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魔術師の涙  作者: 冬雅
第一章 何者
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第四話『学院生活』


 泡沫の夢から目を覚ませば、そこは地獄だった。死屍累々の光景がそこにはあり、ありとあらゆるこの世の憎悪を煮つめたかの様。

 

 ああ、またこの夢か。

 まだ自身は夢から覚めることなど出来ていなかったのか。そう気付こうと身体が動くことはない。

 

 ふと、見下ろした自身の身体には無数の真っ黒な手が絡み付いている。いや、手だけではない。その手の先には潰れた肉団子がいた。叫び声をあげようとも、必死にその身を捻ろうとも。やはり、身体は動かない。これは夢だ。悪い夢だ、と何度も何度も夢から目覚めようと足掻く。

 

 次第に身体へ絡みついている魔手はその持ち主へと、つまりは肉塊の下へと自身を誘い――嗚呼、ここで終わるのか。

 

 身に覚えもない憎しみの炎に焼かれ、また新たな薪に。その炎をより高く燃え上がらせる為の燃料なのだ。自身のこの無念はどこで晴れるというのか。自身のこの憎しみは誰にぶつければいいというのか。


 自身は誰かに愛されることすら許されぬままに生まれ落ちた天子。あるいは天子を愛そうとした悪魔。


 我が名は――。

 








 










「メルクリウス、起きて」


 

 その可憐で、けれどどこか感情を帯びていない声にメルクリウスは目を覚ます。瞼を上げたその先に自身の警護を任務として担う少女、ルミア・ラルカを捉える。既に彼女は制服に着替えているようだった。

 


「おはよう、ルミア」

 


 起床を促してくれたルミアに感謝の意も込めてメルクリウスは言うが、それにルミアが応えることはない。なんの感慨もその顔に浮かべぬまま、ルミアはそそくさと食卓についた。

 

 メルクリウスもその身を横たえていたソファから身体を起こし、ルミアが背を向けているのをいいことに服を早々に着替える。続いて食卓についた先、食卓の上にはありきたりながら栄養価が高く、手軽に作れることも相まって兵士間では非常に好まれるスープが用意してあった。

 


「これ、ルミアが用意してくれたのか?」

 


 メルクリウスがそう問えばコクリと頷きが返される。

 ありがとうと感謝を述べ、メルクリウスはルミアと共に朝食を食べ始めた。

 

 その間、一切の会話はなく、メルクリウスはただ黙ってルミアの作った朝食を味わう。軍部に所属し、任務の事ばかりだったあの時はありとあらゆるものに効率性を求めすぎていた。だから、食事など味わって食べたことなどなかったが幾ら手軽なものだとはいえ、改めて人の作った物を食べるという事をしてみると筆舌に尽くしがたい温もりを感じている気がした。

 

 つい先日の任務だって久し振りのものでここ最近は普通である事を必死で学んできたメルクリウスにとって手作りの料理というものはこんなにも温もりに満ちたものなのかと驚嘆に値するものだったはずなのだ。その反面、ルミアは淡々と自身の作ったスープを口へと運び、食していく。メルクリウスはまるで少し前の自分を見ているようで不安そうな表情を浮かべてみせた。しかし、軍部から抜け、学院で平穏な生活を送ろうとしている自身には何も言う事などできない。咄嗟に出かかった言葉を、スープとその具と共に飲み込み、メルクリウスは食事を済ませる。

 

 食事を終えると、休憩もそこそこに二人して自分たちのクラスへと向かうことにした。


 幼馴染であるという設定で通していくならこれぐらいの事には慣れておいたほうがいいのだろうが、無表情なルミアを連れ立って歩いているメルクリウスとしては気が気でない。

 

 第一に微笑みの一つでもあればいいが、それすらない彼女の隣を歩くのは気まずかった。とはいえ、任務として自分の警護をさせられているルミアの身にもなれば致し方なく。生憎と笑わせられるような処世術をメルクリウス自身、持ち合わせてはいない。

 

 第二に周囲の目だ。こんなにも笑いのない幼馴染同士で一体全体どうして幼馴染であるという関係性の利点が主張できるというのだろうか。現にメルクリウスは痛いほど、周囲の自分達に向ける目が主従のそれを見るときにも似たものである事に気が付いていた。

 

 ただ、しかし。それをどうしろというのか。メルクリウスは普通である事を学び、普通になる為にここに居るのだ。その途上も何も始まっていない今、その成果を見せろというのは、ないものをあると言いはるのと同じことだ。

