俺の中にはナニカがいる。
自分は死んだはずだった。いわゆる不慮の事故ってヤツだ。誰が悪いという訳ではない。敢えて言うなら、俺のケアレスミス…だったのかもしれない。あんまりにもあっけない死に、ああ、こんなものなのかと自分のことながら、どこか傍観者のようにそんな感想を抱いてしまった。
自分は死んだはずだった。けれど、俺の目の前には、何とも表現しづらい生き物がいる。そもそも生き物と表現していいのだろうか。少なくともヒトの形をしていない。俺の周りは真っ暗だから、ソイツの姿をはっきりと捉えることが出来なかった。もしかして、はっきりと見えたら発狂するとか、そういう類のヤツなんだろうか。分からない。分からないけれど、何故か死んだはずの俺の前に、ソイツはいた。こんなのが死神なんだろうか。それとも、悪魔なのか。
『シンダ、ノ?』
単刀直入だった。ソイツから発せられるのは不協和音だったが、俺の脳内ではちゃんと日本語に翻訳されていた。ここまでストレートに言われてしまうと、何だか本当に死んだのか俺でも分からなくなってくる。でも確かに、俺は死んだ。今までの思い出が走馬灯のように駆け巡ったし、眠るような感覚もした。だから、死んだんだと思う。
「たぶん、死んだ」
正直にそう答える。すると目の前の変な生き物が、また言葉にならない声を上げた。今度は翻訳されなかった。どうやらアイツの気分次第で、言葉が翻訳されるみたいだ。そうなると何を言ったのか、俺にはまったく見当がつかない。死んだと答えた俺の発言を聞いて、ソイツはしばらくの間黙っていたけれど、じっと俺を見つめてきた。ソイツは生肉の塊みたいな姿をしていた。においはしなかったから、そこまで嫌悪感は抱かなかった。死んでしまったから、感覚が麻痺してるのかもしれないけれど。
『ワレ、オマエ、タスケル』
「何で?」
唐突な提案に、俺は咄嗟にそう聞き返してしまった。助けてくれるのは有難いが、絶対に何か裏がある。そうとしか思えない。もしかしてこれって悪魔との契約だったりしないか?少なくともマトモな存在じゃない。承諾しても拒否しても呪われてしまいそうだ。ああもう、何で死んでからもこんな厄介事に巻き込まれるんだろう。俺は己の不運を呪った。たぶんもう、逃げられない。ていうか、逃げ方が分からない。
『ワレ、ヒト、ニ、ナリタイ。シンデ、ミタイ。ダカラ、オマエ、ノ、ナカニ、ハイル』
「は!?死ぬ!?」
あまりにも衝撃的なことを告げられてしまい、俺はそんな素っ頓狂な声を上げてしまう。死んでみたい?今もう既に死んでる人間にそれ言うか?ていうか何で死にたいんだ。普通なら死にたくなんか無いはずだ。そこまで考えて、コイツはヒトとは違うんだって理解した。たぶんこの変な生き物は、死ぬことを知らないんだろう。そうでなきゃこんな変なこと言い出す訳が無い。
「俺のこと、乗っ取るってことか?」
『チガウ。ワレ、オマエ、ノ、タマシイ、スキマ、ハイル』
魂の隙間って何だろう。分からないけれど、乗っ取りはしないみたいだ。何よりソイツの口調は、高圧的ではなく、どこか懇願するようにも聞こえてきた。その口調から察するに、人間になりたい、死んでみたいというのは本気のようだ。ていうか死んだらどうなるか分からないんだぞ、それでもいいのか。まさか生き返らせてすぐ自殺、とか勘弁して欲しい。
「生き返らせて、すぐ殺すつもりか?」
『ソンナ、コト、シナイ。ヒト、ニ、ナル。モッタイナイ』
勿体ない。そう言われると、何とも言えない気分になる。少なくともコイツは、俺を生き返らせて、すぐ殺すつもりは無いようだ。でもだからといって、はい、いいですよとも言い辛い。この生き物が俺の魂の隙間に入り込めば、俺は生き返る…みたいだ。つまりコイツと俺が同居することになるってことでいいんだろうか。
このまま死んだら俺はどうなるんだろう。あんまりにもあっけなく死んでしまったから、生きたいという思いもある。でも生き返るためにはコイツと一緒にいなければならないという条件がある。まあそう簡単に生き返れる訳が無いよなあ。だって俺は死んでしまったんだから。俺は凄く迷った。凄く凄く迷った。どうしてコイツはヒトになりたいんだろう。俺を生き返らせる能力があるくらいなんだから、たぶん、人間以上の力を持っているに違いない。
『ワレ、ヒト、ナリタイ』
ぽつりと、変な生き物がそう零す。どうしてもコイツは人間になりたいらしい。おかしなヤツだ。でもその子供みたいな切実さに、一種の親しみすら感じ始めていた。俺は一度は死んでしまった身だ。それならもう、怖いものは無い。いや訂正。怖いのもまあ、ある。けれどそれは今現在とは関係ないことだ。本当に生き返れるのなら、それを承諾してもいいかもしれない。
「…分かった」
少しの間を置いてから、俺は頷いてそう答えた。それを聞いた途端、変な生き物が大きく鳴いた。その音を聞いた俺は、また眠るように意識を失っていった。
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俺は鬱蒼とした、人気のない森にいた。すぐ側には苔に包まれた小さな社がある。そうだ、俺は廃墟探検も兼ねた登山に来て、足を滑らせてしまったのだ。それはほんのちょっとしたミスだったのだが、俺は体勢を整えることも出来ず、真っ暗闇の中に落ちて行ったんだった。目の前に社があるということは、さっきの変な生き物は、ここに祀られていた「何か」だったんだろう。確かに頭の隅に変な感覚がする。これがアイツの言う、魂の隙間に入った、ということなんだろう。
アイツの声は聞こえない。喋るつもりは無いのだろうか。それとも、あれ以上の交流をするタイプでは無いのか。良く分からないけれど、俺は不可思議な力によって生き返ってしまった。これからどうなるんだろう。どうなってしまうんだろう。そんな不安を抱きながらも、俺は泥だらけになっていた身体を起こし、汚れを払ってから、社を背に歩き始めた。