第二十八話『魔界の門』
新年明けましておめでとう御座います。
今年もよろしくお願いしますm(_ _)m
魔界編スタートにございます。当初の想定よりも魔界編までの間延びが多かったように思いますが、今一度この物語のリスタート地点と思っていただければ幸いにござい。
クロス教官という魔界のスペシャリストと言って差し支えない、強力な協力者が出来たことにより、魔界遠征試験までの訓練は順調すぎるほどに上手く進んだ。
訓練棟であった諸々は学院長たちが留守の間、全権を任されたシーベル老師並びにアステル魔将たちが揉み消した。しかし、職員に対してはそれで良くとも、多くの生徒は口さがない。人の口に戸は建てられぬとはまさにこの事で、一部では私が"生徒を虐殺した"事になっているらしい。その報せを持ってきたのはアリシアだったが、その彼女は酷く憤慨している様子だった。
曰く、『ルミアはあの場にいた生徒全員を守ったっていうのに恩知らずな凡人ばかりが群がって……』とその赤い髪が逆立つ程の魔力を迸らせ、言うのだった。カルロやアルトも同様に怒りを顕にしてくれたが、それ以上に業を煮やしていたのはスーフィアだ。
彼女はアリシアからその話を聞いた途端、にんまりと笑顔を浮かべ、アリシアの肩に手を置いた。そして、私のため、怒るアリシアに訊ねるのだ。
『それでアリシアちゃん。その愚民の方々はどこにいるのかしら?』
あの時ほど、この青髪の天使が実は裁きを下すため、天が遣わした破壊の使者なのではないかと疑ったことはなかった。そのスーフィアの静かな怒りには最初に感情的な言葉を発したアリシアも冷静さを取り戻すほかなかった。いや、その後の『ここにリスト化しておきました』と言いながら、名簿を渡していたことを考えるに……一周回って落ち着いてしまっただけだろうか?
兎も角、メルクリウスがクロス教官に正体を明かした、次の日の訓練では随分と体制の変化があった。これにはクロス教官という助っ人の存在もそうだが、スーフィアの言によれば、『お兄様がね、ルミアちゃんによろしくって』とアステル魔将が退役した元軍属魔術師を雇ってくれた事が一番大きい。この人員増加に伴い、私一人が全体の進行を任せられていたときよりも格段と訓練の速度は上がったのだった。
「それにしても変ね。ルミアちゃん。いつ、お兄様とお知り合いになったの?」
そう訊ねるスーフィアに私は笑って誤魔化す他なかった。幸い、スーフィアは聡い女の子だ。
「まぁ、ルミアちゃんもお兄様も軍部の方。まだ私には言えない事だってあるのは仕方のないことだわ。でも、いつかは教えて頂戴ね、ルミアちゃん」
天使のような微笑みを浮かべて、そう言うスーフィアは何処か寂しそうだった。彼女のそんな顔を見ると、まだいくつもの秘密を抱えている身としては罪悪感で胸がいっぱいになりそうだ。
その、せめてもの贖罪に。私は私の全力を持って彼女らを生きて帰してみせよう。この大切な友人たちを守り抜いてみせよう。
しかし、私はこの時、とある重要な事実から自身が目を逸らしていることに気付かなかった。魔界に赴くということの意味。それを十分に理解していながら、守らねばならないという意識ばかりがそこにはあって。
朝は早くに起き、支度を済ませるとメルクリウス謹製の訓練を行い、放課後はスーフィアたちを中心に指導をする。そして、また寮へと帰れば、メルクリウスに訓練を受け、クタクタになって寝床につく。そういう慌ただしい生活を送る内、気付けば、魔界遠征試験当日の朝を迎えていた。
その日は魔力の温存ということで「朝の訓練はなしだ」と言うメルクリウスには些かの緊張も見られない。
──それも当然か。
一説によれば、《最強》の功績、つまりメルクリウスが成し遂げてきた数々の偉業。そのすべてを合算すると人類史における魔物の殲滅数の約三割を占めるという。
それだけの魔物を屠ってきた彼ならば、今更、魔界だなんだと騒ぐことは寧ろ難しいだろう。
ただ、そんな彼でも今朝は冷たさすら感じる表情で何処か真剣な面持ちをしていた。
果たして、私にメルクリウスの背負うものを幾らかでも一緒に分かち合うことはできるだろうか。
否、既に私は可能不可能を検討する段にはいないはずだ。ここ数日のメルクリウスから受けた訓練は私の魔術師としての力を大いに向上させた。
体内魔力は以前より五割増し、扱える魔力の総量も増えているように思う。また、魔法技術についての指導以外にも対魔物を想定した総合格闘術並びに剣の扱いをメルクリウスから習った。私の得物は以前、メルクリウスが飛竜種をぶった斬った例の剣だ。まだまだ、メルクリウスのような事はできないが、それでもなんとか様にはなった。「これなら実践でもなんとかなるだろう」とメルクリウスのお墨付きだ。
