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魔術師の涙  作者: 冬雅
第一章 何者
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第六話『友達』


 ルミア・ラルカ。

 

 それは今ではめっきり少なくなってしまった西方出身だという女子生徒の名だ。 かく言うスーフィアもまた、西方を出身としている。ルミアがほんの短い自己紹介をするその間に聞こえてきた西方訛りの発音が妙に懐かしかった。

 

 だからとでもいえばいいか。思わず、その日の放課後に話しかけてしまったわけではあるが、何やら急ぎの用があったらしい。二の句も告げぬままにルミアは走り出して何処かへと行ってしまい、それで昨日は結局話せずじまいだった。それが今日、話しかけてみれば、どうか。口数や表情の変化こそ少ないものの、知識は豊富で同年代の子と同様に感情の波を感じさせる普通の女の子。それがスーフィアのルミアに対する印象となった。

 

 スーフィアはたとえ一方的なものに見えようとルミアが頷き、時折、疑問を呈せばその知識を十全に用いて答えてくれる、そんなこの時間が堪らなく楽しく、嬉しかった。けれども、赤髪の少女がその一時を阻んだ。


 スーフィアとてそれだけで腹を立てたわけではない。

 


 「私、ルミアちゃんがちゃんと聞いてくださっているのが分かるんです。反応こそ、少し淡白だけれどもしっかりと私の言葉を受け止めて下さっている。呼び方だってきっと。ルミアさんは友達のように私を呼んでくださるでしょう。皆さんとは違って」

 


 けれども最後に溢れたスーフィアらしからぬ皮肉。そこにあるのは隠しようもない苛立ちだった。ただ、そう言うスーフィアの顔にあるのは微笑みだ。これから始まる新たな友人との日々を思い描き、幸せな未来を夢想する。瞑目すれば、今まさに浮かんでくるであろう憧憬。けれど、いつか来たるそれらに敢えて今だけは目を逸らす。

 

 苛立ちを隠し、抱いた期待に見ない振りをして……そうして出来上がったその笑みが見るものによっては恐ろしいものに見える事ぐらい理解はしていた。それでもそんなにも怯えてほしくはなかった。

 

 スーフィアだってただの少女なのだ。少女で乙女で、普通の人間だ。

 自身の地位が他人からすれば恐ろしい力であったとして。何故に恐れられ、何故に崇められ、何故にこうも身の丈に合わぬ重責を押し付けられるのか。

 

 スーフィアは思うのだ。いつだって世界は自分を中心に回っている。けれどもそれは、スーフィアの意思に関係などなく。自身を必要とすることもなしに巡りめく流転の輪に放り込まれているに過ぎないのだ、と。

 

 それは余りにも残酷で余りにも美しく出来上がった世界の形。

 

 そこに手を加えることは到底叶わず、スーフィアにとって世界とはそういうものだった。


 だからこそ、魔法に魅せられた。


 世界の形さえも変える魔法というものに魅せられ、貪欲なまでにそれを欲した。特に形ある魔法に美しさを感じ、愛にも似たそれを捧げた。

 

 魔法というのはつくづく、スーフィア自身を更に天才だと呼ばせ、目に見えない圧力の由縁となっていったがその頃にはそれでも構わないと思っていた。だからだろうか。あんな言葉を口にしてしまったのは。

 

 怯えるアリシアの顔には不可思議に対するそれとは別種で、更に言うならば原初の恐怖ともまた違う恐怖が貼り付いていた。

 

 それは人間にしかないものであり、至極面倒なものだ。

 

 十五大貴族筆頭などという大層な名家に生まれたスーフィアにとってそれは身に余る重荷であって、好き好んで使いたいような代物ではない。そんな力の存在。それにアリシアは恐怖を覚えていたのだろう。見間違うはずもない。これまで幾度となく見てきたその表情を見紛うはずが無かった。

 

 ああ、あとで謝っておかなければ。

 そうでないとあの生真面目で不器用な赤髪の少女は思い悩んでしまうことになる。

 

 アリシア・カルネシアとはそういう少女である事をスーフィアは知っていたのだ。知っていて、それでも優先したかった今を、前へ前へと進めるしかなく。

 