 

 メルクリウスは今だけはそれら全てに目を瞑り、無心で歩き続けた。


 やがて、メルクリウス達の教室が見えてくる。

 

 メルクリウスに充てがわれた寮室は学院を出た外にある。学院内にある教室とは寮が学院を出た、すぐ外にあるとはいえ、中々に距離があるのだ。


 教室に入る一歩手前、ルミアがメルクリウスの袖を引っ張り、言う。


 

「放課後、本当にするの……?」

 


 やはりなんの感情も見えないその無表情はそのままに、小首を傾げるルミア。昨日、ルミアに寮室から出ていってもらうといえば聞こえは悪いが、しかし。ルミアの外聞のためでもある。任務であるということは重々承知しているが、こればかりは譲れない。

 

 しかと実力を見せつけ、ルミアには別の寮を学院に借してもらい、自分以外の友人も見つけてもらいたい。いくら任務だとはいえ、五年だ。五年間、任務の遂行ばかりを考えているなんてこと、馬鹿げている。しかも、自分の様な者とずっと一緒にいることなんて耐え難いはずなのだ。

 

 だからこそ。

 


「ああ、放課後しっかり俺の実力を見せるよ。あとでローニウス先生にも訓練所の使用許可をもらっておく」


「そう……」


 

 ルミアは伏し目がちにそれだけ言ったきり、何も言葉を発しない。会話がそれだけであることを悟り、メルクリウスは席にまで歩いていき、その後ろをルミアが付いてくる。

 

 メルクリウスたちが席に着く、とそこに一人の女の子が近付いてきた。その美しい青髪を揺らしながらメルクリウス達の方へと堂々歩いてくる。

 

 そして、メルクリウス達へと声を掛けようと口を開き―――

 


「昨日は、申し訳ありませんでした…」

 


 ―――その青髪の少女が声を発するよりも前にルミアが立ち上がると軍属仕込みの礼をしながらそんな謝罪をする。

 

 メルクリウスは困惑がちにその様子を見守る。

 

 すると、そんな対照的な二人の様子が余程、面白かったのか青髪の少女、もといスーフィアは口元を手で隠しながらクスクスと笑い声を漏らした。

 


「あの……ルミアさん、そんなに畏まらないでください。昨日の事なら私が勝手に話し掛けただけですし」

 


 スーフィアは一頻り、控えめに笑うとはたと気付いたか、笑みを止め、そう口にした。

 しかし、ルミアは謝罪した格好のまま一向に動こうとしない。

 


「おい、ルミア……?」

 


 隣のメルクリウスがルミアに呼びかける。反応はない。

 そんなルミアの様子に首を傾げるスーフィアを尻目にメルクリウスはルミアの顔を覗き込む。

 


「すー……すー……」

 


 果たして、ルミアは立って眠っていた。しかも謝罪のために腰を折り曲げながら、だ。

 謝罪の返事すら聞かずに眠りこけるなんて、一体、どういう神経をしているのか。

 驚きを通り越して呆れを感じながらもメルクリウスはルミアを起こすべく、ルミアの顔近くで手を打ち合わせる。

 すると面白いようにルミアは飛び起きた。目を見開き、周囲を確認。

 自身がいつの間にかクラスの注目を集めているのに気付いたか、はて、と首を傾げる。

 


「ルミア。もしかして昨日寝てないのか?」

 


 まだぼんやりとした目を泳がせながら、ルミアは頷く。

 

 しかし、その後の反応は淡白なもの。席に座ると何事もなかったかのような態度で前を向き、ホームルームに備え始めた。

 

 クラスメイト達もルミアの余りの冷静さに驚きながらもホームルームに備え、各々、席に座り始めた。

 

 スーフィアもまた、ルミアのその態度に困ったような微笑みを浮かべ、目のあったメルクリウスに会釈だけすると席に戻っていった。


 そうして、トイレにでも行っていたのだろうクラスメイトを最後の一人として立っていた生徒が全員座り終えた。丁度、狙っていたかのようなタイミングでローニウスが教室に入ってくると同時、ホームルームの開始を知らせるチャイムが鳴る。

 


「では、ホームルームを始めましょうか」

 


 そのローニウスの一声で学院生活二日目の朝が始まった。

 


「本格的な授業は明日からです。今日は学院設備について実際に学院内を巡りながら説明していこうと思います。尚、一年の普通科生徒及び、他学年の生徒は今日、魔法講義を行っています。生徒棟を通る時はどうぞお静かに」

 


