趣味を仕事にする成否
バイクに乗っている友人が、中古ショップのおっちゃんの手伝いをしていた時である。
「こうやってバイクいじって暮らしていけるなんて、羨ましいなあ」
そう店主に伝えると、言われたそうだ。
「あのな、○○君。わしバイク嫌いやねんで。好きやったら、こんな仕事続けてられへんわ」
……これは、趣味を仕事にしたいと考えている人間の、一つの箴言だと思われる。
たいていの若い人は、好きなことだけして生きていきたいと考えるものだ。……というか、僕がそうだった。
仕事とは、突き詰めていけば、けっきょく違った形で同じことをやるのだということに気づかず、「逃げ」という形で、他人から傷つけられることを恐れ、好きなことの、さらに”楽しい部分だけ”を求めていたのだ。
こちらからきちんと向かっていけば、世のほとんどの物事は想像している状態の方がしんどい、ということに、ニートの多くが実感として気づいていないと思う。
しかし、話を戻すのだが、確かに趣味を仕事にして食べていけている人間はいる。
羨ましいことこの上ないのだが、これはもう「それ以外の部分の修行を、ある程度終えた人間だから」、もしくは、「身体や魂の志向の業によって、趣味から逃れられないから」という他はないように思える。
好きなことで食べていけている人は、それを継続することそのものが、人生の道になっているのである。
「ちょっと疲れたから、これで気晴らししよう」という程度で嗜好と関わってきた人間では、その道で困難に出会ったとき、抜け道が見えるまで考え続ける一番大変な仕事が、できないのである。
好きかどうかというより、さらにその上の段階、その趣味から離れられない、そこで息をすることがその人にとって最も自然であれば、困難があろうと、さらに奥深くへ進んでいけるのではないかと感じる。
また孔子の言葉を例に出させてもらうが、「それを知る者は、それを好む者には敵わない。それを好む者は、それを楽しむ者には敵わない」ということだそうだ。
まあ、何が言いたいかといえば、そのまったく逆を行っている、「わしは嫌いやから、バイク屋続けられてんねんで」という、好きなことを追求しつづける人々の社会を支えているおっちゃんの言葉が、面白かったのだ。