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自分たちは散々やっていたのに

「あのぉ……お隣さんへの取次はこちらと聞いたのですが……」

 スーツ姿の者が俺を訪ねて来た。

 例によって、本当の用事は隣の鎌倉武士だが、薙刀を突き付けられて追い返されたのだろう、やれやれ。

 そう思って応対したが、どうも話は四分の一くらい違っていた。

 訪ねて来たのは市の道路等を管轄している部門の役人だった。

 本当に用事があるのは隣の鎌倉武士だが、役所内で既に「お隣さんに話を通しておかないと会っては貰えない」と情報共有されていた為、門番に脅される事無く真っ先に来たそうだ。


 鎌倉武士の屋敷が転移して来る前、ここには十軒程の住宅が存在していた。

 それは道に面した家の数であり、奥の方にも家は建っていた。

 そういった奥の家に行く為の私道が何本が走っていた。

 元々隣の鎌倉武士の子孫の中で、羽振りが良かった者が地主となって、この一帯を所有していたのが、その始まりである。

 分家や親戚に土地を貸し、家を建てさせたが、区間内を走る道だけは私道として自分の物としていた。

 気に入らない事があれば

「この先私道につき通行禁止」

 とやれるからかもしれない。

 真相は分からないが、その地主もいつまでも羽振りが良いままではいられず、土地を完全に売却して何処かに去ってしまう。

 その際、私道をどうするかが問題となり、分割しての所有とするも、管理は地域共同でする事となった。

 これは、この私道の下に設置された水道を、地域全体で利用していたからである。

 この私設管の管理だが、いつまでも親族だけが固まって住んでいた時には問題無かった。

 一族の中には他の地域に引っ越す者も出たし、代わって引っ越してくる者は親族ではなかった。

 事情を理解して管理に協力する者もいれば、拒否して益だけを得る者もいた。

 そんな中で、ある日突然鎌倉時代の武家屋敷と入れ替わりが起きてしまう。

 今までそこに在った私道は消え、巨大な屋敷の土塀で覆われてしまう。

 その私道を走っていた水道なのだが、不思議な事に屋敷をワープする形で反対側と繋がっていた。

 これは人間でも、正門以外から屋敷に入ろうとすると、反対側にワープしてしまう現象と同じである。

 こうして私設管管理問題は消滅した筈だが、同時に私道も消滅した為に困る者も現れた。

 今までは私道を通ればすぐに一本隣の通りに行けたのに、武家屋敷転移後はその屋敷を大きく迂回しないといけない。

 文句を言いたいが、相手はすぐに弓とか薙刀を持ち出す蛮族、どうにもならずにいた。

……筈だ。


「その私道が在った辺り一帯を、国に寄付するという届出があったのですが、有り得ますかね?」

 役人が聞いて来る。

 俺の答えは、否だ。

 屋敷の三分の一に当たる敷地を無料で譲渡等、腹が裂けてもあり得ない。

 土地には執着しまくる連中だ。

 寸土とて無料で人に渡す等考えられない。

「そうですよね。

 役所の方でもその認識です。

 大体、国への寄付とか言って市に届出とか、よく分かりませんから」

 役人は明らかにおかしいと考え、一応俺の意見も聞いた上で、隣の鎌倉武士に事情を聞きたいという事だった。

 本当に寄付する気だった場合は、また別な対応になるというが、とりあえずそれは無いとして、当初の予定通りに話すと言う。


 俺から執事の藤十郎に何が有ったかを話し、役人は屋敷内に入れて貰えた。

 先日の葬式の際に泥棒に入られた事もあって、警備は厳重になっている。

 そして書類を見るが、一切覚えが無いものであった。

「これは勝手な寄進行為じゃな」

 藤十郎はそう断じた。




~~~~~~~~~~

【御成敗式目第四十七条】

「一、以不知行所領文書、寄附他人事 (付、以名主職不相觸本所、寄進權門事)

  右自今以後於寄附之輩者 可被追却其身也 至請取之人者 可被付寺社修理

  次以名主職不令知本所 寄附權門事 自然有之

  如然之族者 召名主職可被付地頭

  無地頭之所者 可被付本所」


 訳:支配もしていない他人の土地を勝手に寄進する事

  行った者は追放、受け取った人物は寺社の修理を行う事。

  管理者が名義人に黙って寄進とかしたら、免職して地頭に引き渡す事。

  地頭が居なかったは、本所に引き渡す。

