第十八話『成長の為に』
【訂正】ライナ教諭の他に四人の教師が魔界遠征試験にて護衛として付くと記載しましたが、正しくは"三人"であり、ライナ教諭を含めて"四人"です。
闇が広がっていた。無音の世界に匂いはなく、目を開けているはずなのに、ここに居るはずなのに、認識出来ない世界は私の存在さえも曖昧なものとする。自分が立っているのか座っているのか、そもそも私とは誰なのか。自分を形作るあらゆるものが遠のいていき、意識がここではないどこかへ向かってゆく──
『……ア。……しろ。おい。ルミア、聞こえるか?──やはり、接吻の方が確実だったか?粘膜を通し、体液を媒介とした方が魔力の伝達は効率がいい筈。今からでもそっちで試すべきか』
──ふと、懐かしい音がした。いや、それらを構成する動きを感知しただけだろうか。先に戻ってきたのは視覚だったのか、聴覚だったのか。若しくは触覚だったろうか。
兎にも角にも気がつくと目の前には赤と青の瞳があって。そこに映し出される呆けた少女が自分であることを理解すると共に意識がはっきりと現状を捉え始め、思考力が戻ってくる。
そうして、導く結論は──
「ち、近い!!!」
──覗き込むようにして向けられていた瞳には彼の見ているものが映っている。そして、それを見ようと思えば必然、それ相応に近くなければならない。それこそ、今にも触れてしまいそうなほどに。
というよりも。意識の覚醒直前に聞こえてきた言葉を思い出してみれば、この状況は完全に……。
「戻ったか。それは良かった」
私が正気に戻ったことを確認するや否やすうっとメルクリウスの顔が離れていく。
あまりにも自然な動作に私の勘違いだったのではないか、とそう思わせるが引き際の潔さこそまさにメルクリウスが人命救助的意味合いを持ってして、私にキスをしようとしていた事の証左であるとも言える。
少々、納得のいかない点はあれども彼にそれを求めるというのも可笑しな話。第一、現実に引き戻してくれたのはメルクリウスであり、計らずしてまたもや彼に助けられた事になる。自分のダメさ加減にはほとほと呆れてしまうがそれにしょげているのはもっと良くない。
気を取り直し、自分の状態を観察してみると倦怠感と五感の鈍りを確認することが出来た。軍属魔術師として鍛えられてからというものの魔力操作による身体の整調を欠かしたことはなく、それこそ今、身体にかかる重みは孤児院にいた頃以来、感じたことの無いものだった。
若干の不安を覚えつつもメルクリウスへと視線を送り、次なる指示を仰ぐ。
「今は俺がルミアにただ魔力を流し続けている状態だ。これは魔法を行使しているとは言い難い。またこのままだと過剰分がルミアに流入することにも繋がりかねない。イメージは常に身体の機構に従うといい。魔力が血に溶けこみ、体内を駆け巡る想像をしてみろ。それが右手を始点に、臓器部分はその外縁をなぞるようにして、全身へと行き渡り、左手を終点として俺の右手に流れ込んでいく……くれぐれも俺のことを忘れるな。常に頭に浮かべるのは二人分の精密な人体図だ。これが十分でないと一人の人間の中で延々、魔力が滞り続ける事になる。自分に必要な分だけでいい。多くを求め過ぎるな。まぁ、試してみたければ、そうしてもいいがおすすめはしない。今さっきのようになりたくなければな──ああ、何を驚いているのかと思ったが、心を読まれていることに気づいていなかったのか。魔力交換には流動する魔力の流れを読む必要があるからな。副産物として人体式を感覚的に掴むことが出来る。ルミアの魔眼もこれと同じような原理が用いられている筈だ。そう難しい事じゃない。これが広まらないのは魔術師というのが元来、誰も相手を知ろうとしないからだ。といっても俺がこれを身に着けたのもつい先日だがな」
私の心を見透かし、つらつらと答えていくメルクリウスは事も無げに新たな魔力の応用を説明してみせる。内容的にとてつもなく手を離したくなったが、私にだって前科がある。説明しているだけ私よりマシというものだろう。それに今は個人的感情にいちいち流されているべきじゃない。
「分かった。こんな感じ?」
後半の話は兎も角として、前半にあったアドバイスを受け、魔力の循環を完成させる。メルクリウスが初めに言った通り、魔力の動かし方は基本的に身体強化魔法と同じものだ。そのため、概要は掴めているし、彼の説明が丁寧なことも相まって、初めてにしては上々なのではないかと思えた。それを証明するようにメルクリウスから驚きの声が上がる。
「驚いたな。ここまで上手くやるとは思わなかった」
「……真顔で言われても素直に称賛として受け取れない。馬鹿にする意図がないなら、ちゃんと驚きを表現して」
「すまない。魔力の調整に手こずって表情の方に意識を割けなかった」
それは私の魔力操作がまだ稚拙だから、という皮肉だろうか?
