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魔術師の涙  作者: 冬雅
第三章 狂騒の夜
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第二十六話『無銘の英雄』


 訓練場で暴れに暴れた私とメルクリウスの二人はクロス教官とローニウス先生に拘束され、連行といってもよい形で学院長室に通されていた。

 

 私達二人は奥にある学院長の席とは対面にあたるソファへと座らせられていた。その両隣に今日、壇上にいた教師二人と無論、ここまで私たちを連行した教官と先生が控え、あとは顔も名前も知らない青い髪を長く伸ばしたローブの男性が一人いた。

 

 この部屋は学院長がドラゴンの姿へと変じる事もできるようにか、学院長室を主に利用する人間が二人しかいないことや実務的なことを鑑みるとやや広く感じる。しかし、さしものこの部屋であっても五人もの力ある魔術師が両脇にいるとなるとその圧に押しつぶされそうなほどだった。

 

 して、そんな中にこの部屋の主たるレイデン学院長とルメーニア副学院長の姿はなかった。代わりに私たちの前にある机に置かれているのは、まず市井には出回らぬであろう作業机程もある大きな水晶板だった。そこにいまいち何を考えているのか読み取り辛い学院長とその横で心配そうな顔を見せる副学院長の姿が映っていた。

 聞けば、今、学院長たちはメルクリウスの父親と共に中央へと向かっている中途にあるらしい。忙しい身の上であるが故、こうして通信手段も常備している、とそういうことらしかった。

 

 

 「それで説明していただけるのでしょうな、学院長並びに事情を知る貴方方の口から」

 

 

 口火を切ったのは私達の座るソファの隣に一人跪くクロス教官だった。その強面を更に怖ろしげな形相へと変えながら、訊ねるその様はまるで、これから拷問でもせんとするかのようだ。勿論、そんなクロス教官の見かけの圧力に屈するような魔術師はこの場にいないが。

 

 

 『まず、ローニウス。お前は出ていけ。この場に立つ権利をお前は持たない。お前はそこな小娘如きに負けたのだ。この先についていけるとは到底、思わん』 

 「はっ!かしこまりました、学院長閣下」

 

 

 詰るような学院長の言葉にも文句の一つも言わず、ローニウス先生が学院長室を出ていく。その従順な先生の姿に改めて、学院長の持つ力と権利と、そして、それらを束ねるカリスマを垣間見た気がした。

 

 

 『さて、次にクロス。貴様の主義主張について改めてここで回答しよう』

 

 

 指を組み合わせ、縦に割れた瞳孔を細めた学院長は一拍、間を置くと再び口を開いた。

 

 

 『俺様も此度の遠征、気に入らんことのほうが多い。中央の目論見や魔術師ギルドの思惑、聖域全体の不安……諸々が複雑に絡まりあった案件だ。何を根拠として学生が魔界から帰ってこれると考えているのか。成功の上に打ち立てられる功績ばかりを見、そこにあり得る犠牲を見ようとせん。その実を見れば口減らしといっても差し支えない。それを止めよ、と貴様は言う。そう、止めること能うならば俺様もそうしたい。或いは止めようとも未来があるならば、な。故に貴様が今この場で止めるだけの材料を出せると言うならば俺様も考えよう』

 

 

 どうだ、と言わんばかりに学院長が教官へと目で問いかける。

 教官は私たちの横で跪きながら、その顔を顰め、頭では無駄だと理解しているのだろう。それでも言わねばならないという意思がそうさせるのか、言葉を紡いだ。

 

 

 「まずは中央へ抗議します。学生を魔界へ送るなど断固拒否すると。それで幾らかの時間は稼げましょう。その間に聖域の結界について調査し、防壁やその他防衛設備を四方の守護代行と連携して整え、東の剣聖を呼び寄せます。九十九の魔術師たちにも呼びかけを行い、人類結束を聖域全土へ訴えましょう。未来のために、と。次世代のために、と。なればこそ、どうとでもなりましょう」  

 

 

 画面向こうの学院長はふむ、と顎をひと撫でし、なるほどと息を吐いた。

 

 

 『その稚拙さ、幼稚さに目を瞑れば面白い意見だ。しかし、それがまかり通ることがないと貴様は知っておろう。中央への抗議。これによる遅延策そのものは機能しよう。されど、次善策がない。聖域の結界調査なぞ、これまでに幾らか為されてきた。防壁や防衛設備もだ。常に最善を尽くしてきたからこそ、今日までの聖域がある。