~~~~~~~~~~




 平安時代はよくあった事で、鎌倉時代になって北条泰時は禁止した。

 その事を深く考えず、役人は現行刑法で処理しようとする。

「では、有印私文書偽造で起訴してもよろしいですね?」

 役人の問いに藤十郎は

「良しなに」

 と頭を下げた。

……というやり取りを、取次の労を取った俺に報告されたが、俺は素直には受け取っていない。

「あの屋敷内は日本国の現用法は適用外だって、知ってますよね?」

 その質問に、もちろんという答え。

「逆に言えば、門より外は現用法に則るって事ですから、彼等だって変なことはしないでしょ」

 なんて言っていたが、甘い!

 やられたらやり返す、万倍返しだ! という過剰自力救済な連中だ。

 法というのは守らせるもので、自分は都合が良い時には利用するもの、という思考だぞ。

 国連におけるC国とかR国とかと同じようなものだ。

 都合が悪い時の法なんて、紙切れとしか思っていない。

 勝手に自分たちの土地を寄進されたようなものなので、歴史で見るなら合戦となる。

 下野国足利荘には、最初藤原秀康流の藤姓足利氏が居たが、それを源義国が奪い、伊勢神宮に寄進してそれを鳥羽法皇に承認され、自らの子息がそこの管理権を得た。

 こうして出来た源姓足利氏及び新田氏と藤姓足利氏は角逐を繰り返し、最後は平家方の藤姓足利氏が敗北して決着した。

 この間、源義国→源義康→足利義兼と三代に渡っている。

 土地を巡る争いは勝つまで終わらない。

 だから、鎌倉武士なら相手を倒しに行く、確実に!


 鎌倉武士側は、犯人の目星が着いていた。

 何も予兆無しでこんな事をする筈が無い。

 ここに私道が在った、ここを通せと言って来た者は過去に居たのだ。

 過去に私道と私設管の恩恵を受けながら、その管理や地域での維持費を出さずにいた、武家屋敷転移からはちょっと離れた所に住んでいる偏屈ジジイ。

 文句を言って怒鳴り込んで来たが、老人に気を遣って、薙刀の柄で突き返し、嫌がらせでペンキをぶちまけに来たから、その時は百叩きで済ませてやったが、そんな温情ではダメだったようだ。

 過去の記憶から、独自の調査を行い、住処を探し当てるまでに大して時間は掛からなかった。

「よし、始末せよ。

 違っていたら、その時はその時だ」

 やったという証拠は無い。

 合っていたらそれで良し。

 間違えていたら、違う心当たりから別な人を探せば良い。

 これくらいの根拠で、彼等は動くのだ。

 巧緻よりも拙速を尊ぶ。

 間違っていても、それで他からナメられなくなるなら結果OK。

 それからしばらくして、雑色の平吉が俺を訪ねて来た。

「主よりの言伝でございます。

 骨折りいただき重畳。

 片付いた故、役人には左様お伝えあれ、との事」

……今回こうなったのは、悠長に相手を特定する為の証拠を集めてから警察に通報しようとした役人が悪いな。

 鎌倉武士は当たりを付けたらすぐ動くから、ここに聞きに来る前に犯人保護の為、警察を先に動かすべきだったなあ……。

(俺も引き返せないくらい、汚染されて来たなあ)

おまけ:

御成敗式目の中で、ネタにしづらい第四十七条をやっと消化出来た!

承久の乱の恩賞と、問注所絡みと、無断寄進は現代に絡めづらくて苦労していた部分です。

(相続系は誰か死なせないと上手く書けなかったし)

あと数条、何とか全部使うぞ!


……ところで、違法寄進をした土地管理者を、御家人である地頭は兎も角、別の実効支配者である本所に引き渡したらどうなるんだろ?

東大寺延焼の責任者・平重衡を引き渡すように言われた源頼朝は断われず(断る気があったかは不明だが、気には入っていた)、引き渡した東大寺で処刑されていたから、多分そうなるんだろうなあ。

御成敗式目の範囲外は、それはそれで別なルールが支配していて、それが武家法より物騒な場合もありそうですし、延暦寺とか興福寺とか熊野大社とか(僧侶以外の荘園内法読んで無いから知らんけど)

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