無敵の人
「社会的に失うものがないために犯罪行為をする人」
これをネットスラングで「無敵の人」という。
俺の隣の鎌倉武士はこれとは違う。
どっちかというと
「貴方、覚悟して来てる人ですよね?」
の方だ。
常に自分も殺される可能性を考慮して生きている。
結構前に、俺の隣10件くらいが突如消滅し、代わりに武家屋敷が鎌倉時代から転移というか、謎空間に接続されてしまった。
本来そこには、現代人の家庭があって、そこに人が暮らしていた。
その人たちが何処に行ったのかはいまだに不明だが、そこに暮らしていた人の縁者は居たりする。
嫁いびりから逃げて来たユキさんという女性もそうだった。
そして、とある若夫婦も以前そこに居た人の子供にあたる。
その若夫婦は、ご近所トラブルで所謂「キチ」に目をつけられてしまったそうだ。
最初は勝手に家に上がり込み、色んな物を盗んでいく事から始まる。
それを咎めると、玄関先で暴れ回って警察に捕まったそうだ。
それで一件落着かと思いきや、今度のその親がやって来て
「被害届を取り下げろ」
「むしろお前たちが慰謝料払え」
と喚き散らし、器物破損等を繰り返してこちらも警察の厄介になる。
そうしたら今度は親族という連中がやって来て……という繰り返し。
いい加減ノイローゼになって来たのと、子供に危害を加えられそうになったのもあり、「三十六計逃げるに如かず」とばかりに引っ越しをしたそうだ。
それなのに、何がそうさせるのか、引っ越し先を調べ上げて、わざわざやって来ては嫌がらせを繰り返す。
おまけにそのキチは、精神鑑定の結果「人格障害」が認められ、ちょっとアンタッチャブルになって来た。
両親、親族ともに執念深く、危険であった。
若夫婦は親に相談していたが、ある時期から急に音信不通となってしまう。
鎌倉時代の武家屋敷と入れ替えに、どこかに消えてしまったからだ。
引っ越し費用も嵩み、もうこちらに戻って来ようとしたら、そこには謎の巨大屋敷と武士が居た為に途方に暮れてしまったそうだ。
「世の中、おかしな者も居るのお」
と、こちらも人の家に勝手に上がり込んでお茶を飲んでるクソ坊主が論評する。
元の実家前で絶望して立ち竦み、泣いていた若夫婦をこの譲念和尚が助け、話を聞いたそうだ。
この夫婦は、鎌倉武士の子孫という訳ではない。
ただ、以前ここに実家が在った、それが謎の現象で消滅したという事で、武士たちも同情はしている。
同情してはいるが、自分たちの責任ではないからどうする気も無いようだが。
これでも、一応、曲がりなりにも僧侶である譲念が話を聞いて、どうにかするつもりらしい。
「俺に何か手伝えと?」
「まあ、一つだけな」
譲念の口利きで、元々の実家なだけに武家屋敷内に匿う事になったそうだ。
長居はせずいずれは出て行く事と、家賃を支払う事が条件ではあるが。
そして俺には
「以前、不審な者を見張っておった道具があるじゃろう?
それを使って、彼のおかしき者が現れるか、見ておって欲しいのじゃ」
と頼んで来た。
要は監視カメラをまた設置し、若夫婦を執拗に狙うキチ一族が出たら教えろ、との事。
まあそんな事だろうと思った。
何をするかも大体予想が出来る。
俺は溜息を吐きながらも、これも人助けと思って従う事にした。
とはいえ、顧問弁護士と警察には知らせておく。
血が流れないなら、その方が良いのだから。
その結果、残念な事になる……。
しばらくして、どういう執念からか、キチ一族がこの町にやって来た。
若夫婦に録画を確認して貰ったから、確かである。
警察が動いて巡回したり、見つけて注意したり、更には
「ここは本当に危険です!
生命に関わります!
