第七話『魔術師とは』
一秒にも満たぬ時間。思考の海より回帰したルミアは即座に詠唱した。ルミアが求める結果を導き出す、その為だけに。
「《■・■■■■■》!!!」
その音がルミアの口より発され、空気を振るわせる。
その瞬間だった。世界が脈動するのをメルクリウスが感じ取ったのは。世界の鼓動が聞こえ、荒い息遣いと共に吐き出される冷気。
メルクリウスはそれが何であるのかを認識するより早く、結界に干渉し、結界内の様子を完全に見えぬよう細工する。
今、起きているのは悍ましき魔法のその一端だ。メルクリウスは直感的にそれを理解し、術者たるルミアの意図を探ろうと目を向けた。
その先に映るのは崩れ落ちるルミアの姿。メルクリウスは驚きに目を見開き、この試合中、詰めようと思えば何度でも詰められたその距離をなんの躊躇いもなしに縮めた。縮め、倒れるルミアの身体を支える。
メルクリウスの腕の中、気を失ったルミア。メルクリウスはぐったりとして動かないルミアに探知魔法をかける。
それより得られた結果は魔力欠乏による失神。一先ず、安堵の息を吐いたメルクリウスはしかしして、その顔を引き締めた。
周囲の様子を警戒し、魔法が不完全であったことを確かめる。また、結界の外で騒いでいる三人の様子を伺い、一人(恐らくはスーフィアだろう)が訓練場を飛び出したのを確認する。結界に細工をしたのだ。今頃、警報が管制室へと届いているだろう。騒ぎになるだろうことはほぼ確実だ。
既に慌てふためくような時じゃない。
それよりも今は……。
メルクリウスは霧散した魔法の残滓に目を遣る。
コレをそのままこの場に遺しておくべきではないだろう。コレはただそこにあるだけで世界を侵食するようなものだ。
「あまり、気は進まないが仕方ない」
独りごちたメルクリウスはルミアを横抱きにする。
周囲やルミアの周りを浮遊する黒い靄のような何か。メルクリウスは大きく口を開くとソレらを一気に吸い込んだ。
どんどんとメルクリウスの口へと吸い込まれるソレ。一秒、二秒、三秒……そして十秒が経ち、結界内部を満たしていたソレが全て取り除かれる。メルクリウスは口の中へと取り込んだソレを嚥下し、体内へと流し込んだ。
顔を少し顰めてみせるも、反応をそれだけに留め、その作業を終わらせたメルクリウスは結界の外へと歩を進めた。
警報が鳴り響く。不吉な音が訓練場に反響し、他の結界で訓練をしていた他学年の生徒達が出てきた。
今しがた、起きたことを簡潔に話すなら、こうだ。
メルクリウスとルミアが訓練をする結界。その中でルミアが何らかの魔法を使用。その瞬間、結界が黒く染まり、今尚鳴り響く警報が作動した。黒い結界はどうやら外部からの侵入を妨げるもののようで入ろうとしたスーフィアが異常な硬度と密度を持っていることを確認していた。
誰が見ても異常事態だ。しかも入学二日目にして、こんな事になるなんて。やはり付いてこないほうが良かったのか。そう思うわないでもなかった。しかし、ともかく今は中に居る二人の安全確認が最優先。そう言ってスーフィアが訓練場を飛び出し、先生達を呼びに行った。結果として、残った俺とアルトは先輩達への説明を行う羽目になった訳だが、俺達だって何がどうなっているのか分からないのだ。説明と言っても、ただ今あった事を正直に話すしかなかった。そうして、何人もの生徒からこれはどういうことなのか、と質問を受け、説明し、いったいいつまでこれが続くのかと思い始めた頃。
黒い結界が半透明のものへとその色を変えていった。皆がその変化に気付き、驚きと共に目を向ける。
全員の目線が向けられた先。そこに居たのはルミアを抱えたメルクリウスの姿だった。
「魔術師とは何なのか。それに答えられる者は軍部でも少ない。
諸君らは魔術師を何と考えるか。
