第十九話『遠征のお供 其の一』
『先程、紹介に与ったクロスだ。一年と二年の普通科生には馴染みのない顔だろうが、今回の魔界遠征試験における試験監督を務めることとなった。どうぞ、よろしく頼む。
さて魔界遠征試験を目前に控える諸君らへ試験監督である、この私から最初に注意事項を伝えさせて頂こう。』
そう言って、クロス教官が話し始めたのは魔界におけるサバイバル戦術だった。
とはいえ、"魔界では無闇に魔法を使用しないこと"であるとか、"魔界での活動中は極力、魔界に生える植物の実を食すこと"だとかの基本的なものだ。仮にも軍属魔術師となるためのカリキュラムをこなしている私としては既知の情報だが、この場にいる多くの学生にとっては耳に新しい情報だったことだろう。それを証明するようにして、近い場所にいたカルロたちの会話が聞こえてきた。
「おい、アルト。なんで魔界で魔法使っちゃダメなんだよ。魔法を使わずに魔物がうじゃうじゃいるところで生きられるわけなくないか?」
「確か、魔物が魔力で周辺を探知しているから、だったかな。魔物に見つかるリスクを減らすために出来る限り、魔法を使わず魔界での活動に慣れることが目的なんだろうね」
カルロの問いかけにアルトが今回の遠征試験の目的も添えて答える。するとその横にいたアリシアがそれにつけ加える形で言う。
「魔界性の食物を食べるのも同じ理由よ。魔界の食べ物は魔物から私たちを”見えにくくする”効果があるらしいわ」
らしい、というアリシアの言葉には伝聞といった不確定的な意味合いがあったがそれを聞いた二人はなるほどと真剣に頷いてみせている。二人にとって、十三大貴族の家系であり、友人としての関係を築いたアリシアの言うことならば、たとえそれが曖昧然としたものであってもある程度、信憑性に足るもののようだ。
そんな様子を横目に眺めているとその視界の端で青い髪が揺れ、凛とした声がすぐ耳元で発せられた。
「ルミアちゃんもやっぱり、この魔界遠征試験はアルト君の言う通り、人類の魔界進出を目標とした疑似移住だと思いますか?」
そのスーフィアの囁き声に私が眉を寄せ、大した答えを返す間もなく、今度はスーフィアのいる左とは逆隣から声がかかった。
「当たり前だろう。学生という、まだ成熟しきってはいない魔術師の卵が魔界へ赴き、帰ってくる。それだけでも聖域内の人類にとっては希望たり得る。だから選抜ではなく、全校生徒を魔界へ連れていくんだろう」
そんな考察をするのはほぼ全ての事情に精通しているであろうメルクリウスだ。
知っているからといって、このメルクリウスの言葉を額面通り受け取る事はできない。寧ろ、疑ってかかるべきだろう。彼が隠したいことや嘘をつきたいことは須く私達には見破ることができないのだから。とは言っても、メルクリウスが本気で隠そうとしたり、嘘をついたりするのであれば、それらを暴くのは至難の業だ。なにより、感情を持たない彼がそのような行動に出るということは合理的判断の下、伝えるべきではないと結論付けたということだ。他ならない魔術師として最高の腕を持ち、《最強》として名実共に称えられる、メルクリウスがそうしたならば、それを覆すことは最早、不可能の域に近い。
──けれど。
メルクリウスを見て思う。彼の自殺願望ともいうべき自滅作戦を聞かされれば、そんな境遇に甘んじているべきではないと思わないわけが無いのだ。それも含めて、メルクリウスの計算なのだとしたら、もうお手上げとしか言いようがない。癪ではあるが大人しく彼の手のひらの上で踊る他ないだろう。
「メルクリウス君もそう思われるのですか。では、やはり今回の魔界遠征試験は……いいえ。メルクリウス君やスーフィアちゃんがその為に今日から私たちを特訓してくれるんですもんね。そう、悲観的になってはいけませんよね」
そう力なく笑うスーフィアの目には紛れもない怯えが見え隠れしていた。普段から気丈な彼女のそんな姿が少なからず、私を動揺させる。
「特訓をつけるのは俺と"ルミアの二人で"ではなく、"ルミアが"だけどな。一週間と少しとはいえ、悪いようにはならないさ」
気休めのようなメルクリウスの言葉。しかし、そんな言葉を吐くメルクリウスは私たちの中で唯一、魔界を知るが故、正しく理解している。理解した上で「悪いようにはならない」なんて嘘っぱちの言葉を並べているのだ。
けれども、知らないというのは時として自分の身を守ることに繋がる。レニオレア学院の生徒中で、もしも命に価値を付けるならば──つまりは護衛の対象に優先度があるならば──スーフィアは十全に高い順位にあるはずだ。それは家柄だけに拘るものではないだろう。きっと一番に求められるものは魔術師としての才覚。これからを乗り切るだけの力。