「いや、そんなことは無い。寧ろ、その逆だ。俺も人に魔力を渡すという行為は初めての事だから、知識としては理解していても実践を経ていない未熟者に変わりない。自分とは構造の違う相手を完全に把握しきるのは無理がある」
──ああ……そうだ、忘れていた。今、私が意識の表層に浮かべることはメルクリウスに筒抜けなのだった。
内心の皮肉を読み取り、それを否定、私の擁護をするメルクリウス。無意識に飴と鞭を使い分けている気がして、彼には何となくモヤモヤさせられる。
「実際、そのせいでルミアは魔力制御を誤ったのだから、これについては悪かったと言っておこう。ただ、最初から俺の提案を呑んでいれば、そのミスは起きなかった。君にも非があるし、俺にも非があるという事で勝手に不問としたが問題なかったか?」
前言撤回。私の擁護というよりは自分の弁護をしているように聞こえ始めた。論理的には間違ってはいないし、問題もないが初めて使うならそう事前に言っておいて、自分のミスなら一言気遣うぐらいのことをしてくれればいいのに。いや、私のミスだとしても「大丈夫か」ぐらいは欲しかったけれども。
「問題がないことにはないけど、言っても今のメルクリウスは私の言葉以上に意味を読み取るから何が問題なのかは教えない。けど、メルクリウスが心配しているような問題じゃないから大丈夫」
「そうか。なら続けるが不調があれば、都度報告を頼む……今は一刻さえ惜しい。再三、言うがこの程度で倒れてもらっては困るんだ」
けれどもきっと、これくらいでいいんだろう。形のない何かを根拠にされるよりもメリット・デメリットで括ることの出来る、はっきりとした理由の方が私たちの間ではより効力を持つものだろうから。
それから半刻程かけて、意図的な感覚阻害を起こす魔法──今まで名前はなかったそうだがメルクリウスが便宜上、《刻限世界》と名付けた──を習得する事に成功、やっとスタート地点に立つことができた。
「ルミア、この辺りで少し休むか?」
新たな魔法を会得するために費やした体力とその魔法の効果によって、額に汗を滲ませる私へメルクリウスは休憩を提案する。本音を言えば、そうしたいのは山々だが──
「今は時間が無い。そう言ったのはメルクリウス。それにその選択をしたのは私。魔法の効果で疲れているだけでまだまだ余力はある」
「……無理はするなよ」
──魔界遠征試験まで一週間と少し。それまでに学友たちを助けられるだけの力を手に入れなくてはならない。そして、自分の得た知識や技術を彼らにも教えていかなくてはならないとなれば、最初にメルクリウスが言った通り、休んでいる暇なんてものはこれっぽちもないのだ。
そんな幕間を挟みながら、 《刻限世界》を体得した私に対して、メルクリウスが出した次なる課題は基礎的な筋力トレーニングと魔法の維持だった。
言うは易し行うは難し、だ。今の今まで無意識下で行われていた身体中の活動を意識の表層に浮かべていなくてはならないことに加え、《刻限世界》とは別の魔法を同時に扱い続ける。これは言うなれば、片手で何万ピースものパズルを完成図へと近づけ続け、出来てはまたバラし、出来てはまた一から始めてを繰り返しながら、もう一方の手では服を編み続けることに似ている。そして、それらを行う自分自身の体調は最悪なのだから、当然効率も悪い。散り散りの集中力を掻き集めて、焼き切れそうな思考回路を必死に働かせて──
あ。
──気付くと見慣れたようで、久しぶりに見る天井があった。
「脳のシナプス結合が緩んでいた。他にもいくつかの神経系がショートして血もそれなりに抜けたはずだ。だから、無理はするなと言っただろう」
何してたんだっけ、と記憶を探る私へ降る言葉があった。横に顔を向けるとメルクリウスがいた。
「まぁ、時間が無いと言ったのは俺だ。君が急くのも分かる。だが倒れてみて、分かったろう。これでも続ける気か?」
「メルクリウスは私が頑張るのがそんなにも不思議?」
「ん?」
メルクリウスの方を向いたまま、ポツリと吐いた言葉に彼は理解し難いものを見るような目で困惑の声を上げた。そうして何も言わない私を見つめ、ややあって口を開く。
「あぁ、なるほど。君は俺が何故、君の気持ちを踏み躙るのか、と憤っているのか。俺の言動を省みれば、確かにそんな風にわれても仕方ないな。
ただな、ルミア。俺は別に君を不快にさせたくて言っているわけでも君を侮っているわけでもない。君は俺が必要だ、と言うが俺からすればこれから必要になるのはルミアのような人の心が分かる人間だ。或いはスーフィアやカルロ、アルトにアリシア達のように、な」