 気が付けば、スーフィアとルミアは手を繋いだままにローニウスとそれに続く生徒の集団、そのすぐ後ろにまで来ていた。クラスの人数は四十人でその内の十人ほどが先頭であるローニウスにしっかりと着いていき、あとはお察しの通りだ。基本的に魔術師を志す者に優等生なんてものは絶滅危惧種の生きた化石か、何かである。得てして、そういう者だって表面的にはそうであっても心の奥底にどす黒いモノを隠し持つものだ。魔術師とは皆同じなのだ、とは既に魔術師として魔に足を踏み入れた兄の言葉だ。

 

 それは貴族たちの持つそういったモノよりも尚、仄暗く業深きモノ。遥かなる永遠の理を求め、深淵の更に向こう。巡り廻りゆく運命の中に一筋の光を探し求める、そんな究極の探求のその末。或いはその始まり。

 

 魔法を習いだしたスーフィアに歳の離れた兄はよく、そんな話をしていた。

 

 思考の海から舞い戻ったスーフィアはルミアに魔術用品の素晴らしさについて語った。

 

 それも終わり、スーフィア達はいくつかの施設とその設備の使用方法、その他、どういった経緯で出来たのかについてローニウスに説明を受ける。

 

 中々に興味深い話が多かった事は認めるし、特段、学院に用いられている魔術用品の話は興味を唆られた。

 

 しかし、それら全てについて考えを深めるには膨大な情報量。それを考えるほどの許容量をスーフィアは持ち合わせていないし、魔術師として余りにも未熟だった。

 

 ルミアによって、ローニウスに説明された事について再講義を受けながら、スーフィアはそれを痛感していた。

 

 それと同時に引っかかりを覚えていた。ルミアは普通の少女だと再三、思っていたスーフィアだが、それにしてはルミアの魔術的知識は賞賛に値し過ぎるのだ。

 

 何も特高学科たるここに所属するクラスメイトであるルミア・ラルカを疑うわけではない。それでもスーフィアは気掛かりをそのままにしておくことは出来ず、ルミアの講義そっちのけで考え込んでしまう。

 

 それが不味かったのだろう。ルミアが伏し目がちになってこんなことを言い出した。

 


「先程は申し訳ありませんでした。まさか、十五大貴族筆頭、アルシェ家の方であったとは気付かず、今もこうして上から物を言っている次第。その、私はぐ―――」


「――いえいえ、いいんですよ!そう言う訳ではないんです。あれは私が悪いんです。アリシアさんはお家が十五大貴族の一つに属するものだから、そういうのに敏感でして……私も少し迂闊でした。ご不快だったでしょう?」

 


 スーフィアがそう尋ねるもルミアはゆるゆると首を振る。

 


「いえ、そんなことはありません。私はその、そういう事を気にしませんし、気にするような場所で育った訳でもありません。ですから、言葉や態度を改める事は相当な努力なしにはできないと思います。しかし、アリシア……さんのご指摘もご最もな話です。出来るだけ、身振りではなく、言葉で会話をすることは心掛けさせてもらいます。えっと、友達……ですから」


 

 スーフィアはそのルミアの言葉に驚き、困惑し、そして、喜びを得る。

 

 驚きは貴族を気にすることのない場所に、困惑は貴族と知って尚、それを改める努力はするというルミアの尊大な態度に、喜びはルミアの言葉全てに。それぞれの感情が綯交ぜになって、一際大きく浮かんだのは喜びだ。

 

 当然、これまでこんな事を言う人はルミア以外にいなかったから驚いたし、困惑した。けれども対等であってくれようとしている。ルミアの言葉からはそんな雰囲気を感じられた。

 

 嗚呼、友達という響きのなんと美しいことか。

 

 その美しさたるや、どんな宝玉も魔術紋を以ってしてもこの類の美しさは生み出せまい。そう感じられる程の感銘。スーフィアはこの日、初めて友達と呼べる存在が出来たことを知る。

 

 口で言うのは容易くともそれが言葉にして吐き出され、更に相手の心に届くか否かは別だ。

 

