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魔術師の涙  作者: 冬雅
第三章 狂騒の夜
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第三十話『神曲の調べ』

 立ち上る火線。それが幾条も森の方より上がる。それはまるで悪い夢でも見ているかのようで。

 


「なんで……」

 

 

 私が魔物を見過ごした?でも、只の一度も集中を切らしてなどいない。当然だ。親友の命が掛かっているんだから。軍部に所属し、普通とは無縁の暮らしをしてきた私に、彼女らが与えてくれた安らぎを、私は返すはずだったのに。

 

 じゃあ、バジリスクとの戦闘中に?いや、そもそもどうして、一体だって見過ごしていないだなんて確証があるのか。時間が経つごとに遭遇する魔物の数が増えているのは分かっていたことじゃないか。それはつまり、魔物が警備の穴をくぐり抜ける確率だって上がるということ。

 


 「ち、違う。今はそんなこと考えている場合じゃない。助けに行かなきゃ」 

 

 

 ぼやけた視界の中、ヘレナが近くまで駆け寄ってきていたのが分かった。

 私は急いで騎乗し、ヘレナへ全速力の指示を出す。

 

 

 「間に合って……」

 

 

 それは半ば祈りに近かった。最初にフレアガンの救助要請が上がってから既に一分程度が経過している。奇跡でも起きない限り、人死には避けられない。そして、私はこの世界にそうそう、奇跡が起きることなんてないことを知っている。

 

 森にヘレナと共に突っ込んだとき、悲鳴が私の鼓膜を震わせた。地獄の始まりだった。

 

 

 

 荒野地帯から見て、森林地帯の入り口に当たる部分。まず、向かったのはそこだ。如何にヘレナの全力が時速200kmを超えるとはいえ、それは平地での話。木々の生い茂る中をその速度で走ることは自殺行為に近しい。しかし、魔術師としての身体能力とヘレナの高い知能が全力に近い速度を出すことを可能としていた。

 

 森の中を疾駆し、草木の間に目を凝らし、生徒や先生方を探す。

 

 本音を言えば、今すぐにでもスーフィアたちのもとに駆けつけたかった。けれども、この学院で過ごすうちに私も甘くなってしまった。ただ自分の目的のためいくらでも冷徹になることが出来た、軍人としての私はもういないのだ。 

 

 

 『ルミア、君は優しい女の子だ。だから、まずは非情になることを覚えなければならない』

 

 

 ずっと師は聖域で生き残る術を教えているんだと思っていた。身寄りのない私が最低限、生きられるように、魔術師として分不相応な願望を抱く小娘を哀れんでの戯れだとそう思っていた。魔物について教えてくれるのだって、トラウマを負った私への荒療治なんだとばかり、思っていた。

 

 期待されていたのだろうか。孤児如きに、一体あの盲目の魔術師が何を。

 

 

 『私はいずれ、君が世界を、或いは大いなる全の一を救うと信じている。私の勘がそう告げている』 

 

 

 走馬灯というやつがある。死に瀕した人間がこれまでの経験からどうにか死を回避しようと記憶を瞬時に遡る際に起こるとする連続的映像記憶の再生だ。それは人間のみに限らない。例えば、人類が魔物と同等に毛嫌いするあの黒光りした虫は危険を察知するとIQが跳ね上がるとする説があるし、殆どの生物は死を感じれば、繁殖能力が向上する。

 実際、今日まで種を繋いできたことを考えれば、生存本能というのは侮れない。

 

 私が魔界に来てから、頻繁に師の言葉を思い出すのだって、自分自身を助け、友人を救おうと必死になっているからだ。そして、それは裏を返せば常に死を肌身に感じているということ。

 

 今、その死の気配が森に入ってからというもの、噎せ返る程に濃くなっていた。

 

 ──焦っちゃ駄目だ。先生たちだっている。それに、メルクリウスがもう既に駆けつけていて、私は必要ないことだってありえるじゃないか。 

 

 心の中を出来る限り、ポジティブな妄想で埋め尽くす。自分でもそれが虚勢に過ぎないことは分かっている。ただ、そう思っていなければ心が折れてしまいそうだった。

 