しかし、私の元来の得物は専用武器である短剣だ。これは一時、師事していたとある人が私に、と特注してくれたものになる。最近は会えていないが、元気でいるだろうか。あの人に限って、何かあったということはないだろうが。
訓練中。メルクリウスが私の短剣を見て、何か言いたげな顔をしていたところを見るに彼は何か知っているのかもしれないな、と思った。けれども、今はそんな話をしている場合ではない。
この遠征が終わったら、ゆっくりと腰を落ち着けて話してみよう。そう、私は密かに決めるのだった。
魔界遠征試験当日。入学式や臨時説明会の際にも使われた講堂に私たちは集められた。
シーベル老師並びに今回の遠征の引率を務める教師陣が生徒たちの前に立ち、説明を始める。内容は魔界での諸注意に加え、万が一魔物と遭遇した場合には、各自支給されたフレアガンを打ち上げること等々だ。
フレアガンが打ち上げられること。それはつまり、デッドラインを越えられたということ。私たちが守るべき防衛線を抜けられた、というあってはならないことの証明。
それでも私は自信があった。この数日間で格段と強くなったという自負だけではない。寧ろ、それだけなら、私はまだまだ自らの至らなさに気付いて、増々自信を失くしていたかもしれない。
そんな私の胸を軽くしてくれるのはメルクリウスの存在だった。
遠征前夜。魔界という場所への不安を溢した私にメルクリウスは言うのだ。
「ルミア、君との約束は守る。スーフィアたちは必ず守り抜いてみせよう。だから、君は君のやるべきことを果たせ」と。
その時の私の気持ちを一言で言い表すなら、まるで天啓を受けたかのような心地だったと、そう言える。この世にこれほどまでに心強い言葉があるのだろうか、と。これ以上に私を勇気付ける言葉があるだろうか、と。
そう思う私はきっとチョロいのだ。けれども、そのチョロさが私に諦めない力を与える。心に希望の火を灯してくれる。
『では諸君。心の準備は良いかね?命を賭す覚悟は良いかね?恐れと戦い、己を、そして己が友の命を守ろうとする心意気は良いか!無論、諸君らの中にはそれだけの意思を持たないものもおるじゃろう。しかし、世は理不尽でできている。この世界は鳥籠の中にあり、我々は生まれ出づりしその時より、その籠の中で暮らす飼い鳥じゃ。今まさに諸君らはその鳥籠を生まれて初めて飛び出そうとしている。
しかし、安心せい。恐怖を捨てよ。魔物の爪も、牙も、諸君らに触れさせはしない。儂らが、そして、《最強》が必ずや、諸君らを無事にこの地へと帰してみせよう』
「……!」
老師の言葉が生徒たちの鼓膜を震わす。それは講堂に集まった人々の間を衝撃となって掛け巡った。
かくいう、私だってそうだ。反射的に隣のメルクリウスを見るが、いつもの如く平然としたものだ。
「る、ルミアちゃん!《最強》ですよ!《最強》!!市井を賑わせたあの伝説の!ルミアちゃんはご存じだったのですか!?」
左隣にいるスーフィアが先のシーベル老師が放った言葉に興奮した様子で話しかけてくる。しかしながら、私だって知らなかったとは言い辛い。私は強張った顔のまま、スーフィアへは如何にも知っていましたよ、という様を装う。その内心では混乱ここにきわまれといった様子だった。
たしかに、やることは変わらないだろう。けれども、それを公表するか否かで生徒たちの気の持ちようやこの遠征の意味合いが変わってくる。
『無論、この事は諸君らだけの秘密じゃ。今回の魔界遠征、目的は学生たちによる魔界調査並びに生還となっておる。これは内々のこと。《最強》は魔術師の卵たる君たち、学生諸君がみすみす命を散らすことなきよう、個人的協力を申し出てくれたまで。軍部の許諾は下りておらん。故にくれぐれも口外せぬように』
仮に口外したところでその姿を生徒たちが見ることはない。その為に証拠は残らない。
メルクリウスが学院へと入学していることを知る軍上層部からすれば、筒抜けだろう。ただ、お偉方からしても尻尾さえ掴ませないなら、看過して良しとする所だろう。
だから、如何でもいいと。けれど、生徒の士気が上がりこそすれ、そこにメリットはあるのか。ともすれば、生徒の中には魔物の姿がないことで調子に乗るバカも出てくるかも知れない。
──何が目的なのか。メルクリウスはいつもそうだ。肝心なことは何一つとして教えてくれない。
それは何処か胸騒ぎを覚えることで。一抹の不安は消えぬまま、老師が叱咤激励で出発前の話を締める。そして、その言葉と共に講堂の床全体に敷かれた転移魔法陣が光り始め、その効果を発揮せんと魔力を解放し始めた。