 スーフィアとルミアはそれから、その日一日の学院見学を雑談しながら楽しみ、教室に戻った。道中、相変わらず言葉数の少ないルミアだったが、心なしかほんの少しだけ自発的に話す事が多かったように思う。スーフィアの気のせいかもしれないが。


 教室に入ると皆、バラバラとそれまで話していた友人達と別れ、それぞれの席に着いた。それは、スーフィアとルミアも変わらず、自らの席に着く。

 スーフィアはそれでも少しの間、自分より前の方に席が用意されているルミアの方を見ていた。

 

 初めて対等に話し合える友人。それを手に入れたスーフィアにとって、一時のこの熱は、もはや恋慕に近きものであったのだ。無論、スーフィアの恋愛対象は男である故にその熱が恋慕から来るものなどとは全く持って違うのだが。ただ、身を満たす歓喜はそれ程のものだった。やがて、列の後方にいたメルクリウスがその友人二人組とともに教室に入ってくる。そして、真っ直ぐに自分の席へと戻り、ルミアの隣に座った。メルクリウスが口を開くのが目に見えた。けれど、意外にも先に 言葉を発したのはルミアだった。スーフィアの席からは二人の会話を聞き取ることは出来ない。聞こえてくるのは言葉にも満たない音だ。しかし、メルクリウスの顔が驚きに満ちるのが見える。

 

 再三、言うがスーフィアに何を話しているのかはわからない。分からないが、分からないなりに推測することは出来た。いや、推測というよりも最早、妄想にも近いそれではあったが、スーフィアはローニウスが教壇に立ち、話し始めるまでの間。妄想を深めていった。

 







 





  

「メルクリウス。今日、友達が出来た」

 


 教室に戻り、席に着こうとするメルクリウスに声を掛けたのはルミアだ。



「と、友達……?」

 


 メルクリウスが驚きに声を上げる。

 それを気にすることも無く、ルミアは頷き、言葉を続けた。

 


「うん……スーフィア」


「そうか。でも、なんで俺に?」


 

 当然の疑問。ただし、ルミアにとってはそうではないようだ。無表情を崩すこともなく、小首を傾げる。

 


「報告は義務。それはメルクリウスに対しても変わらない」

 


 メルクリウスはなるほど、と言いながら頷いてみせる。しかし、メルクリウスにとって、その理屈が納得のいくものであったかは別だ。取り敢えず、共感する。これも処世術の一つだ。ルミアは更にメルクリウスへ言葉を投げ掛ける。

 


「スーフィアは友達はあだ名で呼び合うものだと言っていた。メルクリウスもあだ名……?」


 

 あだ名で読んだ方がいいのかと言いたいのだろうか。メルクリウスはルミアの足りていない言葉を補いながら、答えた。

 


「そうだな。丁度、どう呼べば自然か考えてた所だし、俺の名前は少し長いし……メルクとでも呼んでくれればいいかな」


「そう、分かった」


 

 ルミアが淡白な返答をする。それにこれ以上、ルミアに会話する意思がないことを感じ取ったメルクリウスはそれっきり、前を向いてローニウスが教壇に立って話し始めるのを待った。








「それでは、これで今日の日程を終えたいと思います。

 明日についてですが急遽、特別講師の方に講義を開いてもらう事になりました。貴重かつ有益な体験ですので講義中に寝るなんてことがないように、今日は早く寝るように。では、解散」


 

 ローニウスのその言葉とともに昨日と同じように各々、思うがままに動き始めた。当然、その中にはメルクリウスとルミアも含まれる。

 

 メルクリウスが早速とばかりに席を立ち、ふと動こうとしないルミアを見る。

 行こうと、メルクリウスが目で訴えればルミアは首を横に振る。

 


「メルクリウス。やっぱり、なしにしよう」

 


 突然のルミアのその言葉にメルクリウスは戸惑う仕草を見せる。何についてかなどは言わずもがなであり、やはり、思い当たるのはあれしかない。

 ただ、今更なしにしようというのは一体何なのか。メルクリウスはどうしたものかと考え込む。


 まず第一にメルクリウスは自身とルミア、両方の外聞を気にしてルミアの密着警護を断ったのだ。ルミアは気にしないと言いはするが、支障が出るのは間違いない。また、 これはルミアの身を慮っての事ばかりではなく、自分の平穏な学院生活を守るためでもある。