 東の剣聖を呼び寄せる?なるほど、その人間一人に人類の命運を託すか。それとも九十九の魔術師たちを入れ、占めて二百の双肩に託してみるか。現在いまを必死に歩まんとする者共に"未来のため、犠牲になれ"とそう言うのか。それでは同じ事ではないか。その対象が魔術の徒なるか、人類全てとなるか。それだけの違いでしかない。寧ろ、それは人類の繁栄を願う意志とは真逆の行為に他ならない。俺様の言葉は何か間違っているか、クロス』

 「いえ、《黒葬》閣下。寸分も」

 

 

 頭を垂れるクロス教官からは言葉とは裏腹に口惜しさが滲み出ている。それは水晶板を隔てた学院長にも十二分に伝わっているだろうに、それを指摘するようなことを学院長はしなかった。

 尊大な態度と言葉に隠されてはいるが、学院長の人情はこう言った細々とした面に隠れているのだった。

 

 

 『ならば、よし。次は貴様の疑問について解消しようか』

 

 

 室内にいるクロス教官以外の教師陣三人へと学院長が目配せする。と、それに呼応するように三人の内、老練の魔術師シーベル・アストレイが私たちの前、丁度水晶板との間に割って立ち、クロス教官に声を掛けた。そんなシーベル老師の背でそっと水晶板から学院長たちの姿が消えるのが見えた。

 

 

 「では学院長に代わり、この老いぼれが説明させて頂こう。クロス君、楽にしたまえ」

 

 

 そのシーベル老師の言葉でクロス教官は休めの姿勢へと居住まいを正し、老師の言葉を待つのだった。

 

 

 「はてさて、なにはともあれクロス君の疑問を氷解するのに必要なキーマンこそ、メルクリウス君じゃろうて」

 

 

 ──学院長が老師に説明を任せたことから勘付いてはいたが、この老師はメルクリウスの正体を知っているのだ。

 

 

 「ふむ、時にクロス君。お主は先程、東の剣聖を呼び寄せると申したな。また九十九の魔術師に呼び掛けると」

 「はい、しかと」

 「宜しい。それでは何故、お主はこの世で最も明確かつ名実ともに《最強》の名をほしいままにする者について触れんかった?」

 「それは……」

 

 

 シーベル老師の問い掛けは穏やかで、しかし、その言葉には力強い響きがある。ただの訊ねの言葉も老師が口にすれば、感じる圧は詰問に同じ。傍でその遣り取りを見ているだけの私から見てもそうであるのだから、当然、相対しているクロス教官がそれを真正面から受け、額に汗を流すのも頷ける話だった。

 

 

 「簡単な話。お主は知らんからじゃ。魔術師ランク第一位《最強ザ・ワン》の名を。その人柄も素顔も、誰も知らぬからじゃ。お主はラオニアに所属しておったから、本来は俗世に顔を出さぬ剣聖が頭にあっただけのこと。先の遣り取り、ローニウス君あたりに訊けば、また違った答えが返ってきそうな質問であった。おっと、話が逸れるのは年寄りの悪い癖……。

 要するにクロス君。お主は神や偶像を信仰できんかった。お主にとって《最強ザ・ワン》とは偽。仮初の英雄であり月明かりの神話だった。故あって、お主はあの職員会議の場においても一言も口にはせんかった。縋ってしまおうなどとは一言も、な」

 

 

 シーベル老師が言っているのは、メルクリウスが帰ってきた日、聖域全土を掛け巡った衝撃の事だろう。生徒の側でも混乱があったように、如何な力ある魔術師として教鞭を振るう、教師たちの間でも少なからぬ……いや、魔物の恐ろしさを肌で感じた事のある人間が多いからこそ、それ以上の恐怖に支配されたに違いないのだ。

 

 クロス教官は暫しの間、何か思案しているようだった。大方はシーベル老師の言葉になんと答えるべきかと、そういう事だろう。例えば、ここで頷けば教官がこの聖域上層部に対する不信を募らせていることの証左足り得る。しかしながら、老師は既に教官の考えを看破してみせた。教官が安易に言葉を発することのない今、この状況こそがそれを顕著に示している。

 やがて、教官もその事に気付いたのだろう。沈黙に何ら意味がないことを悟り、ややあって教官は口を開いた。

 