 指を唇に当て、茶化しながら言うローニウスの姿は様になっている。大半の男がしても需要のないその仕草はやはりというべきか、甘いルックスを持ったローニウスがするとクラスの女子が何名かぽっと頬を赤らめた。

 それを分かっていながらしているのなら、まだしも天然でしているのは彼の人柄を知る者なら周知の事実。しかし、だからこそ余計に質が悪いとは昨日、職員室での雑談を通して語られた言葉だ。

 

 とまれ、早速移動を始める一同。

 

 クラス単位で動くとはいえ、ある程度、仲のいいグループで集まるのはこういった行事ではままあることなのだろう。皆、当然とばかりに何人かのグループを形成し、歩く。

 

 メルクリウスはといえば、ルミア以外に仲の良い友人などいない。昨日は先約があった為にクラスメイトとの交友を温める暇もなかった。恐らくはその時間が今日のグループ形成に大いに影響したのだろう。その証拠によくよく観察してみれば、まだ互いに探りあっているかの様なぎこちなさが有る。それは互いを知らないからこそのものであり、勝手知ったる間柄ではない事を如実に現している。

 

 どこまでが許されてどこからが許されないのか。そんな水面下の攻防がメルクリウスには手に取るように分かった。

 

 魔界で生き残るために必死で磨いた観察眼だったが、案外戦闘以外でも役立つことがあるらしい。とんだ発見だ。とはいえ、それが分かったところでメルクリウスにその輪に入れるほどの会話術はない。

 

 ルミアはそんなことを考えるメルクリウスの隣でいつも通りの無表情を浮かべている。当然、会話も弾まない。

 そんな二人を見留めたのか、一人の少年がメルクリウス達に声を掛けた。

 


「なぁなぁ、お二人さん。どうしたんだ?喧嘩でもしたか?」

 


 その少年の言葉にルミアは立ち止まり、メルクリウスは少年の質問に応対した。

 


「いや、そういう訳じゃないんだ。実は俺達、幼馴染で今更話すこともないというか……その……なんだ……」

 


 尻すぼみになるメルクリウスに少年はその凛々しい片眉を上げ、嗚呼なるほどと声を上げる。

 


「つまり、あれか?お互い意識しちゃって――」


「――おい、カルロ!その辺にしときなよ。君の悪い癖だよ」

 


 やれやれと肩を竦めながらメルクリウス達に声をかけた少年を咎めるのは眼鏡をかけた大人しそうな少年だ。メルクリウスたちに声をかけた青年が浅黒い肌をした快活そうな少年であるのに対し、咎めた少年は如何にも読書家然とした勤勉そうな少年だ。メルクリウスからすれば一体全体、何処で馬が合ったのかと問いたい気分だった。ただ、友人というものは理屈じゃないというのも書物で読んだことがある。所謂、見た目じゃ人は測れないというやつだ。

 

 それはともかく、メルクリウスは目の前の少年たちが仲良さげに言い合う様を観察する。

 

 黒髪に翠の目をした眼鏡の少年――二人の会話からアルトという名前らしいことが分かった――曰く、浅黒い肌に黒髪黒目の少年、カルロには悪癖があるらしい。

 

 人の輪に問答無用で割り込むという悪癖だ。メルクリウスは即座にその悪癖を貰えないだろうかと内心で思うが、当の本人達からすれば悪癖も悪癖。とんでもない悪だという。

 

 全く、持つ者持たずを好くとは。贅沢な限りである。

 

 一通り、アルトとカルロは話し合うとメルクリウス達に向き合った。

 


「カルロがお邪魔をしてしまい、すいませんでした。カルロは悪い奴じゃないんですが空気を読まないといいますか、読めないといいますか……」

 


 当のカルロは先ほどの会話で口を挟まないと約束させられたのだろう、アルトがメルクリウス達に謝っている間、不貞腐れたように手を頭の後ろで組んでその様子を窺っている。

 


「大丈夫だ。俺達はアルトやカルロが思ってるような関係でもないし、喋ってないのは単にこの子が無口だからと言うだけだ」

 


 謝罪の必要性はないと言う意味が込められたメルクリウスの言葉を素直にアルトは信じたようで、そうかと頷いた。そこまで話が進むとカルロが再び、会話に入ってくる。

 


「それは良かったぜ。アルトにこれであの二人が気まずくなったらどうするだ、なんだと言われて少し焦ったんだよ。とはいえ、もう列も進んでるし、さっさと行こうぜ」


 