 

 恋人でもない女の子と同棲だなんて何を言われるか分かったものではない。そう思えば、メルクリウスには慣れ親しんだ軍事訓練や教官による叱咤激励なんぞよりよっぽど学院における人間関係の方が恐ろしく思えるのだった。

 

 メルクリウスが何故何を問う前にルミアがその答えを口にする。

 


「メルクリウスの実力が高いのは今日の模擬試合で分かった。けど、やっぱりだめ。私は……」

 


 そこまでルミアが言葉にするが、続く言葉はメルクリウスの耳に届く事はない。ルミアの隣には例の青髪の少女がいたのだ。

 


「ルミアちゃん、メルクリウスさん。何を話してらっしゃるんですか」

 


 そのスーフィアの言葉に遮られ、ルミアは口を閉ざした。

 代わりにメルクリウスが答える。


 

「今日、一緒に魔術訓練をしようと言っていたんだがルミアがやっぱりやめようって言い出してな」


「あら、何故なんですか?メルクリウスさんなら今日の模擬試合で見た通り、高い実力とおまけに魔術的知識も豊富そうでしたが?」


 

 スーフィアが不思議そうに首を傾げながらルミアにそう尋ねた。

 

 メルクリウスはサムズアップしたいのを必死に堪える。スーフィアの登場はルミアに口実を作らせかねない事態だったがスーフィアからすればそんな事を知る由もない。そもそも、ルミアが今更取り止めようとする理由がメルクリウスには分からない。しかし、断られれば、なあなあ的に同棲することになるだろう。繰り返すがルミアの何かが問題である訳では無い。今朝の事を鑑みるに少なくとも料理は出来る。それと同様に家事ができてもおかしくはない。そう、ルミアに問題はないのだ。


 では、何が問題であるかといえばルミアの存在自体が問題だと言わざるを得ないだろう。

 

 女の子であるルミアが、男のメルクリウスの部屋で、生活する。しかも、同じ歳である。十分に男女の関係を疑われても仕方がない。そして、再三言うようにメルクリウスとしてはそれをどうしても避けたいのだ。

 

 何はともあれ、ルミアにスーフィアからの問いを躱せるような高度な処世術、もしくは話題などないだろう。内心でほくそ笑むメルクリウスを余所に二人の会話は進んでおり、結局、否やはりというべきか。遂にルミアが言い淀み、それでは私もご一緒してもよろしいでしょうかというスーフィアの言葉がトドメとなった。

 

 それに悪役のような笑みを手で隠し、頷きを返してみせたメルクリウス。ありがとうございます、と喜ぶスーフィア、心なしかいつもよりも更に表情を消したルミア。

 

 三者三様。まさしくその言葉を体現したかのような様。そんなメルクリウス達の下に男子生徒が二人、声を掛けた。

 


「なぁ、その話俺らも見物してていいか?」


 

 カルロは頭の後ろで手を組みながら、気軽にそう尋ねる。私的にはあまり、数を増やして見世物になるのは避けたいメルクリウスだったがこの二人なら大丈夫だろう。多少記憶を弄ってしまってもいい。まぁ、ルミアに警護する必要はない事を、そうなるより前に認めさせるつもりではあるが。

 そう思い、メルクリウスはスーフィアにそうしたように軽く頷いてみせる。

 

 カルロとアルトはそれに対し、目に見えて喜色を浮かべた。

 

 

 

  

 

 

 

 

 


 当初はメルクリウスとルミア。その二人だけでするつもりだったメルクリウスの実力を測るこの模擬試合。ルールは今朝方行った単純式のものだ、とメルクリウスが一方的に告げれば思わぬ場所から異が唱えられた。

 


「いえ、メルクリウスさん。それではルミアちゃんに不利です」

 


 メルクリウスはどういうことか、と問う。

 