暴力団の事務所だと思って下さい!」
と注意喚起までしていたが、それがかえって相手を刺激してしまったようだ。
ここまで警察が躍起となっている、だからこそムカつく、そういう思考回路なのだ。
公務執行妨害で捕まろうが、なおも行為を改めない。
接触禁止命令が、以前の住所に居た時に出ているが、そんなのを聞くような連中でもない。
だからこそ「キチ」であり、社会的に何者を恐れていないから「無敵」なのだ。
……社会的立場において「無敵」でも、武力において無敵な訳ではない。
それを彼等は思い知る。
いい加減に警察もウンザリしていた中、ついに奴等は隙をついて大挙押し寄せて来る。
スプレー缶とか、金属バットとかを持っていたという。
そうして嫌がらせと暴力行為に及ぼうとした所、閉ざされていた門がギギ……と開く。
これ幸いと中に入って行ったのが、彼等の最期であった。
全員が突入した後、門は閉じられる。
逃がさない為だ。
分厚い門戸の内側から断末魔のような声が聞こえるけど、気にしちゃいけないね。
もうこうなった以上、俺に出来る事はないから。
繰り返しになるが、門の内側は鎌倉時代。
日本国憲法制定以前の世界だから、法の遡及適用は出来ないって理由で「律令」と「御成敗式目」の運用に任せている。
鎌倉武士にとって、屋敷に打ち入るような者は殺して首を晒すのが常識である。
いや、京都の公家だってそんな感じだ。
とある公家が、父親の家に盗賊に入った挙句、実の妹と近親(以下略)をしていた所を見つかったという事件があった。
見つけた父親は激怒し、息子・娘の首を打つと、素っ裸の死体を六条朱雀に晒したという。
こういう時代の人間に、ただの「キチ」が敵う訳もない。
まして、警察が止めたりする事で、久々の合戦が何度も延期されていた為、武士たちはうずうずしていたという。
だから、やり過ぎてしまっても文句は言えない。
「あんたらには何もしていないだろ!」
「法律違反だ!」
「殺さないで……」
何本もの矢で貫かれ、命尽きる直前にこう言っていたそうだが
「屋敷に侵入したからには、斯くなる事ぞ」
と返され
「せめてもの慈悲じゃ」
と言っては首を刎ねられてトドメを刺された。
日本国憲法適用外、刑法も刑事訴訟法も成立以前、理由さえしっかりしていれば人を殺すのは問題とされない社会の武士、これこそ「無敵の人」だろう。
無敵にならないよう、北条泰時が式目を作って、どうにかこうにか社会的地位を喪失する怖さや、倫理観を植え付けようとしたのだが。
首謀者とも言えるキチが一番最後に殺されたが、その者は本当に気がおかしくなったようで、最後には焦点の合わぬ目で泣きながら笑っていたという。
「これで全て終わった」
そういう事で、若夫婦は屋敷から去る事となる。
惨事は見なかったようで、何があったかは察しているものの、今まで誰にも出来なかった一番の頭痛の種を不可逆的に取り除いてくれた事を感謝しながら、何処からへ去っていった。
「それにしても、今回は武士も親切だったなあ。
必要経費は支払わせても、泊めさせて保護してやって、見返りも特に無いとは……」
俺がそう独り言を言うと、いつの間にか横に居た鎌倉武士の八男坊がこう返して来た。
「まあ、出血大サービスってやつじゃな」
血腥い、上手い事言ってんじゃねえよ!
おまけ:
当主「族滅したのお。
譲念、供養はしてやれ」
譲念「そうですな、兄者。
一族郎党皆殺しにした者の責務ですな。
どおれ、経を唱えて来ましょう」
鎌倉武士にとって、相手を滅亡させたら
・葬式は挙げてやる
・幼い子は殺さず、責任もって育てて出家(女子も尼に)させる
・家の格が高いなら、味方か身内によって継がせて家名だけは存続させる
というのが作法です。
血筋は絶やしても、家名は残すという事で。