 カルロの言うとおり、歩きながらであったとはいえ、メルクリウス達が話す間にもクラスメイト達との距離が遠のいていた。知らぬ間にメルクリウス達が最後尾となっていたようだ。となると別々に行くのも不自然だ。四人は一緒に歩いてまわることにする。その際、ルミアにも了承を取るもやはり、頷くだけで目立った反応はない。

 

 四人で、とはいえルミアはほとんど喋ることがない為に自然と三人での会話になる。一番の話し手は意外にもアルトでここ最近の噂だとかそういった手の物が多く、メルクリウスはその新鮮さに目を輝かせ、アルトへもっと話すようにせっつく。せっつかれたアルトも想像以上の反応に饒舌さに拍車が掛かり、結局最初の施設につくまでの間はそんな話で盛り上がった。


 

 

 アルトの持つ噂話にも一区切りつき、辿り着いた場所は訓練棟。


 

「訓練棟を語る前にここで学院の構造について説明しなきゃね。

 学院は基本の五つの棟と幾つかの施設が別に分かれていて、中央連棟と呼ばれる学院の機構を司る棟を中心に、正門から見て左を教師達にそれぞれ割り当てられた部屋と職員室がある職員棟、更にその左にあるのが大量の魔術書や魔法物品が保管されている魔術棟がある。そして右側には生徒の教室がある生徒棟、最後に君達の目の前にある訓練棟だ」

 


 そこで一旦、区切ったローニウスは遅れてきたメルクリウスと目が合う。そして、微笑むとメルクリウスに手のひらを上にして向け、指し示しながら言う。

 

「じゃあ、メルクリウス君。この訓練棟は他の学院にはない優れた機構を備えています。その機構とは何でしょうか」

 

 要は会話をより円滑に進める為の潤滑油だ。こうして教師と生徒の問答を挟む事で指名された生徒以外にも擬似的に指名された感覚を与え、考えさせる。そういった狙いが教師の質問には往々にしてあるのではなかろうか。

 そんな下らないことを考えながらメルクリウスはローニウスの質問に答えた。

 


「レニオレア学院が座学、実技共に良い成績を修めるのにはこの訓練所の存在が必要不可欠です。

 それはこの訓練所が軍部所属の精鋭魔術師達によって探知系魔法、防衛系魔法、治癒系魔法の基本形三つの訓練式魔法構築結界と更に映像投射による擬似戦闘と創造系魔法を用いた大規模地形変動という新鋭設備を取り入れた最新鋭の訓練所だからです。先生の仰る優れた機構とは中でも軍部から最近になってようやく解禁された映像投射の事でしょうか。ただこれには欠点も存在し、あまりの再現率の高さ故、事故を起こした事例が幾つか存在します。まず一つ目に悪質な悪戯によって魔物を投射し、半狂乱となった軍属の人物が存在、その後魔法を暴発させ、死亡しました。この事例からも分かるとおり、本物の魔物と同等、或いはそれ以上の恐怖を植え付ける映像投射は視覚のみならず、五感全てに害を与え――」


「ちょっと、ちょっと待って!ストップ、ストップだよ、メルクリウス君。十分過ぎる回答をありがとう。けど、その事例は特殊なものだから皆は参考にしないように。映像投射はメルクリウス君が言ったように確かに最近になって軍部から解禁された代物だけど正しく扱えば画期的な技術革新の賜物といえる物だよ」

 


 メルクリウスは若干頬を引き攣らせたローニウスの制止の声を聞き、ようやく自分が喋り過ぎたことに気がつく。メルクリウスは自分が作ったものについて話す時につい熱がこもってしまう自身の悪癖を痛感していた。

 

 先程、ローニウスは特殊な事例であるとはいったがあれは間違いなくメルクリウス自身の過ちだ。映像投射は基本的にメルクリウスのイメージを元に作られており、それを他者に共感させる共鳴魔法が使われている。要するにメルクリウスが考える、それについての想像がそのまま映像として再現されるのだ。だから魔物をより恐ろしく、強固な生き物としてイメージした結果が悲惨な事故を巻き起こしたのだ、と今でもメルクリウスは思っている。何もメルクリウスだって名前も知らないような誰かを思っての事ではない。どちらかと言えば理性的な面でその過ちは許せないものだった。

 

 そのような事故による人的損失は何の利益も生み出さない。それがメルクリウスの中で芽ばえた後悔の正体だった。

 