「今日の模擬試合で見た限り、メルクリウスさんは炎若しくはそれに類する魔法を得意としていますよね?」

 

 それにメルクリウスが頷くとスーフィアがルールの変更を勧めた。

 


「では、やはりルール変更をした方が良さそうですね。メルクリウスさんの魔法はこのルールにおいて有利に働きますから」

 


 そう言うスーフィアは根が真面目なのだろう。もしくは単純に今日新たに出来た友人に花を持たせたいのか。無論、メルクリウスからすれば、そんな事は関係の無い事で興味も無い。


 

「ルミアちゃんは恐らく……」


 

 スーフィアの言葉をルミアが遮る。

 


「スー、私の事はいい。ルール変更はなし」


「で、ですがそれではルミアちゃんが……」


「大丈夫。問題ない」

 


 狼狽えるスーフィアにルミアはそう断言した。ルミアがそう言うのならば、当事者ではないスーフィアがルールの変更を望む訳にはいかない事ぐらい自明の理である。

 


「メルクリウスは実力を見せるといった。言い訳は無し」

 


 メルクリウスが最大限、力を発揮できる状況下で実力を測る。そうでなくては意味がない。

 メルクリウスはルミアにもちろんだと返し、逆に準備の有無を尋ねる。

 


「じゃあ、早速始めるけどいい?」

 


 メルクリウスの問いにルミアが頷きを返し、二人は揃って幾つもある円形の訓練場、その一つに入る。



 

 勿論、スーフィア達は結界の外からの見学のみでどちらかに手を貸すようなことはしない。そもそもスーフィア達からすればメルクリウスとルミアが魔法実技の訓練を行うだけなのだ。

 

 賭けの内容を話すのはメルクリウスにとって本末転倒であるし、ルミアもわざわざ何を賭けているのかなんて三人に言うわけもなかった。









 メルクリウスはルミアが位置につくのを認め、頷きかけた。ルミアがそれに返し、メルクリウスが試合開始の合図として手を掲げる。そして、一気にそれを振り下ろし、その直後。




 一条の雷がメルクリウスの頬を撫でた。メルクリウスの頬に浅い切り傷が生まれ、そこから温かな赤が流れる。

 

 しかしながら、切り傷で済んだのは元より、ルミアに攻撃の意思がなかったからだ。それを知らしめるのはルミアが初めて見せる、してやったりとした微かな笑み。つまり、ルミアには暴れ回る雷の魔法を緻密に制御し得るだけの実力があるということ。

 

 なるほど、とメルクリウスがルミアの実力を測り噛み締める中、瞬時にしたり顔を隠したルミアが動き出す。

 


「《天の咆哮は音を隠し、その一撃を隠し――」


 

 ルミアの口から詠唱が発せられ、彼女の周囲に雷が迸る。バリバリと音を立てて空気を喰らい、蛇のように蠢く様はまるで意思ある怪物。

 


「いきなり、詠唱魔法か」

 


 メルクリウスがそれを前にして溢す呟き。

 

 詠唱の有無とは即ち、威力の高低に依存する。詠唱を必要とする魔法を詠唱魔法と呼び、無詠唱魔法に比べて威力は上がるが、当然それを制御するだけの技術が必要だ。

 

 その技術を持つ彼女は間違いなく、魔術師として一人前であり、メルクリウスは考えを改めざるを得ない。

 

 これはいい機会かもしれない、と。

 

 メルクリウスの口元に浮かぶは笑み。

 その意味を伺い知るより前にルミアの詠唱が完成する。

 


「――喰らい続けるが故、咎人を穿くまで止まらぬ:雷撃滅》」

 


 詠唱完成と共に突き出されるルミアの細く、白い右腕。それを待ち望んでいたのだ、とばかりにまるで雷蛇のような姿をしたルミアの魔法がメルクリウス目掛け、放たれた。

 

 メルクリウスは咄嗟に身を屈め、やり過ごす。そしてルミアの方を見遣ればいつの間に出していたのか、手に握られているのは魔法杖。ルミアがそれを振るえば、真後ろから轟音が鳴り響く。メルクリウスはまさかと後ろを振り返る。そうすれば、先程避けたはずのルミアの魔法がこちらへと再び、向かってくるのが見え、驚きに目を丸くする。

