雪山の鎌倉武士
隣の鎌倉武士の末弟・八郎がスキー授業に参加して来たそうだ。
親や兄は興味を持たない為、俺の家に来て感想を話して来る。
ついでに、唯一こうした話に興味を持ってくれる叔父の譲念和尚も、当たり前のように俺の家に入り浸っているから、話すには丁度良いようだ。
「刃の上に立つよりも、幅広の板に乗るは理に適っておる」
と、先日痛い目に遭ったスケートより、スキーの方を気に入っていた。
八郎はスキーもスケートも理論的な部分は理解している。
接地圧を小さくする事で雪に沈まなくする事、摩擦熱や復水といった現象で、僅かな水の膜が滑りやすくする事等、物理学は知っていた。
そういう頭でっかちな部分がある為、スケートは
「あんな安定しないものは非合理的だ」
と拒否し始めている。
気持ちは分からんでもないが、滑れたら楽しいぞ。
一方スキーは、安定しているように見える上に、ストックがあるからなおの事安心出来る。
「あれは武器にもなる」
いや、そう使うのやめろ!
更に目を守るゴーグルもあり、実に良いそうだ。
「あのゴーグルとやらを外すと、雪目になる。
あれは実に良いものじゃ」
と、最初は「目を矢から守る防具」と認識し、過保護だと思っていたゴーグルの有用性を認め、力説していた。
そしてスキーウェア。
着ていて風を遮る他に、スキー場ではあえて目立つようになっている。
「橇はこの時代にあっても、あまり形が変わっておらぬようじゃの」
まあ、一般用の橇は加工技術の関係で曲線成形が出来るかどうかの違いは出るが、基本的な構造は変わらないだろう。
競技用の橇は、あれはまた別物だが、この場合は語っても意味が無い。
「橇は物を運ぶものであろう?」
譲念和尚の疑問から、会話は物騒な方に変わっていく。
「左様さな。
荷駄を運ぶものであり、雪遊びは童のものと思うておった」
いや、あんたも十歳未満の児童だろ!
「されど、このスキーなるものと橇を合わせれば、雪山でも速やかなる行軍が出来ようぞ」
「左様か。
確かに荷駄は運び易かろう。
然れど武士はやはり騎乗の方が良かろう?」
あんた、出家した身だろ?
「雪山では板に乗り、滑り降った方が良き場合もある。
馬では雪に足を取られる事もあろう。
素早く小回りが利くスキーの方が良かろう」
「それは馬を駆る者の腕が劣るのよ。
坂東武者なれば雪山で雪如きに足は取られぬ」
こうして議論が始まったが、議論が議論だけで終わらないのが鎌倉武士。
大体、議論なんてのがガラではない。
「試してみようぞ!」
「受けて立とう」
こんな話になってしまう。
数日後、八郎が早速対戦場所を相談して来た。
「ネットで調べたのじゃが、八甲田とは此処から行きやすきや?」
何をする気だ?
明治の軍人よりも貧弱な装備で、雪中行軍でもする気か?
「違いが分かるには、より過酷な方が良かろう」
いや、あそこはスキーか馬かなんてレベルの場所じゃないから!
低体温症で死ぬから!
「なれば、南極点とやらは如何に?
人が橇を曳いて到達したのじゃろう?」
その人たち、帰路に遭難して全滅したから……。
生きて帰ったのは犬橇を使った人たちだから。
第一、ここからどれだけの距離があると思ってるんだ?
メートル法に馴染んでいないから、数字だけ見ても想像出来ないんだろうけど。
「ふむ、行けぬか。
ではカタカナばかりの山の中、この山に気を惹かれた。
梅里雪山という山じゃが」
最初どこの山か分からなかったが、調べたらメイリーシュエシャンかよ!
未だに登頂者ゼロのヤバい山じゃないか!
どうしてこうも危険な場所ばかり探して来るのだ?
