第五話『片鱗』
眼前に迫った拳。それに纏うはすべてを焼き焦がさんとする青白い炎。
受けるのは無理だと判断し、回避に専念する。
試合が始まってからずっと違和感はあった。攻撃側にあったカルロにはメルクリウスが手を抜いているのだろう事が容易に分かっていた。
同じ歳である事を考えれば、その子どもをあやす大人のような態度に悔しさを感じはしたが、防御に徹するメルクリウスの受け流しや炎で形成された盾はカルロに感嘆を抱かせるには十全過ぎた。そして同時に彼我の差を感じさせるのにも。
そんなメルクリウスが攻撃側に回れば、当然ながらカルロはその攻撃を受け切れなくなる。そう、当然である事は分かっていた。だとしてもカルロには目の前に突き出される拳にどうにかして、対処するしかなかった。
カルロはメルクリウスの炎の盾を模し、纏った雷を自身の前に展開する。
密度はメルクリウスのそれに比べれば圧倒的に小さいがそもそも電気由来の魔法はそのような模倣を行うのに適していない。カルロが作り出した盾は寧ろ、学生にしてみれば優秀だ、という評価になるのだろうか。
しかし、盾は盾。相手の攻撃を受け切れなければ意味はない。
雷の盾、いや、時折、雷鳴がするそれは障壁といった方が正しいだろう。とまれ、雷の障壁はメルクリウスの炎の拳とほんの一瞬だけ拮抗する。されど一瞬。侮ることは出来ない。カルロにとって、その一瞬は回避するだけの時間を与えられた事と同義。
瞬時にメルクリウスの拳がどこを狙ったものなのかを予想し、避ける。
メルクリウスが腕に纏わせた炎が脇腹を掠め、カルロは背に冷たいものを感じる。無事に避け切ったことに安堵する間もなく、攻勢に回ったメルクリウスは先程のお返しだと言わんばかりに次々と攻撃を繰り出す。
それをカルロは負傷覚悟で雷を纏った腕で防ぎ、時に避けながら徐々に後退を余儀なくされていた。
そして攻撃を交わし、ほんの一瞬、気がそれた内。遂にメルクリウスの炎拳が腹に直撃する。その直前、カルロは衝撃を抑える為、わざとメルクリウスとの距離を縮め、勢いを殺した。しかし、それでも尚、メルクリウスの炎拳はカルロの意識を一瞬、刈り取るほどの威力。クラスメイト達から悲鳴とも歓声ともつかない声が上がる。その声を遠くに聞きながら、カルロは本能的な危機を感じ取り、目の前のメルクリウスを見る。
つい先程、親しくなった少年。金の髪に赤と青のオッドアイ。多くの女子の目を惹くだろうその外見は、しかししてメルクリウスの何処か退屈そうな表情により中和されてしまっている。その雰囲気から斜に構えているような人物なのかと思い、話しかけてみればその中身は至って普通の少年。何ら、自分と変わらないのだとそう思っていた。多少の武術の嗜みを感じさせるその歩き方はどうやら流派が違うようで自身のそれとは異なったが、興味が湧いた。そして、ルミアという少女と二人、何も話さずに歩いているのを見て、ここしか無いと話し掛けたのがつい、さっき。
腕試しのつもりでメルクリウスに挑んだはいいが攻めあぐね、今では追い詰められるに至る。自分から立候補しておいてみっともない限りだがこの試合を見ればメルクリウスの実力がこの特高学科においても高いものである事は明白だ。そんな相手になら負けてもいいかとそんな覚悟を決め、笑みを浮べながら見たメルクリウスは全くの無表情。恐ろしいまでの無だ。