 

 しかもそれだけに留まらない。


 

「《雷刃》、《電撃》」

 


 ルミアは後ろの魔法に気を取られ、ガラ空きになっていたメルクリウスの背中に容赦なく無詠唱魔法を打ち込む。

 

 それを避け、二つの魔法が目前に迫った雷竜に吸い込まれるのを見ながら、メルクリウスは嘆息する。この歳にしてここまで、実戦的な魔法を使える魔術師はそうそういない。

 

 勿論、自分が例外であることは言うまでもない。生まれてこの方、魔法と戦闘術にばかり、この身を捧げてきたのだ。それが一体どうして同年来の括りに入れられようか。それでは周囲の人間があんまりだ、としか言いようがない。

 

 計画を見直すべきだな、とメルクリウスが歯噛みする間にもルミアが作り出した雷の蛇はメルクリウスへと向かうその先端をあたかも禍々しい口であるかのように上下に割きながら、メルクリウスを飲み込まんとしていた。

 

 メルクリウスの周囲を濃密な魔力が漂い始める。たったそれだけの事で雷の蛇の動きが鈍る。ただそれも一秒にも満たない移動速度を鈍らせただけなのだ。光速で動くものをほんの少し鈍らせた程度でどうにかなる訳が無い。しかし、ルミアの魔法がメルクリウスへと到達するそのほんの一瞬より先に、漂っていた魔力がメルクリウスを包むようにして半ドーム状の結界を構築する。

 

 そこへ、雷鳴と共に雷の蛇が衝突し、砂塵が舞った。


 

 

 


 


 

 

 

 

 

 

 

 












 私は一体全体、何をしているのだろうか。何故、こんなにも高揚を抑えきれないのか。

 

 魔術師たるもの常に冷静に。頭では分かっている。だというのに、自身の口は次から次へと呪文を紡いでいく。


 引き金になったのはメルクリウスが用いた防性魔法だ。黒い繭のような半球状の結界。本来、結界式魔法の多くは透明、もしくは半透明のモノである。しかし、メルクリウスのそれは、禍々しさすら伺え、見る者に嫌悪感すら与える代物だった。

 

 結界式魔法が透明に近いものであるのは魔力の維持や効率の面から考えてある程度の密度しか持たせず、純粋魔力を薄く保っている為だ。

 

 その観点で見れば、メルクリウスの結界式魔法が如何に異質なものであるかが分かる。また、結界の濃度を視認した瞬間には分かっていたことだが、その防御性能も格別だ。ルミアの放った《雷撃滅》は決して威力の低い攻撃ではなく、更にそこへ追い打ちとばかりに電気系統の魔法を二つほど撃ち込んでいた。だというのに、砂塵が晴れたその先には傷どころか砂埃一つついていないメルクリウスの姿があったのだ。

 

 驚愕しながらもそれならばと苛烈なまでに得意とする電気系統の魔法を撃ち込み始めたのがつい先程のこと。けれども、それらすべてをメルクリウスは危なげなく、処理していく。

 

 ルミアに矜持などない。しかし、ルミアは魔術師ランクの上位に位置する一介の魔術師であり、軍人だ。客観的事実として、ルミアは自身に力があることを知っている。それはこの残酷で儚く、生きる意味すら与えられることのない世界をただひたすらに生き抜く力であり、無力な者の唯一の牙かもしれない。けれど、それは例え、魔術師の名家が相手であろうと、戦場も知らないような学生に追随されるような力じゃない。

 

 いつもならば、戦闘中にそんなことは考えない。そんな考えは戦闘において何の意味も価値もなく、ただただ邪魔なだけ。だからこそ、ルミアは不思議だった。感情を殺してきたはずの自分自身が模擬試合であろうとこんなにも意地になっている事実があることに動揺を隠せない。



 

 そんな動揺を隠すようにして、ルミアは魔法をメルクリウスへと撃ち続ける。躱されれば、その移動地点を予測し魔法を放ち、それを防御されれば大火力かつ一点集中型、つまりは結界式魔法や硬度の高い魔物の外皮を貫く事に特化した魔法を射出する。

