第二十一話『遠征のお供 其の三』
少し遅れてしまった……。
ボイコットを敢行している生徒はざっと見たところで七十人前後。これは私とヘレオンが話し始めたのを見て、途中で訓練を止めた生徒も含まれ、一年普通科の約半数が参加していることになる。更に彼らが各グループに点在することで事実、それ以上の生徒が動きを止めざるを得ないのが現況だ。
へレオンがメルクリウスを目の敵にしていることは分かる。同時にメルクリウスの周囲にいる人間に対しても同等の悪意を向けているのだって肌身に感じる。しかし、今回は今までとは訳が違う。目的が全くもって不明だ。
なんたって、この訓練はへレオンたち自身の命を守ることに繋がるものなのだ。それを止めさせたとして、一体全体へレオンが得るものとはなんなのか。愉悦や満足感といった感情以外に利益が見当たらず、加えて代償は自身の命……嫌がらせにかけるものがあまりにも大きすぎる。
それとも私の考えが甘いのだろうか。それくらいは分かる相手と認識していたがこれを見るに実の所、それすら理解しない蛮族なのかもしれない。兎角、現状の打破に務める他ない私は言葉以外の返礼を持たない。
「……時間の無駄。訓練に戻って。その意思がないなら──」
「──失せろ、と?おいおい、良いのか?俺を摘みだすってことはよォ、つまる所、一年の普通科生は全員こっから出ていくってことだぜ?そんなヤツらが魔界にいった時、どんな事になるのか、さぞ見物だよなぁ〜!」
何が可笑しいのか、へレオンは魔王もかくやの高笑いをしながらギャラリーを見渡す。へレオンの側近もしくはそれに近しいと思われる生徒はそんなへレオンを恍惚とした表情で見ているが、事前に知らされていなかったのかボイコットに参加していた多くの一年普通科の生徒はぎょっとした顔で成り行きを見守っているようだった。
彼らにしてみれば何らかの弱みや恐喝から強制的にやらされたボイコットなのだろう。そして、いざ強制されたボイコットを行うと、今度は魔界遠征を生き延びるための手段を奪われる。彼らにしてみれば今のこの状況は詰みだ。
「でもまぁ、教官さまにしてみればそっちの方が都合がいいんじゃねぇか?」
現状打破を狙って思索をめぐらせているとふと、そんな言葉が滑り込んでくる。
「何が言いたい」
こうなってはどうにかへレオンの排除だけでも達成しなければこの詰みから動くことも出来ないだろう。そう考えての剥き出しの敵意を載せた問い掛けだった。しかし、相手はそれをまともに受けて応じるような人間でもない。
「ハンッ、そんなに猛るなよ教官さまよォ。簡単な話さ。お前みてぇなガキが教官なんて務まんのか?そもそもオマエ、なんの酔狂で生徒ごっこなんかしてやがった?学院側が説明しねぇ、別件ってやっつァなんだ?俺の想像が正しけりゃあ……っとそういえば、いつもオマエがついて回ってたご主人様はどうしたんだァ?」
私の元の任務について自らの推理を明かそうとしたへレオンだったが突如として、──この屑の言葉を借りれば──私がついて回っていたご主人様、つまりメルクリウスのことを気にかけ始める。一層、笑みを深めた顔でそう口にする、その事からもへレオンの推理の行く末はメルクリウスに帰結するのだろうことは想像に難くない。しかし、それが分かったからといって、私にはへレオンの口を黙らせるような言葉がない。
「だんまりか。とするとこの一ヶ月の事だって教えちゃくれねぇんだろうなぁ。でもって寮は一緒なんてこともよぉ。一体全体、なんたって男女二人同じ屋根の下で共同生活することを学院側は黙認しているんだろうなぁ」
あぁ。そこまで知っているのか、この輩は。これは最早、何処にでもいる不良生徒なんて甘い認識は改めるべきだ。嫌がらせする為だけの、それも学院内限定の情報収集。そう考えていた私が油断しすぎていた。
考えてみれば当たり前なのだ。へレオンは一年普通科生のほとんどを手下かなにかのように扱えるだけの”情報”を握っているのだから。百人以上もの普通科生が学院内だけで弱味を握られるはずがない。下手をすれば遠い本家まで調べの手は回っているのかもしれない。
「そうだなぁ。やっぱあれか。多感な時期のお坊ちゃん一人、寮に住まわせるのじゃあ"教育上"悪いもんなぁ。身の回りから身まで色々とおせ──」
「──ヘレオン、止めなさい!」
大きくハッキリと通る声を背に受ける。驚き、振り返るとアリシアがその勝気な表情に怒気を滲ませ、腰に手を当てるポーズで立っていた。その隣にはスーフィアがその紫紺の瞳を丸くして、アリシアの方に駆け寄るような仕草で止まっていた。そして、彼女の方は私に気が付くと小さく手を振り、けれど直ぐにへレオンの方へと顔を向けるとアリシアの炎を思わせる怒りとは対称的に冷たい表情へと変わった。
