警察官のお仕事
隣の鎌倉武士の末娘は、現代日本でも可愛がられている。
若い夫婦が住んでいない事もあり、小さい子供は爺婆からすれば我が孫のような存在だ。
遊びに行けば飴とかを貰えるし、この子も現代日本を散歩している。
それは子守りの女中付きであるが、慣れて来るに連れてあちこち遠出をしていた。
これは仕方がない。
子供なんていうのは、放っておけば勝手に「何故そんな所に?」と親が頭を抱える場所まで行ってしまうのだ。
三歳児検診で母親が子供を連れて
「息子の脱走癖が酷くて困っています」
と相談したら
「で、そのお子さんは今どこですか?」
と僅かな隙に抜け出してしまった、なんて事もあったりする。
人攫いが横行する鎌倉時代側でなく、安全な現代日本側を歩かせてはいるが、子守りの女性も目を離さず、子供の徘徊に付き従っていた。
なお、鎌倉時代の老人の徘徊はまず問題にならない。
まずそこまで長生きするのは稀だ、徘徊するような老人は物理的に外に出さないようにするし、徘徊の果てに消えてしまったら「もう仏の下に行かれたものと考えよう」となるからだ。
実際、野生の動物や人間に襲われたり、川に入ってしまったりして、見つからないか、見つかっても見るも無残な姿になっているだろうし。
現代日本は誘拐のリスクは低い。
しかし、交通事故というものは鎌倉時代では考えられないくらいに高リスクであろう。
京都は兎も角、基本的に車なんて走っていない。
京都にしても牛車が人を轢く事故なんてまず起こらない。
危険なのは、殺気だった武士にぶつかる方であろう。
現代日本も、昭和や平成初期より運転マナーは良くなった。
しかし、昭和や平成初期に事故を起こしていた世代は、老人になってそろそろ免許返上をと言われていても、まだ運転を続けていたりする。
鎌倉武士の末娘が事故に遭ったのは、この後期高齢者の運転する車であった。
正しくは、末姫を守って子守りが轢かれたのだ。
泣きじゃくる末姫を横目に、車は逃げて行った。
「何が何でも犯人を確保せよ!」
警察署内で緊急出動命令が出る。
「例の武士の関係者ですか?
問題起こしても上からの命令で逮捕出来ないんでしょ?
特権階級ですよね。
その人たちは国家権力で守ろうってんですか」
若い警官が皮肉を口にするが、事情を知る上司は嗜めた。
「言いたい事は分かるが、武士たちを守る為ってのは誤解だぞ。
犯人を保護するんだ」
「…………。
理解しました、急ぎましょう」
民法でいう自力救済の禁止、刑法でいう自救行為、私刑、敵討禁止令(復讐の厳禁)は近代法上重要な事である。
国家が警察権・司法を代行するのだ。
鎌倉武士はその概念を、ちょっとしか理解していない。
裁判に関しては鎌倉幕府に任せるようになったが、それは基本的に面倒臭いからだ。
境界問題等の些細な問題は、自分たちで解決する。
身内が殺されたなら、その仇は自分たちで討つ。
厄介な問題は、
・税金を納め忘れて国とか領家から訴訟を起こされた
・朝廷から国司に任命されたが、前任者と争いになった
・有力者が横車を押して来た
とかであり、こういう時に合戦とならないよう、幕府・問注所が裁定してくれる。
~~~~~~~~~~
【御成敗式目第三十条】
「一、遂問註輩、不相待御成敗、執進權門書状事
右預裁許之者 絓強縁之力 被棄置之者 愁權門之威 爰得理之方人者 頻稱扶持之芳恩
無理之方人者 竊猜憲法之裁斷 黷政道事職而斯由
自今以後慥可停止也 或付奉行人 或於庭中 可令申之」
超訳:有力者に頼るな! 言い分は裁判中に言え!