ルミアの無表情はまだ和やかで、少し感情の機微に敏感な感性を持つものであればその表情の下に幾つもの感情を感じ取れるもの。対してメルクリウスの無表情は見た者に虚無を感じさせる類のそれだ。
嗚呼これはヤバイ、逃げなければと思うカルロの意思とは逆に身体は蛇に睨まれた蛙の如く動く事はない。
メルクリウスが少し離れた距離をゆっくりと詰めてくる。さながら、それは獲物を追い詰め、ご馳走にありつく前の捕食者の様。それに対し、カルロが出来る事は少ない。そのまとった空気から次の動作が攻撃動作へと移行する為のものである事は分かったが一体どんな技が繰り出されるというのか。全く見当も付かない技に対して対処することは不可能だ。しかし、仮にどんな技なのかが分かったとしてそれが何だというのか。
カルロには確信にも似た恐怖があった。魔術師の中でも近接戦闘を得意とする家系に生まれたカルロにとって命の奪い合いとまではいかずとも何度か試合を間近で見てきた経験がある。しかしながら今、カルロの脳裏を過るのは幼い頃、一度だけ父に連れられ、人食いの熊退治に出かけた日のことだ。父は子熊を手早く、始末すると母熊が戻る前に巣を後にしようとした。
理由はすぐに分かった。怒り狂った母熊は近距離で人が相手するには荷が重いのだ。結果として父は魔法を用いて、一瞬で殺してみせたがあんな熊に襲われていたら、と思うと帰ってきたあとの数日は恐怖で夜も眠れなかったものだ。
して、その経験から言えばメルクリウスのその表情は野生の動物が眼前の敵を始末する時に見せる表情。それに似ていた。
メルクリウスが手を振り翳す。その手はさながら獣の爪のように燃え上がる炎を纏い――振り下ろされる。
そう思った瞬間に体の硬直が解け、二歩、三歩とカルロは後退った。ただそれではほとんど距離を稼げない。メルクリウスが振り下ろす爪を避ける為にカルロは全力で足に魔力を込め、後ろに跳んだ。
それは魔法と言える程のものではなかったが身体強化系魔法の基礎となる技術だ。足場とした砂地が少しえぐれるのが目に映るが気にしている暇はない。着地したら直ぐに体勢を立て直し、構えを取らなければメルクリウスの追撃を無防備に受けてしまうことになる。
カルロのその予想に反して、着地してからもメルクリウスの追撃が訪れることはなかった。
代わりに向けられたのはメルクリウスの笑み。
「俺の勝ち、だな」
そして、突き付けられる自身の敗北と指先。メルクリウスが指差す先を見れば自身の足元があり――
「ああああぁ!結界の外に!」
――カルロはメルクリウスの攻撃に恐れをなして結界から出た。そう傍目には思わせる試合。
だというのに二人を称える声を口々に発するクラスメイト達。
凄いとか、かっこいいだとかありきたりな賞賛ながら誰一人としてカルロの醜態を責める者はいない。
誰もが感じていたのだ。良い試合を見られた、と。
「カルロ、結構楽しかったよ」
メルクリウスが結界から外に出て、負けを自覚するとともに座り込んでしまっていたカルロに手を差し出した。そこには既にカルロに恐怖さえ抱かせた青白い炎はもうない。そして、あの無表情も、また。
カルロは差し出されたその手を取り、立ち上がる。そして、二人は握手を交わす。
それにクラスメイト達が拍手を送り、ローニウスが最後に二人を労う。
「お二人とも結界の効果範囲内の怪我しかありませんね?