 

 「シーベル様。私は今日まで些かたりとも私が軍人となり、聖域の明日を切り開かんと心に決めた日の、あの最初の日々を忘れたことはありません」

 「そうじゃろう。君は昔からそういう男じゃった」

 「そして、その為には、万人が目を背ける事実を我が目で直視せねばなりませんでした」

 「ほう。して、その成果は?」

 「西の、第一の《魔流事件》。私はあの場所を実際にこの目で見ました。見るばかりか、私はあの場でたった数分とはいえ、戦いにさえ参加していました。軍部からの撤退命令を受け、私たちは逃げて如何なるというのか、とそんな思いを胸に抱いておきながら死にものぐるいで帰る他なかった。メルトン平野からの敗走の中、私は魔物が平野に魍魎跋扈しているのを見ました。どれがどういった魔物なのか、数はどれだけいて、種類は、とそんな事を考えながら、一方では無意味なことは分かっていました。只でさえ、魔物というのは一個の戦力で人を上回るのです。あれだけの物量の前では情報など意味がないことぐらい、当時の半ば恐慌状態にあった私でも分かりきっていました。私の隣や後ろにいた仲間たちはみな、魔物に殺されました。数千いた筈の魔術師の中、安全圏に帰ってこれたのは私含め十数名。しかもその殆どが何らかの要因によって、職業軍人として再起不能を余儀なくされました。一部には人間としての尊厳さえも保てず、家族の世話になった者もおります。

 私の心は未だ、あの煉獄に囚われたままであるというのに、どうして神や奇跡を信じられましょうか。どうして幻想などというものをみられましょうか。それもあれだけの功績を一人で成し遂げたと! それではあんまりではありませんか。私たちを馬鹿にしている、とそう思っても仕方がないではありませんか……」

 

 

 常に冷静沈着なクロス教官が初めて見せた激情だった。それは魔力の波となって、部屋にいた全員を打つ。虚しくもここにいる超級の魔術師たちにそんなクロス教官の魂の叫びが与える物理的影響なんて微々たるものだった。されども心までは違う。

 

 

 「無理からぬことよな、クロス」

 「アステル魔将閣下……」

 

 

 それはこれまで、沈黙を守っていた青い髪の男の人が発した言葉だった。青を基調としたローブのフードから飛び出すほどに長く髪を伸ばした様子からは戦いに身を置く人間というよりは研究者か何かのように思える。──あれ、この人何処かで……。

 

 記憶を辿る私の手前、クロス教官とアステル魔将閣下と大仰な肩書きを持つ男性の会話は続く。

 

 

 「俺とて、魔導の徒。魔法に無理はないとそう信じてはいる。が、しかし。それも魔力濃度の濃い魔界での話であり、同様の条件下であれば魔物共もまた同じ。聖域内部であったからこそ、殲滅する事が出来たのだという見方も出来ようが、ここに矛盾が生まれる。では、その者は魔界では如何なのか。或いは何故、魔力濃度の薄いはずの聖域内部でそれほどまでの強さを誇ったのか、と」

 

 

 ──メルクリウスのことだ。このアステルと呼ばれたこの人もメルクリウスという名の英雄を知る一人なのだ。そして、この人は、いや。この人たちは真実を告げようとしている。

 

 そのことに気付いたとき、つい私は隣で黙ったままの彼を見ていた。私同様、あたかも傍観者を決め込む彼は私の視線に気付くと「どうした」とでも言うように目で問い掛けてくる。

 私はその様子に私がしている心配なんてものは杞憂であることを知り、何でもない、と脱力気味に首を振ることで答えとすることにした。

 

 

 「お、お待ちください。それではまるで《最強ザ・ワン》が存在しているかのような物言いではありませんか。そんな御伽噺のような存在が──」 

 「──御伽噺!おとぎ話だとよ、メルク! クロスはあれだけの功績を、それこそ英雄の中の英雄、ローウェン・アルベルトさえも成し遂げられなかった南方領土拡大を、ただの偶然だとそういうらしい。好機に恵まれただけだ、とそうな」

 「ライナ!そんなことを私は言っていない!人類滅亡の危機が退けられ、領土の拡大が成されたのは否定のしようがない事実。しかし、それは多大な犠牲のもと、あったのではないか、と。我々の預かりしれぬ所で散っていたいのちがあったのではないか、と。そう言っているだけだ。《最強ザ・ワン》なんてものはまやかしであり、希望を忘れぬための旗印。子どもたちが明日を安心して迎えられるよう生み出された偽りの灯火を、裏切られると知りながら一体誰が縋ろうなどと……」