 

 幸い、あの漆黒結界はルミアが用いた不意打ち狙いの《雷撃滅》に対しての一度のみでそれからあとの防御には大きな括りでみれば通常の結界式魔法が使われていた。

 

 それを鑑みるにやはり、漆黒結界はその密度の大きさ故に魔力消費効率が悪いのだろう。あとは攻撃に回すために節約しているのだろうか、とそこまで考え、ルミアは未だにメルクリウスが攻性魔法を放ってこないことに違和感を覚える。

 

 ルミアに隙がないからだとか、その余裕がないからであるとか、理由はいくつも考えられる。

 

 そう、メルクリウスがただの学生ならば。

 

 ルミアは知っているのだ。メルクリウスが魔術師の名家ネイシェントの名を継ぐ魔術師見習いである事を。

 

 ルミアは負けないという自信を持っている。けれども慢心など欠片もしていない。それは戦場において最も忌むべきモノの一つで時として英雄の命さえ奪う。そんなものをどうして自分のような凡人が抱けようか。ましてや、魔術師の名家と名高い者が相手なのだ、その思いも一入である。


 ルミアは攻勢にありながら。いや、そうであるが故にメルクリウスの一挙一動に注意を注ぐ。


 

「《祖は雷神の槍。地統べる王が尊び、海の王が恐れし古き雷よ。我が敵を滅ぼし給え:電雷の法一項》

 《神成は轟き、明滅し、爆裂し、飛散する:落命雷降ろし》

 《神成のまにまに我は……ハァハァ……」


 

 ルミアの詠唱が不可思議な響きを伴って空気を振動させると同時に、ルミアの指先から鋭い雷の一撃が放たれる。それがメルクリウスへと向かっていくのを確認することもなく、ルミアは続けざまに魔法の詠唱を始め、そうして出来た魔法もまた、発生地点不明の雷となってメルクリウスを襲う。

 

 しかし、一撃目の結界破壊に特化した魔法を人外の動きで回避していたメルクリウスはその回避困難な攻撃を難なく、結界で以てして防ぎ、あろう事か笑みさえ溢していた。

 

 その余裕は何だ、とばかりにルミアは尚、魔法を放とうとするが、魔法行使の際に発生する熱のせいで遂に息切れを起こしてしまう。けれど、それは魔術師ならば誰もが習得する熱滅の呪文によって、隙とも言えぬような一瞬の出来事にとどまった筈だった。

 ルミアは自身の魔法によって体温が平常時のものへと戻っていくのを感じていた。つまり、熱を奪われていくということであり、得てしてそれは寒気にも似た感覚である。

 

 紛れもない事実だ。しかしながら、それとは全く別種の悪寒とも言うべき冷気を一刹那の内に感じる。

 

 ルミアはそれをよく知っている。

 七年前のあの日、ルミアは初めてそれを前にし、その日から常にルミアの側から離れることなく、居続けているもの。


 それは死の影だ。濃密な死の気配であり、ルミアにとって慣れ親しんだ感覚。


 思わず、ルミアは誰もいない筈の背後を振り返る。振り返り、直後にそれを悔いる。

 

 馬鹿か、私は。戦闘中に相手から目を離すなど。ましてや未知の実力を持つ得体の知れない相手から……。





 

 瞬時に視線を戻した先、ルミアの目に映るのはバリバリと音を立てて、浮かぶ十数個の球。

 

 ルミアはそれらに囲まれ、ほくそ笑むメルクリウスを見る。メルクリウスもルミアのその目線に気づいたのか、笑みを深めるとルミアに語りかけた。

 


「悪いな、ルミア。火の魔法を得意としているのは嘘じゃないが得意な魔法系統は一つだけじゃないんだ」


 

 魔術師の才を持つ者は殆どが得意な魔法系統を持つ。それが二つであることもそれ以上である事も魔術師の総数が多い今日では珍しいことではなくなった。

 

 ただ、それを差し置いても最早、メルクリウスのその言葉はルミアにとって、聞くに値しないものだった。

 