うん、大丈夫そうですね。それにしても大変、素晴らしい試合でしたよ。ありがとうございました」
時間にしてみれば十分程度のものだったが集中力の高まった状態では時間が無限にも感じられる。カルロは身体面の疲れが結界の治癒魔法により回復した今、精神面での疲れの方がよっぽど大きく感じた。
クラスメイト達にメルクリウスと二人、温かく迎えられる。
そうして一頻り騒いだあと、ローニウスにもう移動しても大丈夫か、と声をかけられ、それに大丈夫ですよと応えた。メルクリウスも同様の質問に対し、頷く。
そうして、ローニウスから訓練所の利用について説明が為される。それによればこういった特別な行事と授業を除いても放課後は毎日開いてるらしい。利用するには許可がいるがこれといった利用条件もない。要は学院の生徒であれば基本的に誰でも利用することが可能だということだ。
実際に、今日から使っていいのですか、とメルクリウスがローニウスに質問し、それにローニウスが頷いたのでその場で許可を取っていた。
そして、ローニウスを先頭にクラス全体が動き始める。
その道中、メルクリウスもカルロもクラスメイトに質問攻めにされる。
この学院に通っている以上、男女共に目指しているのは魔術師としての高みだ。当然、質問の内容は先程の試合で用いた魔法について。
「あれは《雷纏》という魔法の派生系だろう。俺が使っていたのもそれと同列にある《炎纏》の魔法を改良したものだ。魔法理論においては《雷纏:徒手空拳一の項》と呼ばれるもので近接戦闘を得意とする魔術師が好んで使用する傾向にあり―――」
カルロも論理的に魔法を説明するのは苦手だ。間違ってはいない為にここはメルクリウスに任せればいいか、とカルロはアルトと雑談を楽しんだ。
あの瞬間、メルクリウスに感じた恐怖。それにそっと蓋をしながら。
ルミアはクラスメイト達の質問に淡々と答えるメルクリウスの隣を歩きながら訓練所で行われた試合について考えていた。
カルロは学生にしては、という前置きは必要ながら、十分に強いと言わざるを得ない。当然、軍部に所属するルミアとは比較にもならないが、それでも学生という観点で見れば、ここレニオレア学院特高学科においても上位に位置するのではなかろうか。
一方でそれに容易く勝利したメルクリウスは流石としか言いようがない。魔術師の名家、レイフォントの名は伊達ではないということだろう。魔法の行使速度も自由自在にそれを変形させる手慣れた魔法行使もメルクリウスが魔術師として既にプロの域にある事を物語っていた。恐らくはまだ実力の半分も出していないのだろう。それにメルクリウスの動きは多少のアレンジはあるものの軍部で教わる対魔物式体術が取り入れられている。とてもじゃないが訓練もしていないような生徒に崩せるようなものではない。
カルロがメルクリウスに負けたのも至極当然と言うしかない。カルロには酷だがそれが全てだ。プロが、優秀とはいえアマチュアに負ける訳がないのだ。
ぼんやりとメルクリウスの姿を眺め、ルミアはそんなことを考える。
先の試合を見て、昨日、彼が自信満々だった理由は分かった。
しかし、だ。
ルミアだって任務でここまで来たのだ。警護の対象が素人魔術師ではないからといってはい、そうですかと離れる訳にもいかない。
昨日も思っていたことだったが、メルクリウスの実力、その片鱗を見た今もそれは変わらない。
ルミアはあとで放課後の事は無しにしよう、とメルクリウスに言う事を決める。メルクリウスには悪いが、ルミアだって遊びでやっている訳でもないし、外聞なんて気にした所で無駄な事はこれまでの経験から分かっている。
少し、考えれば分かることなのだ。幼いルミアが兵士となる事に異端を見る目を向けられる事ぐらい。若いという理由だけで実力の程を疑われる事など日常茶飯事で、訓練兵だった期間も含めれば、七年前のあの日から今尚、戦場に出る事もできず。
ルミアの中にあるのは人類を救いたいとか、守りたいだとかといった、だいそれた思いじゃない。
ルミアが想うのはあの日、絶望の淵から助け出してくれたあの人にもう一度会って、あの日のお礼を言いたい。ただそれだけなのだ。
