宿題をしたよ
「吉書の儀とか、こちらの時代の小学校は宮中と同じ事をする事に驚いた」
こんな事を言っているのは鎌倉武士の八男坊である。
いわゆる書き初めだが、鎌倉時代は武家の間では行われていない。
江戸時代になれば寺子屋において、庶民の子供がするようになるから、現代の小学校ならではのものではないが、少なくとも八郎にとっては宮中の儀式という認識であった。
ちょっと恐れ多いかもと感想を漏らした後に筆を取った八郎が書いた書を見て俺は
「読めん……」
と思わず言ってしまった。
達筆に過ぎる。
子供の字じゃねえよ。
むしろ親である当主の肉筆の方が、現代人から見れば達筆の類だが、平仮名も多く読みやすい。
隣の鎌倉武士は、御家人の中でも上位の存在で、評定衆として名を連ねたり、小侍所とも繋がりがあるくらいなので一通り字は書ける。
わざわざ京下りの公家を雇っているのだし、読み書きはそれなりに出来る。
しかし、字が上手いかと言えばそうでもない。
俺には時々当主本人の筆跡の書状が来る。
身内相手の指示なので、下級公家の吉田民部に清書して貰うまでも無いのだろう。
その書状を俺はまだ全部読める訳ではないが、そんな現代人から見ても、書き間違いとか、字の大きさがバラバラとか、そんなのが見て取れる。
その子供で庶長子として仕事をしている太郎、嫡男の三郎、出家して学問を学んだ五郎改め慈悟、現在農村在住で脳筋な六郎、しょっちゅう八郎と喧嘩している脳筋の七郎でも字は書けるし、親の筆跡と似た感じなのだが、このチート小学生は違っていた。
鎌倉時代は法性寺流という書体が流行ったそうだ。
保元の乱の当事者の一人・法性寺関白藤原忠道の字体である。
優美さに雄渾さが加わった書体なようだ。
八郎は近くに居る吉田民部の他、鎌倉の寺院に頼んで学ばせて貰ったりしているので、この法性寺流に加えて上代様、禅様でも文字を書けたりする。
書道はお手本を見て学ぶ為、上代様は橘逸勢のコピーのコピーだったり、禅様は宋の文人・蘇轍の劣化コピーを見て真似ているのだが、それにしても凄い。
だが鎌倉武士の価値観では
「字なんか己れの名前が書けたら十分」
であり、源頼朝をはじめとする鎌倉の高官たちは京下りの公家を右筆として使っていたから、字の上手い下手は余り問題とされなかった。
誰かに清書させれば良いのだから。
更に言えば、これは相当に知的レベルが高い武士であり、字を読めない武士も珍しくはない。
承久の乱の際、後鳥羽上皇が送って来た「朝敵になりたくなければ味方せよ」という書状を、読めなかったから寝返りもしなかったくらいである。
……明らかに院側が、坂東武者の知的水準を見誤っていたようだ。
こんな感じだから、鎌倉武士からすれば八郎のチート能力は「何の価値も無い」のだ。
親の命令ではあるものの、八郎が出家して僧になると言っているのは、この辺の能力が武士でいると理解されないどころか、頭から否定されるのもあるだろう。
公家なら褒め称えられるのだが、武家に生まれた以上公家にはなれない。
だから僧になって学問の道に進むしかない。
書き初めを見学していたが、俺は無造作に置かれていたある物が気になった。
「この仏像、屋敷から持って来たのか?」
どうにも運慶の仁王像のミニチュアにしか見えないものがある。
八郎は不機嫌な表情で
「そんな訳があるか。
鶴岡八幡宮の左右の門の随身像を真似て掘ったものじゃが、出来損ないじゃ」
と返す。
仏像っぽいのを見たら何でもかんでも運慶とか思っちゃうのは、現代人の俺が無知だからだが、それでもこの彫刻は上手いとしか思えない。
どこが失敗作なのだろう?
聞けば、冬休みの工作の宿題で作ったそうだが、絶対教師が意図したレベルじゃねえ……。
書き初めの書といい、この彫刻といい、小学生の作には思えないだろ。
そして絵日記。
筆で崩し字で書いてある。
冬休みの日記が求められてるのに、これって土佐日記? 更級日記?
だが八郎にも出来ないものがある。
絵心が無い。
まったくもって子供の落書きだ。
まあ八郎は本当に子供ではあるが。
(殺人的音痴といい、和歌の下手さといい、芸術面のセンスがアンバランスだな。
仏像とか彫刻の才能は有るように見えるが……)
と、僧侶なのにデスメタル好きな兄貴も込みでそう感じる。
琵琶や楽器を作ったり、荘厳な読経が出来るのに、火を噴きたがったり、楽器破壊とかよく分からん事をする。
普通にしていれば素晴らしいのに。
どうにもそちら方面はよく分からない一族のようだ。
……子孫の俺もその気配があるが。
持っていれば凄まじい価値を生じる仏像をポンポン売りに出したり、プレゼントしたりする。
掠奪物で良い物を持って来ているから、目利きは出来るみたいだけど、価値は分からないのか重きを置いていないのか。
そして始業式後に、何故か俺が小学校に呼び出しを食らった。
隣の鎌倉武士を呼びつけたら、無礼者と叫んで何をされるか分からない。
叔父の譲念和尚は国許に帰っているし、同居しているのは雑色であり、保護者ではないし、何か言われてもどうにもならない。
だからと言って、保護者を俺にするのもどうかと思うぞ。
「えーと……これって大人が手伝いましたよね?」
教師の疑問に俺は
「いいえ、あいつの仕業です」
と答える。
「明らかに芸術家の作品ですよね?」
「いいえ、まごう事なき奴の仕業です。
我々には分からないけど、出来損ないらしいです」
「絵日記の達筆さと絵が釣り合っていませんが」
「それってほぼほぼ、奴の仕業と認めてますよね。
あいつ字は上手いけど、絵心無いですから」
「書き初めの習字も読めないんですが、何書いたのでしょう?」
「読書感想文で読んだ本が新古今和歌集なんですが」
「そりゃあいつの時代の最新の勅撰和歌集ですから。
話には聞いていたけど、見た事が無かった。
こちらの時代だと、宮中の書庫にある本も普通に読めるのか、って感動してましたよ。
あいつが読みたかった本そのもので、逆に現代の課題図書の感想文を書いていた方が不自然じゃないですか?」
教師は納得した。
そして溜息を吐く。
「何にせよ、読めないから評価しようが無くて困ってます」
とりあえず、花丸つけとけば良いと思うよ。
おまけ:
印刷というものが存在しない時代だから、新古今和歌集とか多分坂東武士の家には無かったと思います。
寺とか以外だと、金沢文庫とか足利学校とかに様々な書物が有ったのでしょうが……。
もっと下級の鎌倉武士を扱っていたら、手紙も書けないし、現代とのギャップネタも書けないし、ネタが作れなかったかも。
(前作で描いた人身御供になった鎌倉武士が、ほぼ文盲で話は聞かない、式目とか読めないから知らない、知らないから守るって意識が無い、考えるより先に矢を射る、というキャラだったから同じには出来なかった)




