極妻と親離れした子供と
「なんか指定暴力団認定、上の方からストップが掛かり、鎌倉武士の行動は見て見ぬふりに決まったようです」
顧問弁護士が俺にだけ教えてくれた。
何故? Why? どうしてこうなった?
まさか多数の文化財とか歴史研究の為に、文化庁のあの人が手を回した?
そんな訳も無いよな。
弁護士も首を傾げている。
ただ、法的に歴史上の人物を裁かないが、道徳的には縛りを掛けて欲しいと、警察のトップの方から連絡があったそうだ。
出来るのか? そんな事。
「出来る出来ないではなく、やるんです。
だから、君にも協力をお願いします。
法で縛られない事は、決して教えてはいけませんよ」
そりゃそうだ。
一応こちらの時代にも法がある事を気にしてくれている。
完全適応外と知れば、何をしでかすか読めたものじゃない。
(北条泰時が御成敗式目を纏めたのは凄い事だと思う。
行動に一定の枠を嵌められたのだから)
それまでは有力者と繋がる事で、その権力による横車押しを求め、好き放題やれたのだから。
武士が、こちらの時代で言う反社勢力から一歩踏み出せたきっかけとも言える。
京都の権益に寄生して中間搾取する存在から、統治者になっていく最初の一歩だっただろう。
だがまだDQNさが消えていない鎌倉武士は、現代日本の反社への追い込みを続けていた。
彼等の規範である御成敗式目でやってはいけない事を相手がしていた、こちらには非が無い、そう思っているから中々容赦が無い。
やればやる程、守護として権威が高まると確信しているし。
仲間であるヤの付く自営業が適当な所で仲介に入り、鎌倉武士の影響下にある農村・山林からは撤退する事で、反社な連中はどうにか全滅は免れた。
ただ、鎌倉武士はある点で財産没収を要求して聞かない。
それは……
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【御成敗式目第十一条】
「一、依夫罪過、妻女所領沒收否事
右於謀叛殺害并山賊海賊夜討強盗等重科者 可懸夫咎也
但依當座之口論 若及刃傷殺害者 不可懸之」
訳:夫の罪過によつて、妻女の所領が没収されるかどうか
重罪の場合は夫の罪であっても妻の領地も没収。
ただし口論の結果夫が刃傷に及んだ場合は除く。
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という条項があるからだ。
連座を無条件で認めてはいないが、謀反とか強盗とかの重犯罪は大体夫婦共犯関係にあるものとしている。
口論でカッとなって太刀を抜いたとかは、流石に妻は無関係とされる。
つまり鎌倉武士たちは今回の国有林不法占拠を重犯罪認定し、討ち取った反社の親玉の妻はその共犯と見ているのだ。
重罪の共犯者の財産は根こそぎ奪ってやる。
御成敗式目でOKなのだから、やらない訳が無い。
そう考えて追い討ちをかける。
だが奇襲を受けた夫と違い、妻の方は準備出来ていたのか、反撃をして来た。
「あんたら、覚悟しいや!」
ドスの効いた叫びの後に銃撃をして来たが、鎌倉武士だってもうピストルには慣れてしまっている。
DQN団地最終攻防戦とか、山村での猟師との喧嘩とかで撃たれるのを経験した為、いつまでも同じ武器にやられはしない。
実際武士は、蒙古襲来でも「てつはう」に驚いたのは初めだけ、すぐに慣れてしまい、威力が十分に発揮されない湿地帯で戦う等の対応に出た。
「矢と同じで、狙いから身を避ければ良い。
当たらなければ、どうという事もない」
なんて言ってたようだけど、その台詞を吐いて実際に当たらなかったのは赤いあの人だけだから……。
一般人に出来る訳がない……と思うが、見聞色よろしく殺気を読む連中だし可能なのかな?
そして女が戦うのも、巴御前とか板額御前とかで既知である。
板額御前なんかは甥の城資盛よりも将として活躍し
「女性の身たりと雖も、百発百中の芸殆ど父兄に越ゆるなり。
人挙て奇特を謂う。
この合戦の日殊に兵略を施す。
童形の如く上髪せしめ腹巻を着し矢倉の上に居て、襲い到るの輩を射る。
中たるの者死なずと云うこと莫し」
と鎌倉幕府の討手に多大な被害を出したと「吾妻鏡」に記される程であった。
だから反社の妻相手にも油断をせず、ついにこれを捕える。
「切んなはれ。
遠慮せんと切んなはれ!」
なんて啖呵を切ったが、鎌倉武士には逆効果だ。
「では遠慮なく」
となってしまう。
かくして妻の財産まで奪い取った武士たち。
「ヤ」の付く自営業の人が
「カタギのお子さんがいるようだけど、まさかそれも殺すんですか?」
と恐る恐る聞く。
その子はこの稼業には関わり無いという。
職業は兎も角として、武士たちはその人の所在を尋ねる。
そんな細かい事までは分からない。
恐らく東京とか横浜で、こことは離れた場所の勤務じゃあるまいか。
そう答えると、武士たちは
「では音信の及ぶものでは無き哉」
と頷き合った。
こう言う場合、
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【御成敗式目第十七条】
「一、同時合戰罪過父子各別事
右父者雖交京方 其子候關東 子者雖交京方 其父候關東之輩 賞罰已異 罪科何混
又西國住人等 雖爲父雖爲子 一人參京方者 住國之父子不可遁其咎 雖不同道 依令同心也
但行程境遙音信難通 共不知子細者 互難被處罪科歟」
訳:父子が違う立場で合戦に参加した時
幕府(関東)側が父であれ子であれ恩賞を与えるし、敵の方は罰する。
西国の武士の場合は、片方が朝廷側ならもう片方も同意したものとして両方罰する。
ただし遠く離れていて音信不通なら、朝廷側についた方だけを罰する。
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が適用される。
何が起こったか知らない相手は流石に攻撃しないようだ。
「菩提を弔う者が居らぬでは哀れ。
武士の情けである。
族滅はさせずに許そうぞ」
とか言っていたようだ。
(族滅とか、サラッと怖い事言うよな)
と思うと共に
(彼等の武士の情けって何なんだろう?)
と思ったらしい。
それを俺に質問しないで欲しいなぁ、特殊自営業さん。
俺はカタギの人間なんだからさ!
暴対法とかで一般人巻き込んじゃダメとかあるでしょ!
まあ、当事者じゃないけど、何となく鎌倉武士の論理は分かるような気はする。
「墓石の高さより背が低い子供とか、出家した者とかは、敵意を表さない限りは殺さないみたいですよ。
あと、彼等の式目には忠実なようで。
子孫を絶やすのは彼等的には嫌みたいですよ」
「だけど、族滅とか怖い事言ってますけど」
族滅とか言ったって、大概の武士は何らかの子孫残しているからねえ。
滅亡したとされる梶原、比企、畠山、和田なんかも血筋は残っているし。
それを伝えると、特殊自営業さんもホッとしたみたい。
「もう一つ質問。
敵意を表さない限りって言ってたけど、敵意を表した場合はどうなるんですかね?」
阿野全成の息子(粛清)とか、畠山重忠の息子(勝手に討伐)とかみたいになるだけですよ。
聞かなくても分かるでしょ!
普通に仁義無き連中なんだから。
おまけ:
十七条は承久の乱の仕置きの規定です。
これと十六条と二ヶ条に渡って書かれているので、乱から11年経ってもまだ揉めていたのかもしれませんな。
(隙有れば讒言して、謀反人のレッテルを貼って相手を殺し、所領を奪おうとするから、適用範囲とか無実だった場合の事とかを規定しておく必要があったのかも)