 最初に見つけたのは学生の装備品の数々とそこに残る僅かな血痕。それが点々と足跡と共に森の奥へ奥へと落ちている。しかし、気掛かりなのは襲撃者の痕跡がないこと。魔物に襲われたなら、何かしらその存在を示す跡があるはずだ。けれども、ここにあるものからして誰かが怪我をして、大慌てで逃げた……そんな印象を受ける。

 

 考えられるのは空からの奇襲。ただ、それにしては木々に傷がなさすぎるし、被害が少ない。飛行を可能とする魔物の多くは強力な種である。メルクリウスが学生街で戦った飛竜種もその一つだ。

 

 第二の可能性は人為的な襲撃。考え難いことではある。けれども、あり得ないことでもない。人の悪意というのは探せばどこにでもあるものだ。

 偶々、魔界遠征の真っ只中。破滅願望を持つテロリストが、その被っていた化けの皮を自ら剥したのだとしても不思議ではない。

 

 ──魔界の地で、魔物に、テロリストか。最悪の組み合わせだ。

 

 

 「それで……あなたがこれをしたんですか?」

 

 

 馬上、前方の茂みへと視線を向ける。

 鬱蒼とした森の中では十分な視界が得られず、姿までは見えない。けれど、そこから魔力の高まりを確かに感じた。

 

 茂みの向こうで嘆息の音が聞こえる。そして、何かがこちらへと投げ遣られた。

 見れば、それは杖だ。レニオレアの学生に支給される最も一般的なもの。

 

 犯人は学生か──?

 

 

 「ルミア・ラルカ特別訓練教官殿とお見受けする。私はレニオレア学院の五年生。特別高度技術枠魔術師育成学科所属、生徒会長を務めるシモン・ラズラエルと申します。今からそちらへ伺います。よろしいでしょうか」

 

 

 疑心を向けた私に、畏まった声が掛かった。

 想定したものとは違ったことに驚きつつもヘレナから降りる。

 

 それを肯定と理解したのか、シモンと名乗った声の主がゆっくりと茂みの中から現れた。

 

 姿を見せた彼は痩せ型の長身だった。明るい茶髪に、ブラウンの瞳、温和な顔立ちをしたシモンは学生服に所々、傷を作りながらも上げた両手からは疲れを感じず、足取りはしっかりとしていた。

 

 

 「ルミア教官ですよね?この遠征中は学生のルート確保のため、周囲の魔物を倒している……と聞いています。そんなあなたが何故?」

 

 

 自分よりも頭二つ分ほど高いシモンが両手を上げるとまるで威嚇されているかのようだ。杖は手放しているが、それは魔術師にとって外部装置に過ぎない。

 魔法を使い始めたばかりの学生ならいざしれず、レニオレアの特高学科。それも生徒会長の肩書きを持つという話が本当ならば、目の前の人物が優秀な人間であることは疑いようもない。そして、優秀な魔術師は杖なんか持たずとも、魔法を操る。加えて、魔術師が持つ身体能力は杖の補助なんていらないのだから、白兵戦における杖の放棄は精々が、交戦の意思なしという自己申告程度にしかならない。それも作戦の内ということだって、ザラにある。

 

 

 「といっても、救助要請を見て、駆け付けてくださったと見るのが普通でしょうね。ルミア教官がわざと魔物を誘き寄せた敵だとしても、私程度では太刀打ちできないでしょうし」

 

 

 黙りこくっていた私に、フッと肩の力を抜き、やれやれと肩を竦めたシモン。

 

 彼は警戒を解き、私が何も言わないのを見て杖を拾い上げた。それはここで問答をする気はないという態度の表れだった。しかしながら、先のシモンの言葉は私にとって到底、聞き流せる類のものではない。

 

 

 「それはつまり、あなたは警備網に穴があった、と?」

 「?それは当然かと。現にさっきからひっきりなしに救助要請が空に上がっています。私もそれを見て、一番近場だった、ここまでやってきた。幸い、私はまだ魔物を見ていませんがこれだけの異常事態。何かしら手違いがあったか、それとも明確な裏切り行為が起きているとしか考えられません。そこでまず、考えられるのは警備を担当する教師陣の誰かがわざと魔物を抜けさせた、とする説。防衛線の中にいる人間が外にいる魔物をどうこうすることはできませんからね。最前線の人間を真っ先に疑って然るべきでしょう」

 

 

 では、何か。メルクリウスが魔物を敢えて、取り逃がしたと?それで生徒たちを阿鼻叫喚の地獄に突き落とそうと画策したと?