 何はともあれ、一旦は怖気が走ったクラスの面々は冗談交じりのものだったのか、驚愕を浮かべた表情もそこそこにじゃあ、中には入ろうかというローニウスの言葉に従い、訓練所の奥へと飲まれていく。


 その後にメルクリウス達四人も続く。

 

 中に入ればそこは最も単純な作りである砂と土により作られた丸い自由型の訓練所だった。

 

 しかし、単純とはいえ、最高峰の学院が誇る設備の一つだ。

 

 隅々まで目を向ければ幾つかの優れた部分が見えてきそうなもの。生徒達は幾分、目を輝かせながら周りを見渡す。メルクリウスにとって見れば訓練所なんぞ、見飽きたものでこの程度のものであれば特別見るべき点はない、と言わざるを得なかった。

 

 強いて言うなら砂は砂でも衝撃緩和を主な効果とする魔法術式が細部にまで染み渡っており、相当な手練もしくは血の滲むような努力の末、作られたのだろうな、という程度だ。

 自分はといえば、メルクリウスはそういった精巧さや、緻密さを求められるものに関して言えば何かと自身の開発した魔術物品で代用することが多い為に少なくともそういった方向には努力を割いた経験はなかった。

 

 メルクリウスがそんな事を考えている間にも生徒の期待は高まっていたのか、遂にローニウスがそれに応えた。

 訓練所に大勢で来て、することと言えば一つ。試合の観戦だ。

 

 何故かは分からない。しかし、心惹かれるのも確かに分かる。低レベルの魔術師同士では試合にすらならないことが多いがこの学院の生徒で特高学科である以上は少なくともそのようなことにはならない筈だ。

 

 そうすると少しは期待のできる試合が見れるだろうか。

 

 軍部ではそういった試合をする事は固く禁じられていた。その為、メルクリウス自身、した経験も見た経験もない。兵士であった以上はそれが当たり前だ。魔法を向けるべきは味方である人間ではなく、魔物なのだからそんな事をする事自体無意味な事だし、それで万が一にでも怪我をして兵士として戦えなくなればそれ以上に愚かな事はない。だからこそ、比較的安全に魔物を観察することのできるメルクリウスに対魔物訓練の為に映像投射技術の仕上げが任されたのだが、結果は先の通りだ。


 プロの魔術師ともなれば観戦試合など以ての外。しかし、いまは学生の身。ちょっとした娯楽目的で試合をするのもいいだろう、とはローニウスの言葉だ。 なるほど飴と鞭の飴の方というわけだろうか。

 

 となると誰と誰が試合を行うのかだが、そこで白羽の矢が立ったのは先程、喋り過ぎたことによる影響なのか。メルクリウスが試合の一方に選ばれた。最初に言い出したのが誰かは知らないが呼応するようにクラス全体から賛同の意が示されたのには流石のメルクリウスも驚いた。

 

 入学してまだ二日目だ。クラスメイトの事なんてほとんど知らないがために誰がどれほどの実力を持っているのか知る由もない。試合の許可が出て、すぐにメルクリウスの名が上がったのに対し、二人目が選出されるのは随分と時間が掛かった。

 

 そんな空気に焦れったさを感じたのか、カルロが手を上げる。


 

「俺が行っていいですか?」

 


 無論、他に候補がある訳でもなく、反対意見は出ない。

 

 メルクリウスとカルロは訓練所の中央。そこにいつの間にか用意されていた半径五十メートルほどの結界の中に入る。結界に入り、カルロがメルクリウスに話し掛ける。

 


「ぶっちゃけ、メルクリウスって強いだろ?」

 


 メルクリウスはカルロのその質問が純粋に疑問だった。

 だから質問に質問で返してしまう。

 


「なんでそう思うんだ?」

 


 そのメルクリウスの質問にカルロはあっけらかんと答えた。

 


「勘だよ、勘」


 

 聞いて損したよ、とメルクリウスが言うとカルロは朗らかに笑ってみせる。


互いに言葉を交わし終わり、位置に付く。

 

 試合と言っても緩いものだ。どちらか一方が降参するか結界から外に出るか。または失神などによる戦闘不能状態になるか。

 

 それで勝負が決まる。なんて温いものなんだろうかと鎌首を擡げる過去の自分を慌てて掻き消しながら、少し離れた位置にいるカルロを見据える。

 

 カルロはそれなりに鍛えているようで恵まれた体格をしている。運動能力もそれに比例して高い事が察せられる。また、歩く時の足運びからは武術を嗜む者のそれを感じさせられた。

 