その答えは諸君ら一人一人が、その数だけ持っていることだろうと思う。だからこそ、唯一無二の絶対などという物はない。故に日々、魔術師としてその技術を磨く諸君らに今更、愚問である事は重々承知だ。しかしながら、今一度、魔術師とは何なのか。魔術師が目指すべき、高みとは何なのか。
それを考えて頂きたい」
そう高らかに周囲へ問いかけるのは無垢の純白に身を包み、モノクルを掛けた女だ。女はツカツカと音を立てながら教壇まで歩いて行く。そしてそこに備えられた机。その卓上に勢い良く、音を立てながら手をついた。
「諸君らは魔術師を何と考えるのか。非常に興味深く、全く以って無価値なことだ。
魔術師とは古来より、言葉を扱うことに長け、人間としての殻を捨てた者の事を指してそう呼ばれてきた。
人間としての殻、つまりは人間性であり、人が人たらんとする由縁である。人が、人であるために必要不可欠な要素。それらを脱却したその先。あるのは究極の無と永遠なる有である。ありとあらゆるものを削ぎ落とし、ありとあらゆるものを持つ。
一見、矛盾のようにも思えるそれを為す者。それこそが魔術師の頂き。
馬鹿げていると私とて思う。しかしながら持たざる者は同時に持っている者でもある。同様に知らない者は知っている者であり、出来ぬ者は出来る者である。
富めるは貧しく、貧しきは富なり。
あらゆる矛盾を内包し、あらゆる矛盾を矛盾では無いものとする。
これが魔術師の本質だ。届かぬものに届かせる。これこそが魔術師というモノの正体であり、諸君等が目指す魔術師の境地である」
そう述べるは純白の女もとい、ラリエル・ブムダアイだ。
その身を包む白より尚、抜けるような白さをもつ髪を長く伸ばしたラリエルは魔術師としての資格を剥奪された、魔術師たるに値せぬ魔術師である。
そんな彼女に与えられた称号は《失楽》。
かつて禁忌を犯した魔術師ラリエル・ブムダアイの名を知らぬ者は今の世にいまい。
彼女は魔術師ではない者が魔術師として称号を与えられた初の事例であり、恐らく、最後の事例である。
彼女がどのようにして《失楽》の称号を与えられたのか、それは筆舌に尽くし難く、また、語るに値しない。故にここでは割愛させて頂こう。
とまれ、現在メルクリウス達、特高学科の生徒らは特別講師として招かれたラリエルの魔術師講義を受けていた。
魔術師とは何であり、何を目指すのか。魔術師を志す学徒のみならず、一人前の魔術師でさえも求めるそれ。
ラリエルはそれに一つの答えを出した。己が禁忌を代償として得たその答えが今、どのように評価されているのか。現在、教育機関の最高峰の一角に数えられるレニオレア学院で講義が開かれていることを加味すれば、推して知るべしである。
メルクリウスは、そんな講義を受けながら欠伸を噛み殺し、自身の右隣、空席となっている場所を見る。
現在、ルミアは五日前のメルクリウスとの試合が原因で魔力欠乏敏感性症候群を起こしており、入院中である。
メルクリウスの当初の目的たるルミアとの同棲の回避には成功しているものの、奇しくも注目を集める結果に終わり、今となっては最初期の目的が達成出来たことなどどうでも良くなっていた。そもそも、メルクリウスの目的、その本質は注目される事を嫌ってのものである。それが目的達成の代償にされるなど本末転倒もよいところで、メルクリウスはこの数日間、溜め息を吐くばかりである。
ただ、良いこともあった。ルミア以外とも関わりが出来たのだ。
カルロとアルト、そしてスーフィア。この三人はメルクリウスの異常性に薄々、勘づきながらも友達として接してくれる。ルミアのいないこの五日間はスーフィアを除く、三人で行動することが多かった。かくいう、スーフィアもルミアのお見舞いに来たり、ペアを作る時にはメルクリウスと共に二人組を作ったりと何かと接する機会は多い。
