第十七話『下拵え』
メルクリウスの言葉を耳が受け取り、脳が理解をしようと努力する過程で、どうやら私はまたしても彼のぶっ飛んだ思考に振り回されることになるようだ、と悟る。
「ん?」
「『ん?』じゃない!いきなり何言ってるの、メルクリウス。それにた、食べるって何?私に何させるつもりなの?!」
腕を抱き、メルクリウスから一歩後退る。そんな私に彼は困惑を深めた表情で首を傾げる。
「何を言ってるんだ。古来より人類は喰らうことで力を得てきたじゃないか。ルミアだって食事をし、栄養を得ているだろう。それと同じだ。魔術師はより高位の魔術師を喰らえば理論上、その力を奪うことが出来る」
「メルクリウス、本気で言ってるの……?」
「俺が冗談を言うと思うのか?」
真剣な顔付きで自身の言動が軽口や戯言の類ではないと言ってのけるメルクリウス。思わず、私は額に手をあてるがこのまま、メルクリウスの話にうんうんと頷いているわけにもいかない。
「メルクリウス。私はあなたより強くなりたいとはいったけど、それは正規のやり方では出来ない?それ以外の方法は取れない?」
「取れないことは無いだろう。だが、緊急を要する現時点ではこれが早急且つ効率的な対処のはずだ。今から、強力な魔術師を育てるとなると手間も時間も何もかもが足りない。そして、それらが足るものとなる頃には聖域はもう無いかもしれない。それどころか、育成する人材たるルミアやレニオレア学院の生徒たちは今度の魔界遠征で死ぬかもしれない。時間をかければ、それだけ不確定要素は増すばかりだ。ならば今、打てるだけの手を打つべきじゃないか?」
顎に手を置き、此方を見つめる赤と青の瞳はやはり、どこまでも理知の火を灯し、ともすれば私の方こそが感情的に彼の意見を否定しているだけなのだ、と非難しているようにさえ見える。
「ルミア、何を懸念しているのかは知らないが君が人としての形状を保てなくなったり、魔力暴走による精神の崩壊なんてものはないと約束する」
「うっ……なんで、そんなに具体的なの?」
興味半分、真面目半分で訊ねるとメルクリウスはスっと目を細めて何気なく言い放った。
「これは軍部が長らく研究してきた内容を俺が独自に改良、改善を加えた魔術理論を基に作った魔法だからな。大前提にあった魔物と魔術師の掛け合わせや魔界における長期任務が齎す精神への影響はこの、魔術師から魔術師への力の譲渡を目的とする魔法を語る上では欠かせない。それに関する資料にも目を通した上で作ったのだから失敗した場合にどうなるかぐらいは知っていて当然だろう?」
「──こ、」
「こ?」
「こわーっ……」
精一杯、げんなりしたといった声を心がけ、心の底から言葉を絞り出す。
メルクリウスの「何を今更」みたいな呆れ顔を見ながら、私は「何言ってんだこいつ」といった顔をしてみせる。
確かに。メルクリウスは天才なんだろう。魔術師として名実ともに最高、最強なんだろう。けれども、だからといって「俺を食え」なんていうカニバリズムの推奨にはい、そうですかと頷けるわけが無いのだ。例え、それが魔術的に確立された理論なのだとしても。
そうして、仮に倫理的な問題としてそれを処理できたとして何処の誰が好き好んで想い人を食べて平気な顔して生きていけるというのか。それが恩人でまだ恩のひとつだって返せていないのならば尚のこと。
「メルクリウス。私はあなたを食べたりしないし、あなたが誰かに食べられてそれで、『はい、おしまい』なんていう解決の仕方は嫌。そんなことしなくたってもっと生産的な解決の仕方があるでしょ?あなたが私を育ててくれればいい。そして、私はクラスメイトたちを少しでも魔界遠征の役に立つよう育成して──」
「──だから言ってるだろう。時間が足りない、と。それに準備もな。ルミア、君には悪いがこの短期間で出来ることと言うのは少ない。現実的に考えて、君が確実に無事なまま、魔界から帰還できるようにするには到底、な」
「それは、そうかもしれない……けれども、誰だってそうじゃないの?メルクリウスだって傷付いて、それでも魔界で魔物と戦い続けてきたんじゃないの?」