『この魔法陣は西の守護門へと通じておる。向こうでは三十人一集団として、班毎に分かれておるが勝手な行動は慎むよう。では、諸君。あちらでまた会おう』
転移というのはどうしてこうも眩い光と酷い目眩が起こるのか。
私にとって唯一、師と呼べる人が言うには転移魔法の根幹に座標上の移動というものがあるからなのだそうだ。転移魔法には二通りある。一つは高速移動。そして、二つ目は瞬間移動だ。前者は物体をとある点からまた別のある点へと道程に沿って移動させる。その際、できる軌道は必ずしも直線とは限らない。高速移動中、物体は実体を伴っているため、二点間にある障害物を通り抜けることは出来ないからだ。その性質上、距離の圧縮は可能でも物理的に通り抜けることができない点への移動は不可能だ。原理的には、身体へ薄い障壁を張り、高速移動を可能とさせることから結界魔法に近しい。
後者は学院長が使ったものにあたる。これは単純に高速移動の上位互換といえる。多大な魔力を消費する代わり、デメリットは魔力消費量以外にない。その魔法性質は物体の再構築。原子レベルでの精密な魔力操作とそれだけの物質量を一挙に動かせるだけの魔力量を持たねば、まず無理だ。
この性質からこの魔法は物体の透過を可能とする。物理的障害物をも分解、再構築を繰り返すことで二点間を障害物の有無に限らず、直線で結ぶことが出来る。
『同じ効果なのにね。魔法というのは奥が深い。君も魔法の、その深さに魅入られたんだろうね。いや、君の場合はそれを扱う人間の方に、かな』
なんで、こんな時に師匠の言葉を思い出すんだろうか。記憶の中の師は尚も言葉を続ける。
『そうだね……もしも。もしも君が再び、彼に巡り会ったとき。君は彼のことをより深く知ることになる。彼も同じだよ。この世はほとんどのものが表裏一体で、事実というのは何通りだってある。一見、同じことのように見えて、その実、全く違う二つの事柄が複雑に絡み合い、一つの事象をあたかも、それが現実であるかのように作り出していることだってある。
とは言っても私も彼を正しく理解しているとは言い難い。実際に君の目で見て、それは判断するといいだろう。私に出来るのはそれまでのちょっとした手伝いだけだ』
あぁ、そうだ。師はそんなことをよく言っていた。
──でも、何故?どうして、今そんなことを思い出す?
転移した場所は守護門にほど近い場所。入口付近、魔界とは壁一枚隔てただけの場所だった。
して、転移酔いの醒めた生徒から順々に教師陣の指示に従い、班別に守護門の前へと整列を始めるのだった。
老師が出発前にいった言葉通り、一班を三十人とし、ちょっとした軍事作戦並みの人数を運用する。そして、私やメルクリウスはこれを守り切るのだ。
予め、スーフィアたちにはメルクリウスが別の班であることは説明してある。勿論、遊撃隊である私については了解済みだ。そして、私同様、遠征隊の外縁をなぞるようにして展開するメルクリウスは当然、この班編成には所属していない。しかし、これだけの人数ならば、彼が所属班にいなかった事には気付かないだろう。──いや、スーフィアやアリシア、それにカルロにアルト……彼女ら四人の情報網を舐めてはいけない。普段、一緒にいるから気付きにくいだけだ。私やメルクリウスが彼女らのコミュニティにしか所属していない事とは反対に多くのグループと交流を持つのが彼女らである。この嘘はバレるものと思って間違いない。
そこから更に思考を飛躍させ、メルクリウスこそ《最強》であるという結論に達することは難しいだろう。けれども、これまでだって彼らの前で私たちはヒントを与えてきている。今回のことが決定打になる可能性は無きにしもあらずだ。
それもこれも生きて帰れたらの話だが。
守護門の開口部は巨大だった。その大きさたるや、三班が班毎に整列し、一気に出られるだけの広さを備えていた。
通常、魔界での行軍には軍馬或いは軍用犬が用いられる。これらの魔界行軍用に訓練された軍馬や軍用犬は魔導具を装備しており、時として戦闘への参加も可能とする程の闘争心を持つ。ラオニアに所属する多くの魔術師にとっては命を預ける相棒とも言える存在だ。
今回、レニオレア学院の生徒皆々に支給されたのは軍馬の方だった。
軍部の所有する軍用犬は成熟すれば魔物にも対抗しうる力を持つものの、その品種の希少性より借り受けることは難しかったのだろう。
私は遊撃隊として、第一陣たる、現在守護門開口部に並ぶ三班の後方に付いた。
『では諸君、魔界へと征くとしよう。先導は私が行う。遅れずについてこい』
先頭のクロス教官が号令を出す。ピリピリとした緊張感が場を包み、私は一つ深呼吸をする。
そして、地響きとともに私たち一行は進み始めた。
第三章もいよいよ大詰め。物語が大きく動き出します。