普段は特定のグループに属していない、とはスーフィアの言だ。大方、天性の人たらしが原因であらゆる場所に引っ張りだこなのだろう。スーフィアとしては身軽でありたいものの往来のお人好しさがそれを許さない。だから結局、いつでもどこかへといけるように自分自身の許容量を空けておく。つまりはそういうことなのだろう。
「ん?君、どこかで会わなかったかね?」
余計なことを考えていたメルクリウスの前に例の白い女が立っていた。
メルクリウスは座ったまま、ラリエルを見上げ、慌てて目を逸らす。
「やはり!あの時の少年だね?いやはや、あの時の事は本当によく覚えているよ。あのマモ―――」
「―――人違いです。俺には全く身に覚えが――」
ない、とそこまでメルクリウスが言いかけるが今度はメルクリウスの方が遮られる番だった。
「そう、それだよ。魔法を詠唱するのに適した口調。あの時より随分と人間らしくなったようだが、やはり機械的な感覚が否めんな。一体どのような訓練を受ければ、そんなにも感情の起伏を無くすことができるのか。
君を育てたのは修羅か何かか?」
そのラリエルの言葉に教室の空気が凍りつくのを感じるが、最早俺にはどうしようもないし、どうこうする気にもなれなかった。
何も答えないメルクリウスに対してラリエルが歩み寄る。
「ふむふむ。なるほど、そういこうとかね?ではあとで私に付き合ってもらおうか。来ないなら、まぁ。こっちから行かせてもらうけど……」
そうして息が触れ合うほどの距離にまで彼我の差を縮め、メルクリウスの耳元。そこへ口元を持っていくとそんな言葉を囁いた。
玩具を与えられた子供のような笑顔を浮かべたかと思えば、すぐに先程まで被っていた研究者然とした面の皮を貼り付け、メルクリウスから離れた。それから何事もなかったかのように教卓へと再び、戻っていく。
「すまないな、諸君。私の勘違いであったようだ。私に諸君等の大切な学友をどうこうしようという気は毛頭ない。安心してくれたまえ。では、講義を再開させて頂く」
一体何だったのか、とクラスが一度騒めくがそれも一瞬の事。経歴がどうであれ、ラリエルが魔術師として卓越していることは皆知っているところだ。そんな人物の講義を魔法の虜となって、学院の、それも特別高度技術枠魔術師育成学科などという大層なものにまで入る生粋の魔法オタク達が聞き逃す筈がない。
すぐに静寂に包まれた特高学科のクラスにラリエル・ブムダアイの冷たい熱を伴った声が響く。
俺は現在、《失楽》の女に会いに来ていた。正確には会うことを余儀なくされていたと言うべきか。
いずれにせよ、今現在、俺は非常勤講師専用に割り当てられた寮室の前に立たされていた。
《失楽》が言うにはおもてなしの準備をしているらしいが、大方魔術師のおもてなしなど碌なものではない。
魔術師として失格の烙印を押された《失楽》であろうとその例外に漏れることはないだろう。かくいう俺も退役が決定した一年ほど前から、徐々に為されてきた『普通』を学び始めてからやっとの事で一流の魔術師というものが、如何に頭のおかしな存在であるかを知ったわけだが。
とまれ、そんな無礼千万極まりない事を考えるメルクリウスが立っていた、前の扉が開くと室内からラリエルの声が聞こえる。
「さぁさぁ、入ってきたまえ。ゆっくりお掛けになりたまえよ」
ラリエル・ブムダアイという女は本来、目上に対する言葉遣いと丁寧めいた言葉の裏で常に人を見下し続けている。しかしして、それを彼女が自覚することはない。魔法以外の全てに無頓着な彼女は今日もそのスタンスを崩すことはなく、そこに居た。
室内に入ったメルクリウスの目にまず初めに飛び込んできたのは白い壁に白い床。上を見ればやはり、白い天井。白い壁に掛けられた服も白ければ、ありとあらゆるものが白い。そんな中にあって、尚、白い彼女を見つけるのは最早至難の技であった。
「学院の一室を私物化するのは禁じられている筈ですが……」
その、メルクリウスの諫言に対し、ラリエルはなんのその、と流れるように本題へと入る。
「まぁ、いいであろう?