そういった意味で見るならば、特高科の生徒の多くはクリアしている。加えて、上級生が下級生を守る立ち回りをするならば、教師陣の護衛対象には含まれないだろう。となると九十九の魔術師に匹敵する、ライナ教諭やシーベル老師の庇護下にスーフィアたちが入る確率は非常に高い。
──何も知らずにいれば、スーフィアはわざわざ危険を冒すことなく、帰還できる。
この魔界遠征試験の背後にある、軍上層部や治世権総会等の事情を鑑みれば推測出来る、諸々。今はただ目前に差し迫った魔界というものに恐れ慄くばかりの生徒たちとは別の視点を持つ私やメルクリウスだからこそ知るそれら。
隣にいる、可憐な友人にそんな想像を打ち明ければ、如何なるかは火を見るより明らかであるように思われた。だからこそ、それを口にする事はできない。メルクリウスがスーフィアに心配するな、肩の力を抜け、とそんな言葉をかける横で私はただ黙っている事しかできなかった。
現実逃避のようにクロス教官の話しに耳を傾けると丁度、叱咤激励の段にあった。
『……本来、魔界は生半可な覚悟で行って無事で済むような場所ではない。故に、私は教官として諸君らに言っておかねばならないだろう。
魔界で君たちは死ぬかもしれない。今横にいる友が明くる週の終わりにはいないかもしれない。
それが魔界だ。この場にいる諸君らのどれだけが生きて再び、この地を踏めることか。学生である諸君の命が脅かされることがどれだけの傲慢の上にあることか……。
魔界において、私は全力全霊を持ってして諸君を守ると誓おう。そして、ここに居る教師陣の誰しもが皆、同じ思いであると保証しよう』
そんな教官の言葉に生徒たちの中からは驚きや困惑といった感情の窺える声があがるがそれらを無視して、クロス教官の話は既に締めへと差しかかっていた。
『少々、感傷が過ぎたな。私としたことが全く……。
諸君らに恐れるな、とは言わぬ。寧ろ、十全に恐れたまえ。そして、備えよ』
クロス教官がそう話を締めくくると話し手の役が再度、シーベル老師へと返される。
『クロス君、皆への注意喚起ご苦労じゃった。
さて、ここでもう一人、此度の魔界遠征試験における生徒諸君らの護衛を引き受けてくれた者を紹介しようと思う。のじゃが、彼女の存在を知り、諸君らの中には如何なるか案ずる者もおるやも知れぬ。しかしながら、何も諸君らの思うようなことは起きてはおらぬということを明言しておこう。とはいえ、百聞は一見に如かず。まずは当事者たる彼女をこの壇上にお招きさせて頂こう。』
そんなシーベル老師の言葉が聞こえ、老師がお茶目に私へとウィンクをしてみせたその瞬間。
何時ぞやの学院長が行ったそれと同様、白く眩い光が視界を覆い、そして次に視界が開けると全校生徒を見下ろす形で私は立っていた。
隣にはシーベル老師とライナ教諭がおり、一つ飛ばしてクロス教官、更にその横にナターシャ先生とまぁ、壇上を下から見ていたときの並びに私が割り入っている状態で飛ばされたわけだ。
突然の転移に驚く私に構わず、シーベル老師が話を続ける。
『此方にご招待したのは《イーラ》に所属する魔術師ランク9741位、ルミア・ラルカ君じゃ。ルミア君は今回、別件で学院の生徒として過ごすことを任務としており、この非常事態に喫して、協力を申し出てくれた。皆とそう歳は変わらぬ故、護衛としての任にあたって不安を覚えるものもおるやも知れぬが、しかし。その素性はどうあれ、現在は学院に生徒として籍を置く者。皆との距離の近さを活かして、放課後には魔法実技の延長として特別課外授業を行ってくれるそうじゃ。これを活用せん、手はないであろう。何せ、現役の軍属魔術師に教えを乞えるチャンスなのじゃからな』
そう言い、私の紹介を終えたシーベル老師は私が口下手なことを察してか、或いは事前に聞き及んでいたからか、事前説明会という今この場での発言を促すことはせず、この説明会を締めくくった。
──と、それが今日の魔界遠征試験での事の顛末だ。つまりは学院側にその意志があったのだろうではなく、明確にあったのだ。
一体、何を軍属魔術師とはいえ、九十九の魔術師達や異名付きには遠く及ばない木っ端魔術師に期待しているのか。
それともメルクリウスの事情を知る学院側の誰かが彼に私が師事していることを知っての事だろうかと勘繰るも詮無きこと。私如きの情報網ではそんな隠し事も引っかかることは無いだろう。
それより先に今は考えるべきことがあった。それこそ、現在教室を包む熱気、ある種の気迫に近いものの源流たる放課後の特別訓練についてだ。