【御成敗式目第三十一条】
「一、依無道理不蒙御裁許輩、爲奉行人偏頗由訴申事
右依無其理不關裁許之輩 爲奉行人偏頗之由搆申之條 太以濫吹也
自今以後 搆出不實企濫訴者 可被收公所領三分一 無所帶者可被追却
若又奉行人有其誤者 永不可召仕」
訳:裁判で依怙贔屓されたとか無闇矢鱈と騒ぐな。
騒いだ奴は所領の三分の一を没収、所領が無い者は追放する。
もし裁判官が誤審が認められたら、解任して二度と任命しない。
~~~~~~~~~~
こうして裁判から有力者の依怙贔屓を排除し、裁判官自体もきちんと仕事をさせて、政府機関の信頼を高めようとしている揺籃期であった。
北条泰時がこう書いたって事は、それまでは有力者に裏で動いて貰ったり、敗訴したら「誰某のせいだ」と騒ぎ散らかしたり、裁判官自身もテキトーな判決を出したりしたという事だ。
なお、基本的に御成敗式目は、裁判の当事者とか地頭や守護に任命される側の規定を書いているので、何故か現代と門で接続された鎌倉武士のような高位の武士、即ち「有力者」そのものについての罰則は無かったりする。
有力者が横車を押しても「問注所としては無視して裁判するよ」とはなっているが、横車を押す行為そのものは何の規制もされていない。
だからダメ元でやる人はいたりする。
第三十条は「やっても無意味ですよ」程度のものであり、「政道を穢すから停止せよ」と書いてあっても、やったらどう罰せられるのかは書いていない。
三十条では、「三分の一の所領没収」と具体的に書いてあるのに対してだ。
だから有力者であり、若い警官が不満を口にしたようにある意味「特権階級」となった鎌倉武士は、不満なら平気で横車を押して来るし、度々この町はそれに屈していたりもする。
話がズレて来たが、要は「政府機関による代行」をある程度は理解しているが、不都合なら無視する相手だから、さっさと逮捕して交通刑務所に入れておかないと、独自に動いてしまうのだ。
そっちの方が厄介な問題を引き起こす。
警察は、可及的速やかに行動を起こし、防犯カメラとか聞き込み証言、事故の際の各種情報を元にデータベースを照合し、悪質な轢き逃げ犯を即日逮捕したのであった。
そして俺が見た時は、パトカーで武家屋敷を訪れた警察官が
「既に逮捕しました。
罰則はこうなります。
なので、こちらに任せていただきます!」
と、出動し掛けていた武士たちを制止していた。
事故の後は慰謝料として何らかの金品が支払われるから、その辺りは弁護士と相談して欲しいとも伝えていた。
それ大事ね。
メンツと財産を奪いたい、それが鎌倉武士の行動原理だから。
武士たちは納得したようで、門から出ずにこの件は終わった。
警察官の一人が顔馴染みとなっていた為、俺の顔を見るとある程度の情報を教えてくれる。
「法治国家であると納得させるには、ちゃんと執行能力があると見せないとダメですよね」
とか言っていたが、それが圧力団体にも似た鎌倉武士の圧による改善ではない事を期待したいと思う。
あいつらに動かれないよう先手を打つ、だけだったら「弁護士とか政治家に言われたら動く」とかと大して変わってないからね。
おまけ:
~~~~~~~~~~
【御成敗式目第四十六条】
「一、所領得替時、前司新司沙汰事
右於所當年貢者 可爲新司之成敗 至私物雜具并所從馬牛等者 新司不及抑留
況令與恥辱於前司者 可被處別過怠也
但依重科被沒收者 非沙汰之限」
訳:新任の国司が、前任者の財産(牛馬や家具等の私財)を奪ったりするなよ。
ただし前任者が罪によって解任された場合は除く。
~~~~~~~~~~
これが本編で書いた「国司の前任者との争い」。
やってはいけないとは有っても、やったらどうなるかは書いていないのが何とも。
あと、罪を得て解任されたら、もう全部新国司に持って行かれるって事で。