いやはや、それはそれとして。君がメルクリウス・レイフォント……。
いや、《最強》と呼ぶべきかな?」
そう小首を傾げる仕草こそ女性的な彼女だが、無機質なその瞳を輝かせているのは人間的な好奇心ではなく、もっと機械的な、いうなれば信号を発するようにして脳に早く情報を送り込みたいとそう急かす熱の輝き。同類の人間にしかわからない類の輝きである。
「いえ、今の俺はその称号を名乗るに値しません。一介の学生として心穏やかな日常を過ごすこと。
それこそが今の俺に与えられた任務であり、命令です」
だからこそ、メルクリウスは気付けない。己もまた、ラリエルの機械的な熱とは全く別種の異質な熱を持つが故にその異常性を理解することは叶わない。
人間性の喪失という、最も重大な欠陥を抱えたメルクリウスはそれをそうと分からせない天才である。無自覚の喪失は無意識の虚偽をメルクリウスに与えた。
しかし、それを自らが唯一の特技とするラリエル・ブムダアイは、見抜く。ここに今メルクリウスを呼んだのもその為だった。
「そうかい、そうかい。ではメルクリウス君よ。君のその感情を全く感じさせない特技はどのようにして、身に着けたのかを聞かせてもらえるかな?」
ラリエルがそう訊ねれば、返されるのは答えではない。
「それは出来ません。俺はそれに対する一切の質疑応答に答える権限を持っていません。それは第一守秘機密事項に値するものであり、実力行使による強行等に対し、武力による制圧の実行を許可されている事をご認知いただきたい」
淀みのないメルクリウスの拒絶の言葉にラリエルは急速な熱の沈静化を図った。
いくら、ラリエルと言えども《最強》を相手に実力行使などという無謀を犯すことの危険性を知覚していない訳ではないのだ。
「ふむ、なるほど。質問にお答えいただけないならば茶会に付き合ってもらってもよいかね?」
右目にかけたモノクルをカチャリと外すとラリエルはメルクリウスをまるで親しい友人であるかのようにそう誘った。
この女は何がしたいのだろうか。
それがメルクリウスの疑問だった。
俺はなぜ、茶会などしているのか。ここ最近の日程通りであるならば、今頃はルミアの見舞いに行っている頃合いで、それを通してカルロやアルト、スーフィアの三人と雑談を交しているはずだ。それがなぜか今日はよく知りもしない女と二人きりで茶会をしている。全くどういった了見なのか。訳のわからない事をしてもらえないで頂きたい。
突然のラリエルの茶会の誘いに乗ったのはメルクリウス自身であるが、あの時点でメルクリウスに一体いくつの選択肢があっただろうか。適当に嘘を付くことも、誘いを断ることも容易い。
確かにそれはそうだが、しかし。メルクリウスの任務とは即ち、人間らしくある事で、そのためにはすべき事を常人以上に成し遂げなくてはならない。その理に則って行動するメルクリウスにラリエルの誘いを断る選択肢はなかったのだ。
こういうとき、深い溜め息を付くのが人間だ。俺は、メルクリウス・レイフォントは深い溜め息を吐いた。
それで、ラリエルが気分を害することなどない。上機嫌に自身の研究結果を語る。それらの話は興味深い。紛れもない事実ではあったが実用性が皆無だ。特に今話している、『異次元の侵略者が世界を蹂躙し始めた際の聖域防衛の為の代替案Mark 2』なんてものは夢物語も夢物語で全く持って現代の技術が追いついていないどころか、唯一無二、無敵の魔術師が居ることを前提としたものだ。そんなものは作戦でも何でもない。ただの創作物。英雄譚だ。そんな英雄はどこにもいやしない事を俺は身を以て知っているというのに。
この手の話をカルロやアルトが聞けば、心躍る感覚を覚えるのだろうか。若しくはスーフィアやルミアでさえも、目を輝かせ、耳を傾けるのだろうか。
この数日間で俺が普通として参考にする対象は着実に増えている。
そのおかげで辛うじて俺は人としての感覚を保っていられるのだから感謝しかない。
そんな事を俺が考えている内にどうやら、『異次元の侵略者が世界を蹂躙し始めた際の聖域防衛の為の代替案Mark 2』については終わったようだ。こんな調子でかれこれ、五つ以上は魔術議論から発展した夢物語談義が行われている。計三時間はこの場に拘束されている。早く、ルミアのお見舞いに行って今日のタスクを完了させたいのだが。その意図を《失楽》が汲むはずもなく、また新たな話題が展開されていく。
今度は『最強魔術師の必要事項とその定義』だ。
また長くなりそうな話だといっその事、楽しむ覚悟を決める。もとより、議論は好きな方だ。唯一と言っていいほどの、知的好奇心という俺にも分かる人間らしい感覚が刺激されるから。
「今日はメルクリウスくん、遅いですね。いつもは放課後になってすぐの五時丁度にいらっしゃるのに」
スーフィアのその言葉に私は柄にもないことを口にする。