 

 空へと打ち上がる花火の下、そこに広がっているだろう光景を他ならない、無貌の英雄が望むと、そう言いたいのか。

 

 

 「あり……ない」

 「えっ?」

 「ありえない!彼がそんなことをする訳がないでしょう!あなたに彼の何がわかるというの!彼が何を背負ってきたかも知らないくせに!!!」

 

 

 私は吼える。この無知蒙昧な馬鹿に理解させなければ、とそう思った。

 

 

 「落ち着いてください、ルミア教官!私はあくまで可能性を提示したまでです。それになんですか、"彼"、"彼"って。まるで一人を名指しで決め付けたかのような言い方。防衛線を守るのは複数の教師と退役軍人の方たちです。ならば、憤るべきは学院を信用しない生徒としての態度でしょう。ルミア教官のその、誰か大切な人を罵られたかのような言い方は相応しくない」

 

 

 シモンの目がスッと細められる。追及の目。疑念を確信に変えようとする投げ掛けだ。

 

 

 「もしや、ルミア教官。何かご存知なのでは?」

 

 

 その瞬間、魔力が高まる。

 

 

 「くっ……教官が生徒を訓練棟で殺したって噂は本当だったようですね」

 「シモン・ラズラエル。あなたにそれを問う資格はない。あなたはただ、"この犠牲の上に成り立つ平和の上で胡座をかいていればいい。ゆりかごの中、大切に守られながら育てばいい。それを咎めはしない。されど、それ以上を求めることは許されない。力のないものには与えられたものだけが全て"」

 

 

 それは英雄譚の一部だった。"故に目を閉じ、耳を塞ぎ、口にするな。我が道の前に立たざるべからず"と続く。要約してしまえば、余計なことはせず、邪魔をするな、とそういう教えだ。

 

 

 「こども扱いですか」

 「現にあなたは私より弱い。魔術師としての腕は遥かに私の方が上。ここは魔界。強いものだけが生き残る。だから、生き残るためにあなたは、上官である私に従う義務がある」

 

 

 苦虫を噛み潰したような渋面。見るからにシモンの顔には気に食わないと書いてあった。

 それでも、彼我の実力差は彼の目から見ても明らかなのだろう。私には敵わないと理解している。

 

 

 「はぁ……分かりました。分かりましたよ。ですが、私に出来ることなんて限られてますよ」

 「あなたには何も期待していない。するべき事は全部、私がやる。あなたはただ、死なないように立ち回ればいい」

 「さいですか。まるであんたは御師様のようなことを言う」

 「御師様……?」

 「ええ、そうですよ。釣り目の怖い人です」

 

 

 シモンの軽口に付き合っている暇はない。自体は一刻を争う。

 

 

 「そう。馬は?」

 「向こうに。ですが、この森の中では十分な速度は出せません。肉体強化を用いて、走ったほうが早いでしょう」

 「分かった。あなたはそうするといい。私はこの馬を置いていく気はない」

 「はいはい。では、話している時間も惜しいことですし、行きましょう。ルミア教官」

 

 

 シモンの言葉に私は首肯を返し、ヘレナの背へと跨る。シモンはシモンで、準備運動をして、身体を解し、走る用意は万端といったところか。

 

 思わぬ随伴者が出来たが、生徒会長になるほどの人徳者なら、生徒をまとめ上げることに長けているに違いない。戦闘面はともかく、そこには大いに期待できる拾い物だった。

 

 

 

 

 周りの光景に変化が現れ始めたのはシモンと出会った森の入り口より、五分ほどヘレナを走らせた所だった。

 

 そこは木々が巨大な何かにへし折られ、或いはなぎ倒されて出来た広場だった。

 

 

 「教官、これは……」

 

 

 驚きに目を丸くするシモンは置いておいて、私は最もこの場において相応しく、しかし、あってはならない光景を求め、広場の奥へと歩を進める。

 

 

 「あった……」

 

 

 血だ。それも大量の血。人一人分ではないだろう。周囲の草木に飛散し、赤く濡らす夥しい量の血がここで起きた惨劇を用意に想起させる。

 

 着いてきたシモンが背後で息を呑むのを感じる。無理もない。学生の内に、森を赤く染め上げるだけの量の血を見たことがある人間なんてもの、そうはいないのだから。

 

 