「難しき山や場所でなければ、父上や兄上は認めぬゆえ」
ヤバいものでなければ度胸が無いとか言い出すDQN気質なんだよなぁ。
いや、現代のDQNが鎌倉時代? もしかしたら平安時代の武士から気質が変わっていないと言うべきか。
どこぞの戦国武将が苦労した北アルプス立山連峰辺りにしとけ。
いや、そこですら準備もろくにしてない君らには厳しいぞ。
とりあえず、休業しているスキー場を貸し切りで使わせて貰おうか。
金だけはかなり持っているのだから。
スキー場の経営者も赤字補填出来るし、何とかなるだろう。
こうして雪山での軍事訓練が執り行われる。
一応見届け人として当主と庶長氏の太郎、執事の藤十郎がスキー場のロッジの中に座っている。
「斯様に雪深き中を合戦でもあるまい。
童と出家の浅知恵に付き合わされ、迷惑この上無し」
「まあまあ、父上。
鎮守府将軍源頼義公が安倍貞任と戦った黄海の戦は、雪の中で行われ、国府軍が蝦夷に手痛い敗北を喫したと申します。
雪の中の行軍の調練もあってよろしいかと」
「左様。
大河兼任の乱の折、奥州へ赴いた鎌倉方諸将は雪に難儀をされたとの事ですし」
「であろうが、斯様な雪山での合戦は有り得ぬ。
また、斯様な雪山を越えて荷駄を運ぶ事も無かろう」
当主は面倒臭いから、正常化バイアスが掛かっているように思えた。
万が一に備えるのが訓練なのだが……。
まあ俺としては、結果は予想がつくから、準備しておかないと。
俺は八郎、譲念双方に無線機を持たせた。
そして、意地を張らずに連絡しろと言い聞かせる。
スキーと馬で、普段ならリフトで上がるような山を登ってから反対側に降りて、また戻って来る競争が始まる。
勢い良く出て行った両陣営。
そのままの勢いが続く訳がない。
屈強な鎌倉武士も寒さには勝てないだろう。
藁靴や輪かんじき、見様見真似で作ったスキーなんかを履いてはいるが、基本的にあいつら素足なんだよ。
長時間動ける訳が無い。
霜焼けなんか可愛い方、凍傷になるだろう。
予想通り、帰路の登攀中に足が動かなくなる者が多発した。
俺は予め、当主に足袋の許可を貰っておいた。
事前に釘を刺しておいたせいか、八郎が意地を張らずに急を伝えて来る。
それ来た、と俺はリュックに靴下、軍手、インスタントカイロ、暖かい番茶を詰めた水筒を入れて救援に向かった。
着いてみると、譲念側の郎党、雑色も感覚が無くなった足を揉みながら苦しんでいた。
往復しつつ、雪山をナメくさった全員に必要な装備や、体を温めるものを届け、無事に帰還させる事に成功した。
この結果を受けて鎌倉武士たちは、スキーも馬もどうでも良い、防寒着を充実させる、という教訓を得たようだ。
そして
「我等が子孫の亮太殿は知恵者ゆえ、今後も大いに頼るべし」
という、有り難いような迷惑なような覚えとなったようで……。
おまけ:
八郎「山の其処彼処に木を伐り倒したりして陣地を築き、その陣地の連なる場所にスキーを履いた部隊を上手く用いて敵を誘い込み、包囲して倒すのはどうじゃ?
あらゆる場所に陣地を築き、合戦の場となる所へはスキーを使って迅速に移動する。
この戦い方はどうじゃ?」
それは80年くらい前にマンネルヘイムって人がやった戦法で、有効ではあるのだが……
太郎「何故わざわざ雪山に攻め寄せるのか?
山に籠って出て来ぬ敵など無視すれば良かろう」
鎌倉武士が山に籠る敵を攻めねばならなくなり、大苦戦するのはもうちょっと後の話であった。
(それでも基本、雪山で合戦とかしない。
太田道灌の時も、吹雪で休戦とかしたくらい)
なお、ロシア軍やフィンランド軍同様、奥羽の武士なら対策は出来ていたようで、前九年・後三年でも冬季は奥羽側が強くなってます。
 