 「クロス君、るよ。じゃが、縋る、というのとは違う。力を持つ者が、より上位の力ある者の庇護下にあってはならん。クロス君、これからお主に求めるものは一つじゃ。どうか折れんでくれ。たったそれだけが果たせるならば、お主はこの話を聞く資格を有する。メルク君、よいな?」

 

 

 シーベル老師の訊ねにメルクリウスは無言の首肯を返した。その横顔は何ら感慨を抱いているようには見えないが、老師によって教官へと真実が語れようとしている今、その理路整然とした頭の中では何を考えているのだろうか。

 

 ──あわよくば、私の願いが叶うならば。

 

 彼の頭の片隅にある、英雄としての死なんていう一つの選択肢が消えてしまえばいいのに、とそんな事を思う。

 

 

 「ここで何故、メルクリウス・レイフォントが……」

 

 

 まだ真実を知らない教官は訝しげに呟く。或いは訓練場での一件におけるメルクリウスが抱える秘密が事の一端を担っていることくらいには気づいているかもしれない。それでも、まさか自分が拘束した彼こそが《最強ザ・ワン》であるとは露ほども思っていないことだろう。

 

 

 「君も鈍い男じゃ。お主がメルク君を縛り上げ、連れてきたときにはよもや、知っていてのことかと思ったがの。まぁ、よかろう。

 音に聞く《最強ザ・ワン》の称号を持ちし魔術師が一人。メルクリウス・レイフォントじゃ」

 

 

 そう口にしながらメルクリウスを手のひらで指し示すシーベル老師。クロス教官は驚愕に目を見開き、けれども、すぐに平静を保つと「謀られていた訳か」と誰に言うでもなくポツリ零した。

 

 

 「無論、この事はごく一部の上層部のみが知るところであり、この機密を漏らそうとした場合、魔力暴走が始まる。これはロ・アーツ族の魔術契約によって強制的に為されるものじゃ。但し、同等の情報を共有する者に対しては例外かつメルク君の前で、許可を得ればその限りではないがの」

 「ロ・アーツ族も一枚噛んでいるとなるといよいよもって、私には信じる以外の選択肢は残されていないようですな」

 「おうよ、クロス。メルクの戦いぶりは俺がこの目でも見てんだ。まさに一騎当千、古今無双の魔術師だよ、コイツは。コイツがいるから、俺らは魔界遠征の決行という学院長の決定にも異を唱えることはしなかった。メルクがいれば、数百人単位の大遠征も被害は極小に抑えることができるだろう。それをゼロにできるかどうかは俺たち教師陣の頑張りとこの嬢ちゃんがどれだけ学生を魔物相手に使えるところまで育てられるかにかかっている。まぁ、嬢ちゃんの育成方針にはメルクが関わってんだ。寧ろ、心配なのはアステルが来ない分を俺とシーベル様とクロス、それにあのナターシャとかいう子とでカバーしきれるかという部分かもな」

 「ライナ、お前がそこまで言う程なのか……?メルクリウス・レイフォントは本当に信じるに足る英雄だとそう言うのか……?」

 「クロス、信じられぬならば見てみるか。九十九の魔術師が四人。お前と娘一人、面倒を見るまでもないだろう。シーベル様、転移を」

 「やれやれ、年寄りをこき使うとはのう……まぁ、よかろう」

 

 

 教官の意思など関係ないとばかりに老師が教官の返事を待たずして、気だるげに腕を振り上げると次の瞬間、世界が一変した。

 

 轟々と風が吹き荒ぶは巨大な門の上。一見して、それは門とは分からぬほどに長大にして、堅牢。聖域の誕生より聖域の四方を守護せし、守護門が一つ。聖域最西端、西の守護門《ベルトニクス=アルゲントス》の威容は神門と称えられる程に圧巻の一言に尽きる。そんな守護門の横合いを遠く眺めていけば遥か上空、雲の上から流るる大瀑布が《大地の顎》へと注がれている。超自然的と呼ぶに相応しき、その様相は世界の縮図。

 

 そんな、守護門の上に私たち五人は立っていた。

 

 

 

 

 

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