それが出来て、初めてルミアはあの日の自分と決別出来る気がするのだ。
ルミアはメルクリウスの隣を歩きながら、人知れず、決意を新たにする。
ルミアの願いは七年前のあの日から変わっていない。
あの日、あの人は世界の命運をその自身と何ら変わらない身に背負っていた。その重圧がどれほどのものだったのか、救われた側であるルミアには分からない。しかし、それでもあの日、確かにルミアは憧憬と安堵を抱き、幾らかの胸の高鳴りを覚えた。
その想いを、重圧に耐えるあの人に伝えたかった。自身はこんなにも救われたのだ、と。あの人が守っているものはここに在るのだ、と。
或いは小娘如き、矮小な自分にそんな事を言われたくはないかもしれない。それでも伝えずして、ルミア・ラルカという少女の一生が終える事があってはならないのだ。
それは運命だとか、天啓だとかいう程、大袈裟なものじゃない。ルミアに与えられた義務だった。
「大丈夫か?」
ふと、隣を歩くメルクリウスがルミアの顔を覗き込み、尋ねる。
ルミアは今しがた自分が考えていた事を看破された訳でもないのに唐突に恥ずかしさを覚えた。それは言うなれば好きな人の事について熱く語っていたところを共通の知人に見られたときの羞恥。
たちまち、ルミアの頬に朱が差す。それをメルクリウスに見られたくなくて、歩を速める。メルクリウスは不思議そうな顔で首を傾げているがそんなことはお構いなしだ。
何を怒ってるんだ、という呟きが聞こえ、何を勘違いしているのだ、とルミアは思う。
恥じらいと怒りの区別すらできないのかこの人は、と呆れ、メルクリウス・レイフォントという少年が如何に少年であるのかを知る。
ルミアは足早にメルクリウス達を置き去りにするもこのまま行けば先頭を歩くローニウスとそれを取り巻く数人の生徒、その一人になるだけだ。
ローニウスは確かに人柄も容姿もその実力さえも優れた人物でルミアだって尊敬はしている。けれどもその取り巻きになりたいか、と言えばそれは別の話。かと言って、ルミアに親しい友人などいない。となれば当然、ルミアは一人になる。しかし、それでも良いとまでルミアは考えていた。
自身は軍人で、ここに居るのは軍属魔術師になる前の雛鳥達。
どうしたって価値観が合わない。強さの基準も、魔術師としての力量も。
そんな事を考えるルミアに声が掛けられる。
「ルミアさん、メルクリウスさんと一緒ではないのですか?」
その声の主はスーフィアだ。その青髪と黙っていれば凛とした雰囲気を漂わせ、一度、喋り出せばその人懐っこさを併せ持つ、花の妖精。そんな印象をルミアに抱かせる青髪の少女がそこにはいた。ルミアは立ち止まり、後ろにいたらしいスーフィアを振り返り、見る。そして、スーフィアのそのアメジストを思わせる紫紺の瞳に少しの心配の色を見て取った。
「あっ、ええっと。その一緒に居るのが当たり前みたいな言い方、嫌ですよね。ごめんなさい」
そう言うスーフィアは、おろおろとしながら、勝手にルミアの心情を察し、勝手に謝罪をした。スーフィアの謝罪は全くの勘違いであったとはいえ、ルミアだって何も言わない訳にはいかない。
「いえ、謝罪は不要です。怒ってません」
ルミアがそう言うとスーフィアは明らかに安堵した様子でホッと一息吐いた。続けて、それなら良かったです、と心の内を吐露するスーフィアは素直であるのか、それとも無知なのか。
ただ、今この場においてルミアは嘘をついているわけではないし、彼女に対して無知だとか、騙されやすそうだとかという評価を下すのは余りに猜疑を募らせ過ぎている。
だから、ルミアも特段、気にする事なく歩き続けた。と、すると当然、隣に並ぶのは青髪の少女だ。
スーフィアが焦ったようにルミアへと言う。
「ま、待ってくださいよ。なんで先に行っちゃうんですか」
何か用か、と尋ねるルミアにスーフィアは少し恥じらいながら答えた。
「もし、その、良ければ一緒にお話ししませんか?」
頬に差した朱が、スーフィアの言葉にそれ以上もそれ以下もない事を示していた。