彼女らは私のすぐ側まで近付いてきて、私をへレオンの視線から守るような位置に立った。
「へレオン・パルシェリア。あなた、一体何がしたいの?迂遠な訓練の中止を促す行為に指導教官を貶めるような言動。しかも、この訓練は魔界で"自分自身"が生き残るためのものなのよ?これまでの嫌がらせは少なくともあなたの下衆な感情を満足させるという意味では理解ができた。けれども、今回ばかりはあなたが得る利益がまるで見えてこない」
貴族としては感情が顔に出てしまうことは宜しくはないのだろう。しかしながら、こういった公開討論のような形で言動が衆目に晒されている現状、感情の暴露は集団心理に強く働きかけることがある。それを計算に入れて、表情を作っているのだとしたら中々のものだが、彼女の場合は(初対面を思い出すに)恐らく天然だろう。
ただ、言っていること自体は理路整然としたものであり、それが彼女の審判や裁判官としての才覚を匂わせている。
「ははァー。これはこれは、前にはビビって声も出せなかったアリシアさまじゃねぇか。なんだ、今はアウェーじゃなくなって急に勇気が湧きましたってか?はっ、とんだ蛮勇もあったもんだぜ」
アリシアの弁舌をものともせず、鼻で笑うへレオンは彼女に対しても怒りを煽るような言葉を並べ始める。顔をムッとさせたアリシアだが自分に対しての言葉はどうにか聞き流せるらしい。彼女はめげること無く問いかけを繰り返した。当の私はといえば、へレオンが答えるとは期待していないながらも確実にこのストーカー野郎がこの場でこれ以上の口をきけないようにするための決め手がない以上、流れに任せるしかない。ここではアリシアを本流とするしかないだろう。
「へレオン、このまま敵を作っていって何になるって言うの?もっと賢明な手段というものがあるのではないかしら」
「賢明!賢明ときたかお嬢様。それは自分が何をしているのか理解できてねぇ奴に言うセリフだろ?ってぇことは俺に言うセリフじゃあねぇなぁ」
「あなた、まさか本当に狂っているの……?」
へレオンのまともとは思えない受け答えはアリシアにそんな呟きをもたらした。
そして、堰き止めるものがなくなれば、勢いというものは強くなるものだ。へレオンはその自身の狂気じみた態度でアリシアを黙らせると再び、私へと言葉を投げかけてくる。
「で、だ。ちょっとした邪魔が入ったがよ、要はテメェのボーイフレンド呼んでこいってことだ。そっちの方がよっぽど面白ぇことになる。そうだろ、ルミア・ラルカ。お前がメルク──」
へレオンがメルクリウスの名を口にしようとしたのと魔法が完成したのはほとんど同時だった。袖口から取り出した杖の先から小さな雷がへレオン目掛けて、踊り出る。
メルクリウスとの事を持ち出されてから何となく予想は付いていた。それでも、ここまで手出ししなかったのは、心の片隅で自分が只の生徒でありたいとそう思っていたかったからだろうか。
私はきっと楽しかったんだ。メルクリウスの護衛としての任に着いた時、これは彼へと至る足掛かりだとそう考えていた。それがどうだ。今、私は夢にまで見た人の後ろに立つことを許されている。そして、彼の実力を担保に私の護衛任務は解かれ、彼を想う個人として側に居られるのだ。
ルミア・ラルカという軍属魔術師としての個人ではなく、ルミア・ラルカという一個人としての存在が認められている世界を楽しいと思って何が間違っているだろう。
それを今、ぶち壊された。いや、とっくの前に壊されていてしかるべきだったのだろうか。それとも教官として教壇に立つような真似をした時点で既に崩れ去っていたのだろうか。
雷撃が当たったかどうかは確認するまでもない。閉ざした瞼の裏、黒焦げにでもなったへレオンの姿が浮かぶ。メルクリウスとの試合というのも憚られる、あの戦いぶりを見ていたら素人でも分かる。
へレオンに私の魔法を避ける術なんてありはしない。
確信があった。それだけの自信と根拠、それに……覚悟があった。
だから、私は耳に入る悲鳴だって想定の内だった。人一人の焼死体が出来上がれば、人間の死体を見た事なんてない生徒ばかりのここでは悲鳴の一つや二つ上がったって仕方がない。
それが例え、いけ好かないやつのものだったとしても、だ。
私は私自身が非情な人間だと知っている。しかし、それはその始末まで負わないということと同義では無い。
自分の仕出かしたことを見るために、私は現実へと帰る。私の心と現実とを薄皮一枚隔て、切り離している目蓋。それを開き、目を向けた先。
そこには黒焦げの死体──
──とそれを足蹴に私を嘲笑うへレオンの姿があった。