 「これは魔物の……」

 「こっちは多分そう。でも、殆どは──」

 

 

 ──殆どは暴発だ。錯乱状態に陥った生徒同士が未熟な精神で強力な魔法を使えば、そうなるのは当然のこと。現場に残された、跡からここで起きたことを推測するのは簡単だった。

 

 まず、生徒たちの前に魔物が現れる。生徒たちは怯えながらも応戦したのだろう。しかし、魔物に生半可な魔法なんて効かない。やがて、一人目が犠牲になる。叩きつけられでもしたのだろうか。陥没した地面は丁度人一人分、深く抉れていた。それを見た生徒の多くが恐怖心に耐えきれなくなった。引率する教師の指示でなんとか維持されていた戦線は崩壊。後方支援に努めていた生徒の魔法、その多くが仲間に当たる。そして、無防備な背へ魔法の直撃を食らった生徒とそれに気を取られた生徒が第二の犠牲となった。

 

 それからを端的に言い表すならば、地獄というより他ない。目の前で見知った人間が殺されていく、その恐怖。隣の人間が死に、次は自分なのだと知る絶望。

 

 

 「はっ、はっ……」

 「きょ、教官?」

 

 

 目の前の赤い森はいつしか、赤々と燃えていた。

 

 (だめだ。こんな時に思い出すな)

 

 思うも一度始まったそれは自分の意志では止まらない。 

 

 目前、噴き出した朱。その生温かい朱がしとどに雨となって降る。ぬるりとしたそれが私の全身を、そして、白かったあの場所を紅く赤く染め上げていく。

 

 その赤の向こう、邪悪の化身がいて。

 

 

 「ぁあ、あぁあああぁああ!!!」

 

 

 反射的に放ったのは無詠唱型の《雷撃滅》だった。今持てる最大の威力で、最速で放てる私の刃。

 

 幻影だ。分かっている。

 

 メルクリウスが来てくれた。知っている。

 

 私はもう、あの無力だった頃とは違う。

 

 

 「はぁー、はぁー……」

 

 

 詠唱するよりも数段、威力は落ちる。ただ、使い慣れたこの魔法は私にとって、メルクリウスの使う光だ。似せるつもりはなかった。それでも、全てを失った私が最初に求めたのはあの光だった。

 

 最初にこの魔法を完成させた私に、師は諦めるような、呆れるような、そんな曖昧な顔をしていたように思う。──それともあれはあの盲目の魔術師が見せた、微笑みだったのだろうか。

 

 分からない。分からないなりに私はこの魔法を磨き、高めてきた。あの日見た魔法には遠く及ばずとも。

 

 

 「教官、大丈夫ですか」

 

 

 ふと声を掛けられた。気付かないうち、隣にまで来ていたシモンだ。痛ましいものを見るような、そんな顔だ。シモンの私を見る目がそういう風に変わるのも仕方がない。先の取り乱し方は、精神異常者のそれだ。 

 

 それがこんな魔界の地における同行者であり、自分の頼る寄り辺になるなんて、彼からすれば堪ったもんではないだろう。

 

 

 「行きましょう。恐らく、ここにいた魔物は皆を食べたあと、遠征隊の内部へと進行している」

 

 

 落ち着き払ったシモンの態度。それでも分かる。脂汗を額に浮かべ、必死に取り繕おうとする彼の頑張りが。

 

 彼だけじゃない。この遠征隊には助けを求める学生が多くいる。その中にはスーフィアたちだって。

 

 それはまるで、かつての私のようじゃないか。力を持たなかった、あの日の私のようじゃないか。

 

 きっと覚悟が違う。幾らか彼らのほうが持っているものだって多い。それでも、人間はそうそう強さを得られるものじゃない。

 

 

 「ごめんなさい。もう大丈夫。皆を助けに行きましょう」

 

 

 意図せずして、出来た道。それを私たちはひたすらに走るのだった。

 

 それは地獄へと続く道。一切の望みを捨てねばならぬ、道。

 

 神曲の調べが今、奏でられんとしていた。

 

 

 

二月までにどうにか、三章を終わらせたい所存。

予告となりますが、三章は少々、中途半端に思えるところで終幕となります。これは諸事情による無理な切り方というわけではないことを予め、ご了承下さい。


また、第四章再開が一年先になるかもしれないことも重ねてご理解いただけますと幸いにございます。

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