではなく、怪しいと思ったら拒否したり、執事の藤十郎を通じて対策を行うから、信頼されているようだ。
だから「未来衆首座」なんて変な地位に勝手に据えられているのだが、それを言ってもどうにもならない。
今回訪ねて来た理由、公的な立場を鑑みて、取り次いで特に問題は無いだろう。
ただ、鎌倉武士の習性をいい加減覚えている俺としては、一つ警告しないといけない事があると思った。
「武士は誇り高い、面目で生きている事は分かりますよね」
俺は確認を取る。
教育委員、担任ともに頷く。
「だったら、教育長と校長が来る必要がありますよ。
すみませんね、こういう言い方になって。
彼等からしたら、下っ端と話なんか出来ない、となります。
なにせ鎌倉幕府の中でも評定衆になったりする結構偉い人なんで、長とか首座とか、そんな人でないと八郎の父親である当主は会ってくれませんね。
家臣筆頭の執事、あるいは同格の顧問的存在の京下りの公家が相手してくれたら良い方。
もしもっと低い立場の人間だと思われたら、雑色のトップと話せとかになりますよ」
鎌倉時代、後の江戸時代のようなガチガチ朱子学信奉とそれに基づく階級意識は存在しない。
そうでなくても、格の意識は強い。
現代にも通じそうな名執権・北条泰時だが人事は下手な面もあり、嫡流に近い家の者と、庶流の者を同格の役職にしようとしてキレられた事もある。
結局嫡流筋の者は数ヶ月義理で勤めた後に辞職した。
一応頭を下げてはいるが、執権北条氏に対しても下に見ている武家だってある。
なにせ執権とは、院庁や鎌倉殿の執事の事であり、決して自分たちの主人ではない。
「鎌倉殿を戴いているから、鎌倉殿の執事にも従っているが、敬ってはいないからな」
という感じである。
そして北条泰時は自身の官位を上げる事もしなかった為、正四位下、諸大夫と呼ばれる地位に留まった。
その結果、官位による権威押しも出来ない為、北条氏は必死に政治を行って実績でを黙らせる他、隙あらば有力御家人や身内も潰して所領を増やし強者であると示す事で、坂東武士たちの上位者となる事を納得させていた。
話が逸れたが、坂東武士に話を聞いて貰うには、「強者である」「官位が上である」「実績がある」必要があるのだが、この中でどうにかなりそうなのは「官位」くらいだろう。
現在、朝廷による官位は故人に追贈されるものであり、生きた人間で何位というのは居ないだろう。
だが、何位相当というものに変換は可能だ。
大学寮の頭は従五位上相当、助は正六位下相当だからこの辺を言っておけば後は下級公家の吉田民部辺りが勝手に解釈してくれるだろう。
そして、校長とか教育長とかが顔を出せば、当主も会ってくれる。
用件は直接言わず、担任から執事に話せば、上座に居る当主にも内容が伝わる訳だ。
「何となく分かってはいましたが、面倒臭いものですね」
教育委員がそう呟く。
そうだと思う。
鎌倉時代って現代日本からすれば異世界も同様だ。
室町時代になると、料理の調味料だったり、葬式の際の香典だったり、部屋の作りが和室の原型である書院作りだったりと、現代とも通じるものが出て来る。
江戸時代にもなれば、価値観も相当に似通って来る。
一方、平安時代になれば価値観が全く違い過ぎて異世界度が増し、殿上人である公家、特に藤原摂関家相手に庶民は一切話が出来ないし、武家は鎌倉武士より更に盗賊に近い感じだし、京を離れれば治安最悪だしで、行ってもコミュニケーションが取れるとは思えない。
鎌倉時代が、意思が通じ合う異世界という感じだ。
そんな異世界で、人と人とが簡単に会って話が出来る訳もない。
現代の言葉で言えば、プロトコルがきっちりしていて、それを無視して簡単に偉い人に目通りなんか出来ない。
いきなり訪ねて来た者に薙刀を突き付けるのはその辺もある。
治安の問題もあるし、「人の家を訪ねるのに事前連絡無し等無礼千万」なのだ。
それが許されるのは正月の角付け芸人とか、僧侶くらいのものだ。
「隣は日本だと思わない事ですな。
どこか外国の、部族社会の長に会いに行くのだと思いましょう。
だから、手ぶらなんてダメですからね」
かつて中東で工事を行った日本人に、工事区域を治める部族、しかも仲が悪く抗争状態にある所に、羊を一頭連れて乗り込んで行き、まずはそれを献上して共に飲み食いをし、関係を深めてから本題を切り出して、両勢力の協力を得た凄い人が居たという。
鎌倉時代の武士団というのはそれに近いので、まずは関係を深める為に献上品が必要だろう。
「馬の一頭でも曳いてくれば……」
「馬なんてそう簡単に連れて来られないでしょう!
貴方、お隣さんだからって、鎌倉時代の常識に染まり過ぎてますよ」
「冗談ですよ。
馬なんてそう簡単には入手出来ない事くらい知ってます」
「そうですよね、ビックリした……」
「手土産は米と酒と鮭でもあれば良いでしょう。
あ、米は袋じゃダメですからね。
米俵で持って来ましょうね」
「……やっぱり貴方、鎌倉時代に染まってますよ」
色々言われたけど、結局意見を聞き入れてくれた。
これで良い。
……取次役としては、鎌倉時代基準で無礼な人を紹介する訳にはいかないものでね。
礼儀知らずな事をして、首でも刎ねられた日には寝覚めが良くないったらありはしないのだから。
おまけ:
本編で書いた通り、鎌倉時代の位置づけをこう見ています。
平安時代は迷信と公家のしきたりと、それ以外はヨハネスブルク状態で異世界過ぎる。
室町時代以降は段々と現代と価値観や物事が接近して来る。
鎌倉時代が丁度良い異世界なんですよね。
現代のものが概念から存在しなかったり、言葉が通じるようで通じていない。
武士は公家に比べりゃ庶民寄りでも、やはり庶民を支配する上流階級には違いない。
法はあるようで、無いようで、その場の解釈次第。
武士とは教養ある野蛮人。
だから交流すれば、良い具合に面白くなるかな、と思って書き始めた訳です。
まあ、何となく話が通じるようで通じない、物事を理解した上で凶行に走るからDQN退治に丁度良いなと思ったのが最初でしたが。
次話では時事ネタ仕込もうかと思っています。