「メルクリウス、私のお見舞いに飽きた……?」
……なんで私はこんな事を。
「ど、どうされたんですか?!ルミアちゃん!昨日、私達が帰ったあとメルクリウスくんに何かされたんですか?!」
私の辛辣な言葉にスーフィアが騒いでいるがそちらの対応はカルロやアルトに任せることにして私は思考を巡らす。
思い出すのはあの最後の瞬間だ。
私が高みを目指したことによる代償。命があっただけでマシと思わなくては。そうは思って悔しかった。ずっと私はいつか見たあの人の背中を追ってきたというのに。何も知らない一介の学生に負けてしまう程、私はまだまだ弱かった。軍属魔術師なんていう肩書きがなんだ。魔術師ランク上位がなんだ。結局、私はメルクリウス・レイフォントに挑んで負けた。
本気じゃなかった。そう、言い訳しようにも最後の攻撃は確かに本気の攻撃をしようとした結果だし、もっと言ってしまえばあちらも本気の気配を微塵も感じさせていなかった。魔術師として本気で命をかけてもメルクリウスには絶対に勝てない。そう思わせるに十分な試合だった。
けれど、やっぱり悔しい。それと共に申し訳なく思う。
あの人を追いかけて得た力を以てしても歯が立たなかった事がどうしようもなく、情けなくて申し訳ない。
「ルミアちゃん、メルクリウスくんならもうすぐ来ますよ?!だからそんなに不機嫌にならずとも……」
「怒ってない。ただ、思った事を口にしただけ」
私はスーフィアにそう返事を返す。
「いや、それって怒ってるんじゃねえか?」
「これは怒ってますね。拗ねているとも言いますか……」
しかし、この数日で知らず知らずの内に親しくなっていたカルロとアルトの二人が余計な口を挟む。
「燃える?」
だから、私は少し怒ったふりをしてみる。すると目に見えて、二人が怯え出した。
いや、ちょっとやり過ぎた。確かに無詠唱魔法とはいえ、いきなり右手に炎を出すのは駄目だ。彼らはまだまだ、魔術師の卵も卵なのだ。こういう冗談をしても大丈夫なのは今の関係の中ならメルクリウスくらいのものだろう。
私が右手に出した炎を握り潰し、消すと二人共、ほっと安堵の息をつく。全く分かりやすい友人達だ。
もう一度、炎を出してみようかと悪戯心が顔を覗かせるが思い直し、代わりに言葉を紡いだ。
「今日の雑談は解散で――」
「すまない、遅れた」
いい、と私が言いかけた折、メルクリウスが現れた。
彼は妙に疲れた様子で病室へと入ってくるなり、どっかりと椅子に腰を下ろす。
「遅すぎますよ、メルクリウスくん。ルミアちゃんなんか、心配して困り眉まで作ってたんですから!」
いや、それは嘘でしょ?友達として接するようになって、日は浅いけれど時々、スーフィアは往来のからかい癖を発揮するようになってきた。全く困った友人だ。
「そうなのか?」
ほら、またメルクリウスが本気にしている。
「メルクリウス、マヌケ。すぐ騙されすぎ……」
私の言葉を受け、メルクリウスがうっ、しめられた鳥のような声を漏らし、カルロとアルトはクスクスと笑う。当のスーフィアは天然なのか、なんなのか。無意識の冗談が巡り巡ってメルクリウスにダメージを与えることに気付かず、ポカンとしている。
その様子に私もつられて口角が上がりかけて……いや、そうじゃないだろうと思い直した。
あくまで、私は任務遂行の為にこうして交友関係を築いているのだ。どうせ、学院卒業後にはメルクリウス含め、親しくなった人達とも会えなくなるのは確実で。もっと言ってしまえばいつ、死ぬとも分かず、明日も生きていられる保証のない私が友人なんて持つことは許されていない筈だ。
「ルミアちゃん、やっぱりまだ退院できそうには無いのですか?」
ふと、考え込む私にスーフィアが声を掛けた。心配そうに揺れる紫紺の瞳。その瞳を見つめながら、私は言葉を返した。
「……明日の夕方には退院出来る。午前中は色々と手続きがあるから……」
そう言う私に病室に集まった一同がおおっと喜びの声を挙げる。
それからは『ルミアの退院祝い』と称して遊びの予定が立てられていく。
私としてはメルクリウスの護衛があるからメルクリウスが居るのならどこでも一向に構わないのだが…。
そんな雑談も一段落し、スーフィアやカルロ、アルトの三人が病室から出ていく。
「メルクリウスも学校なんだし、ルミアを早く寝かせて、帰れよ」
去り際、カルロがメルクリウスと私の両方の身を案じる言葉を残していき、賑やかだった病室は私とメルクリウスの二人だけになる。
私が入院している五日間。こうしてみんなが集まり、雑談を交し合い、私にとっては必要のない講義の内容を教えてくれ、そうしてメルクリウスを除いた三人が帰っていく。
そこまでが定例だった。
メルクリウスが口を開く。その口から言葉が発せられる前に私は……。
自話は明日の12時に挙がります。