 なんせ、ルミアの目前でその球状を形取っていた高速移動する電子の塊がまるで意志を持ったかのように滞空していたその場で槍のような形へと変形していたのだ。

 

 魔法とは基本的に詠唱によってその形が定められ、初めて現象としてこの世界に顕現する。これは魔法の基本原則になっている法則である。確かに超一流の魔術師は時折、その法則を歪め、まさに自由自在に魔法を操る事がある。ただ、それはほんの限られた一部の人間だけが至る境地であるが故に得意とする系統に限っての話だ。決して得意でもない系統の魔法を片手間で出来るような芸当ではない。

 

 それを前提とするならばメルクリウスの、得意な魔法が火炎系統の魔法だけでなく、電気系統の魔法もそうであると言うのにも理解出来る。但し、それはあくまで理論上の理解であり、心情的に納得し得る事ではない。

 

 一介の学生が決して手を出してはいけない領域であることはさることながら、あまつさえ、それを成功させるなど訳が分からない。

 

 頭を抱えたくなるような気分に陥っているルミアを、気にする素振りもなく、メルクリウスはそれまで浮かべていた笑みを消すとルミアへ試合終了の宣言をする。


 

「ルミア、俺の実力はこれまでだ。もし、これを君が受け切ったのなら俺の負けでいい。君の要望を聞き入れよう。けどもし、君が負けたら大人しく言う事を聞いてもらうからな」

 


 そう言うメルクリウスの言葉にルミアは深々と溜め息を吐いた。彼はこれだけの実力を見せつけておいて尚、自分自身を直接的に負かしたいらしい。

 仕方ない。言い出したのはメルクリウスだが、事の発端はルミアにある。最後まで付き合おう。

 

 そう思ったルミアが頷き、了解の意を示すが早いか否か、メルクリウスはすっかり槍と化した魔法をルミアへと放った。その数、十五。ただ、五本一列を作って放たれており、波状攻撃としてルミアに襲い来る。

 


「くっ……《汝、乱れ荒れ狂う千変万化の道化師。在るべき所へ還れ:分性離反》」

 


 その苛烈なメルクリウスの攻撃をルミアは自身が持つ反撃魔法の中でも今、出せる最高の魔法を繰り出す。

 

 ルミアが繰り出した魔法、それは魔法が魔力の変質により引き起こされている、という魔法の基本原則を利用した魔法である。簡潔に言えば魔法をその大元たる魔力へと強制的に返還する魔法だ。謂わば、魔力に頼る魔法に対して非常に効果的な防御魔法で、この場合、ルミアの選択は正しいものである。

 

 魔法行使には人間が自分自身の力で起こし得ない力を起こす際に魔力が用いられる。故にこの魔法は人間が自身の体内で他を感電させる程の電気を生み出せないことから電気系統の魔法に対して、絶大な効果を発揮するのだ。

 

 そうして、大方の予想通りに前二列の計十本の電槍が消える。そう、消えたのは十本だけ。

 


「は……?」

 


 思わず、ルミアの口から漏れる声。

 有り得ない。魔法と呼ばれる技術を説明する上で幾度も上がるだろう言葉の一つだ。けれども、魔法が技術として伝えられているのは基盤となる理論が解明されているからであり、今尚、その研鑽は続けられている。ならば、あり得ないなどという言葉は魔法を前にして口に出すべきではない。それを一人の魔術師として弁え、その言葉を心のうちに留められただけ、褒められて然るべきなのだ。

 

 魔術師は常に理知的に目前の現象を客観的事実と感情を排した純然たる知識の活用によってのみ、考察しなければならない。そうあらねば、魔術師が生き抜くことは出来ない。

 

 だからこそ、心中に渦巻く感情とは裏腹にルミアの頭は常人の数倍もの速さで思考する。

 

 今、この場において勝つための最善手。それは何なのか。

 ルミア・ラルカという一個の魔術師として培ってきた経験を最大限に活用し、そうして導き出される結論。


 それはルミアを届かぬ高みへと挑ませた。


 

 

 

同日 18時に第七話が投稿されます。

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