ほぅっと吐いたため息に私は何を乗せたのだろう。それとも何を乗せるべきだったのだろうと、言った方がいいだろうか。
「取り敢えず、魔法はこっちで解除しておいた。もう一眠りすれば体調も元に戻るだろう……これからどうするにしろ、まずは休め」
そう言って部屋を後にしようとするメルクリウスは、また以前のように私へベットの上を譲り、ソファで夜を明かすのだろう。
待って、ともう閉まりかけた扉に手を伸ばし、起き上がろうとするも燃えるように痛む全身がそれを許さない。
──このまま、また役立たずで終わるのだろうか。
パタリと閉まる扉を見て、不意に心に浮かんだその言葉が酷く私の胸を締め付ける。
嫌だ、と思った。目の前で死んでいく誰かを見ていることしか出来ないなんてもう嫌だと。
誰かに助けられることをただ祈ることしか出来ないなんて、もう。
全身に魔力を通す。じんわりと鈍痛が身体の中で反響するようにして広がるが、それを無視して、《刻限世界》を構築、存外簡単に出来たそれを維持したまま、ゆっくりと起き上がる。
この魔法の面白いところは不調さえも消してしまえることだ。最初、この魔法は枷なのだと思っていた。けれども、扱い続ける内、これは寧ろその逆で、枷から解き放つための鍵にもなり得るのだと知った。
それは例えば今、私が全身の痛みに呻かずに済むような、そういう使い方だってできるのだ。
多分、そういう使い方をメルクリウスは想定していないだろう。単なる鉄アレイとしての役割をこの魔法に期待している事だろう。考えてみれば、この使い方をメルクリウスは思いつくことも出来ないのではないかとさえ思う。
メルクリウスは感情とともに痛みによって活動を阻害されることがない。見たことは無いし、見たくもないが、きっと手足の一本や二本、切り取られたって意識の途絶は寸分もないのでないだろうか。これが普通の人間では"痛い"という思考が挟まることでコンマ何秒の世界でロスが生まれる。しかし、彼においてはそれがない。
閑話休題。恐らくはそんなメルクリウスであるからこそ、痛みをないものとするなんて言うのは考えられない。メルクリウスにとってこの魔法は身体を鈍らせるためのもの以外の何物でもないのだ。だからこその刻限。定め、限られたものとメルクリウスはこの魔法を称した。
しかしながら、私にとっては意味が変わってくる。メルクリウスのそれが弱体化の意味を多分に含むのに対し、私の場合、意識的にセカンドランやゾーンと言われる超集中状態へと入れる魔法となる。それは彼がより人間的になるのと反対に、私は機械的になることを意味する。
使い手によって全く違う効果を表す魔法というのも珍しい。と同時にこれはメルクリウスの認識外にあることだと予想できる。彼の演算以上の結果を掴むためにはこれを活用しない手はない。
また、これに伴ってこの魔法には微量ではあるものの魔力増幅効果も副次的にある事が感覚的にではあるものの分かっている。
この一週間少し。教室の皆への指導と平行して自分の力をどれだけ伸ばせるかはこの魔法を理解し、その成長率をどれだけ高められるかに懸かっている。
もう、彼の背に守られるばかりの存在ではいたくない。
「待っていて。私があなたを──」
メルクリウスから教わった魔法を試し、どうにかこの短期間における自分自身の成長という課題に対しては解決の糸口が見つかった昨日。そして、今日はもう一つの課題である特高科生の特訓内容について頭を悩ませることになるだろうことは分かってはいたものの……取り敢えずの突破口が生まれた一の課題に集中し過ぎて、朝から満身創痍での登校となった。
残り少ない期間、一日たりとも無駄には出来ないと言うのに教える側である自身がこの体たらくとは、我ながら呆れるばかりだが、そう悪いことばかりでもない。
まず初めに、そこまでメルクリウスたち以外の生徒と接点を持っていなかった私にはそもそも特訓を受けさせる為、生徒を集める、なんてハードルの高いことをやってのけるのは少々、無理があった。偏にそれは私の人望及び不透明な力量のためであり、特高科生ならばいざ知れず、普通科生にまで私の実力を知らしめる機会は早々、ないものであるからだ。
しかし、そこは学院側も私に魔界遠征試験実施における生徒の生存意欲向上の火付け役、或いは先導員としての役割を期待していたのだろう。
思い出されるのは今朝、行われた魔界遠征試験特別説明会の事だった……。
そこではこの試験が決して遊びや冗談の類いでは無いことを周知させ、魔物との遭遇を前提として、一泊二日のキャンプを行い、魔術師としての素養を見定めることを目的とする、としていた。
