葬式にも馬鹿は出る
隣の鎌倉武士の嫡男だった三郎の葬儀が執り行われた。
そしてその翌日、また葬儀が行われる。
これは、鎌倉時代人のみの参列者による葬儀と、現代日本人も参加する式とで分けたからである。
鎌倉時代と現代日本が接続された事で莫大な利益を得ているこの武家では、現代日本の存在を他の鎌倉武士に知られたくない。
だから現代日本を隠す為にこうしたのだ。
なお、鎌倉時代人だけの一回で良いという思考にはならない。
頼られ、慕われている(彼等認識)のに、それらに対して何もしないのは面目を失う所業なのだ。
この武家屋敷は、風景だけは未来のものが見える。
だから来客時には必要以上に旗を掲げて、塀の外側が見えないようにしていた。
その様子は塀の外側からも確認出来て、屋敷が通常状態でない事がはっきり分かる。
そして現代側の葬式の担当者にさせられた俺は、葬式の案内用立て看板を手配したり、鎌倉武士の子孫に当たるご近所さんたちに式次第を連絡したりしていた。
葬式の準備そのものは、金さえ有れば大して面倒ではない。
葬儀会社が色々と手配してくれるからだ。
斎の料理、引き出物、花、式場等を自分で一々準備しなくて良い。
まあ、結婚や出産と違い、葬式は急にしなければならないから、その時点で出せる金が無いのが、普通の人には厳しいと言える。
隣の鎌倉武士は資金はかなりあるし、当主と執事が京に行き、帰ってくるまでの時間的猶予もあったので、手配の苦労は無かった。
問題は、「実はこの時代の人間ではなく、歴史上の人物で、戸籍も無いし死亡証明書も無い」という特殊事情をどう説明し、葬儀会社に色々足りない中で準備して貰えるか、であった。
ただ、火葬は既に済ませてあるので、火葬場に出す書類は不要という事で、そこは楽である。
書類上面倒なものは、国家公務員の力でどうにかして貰った。
文化庁の知念氏を上手く使う。
「失われた文化財を何点か手に入れられたし、協力する」
という事で、裏技使いまくってくれて助かった。
式場は屋敷内なので、手配の必要は無いが、武士たちが中に入れようとしないのが厄介である。
嫡男死去を聞いた鎌倉武士たちが弔問に来たりするので、なるべく現代日本人を隠しておきたい。
そんなこんなで、短時間で会場設営をする必要があった。
まあ、こういう場合は金に物を言わせる他無い。
かなり面倒臭い仕事でも、貰えるものを貰えれば人は働くものだ。
こうして現代人参加の葬儀の日を迎える。
外観的には派手さが無い鎌倉時代式とは違い、現代式は派手だ。
花が飾られる。
仏教伝来後に供花という風習が伝わった為、現代の供花も派手ではあるが理解してくれた。
まあ、他の鎌倉武士が来る日であれば、派手な花を見られると
「嫡男が死んだというのに、浮かれておるのではないか?」
等と誹りを受けたかもしれない。
公家なら極楽往生の為、極楽のイメージとして五彩の華やかな死に場所を作ったのだろうが。
宇治の平等院鳳凰堂、平泉の中尊寺金色堂なんていうのも、つまり所、浄土信仰に基づく「死に行く時に極楽をイメージしやすい視覚装置」なのだ。
それに比べれば鎌倉仏教は
「極楽がどのような物か?
死んだ事無いから分からないなあ」
てな感じだったりする。
鎌倉武士も見栄は張るけど、無駄な派手さは求めない。
仕出し食で面倒だったのは、一切の動物性の物を使えない事だ。
最近の通夜食なんかは、平気で海老フライとか唐揚げ等が入る。
これは仏教に生きる鎌倉時代人には許されない。
武士は狩りで獲れた肉は食べるが、それでも葬式の時は肉食を控える。
ある意味矛盾した表現になるが、葬式の後の食事に殺生によるものを出したら、武士によって殺生されてしまうだろう。
「斯様な場に肉を出すとは、お主を細切れ肉にしてくれる!」
となってしまう。
だから特別食だ。
特別なのは現代基準で、鎌倉時代基準から当然の食事だ。
こうして葬儀が始まると、俺はホッとする。
気が緩んだ。
そこに執事の藤十郎がやって来て
「涼太殿、此処に居られたか。
未来親族衆首座として、焼香されよ」
なんて言って来た。
未来親族衆って何だよ?
いつ首座なんてものになった?
まあ、何でも良いか。
俺は近くの郎党に頼み、受付を代わって貰う。
世の中には香典ドロというクソが居る。
そいつは葬式があれば潜り込む。
普段は門番が薙刀を持って守るセキュリティがしっかりした武家屋敷だが、今日は別だ。
弔問客を素通りに近い形で通している。
子孫である証明書なんて存在しない。
葬儀には参列せず、香典だけを置いていく人もいる。
そういう中に泥棒が紛れ込んだ。
葬式の情報を仕入れてやって来た余所者だから、鎌倉武士のヤバさを知らないようだ。
それだけに大胆である。
「受付を代わるようにって言われました」
と言って、まんまと頼んだ郎党と交代してしまう。
そして香典を持ち去る。
鎌倉時代に香典は無い。
香典は室町時代以降の習慣だ。
だから武士は、何を持ち逃げされたか、それにどういう価値があるのか分からなかった。
「ちょっとこれをあちらに持って行きますね」
と言われても、普通の武士からすれば紙の束をどこかに持って行く程度の認識しか無く、全く警戒していなかった。
まんまと金を持って正門を出ようとする泥棒。
だが、それは叶わなかった。
「ねえ、おじさん、手に持っているのは何?」
八郎が後ろから声を掛けた。
「葬儀会社の方に持って行くものだよ」
「持って行くなら、お家の中だよ。
僕に持って来てって頼まれたんだけど」
「ああ、そうだったね、うっかりしてた。
じゃあ、おじさんが持って行くよ」
屋敷の方に持って行く芝居をした泥棒だったが、直後八郎が擬態小学生モードから鎌倉武士モードに変わり
「この者を捕らえよ!」
と郎党に命じる。
子供とはいえ主筋に当たり、しかも生意気ではあるが頭脳を認めている(評価はしていないが)者の命令だ、郎党は直ちにその者を捕える。
「何を一体?」
「わしがその紙包を持って来いと言われた事、嘘なのじゃ。
亮太殿が座を外した今が、一番危ういと思っておったが、案の定であった」
「いや、自分は本当にこれを届けなければならなくて……」
「此奴を縛り付けて蔵の中に放り込んでおけ!
此奴の申す事が真実なら、わしが責を負う」
後でこのやり取りを聞かされた俺は、油断した事を後悔した。
当主たちも同様であった。
葬儀会社から来て、色々差配したのは一人だけ。
だから、俺が受付から外れた時が香典の危機だったのだ。
「さて八郎、その者じゃが、お主なら如何とすや?」
父である当主の問いに、まだ十歳にもならない子供はこう答えた。
「兄上も病死した雑色一人が供ではお寂しい事でしょう。
それ故、人身御供としましょうぞ。
当家の郎党や雑色を殉じさせる必要は有りませぬな」
無知な泥棒は、それ故に大胆に犯罪が出来たものの、無知故に此処が地獄の一丁目にも等しい場所だと分からなかったようだ、可哀想に……。
おまけ:作者も葬式ではないですが、三回忌を取り仕切れと言われて難儀しています。
案内状とか手配しないと……。
(葬式とか林業とかの話の半分は実体験から出来ています)
19時からの回はネタ回にします。