「メルクリウス、どんな練習メニューを立てれば魔界でも通用する魔術師を育てられると思う?」
そう言って私が声を掛けるのは騒ぐ教室の中から、ただ一人出ていこうとするメルクリウスだ。
魔術師の育成といった面についていえば、常軌を逸しているものを参考にすべきではないのかもしれないが、それを差し置いて尚あまりある彼の魔術知識は最新最高と言っても過言ではない。それを活用しない手はないだろうと思い、訊ねたのだが……。
「……。」
私が声を掛けた当の本人であるメルクリウスはジトリと訝しげな目をこちらに遣るだけで何も言おうとはしない。それどころか、私から目線を外すと教室を冷ややかに見渡し、もう一度、私を一瞥すると呼び止められてなどいなかったかのように再び、廊下へと歩を進め始めた。
「め、メルクリウス。ちょっと待って、あなたの話を少し参考にしたくて!」
頼ろうとしたことを考えなしと判断されたからこその対応と思い、そう言葉にするがメルクリウスの歩みを止めることは叶わない。ならば、と歩き去ろうとする彼の腕を掴もうと手を伸ばし──
「俺を頼りにするな」
──た手をさっと避けられる。そして、メルクリウスは一言吐くと今度こそ振り向きもせず、教室を後にした。
そんな私の散々な振られ様に教室の騒めきも一段小さくなるが、しかし。私の意識はそんなノイズを無視して、先のメルクリウスの行動へと向いていた。
何が駄目だった?メルクリウスにはさっきの言葉が後付けの言い訳がましく聞こえた?
それが彼の反感を買ってしまったのだろうか……と思考を巡らせる内、はたと違和感に気付く。
教室の入り口に突っ立ち、呆然と去りゆく彼の背を見つめながら思う。
メルクリウスが私に怒る?そんなわけない。
メルクリウスが感情的な態度を取るとき。それはただのポーズに過ぎない。メルクリウスが取る、そのポーズにはそれぞれ論理的に解釈可能な意味がある。彼の心を覗いた私にはそれがよく分かる。だからこそ、メルクリウスが敢えて面に出した感情が示す思考、そして去り際の一言からメルクリウスの狙いとその目的を導き出さければならない。
喩え、彼が隠そうと決めた事を無理に解き明かすことが出来ないとしても隣にいる個人に想い馳せるとそう決めたから。
だから、だからと。
「おい、ルミア。メルクリウスとまた何かあったのか?」
そんな声に振り返ると頭の後ろで腕を組むカルロが立っていた。その隣には少しムッとした表情のスーフィアが、後ろには何とも言えない顔をしたアルトと気まずそうなアリシアがそれぞれ居て、そんな四人と私にクラスメイトたちが今か今かと待ちの姿勢を維持しながら見つめているといった具合だった。
そんな彼らの様子が私を我に返らせる。
タイムリミットは一週間と少し。一分一秒だって無駄にはできない。私がこれから行う特訓に彼らは命運を任せているようなものだ。
メルクリウスと話す時間は寮に帰ればいくらだってある。メルクリウスだってそれが分かっていたからこそ、この場で何も語ることはせず、分かりやすい拒絶を示すことで早々にこの話を打ち切ったのではないか。
不意に浮かんだ、その考えが否定しようとすればするほど真実味を帯びるようで。
しかし、それが真実であるか否かを問わず、兎にも角にも私たちに時間がないことだけは確かだった。
参考にしたい、とメルクリウスへ言ったように私の中である程度のプランは固まっている。けれど、軍属魔術師とは言っても私は魔界に出たことなど無い。ましてや、魔界での生き残り方なんて知識としてあるだけで技術的な指導を出来る域にまで昨日今日で高め、更にそれを生徒全員に伝授するなど夢のまた夢だ。
では、自分に残された彼らを生かす道は何か。
そんなもの、魔法と魔法の上手い使い方以外にあるはずが無い。
メルクリウスに聞きたかったのは本当にそれで間違っていないかの確証が欲しかったからだ。それによって自分に与えられた役割を十全に熟す事ができるという自信が、勇気が、魔術師として最強の地位にある彼からの言葉で湧くはずだった。
だけれども、話す事さえ拒む、彼の断固とした態度によって今となってはこの後に控える訓練までにそんな無条件の安心を得ることは叶わなくなった。
ただ、だからといって私が不安で仕方がないからと訓練を取り止めることなんか出来やしない。
私は覚悟を決め、クラスメイトたちに告げる。
「皆、四十分後に訓練棟へ。持ち物は必要最低限で。私は少し、先生方とお話をしてくるから」
言葉短かに言い残し、小さなしこりを抱えたまま私は特別訓練の最終会議のため、職員棟へと急ぐ。