スーフィアの至極丁寧な態度は対人関係を潤滑に広げられることだろう。そして、それはこの学院でも遺憾なく発揮され、スーフィアは入学してまだ二日しか経っていないというのに、既に何人かの友達を得ているようだった。人柄の良さというのはこういった時、如実に現れるのだろう。結果的に昨日、彼女を無碍に扱ってしまったとはいえ、ルミア自身もまた彼女が全身から放つ所謂、善い人の雰囲気を感じ取っていた。なにより、ルミアはそんな彼女の姿にかつて慕っていた義姉を見たのだ。
義姉もまた、孤児院という閉鎖的な空間での事ではあるが、快活で人懐っこく、それでいて礼儀正しい、そんな良く出来た人だった。
スーフィアはルミアにその義姉を彷彿とさせる。だからこそ、些末な事ではあったものの謝罪した。それが今朝の事で、しかもその後すぐに急激な眠気に襲われ、ほんの数瞬、意識を失い、実に恥ずかしい思いをした。それと同時にちゃんと謝意は伝わったのかと不安になった。
それだというのにスーフィアはなんてことはないと、今この瞬間、恥を忍んでまでルミアに話しかけているのだ。それを再び、断れば今度こそ、ルミアはスーフィアに対して申し訳が立たなくなる。それは避けたかった。
コクリと頷き、スーフィアがまだまだあどけなさの残るその顔を喜色に染め上げ、花の咲くような笑顔を見せる。
「良かったです!私、ルミアさんが西方の出身だと聞いていた時からお話したかったんです!昨日も言ったとは思いますが、私、西方の出身なんですよ!」
そう言いながら、話すスーフィアの目は爛々と輝き、その喜びを言葉に込めていた。
なんとはなしにルミアはスーフィアに対する印象が花の妖精から尻尾を振る子犬の印象へと心の内で変わるのを感じた。
スーフィアはすらすらと若干早口になりながらも西方の名産物である、あのチーズやら具材やらを円状にしたパンに乗せ、焼き上げ、切り分けて食べるあれはとても美味しかったという話をしたりと話題は全て、共有の認識を求めるものだったが、生憎とルミアは西方出身は出身でも、孤児院でのものだ。スーフィアの言うものはどれもが少しの贅沢に浸りたい時や催しの際に振る舞われるものであり、孤児院にそういったモノはなかったとは言わないまでも無きにしもあらずだ。つまりはスーフィアの話はほとんどがルミアにとって馴染みの深いものであるとは言えず、中々、ルミアもただでさえ重たい口が、縫い合わされたかのように開かなくなる。しかし、ルミアはそれでも良かった。寧ろ、スーフィアの話を聞いているとなんだか和やかな気分になるのだ。スーフィアの声や話し方が心地よさを与えるのか、スーフィアの人の良さがそれを為すのか。はたまた、そのどちらもか。理由は分からないがルミアはスーフィアの話に心地良さを覚えていた。
そして、時折頷きを返しながら、しっかりと聞いていることを主張する。
スーフィアにはそれで十分だったのか、一方的なように見える会話をそれでもやめることは無かった。
やがてクラス一同は訓練棟を出て、生徒棟の前を通り、その先の中央連棟の中を通り、右方にある二つの棟の内の一つ、その前へと辿り着いた。
ルミアはここまでの行程で特段気になる事はなかったがスーフィアにとってはそうではなかったようだ。今では先の道のりにあった中央連棟内部について目を輝かせ、頻りに称賛の言葉を並べていた
。
「ねぇねえ、ルミアさん!さっきのあの魔術用品はやっぱり、あの、あれなのですか?!」
そして、一方的な会話はスーフィアからルミアに対する質問により、相互通行の会話を為した。
「あれにはレニオレア学院並びにその周囲を完全に覆い尽くせる程の結界起点術式が刻まれていました。恐らくはその一部ですが効果はあの一部分を見るだけでも明らかに強力かつ精巧な類のものです。スーフィアの言うあれが何かは分かりませんが十分に魔術用品として貴重な財産であるといえるでしょう」
ルミアは淡々とそう説明し、それを聞いてスーフィアの瞳はより一層、輝きを増す。
「あぁ!やっぱりそうなのですね!ではあれが今代学院長の"黒葬"様が直接改良を加えられたという高機能防性魔術機構なのですね!惚れ惚れするような魔術紋でしたし、もしやとは思っていましたが……!」
魔術師というのは浅かれ、深かれ何処か歪で、特に魔法への関心は病的ともいえる。それは一人前の魔術師を志すレニオレア学院の学徒たちも例外ではない。ルミアはその狂気の片鱗をスーフィアにも感じた。