 得意な魔法に関して言えば全くの未知だが習得している武術に則した魔法を使用するだろう事から近接戦闘が主要か、とそこまで考えた所でまたしても考え過ぎている自分がいることに気がついた。

 

 全く。軍を抜けても癖というものは中々、治らないものだ。こんなものは茶番なのだから怪我をしない程度に気を付ければいいのだ、とそうメルクリウスは自分を落ち着かせる。

 

 対して、カルロは落ち着きを見せており、メルクリウスは自分と相手との心持ちに齟齬がある事を実感する。

 


「では、メルクリウス君、カルロ君。準備はできましたね?」

 


 ローニウスは双方に確認を取ると試合開始の合図として魔法で幻覚の火を生み出し、それを打ち上げた。

 

 それが天井近くまで到達するとパーンという爆発音が響き、カルロが動き始め、それに遅れてメルクリウスもまた、動き出す。

 

 さて、どれぐらい本気でやればいいのやら。

 

 カルロは試合前に俺も本気でやるからお前も本気で来いよと言って、自分の開始地点に向かったがメルクリウスとしては馬鹿正直にそれに答えてやる訳にもいかない。

 

 流石にそんな事をすれば学院にいられなくなるのは確実だ。

 

 それに言ってしまえばカルロとメルクリウスの間には大人と赤子、いやそれ以上の格差がありすぎる。メルクリウスが本気を出すまでもなく、カルロをこの世から永遠に消し去ってしまう。折角、友人になれそうなのだ。いやそうでなくともメルクリウスはそんな事はしたくない。

 

 しかし、ここにはルミアもいる。ある程度の力を見せつけつつ、適度に力を抜く。微妙な線引きをひしひしと感じる。ルミアとカルロ、双方の実力が全くの未知数だ。ルミアが予想以上に手練である可能性を考えるとそれなりの魔法を使う必要があるが、カルロの実力もまた分からない為にどれだけの魔法であれば凌ぐことができるのかも全くの未知だ。

 

 一体どうしたものかと、メルクリウスが考えているとカルロの蹴りが目前に迫っていた。それを冷静にいなし、完全に流し切るが、しかし。

 


「…回し蹴りに雷を纏わせてるのか」

 


 いなした腕の痺れ。その原因は今もカルロの両手両足から迸る雷だろう。

 カルロがメルクリウスの呟きに笑いながら答える。

 


「結構、自信あったんだけどな。その様子じゃ、あんまり効いてないよな?蹴りも流されちまったし」


 

 そう言って攻撃が効いていないことも織り込み済みでカルロは笑う。

 まるで、これは楽しみだと言わんばかりにメルクリウスに踊りかかってくる。


 

 下段から上段まで、蹴りの三連撃。そして、体の真ん中、つまりは正中線を狙った拳撃が放たれる。

 

 惚れ惚れするような技の連続。

 

 次に何処に来るのかが分かっていても対処しきれないのではないかと思わせる程の一連の攻撃は達人顔負けだ。

 

 ただ、そんなものは所詮、魔術師としてではなく一般人としての達人。

 魔術師としてはまだまだ動きに可愛げがある。一般的な運動能力の範疇に収まっているだけの攻撃をメルクリウスが捌き切れない筈がなかった。

 

 しかし、そんなメルクリウスの様子に歓声を挙げながらも厄介なのは纏った雷だ、とこの試合を見る誰しもが思う。


 その誰しもの予想を裏切り、メルクリウスは自身の体を痺れさせる雷の魔法に対して、青白い炎を纏った。余程の高温なのだろうことはそれに対峙しているカルロの汗から分かる。

 

 また、連撃は如何に相手が防御に徹しようと消耗させる事が出来るが、自分の体力も大幅に削る諸刃の剣だ。メルクリウスの纏う高温の炎と自身が用いている雷の魔法。そして運動によって生じる体力の消費。それら全てがカルロを追い詰めていることにカルロはまだ気付いていない。この連撃さえ、入ればと愚直に信じている。それは、カルロの誠実さの表れのようで個人としては確かに好ましい姿勢ではあった。但し、戦闘に関して言うならばそれは悪手だ。

 

 カルロはよく頑張っている方だった。受け流されようとも相手の硬直やらなんやらの合間を狙って、前蹴りを放つ。残念な事にそれを許す程、甘ちゃんではないメルクリウスには難なく、躱されるが。

 

 そして、カルロは目に入りかけた汗を拭おうと一瞬の隙を見せる。

 それが決着を早めた。

 そのたった一瞬がカルロの敗北を加速させる。

 


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