野球人生【少年野球時代編】
僕は小学1年の秋から野球を始めた。恵まれた体格と1年生にしては抜群のセンス。
小学3年生になると低学年チーム(以下Cチーム)の主将になり、監督含め、チームの会長までもが「将来チームの核爆弾になるだろう」と期待していたのだ。指導の時代も入れ替わった現代社会。しかし、この時代までは昭和の指導法だっただろう。「THE昭和」って感じの鬼コーチもいた。それは誰しもスポーツをやって来た人からすると共感できる物だろう。
この節目に僕は高学年チーム(以下Aチーム)にも招集がかかり、Aチームにも参加する事が増えたのである。先輩と全然能力の差がある中、段々と自信を無くしつつある。そこでAチームの監督に集合がかけられる。するといきなり「お前は何のために来たのか?馬鹿なのか?」といきなり言われた。泣きそうだった。
Cチームに戻っても期待されているからか、一部指導者も日が経つに連れ、指導もどんどん狂暴化する。エラーすれば貶され、自信をどんどん無くす。「僕は何のためにやっているんだろう?」段々とそう思い始め、練習しても意味がないと思い素振りすらしなくなった。
鼻血を出しながらも必死にボールに追いつこうとした。「あの頃は痛かったなぁー」今でもそう思う。なんなら対抗する感じにワザとエラーもしてみたりした。「もうどうなってもいいや。」自然と野球をする日になると吐き気もする。
親もいい加減、事態に気づき、話を聞いてもらった。親からも僕の精神状態を受け止めてくれて、軽く3ヶ月間、野球から離れた。昔から関りもある鬼コーチに相談をしてくれた。そのコーチはキャッチボールは小3相手に対して100キロぐらいあるんじゃないかな?そんなボールを連続で投げる強者。暴力はバットで軽く突っつくほどで個人的には特別嫌いなわけじゃなかった。でも「正直怖かったよね。どうなるか分からないもん。」しかし予想は遥かに外れた。心配してくれたのだ。その鬼コーチは「あのアイツがそんな事思っているのか?分かった。じゃあしばらく休憩させてあげてください。私の方から今度迎えに行きます(^▽^)」と言われたらしい。正直焦った。迎えに来る当日めちゃくちゃ緊張した。インターホンが鳴った瞬間、背中が凍った。ドアを開けるとそこには笑顔で迎える鬼コーチ。一緒に自転車でグランドまで行ったのだ。青い某国民的アニメの話をしたのは今でも覚えている。キャッチボールも優しく。ノックも優しく。罵声もない。僕はその時点で鬼コーチの本来の姿を知り、信頼した。
僕が戻ってきたことに対して、友達は大いに喜んだ。僕の瞳はキラキラに輝き、涙目だったらしい。そりゃそうだよね。もちろん、僕の事を貶したCチームのコーチも後日親とも話し、指導方法に問題があったと謝罪をしてもらった。その後、楽しく練習をしたのである。キャプテンは変わったけどCチームの主砲として、3番と4番を死守した。
しかし、Aチームはそんな上手く行く話ではなかった。指導方針はこっちの方が正しいと思っていると思っているのだ。そんな老害に僕はついて行けず、Aチームになるのと同時にチームから退く形にした。
そんなことをAチームの指導者には秘密にするようにCチームの指導者全員に伝えた。Cチームの監督、鬼コーチが行ってくれた一言は「お前はこのチームを退団するのではなく引退だ。引退っていうのは野球を引退するという意味じゃなくて、Cチームを引退するっていう意味の引退だ。」と言った。それは僕が逃げたのではなく、このチームを引退したという事にしてくれたのだった。
「引退」という二文字。監督と鬼コーチが隠したメッセージそれは、「体が限界を迎えてまで頑張ってきた」ことを称え、証明してくれたのであった。これは今、僕の人生の中でも大事に閉まっている言葉。本音は引退したくない。でも引退せざる得ない。割り切るしかなかった。
そんな中迎えた、引退試合。
4番ファースト。
1打席目四球(盗塁)、2打席目サードゴロ、3打席レフト前に転がる最後のヒットだった。泣きそうだった。
試合が終わった後、「お前、やめちゃうの?」皆がそう言った。僕は「僕は辞める。皆と出来て楽しかった。ありがとう。」そう残した。試合が終わり解散する時。Cチームの監督、鬼コーチにあいさつをした。自然と涙が空からシトシト降ってくる雨のようだった。2人とも涙目だっただろう。それほど信頼され、期待されていたんだなと今になって思う。
これで野球から少し離れることが出来た。じゃあ学校生活を楽しもう。そう思ったのだが、
今度は担任との壁が出来てしまったのだ。