かく言う、ルミアだって魔術師である以上、やはり何処か歪んでいることだろう。そんな事を言う資格もないわけではあるがただ、スーフィアの関心は魔術用品に対するものだ。ルミアのそれよりもよっぽど変態的である。
とはいえ、スーフィアの興奮も一時的なもの。直ぐに普段通りの言動を取り戻した。
「そう言えば、ルミアさん。私達こうしてお話しできているのですし、友だちになれたと言ってもよろしいでしょうか?」
変わらぬ純粋無垢の笑顔に喜びの色をのせ、問いかけるスーフィアには誰もが頷かざるを得ないことだろう。
否応もなしにルミアはいつの間にかコクリと頷いていた。その反応を受け、スーフィアは両手を口に当て、嬉しいですと口にした。スーフィアは続けて、言葉を口にする。
「ルミアさん、お友達になれたことですし、ルミアちゃんとお呼びしてもよろしいでしょうか?」
やはり、楽しげにそう問いかけるスーフィアは人にその感情を共有させながら、頷かせる魔法でも使っているのかと疑ってしまう。それ程までにある種の強制力ともいえるものがスーフィアの問いかけにはあるのだ。
天然の人たらしなのかもしれない、と思いながら、ルミアはスーフィアに頷きを返した。
「では、私の事はスーとでも呼んでください。私、そういうの憧れなんです!」
ルミアはスーフィアのその言葉にも頷きながらも、スーフィアは他の友達にスー、と呼んでくれとは言っていないのかと疑問を感じる。
しかし、それはすぐに氷解した。
「ねぇ、貴女。さっきから見てたんだけどスーフィア様に首の動きばっかりで返事なんてちょっと失礼じゃない?」
そう言うのはいつの間にかルミア達の後ろにいたらしい、真っ赤な髪に黒い瞳をした女生徒だ。
「スーフィア様は十五大貴族筆頭であらせられるアルシェ家の長女なのよ?それが一生徒でしかない貴女は返事もろくにせずにスーフィア様に喋らせてばかりで恥を知りなさい」
赤髪の女子生徒はその強気そうな目をルミアへと向けながら気丈高に言い切った。
ルミアにしてみればとんでもない言い掛かりだ。そもそもルミアはスーフィアと喋りたい訳でもなかったし、スーフィアが十五大貴族だなんて知りもしなかった。とはいえ、知っていたとしてもこの態度を改めることはなかっただろう事はルミア自身が一番良くわかってはいたが。
しかし、お門違いな指摘とはいえルミアだってこのまま何も言い返さない訳にはいかない。最悪、軍人であるという事を明かし、そんな権力の届かない範囲に自身がいる事を知らしめてもいい。ルミアにとって魔術師ランクや身分の明示などというのは自分の身を守る為なら取るべき選択肢の一つにあるものだ。
ふと、ルミアは思う。特段、隠し立てする必要もないのではないか。ここに来たのはメルクリウス・レイフォントを警護する為であり、そのメルクリウスを守る為に同じ寮室で過ごしているのだ、と。そう暴露してしまえばいっそのことこれから動きやすくなる。実に効率的で良いのではないか。とそう考えたルミアは冷たく笑みを溢す。
そのルミアの表情に目聡く気付いた赤髪の女子生徒がキッと睨みつけ、ルミアが口を開きかける。
しかし、そこから言葉が発せられるより前にスーフィアがアリシアさん、と赤髪の女子生徒に呼び掛けた。
「私、ルミアちゃんがちゃんと聞いてくださっているのが分かるんです。反応こそ、少し淡白だけれどもしっかりと私の言葉を受け止めて下さっている。呼び方だってきっと。ルミアさんは友達のように私を呼んでくださるでしょう」
皆さんとは違って。そう付け加え、スーフィアはルミアの手を取って歩き出した。
ルミアは少し、アリシアの事が気になったが今、振り向いてもまた睨まれてしまう事だろう。睨まれるのは構わないが素人魔術師がよくやる無意識の内に放たれる魔力波が鬱陶しいのだ。防性魔法を張るほどの威力も影響もないが、それを直に浴びるとなんとなく、気分が悪くなる。要するに好き好んで浴びたいものではないということだ。
歩き続けるスーフィアに優しく、けれども離しはしないという確かな意思を感じさせる力で前へ前へと連れられていく。
10月12日 18時投稿。