前例のない学生の魔界遠征に不安の声があがる中、数百人もの生徒の視線に晒されながら壇上へと上がった四人の影。
一人は大柄な体躯に、丸刈り強面の男性教師。最初に壇上で予め決められていたであろう位置へと着いた彼はその威風に満ちた態度で集会所全体へと声を轟かせる。
「よぉ、ひよっこ共。四年より上の生徒は俺の事を知ってると思うが……既知も未知もまとめて、改めて自己紹介させてもらおう。俺の名はライナ・ヴァルト。元魔術師ランク98位、《戦凱》のライナ・ヴァルトだ。今はこの学院で四年の学年主任をやっている」
《戦凱》。その称号は九十九の魔術師としての証明であると共に、ある一つの語り草にもなっている。
その象徴たるや、彼の魔術師の背にあるこの場には似つかわしくない代物が少なからず、生徒たちに興奮と畏敬の念を抱かせる。そして、当然その感情にライナ教諭が気づかないわけがない。
おもむろに背へと手を回し、持ち手を握る。そうして、背面から取り出すは──
「これは俺の称号《戦凱》の所以、戦斧ドルトニオン。なんつぅか。実装されている軍部支給の品の中では最大かつ最重量を誇る超級重装備って訳だ。まぁ、大きくて重たきゃいいってこともねぇだろうが……」
──戦斧ドルトニオン。その武器の纏う威圧感は凄まじく、ただその重みに任せて振り下ろしてみせるだけで大抵のものは叩き潰すことが出来るだろう威容に生物のほとんどは本能的な畏れを抱くに違いなかった。
して、ライナ教諭はそんな巨大戦斧を片手に百聞は一見にしかずとでも言うかのように振り下ろし、袈裟掛け、横一文字と自由自在に斧を振るって見せ、最前列に座る生徒たちを仰け反らせる程の風圧を生む。軽い素振りだけで、しかも巨大な戦斧を片手で振るうだけで身の危険を感じさせるとは、なんとも規格外な九十九の魔術師に相応しい力量、その一端を垣間見た気がした。
「とまぁ、ちょっと振っただけでもこんなもんだ。この武器が如何に強力な武器足りえるか、分かってもらえたと思う。んで、だ。今回の魔界遠征試験。この俺の他にも三人が教師陣から出っ張ることになった」
そう言って、ライナ教諭が斧で指し示すのは教諭の右隣、ライナ教諭に続いて壇上に並ぶ三人の教師の姿だった。
『あー、あー。聞こえるかの。儂はシーベル・アストレイ。五年の学年主任を担っておる。儂も歳には勝てなんでな。ライナ君のようにはいかぬのじゃ。故あって、こうして拡声魔法を使わせてもらっておる。
さて、前口上はライナ君のものと合わせてこれぐらいで十分じゃろう。本題に入らせてもらうとしよう。
諸君らも知っての通り、魔界遠征試験が今日から丁度、十日後にある』
言葉を区切り、こほんと咳払いを一つ挟む白髪の老人。三角帽子を被り、右手では髪と同じく白く染った顎髭をさすりながら、左手には赤々と輝く宝玉の嵌まる杖を持つ、その出で立ちはまさに老獪なる魔術師そのものといった印象。
して、シーベル老師が説明を続け、後に続く二人の教師の紹介も同時にこなす。一人はクロス・ボルグレア。私たち特高科生の魔法実技を担当する教官だ。しかし、魔法実技とは名ばかりの体術や体技に重きを置いたその教育カリキュラムに今でも一部では不平が漏らされているようだが、最近ではその実戦向きの教えに気付き出したものも多い。
そして、最後の一人は丸眼鏡の小動物を思わせる女性教師。名前はナターシャ・アンデル。つい先日も校門で私たちに教室へ向かうよう指導してくれたその顔に、よくよく思い出してみれば学生街に魔物が発生した日、私とメルクリウスが最初に逃げ込んだ避難所で学生に避難誘導を行っていた顔と重なる。三度もその顔を見ていて、ここに来て漸く名前を知るというのも間の抜けた話だ。もしも、これが本当に護衛を要する任務であれば、護衛対象への正体不明の人物の接近をみすみす許していることになる。とはいえ、本来であれば私がこんなにも視野狭窄になることはなかっただろうし、スタートダッシュにおける無様な姿やそれこそこの間のような心神喪失状態に陥るようなこともなかっただろう。メルクリウスが護衛対象でなければ、有り得なかったミスであり、彼以外であれば、あってはならなかったミスだ。
少々、複雑な感情を胸にしまい、彼女の紹介に耳を傾ければ、その魔術師ランクは6234位とそれ相応に高い。そして得意とするのは回復と支援系統の魔法であり、彼女は魔界遠征試験における救護班としての役割を担うことになるとの説明を最後に彼女の紹介が締めくくられる。
『では、クロス君。皆へ魔界での諸注意とアドバイスを頼む』
そうして、クロス教官によって魔界における心構えが説かれるのだった。