メルクリウスは私の言葉に肯定も否定もしない。ただ、黙したまま半眼で私を睨み据えたかと思うと目元を隠して、ふるふると頭を振る。
その様子に今日の彼はなんとも感情表現が豊かだな、なんて場違いな感想を浮かべていると彼の浅いため息で意識が引き戻される。
「後悔しないか?」
「何を」
「この決断を」
シンプルな会話だ。けれど、その簡潔さは答えにまで引き継ぐことはできない。
私はずっと迷ってばかりだし、選び取った答えをいつまでも手にしていられるような強さもない。
だから。
「それは……難しい。難しいけど、私はあなたを犠牲にしてまで今を選び取ろうとは思わない。あなたの言う通り、私は弱い。ずっとずっと、あなたに追いつこうと頑張ってきたのにいざ魔物を前にしたら、足が竦んで戦うことさえ出来なかった。あなたに助けてもらってばっかりでちっとも恩返し出来てない。それどころか、あなたのことになるとどうしても冷静じゃいられなくなるし……。
だけど、あなたが居ない世界を守るために近道するよりもあなたが居る世界で、あなたの支えになれるよう、私は強くなりたい。だから、ただ一つ私から言えるとしたら。私は弱い自分を嘆くことはあってもあなたが生きることを肯定する、この想いを後悔することはない、ということだけ」
彼は心が分からない。ただでさえ分からないものを隠してしまえば、メルクリウスは理解しようとすることさえ出来ない。
──きっと、私は傲慢なのだ。
それは彼との関わりの中で初めて知った自分の側面。弱くて醜くて、人らしい。そんな自分の一部。
そんな私をぶつけられたメルクリウスの反応は「そうか」と素っ気ない。ただ、先程まで不自然なぐらいに感情を表そうとしていた彼のポーズが崩れたことを見るに、ある意味で彼を困らせることには成功したらしい。想い人に意地悪をしたい、なんていう幼稚な事を言うつもりは無いけれども、今の私の心情はそれにひどく近いものに違いなかった。
「なら、今日から始めよう。入学直後の模擬試合でルミアの実力はある程度把握しているつもりだが……何にせよ時間がない。それにルミアの成長だけに時間を割くわけにもいかないからな。まずは学院側から諸々の指導はあるだろうが、俺たちから更に生存確率をあげるための補習を行うなら、肩書きのあるルミアが中心となった方が角も立たないだろう。そして、そうなると指導者側としての知識も身につける必要が出てくる。つまるところ、ルミアには技術と知識の会得を同時に熟してもらうことになる。そこまで出来てはじめて及第点だ」
厳しい現実を叩きつけるかのようなメルクリウスの言葉は裏を返せば、優しさだ。メルクリウスにどのような意図があるかは分からないが少なくとも、今私が耳にしている彼の言葉に敢えて感情の色を付けるとしたならば心配なのではないかと思う。
「なんだ、ルミア」
と、そんな思考が顔に出ていたのか、メルクリウスに訝しげな目で見られる。その不可解なものを見るような目を向けられるのは心外だが、そこでふとメルクリウスが感情というものを理解する一助としてこれはいい機会なのではないかと閃く。
そもそも、メルクリウスに隠すべきことなんて最早、殆どないのだ。彼はやろうと思えば、私から幾らだって情報を抜きとれるし、その結果、彼に暴かれて不都合なことなんて孤児を経て軍属魔術師になった私にありはしないのだから。
とまれ、彼は表面的な情報の収集はしても好んで、個人の心を読み解こうとはしないだろう。なら、自らの口で伝えていく他、彼が心を知ることには繋がらないのだ。
「……さっきまでのメルクリウスはまるで私を心配しているみたいだと思って。あなたは私のことなんて物としてしか見ていないと思っていたから少し意外だっただけ」
口をついてでたのは毒を含むからかいの言葉だった。でも、まぁ。これくらいは許されるんじゃないか。急展開に次ぐ急展開で有耶無耶になってはいても、私は彼からきちんと「ごめんなさい」の一言も聞いていないのだ。彼を人として見るならば、私は多少、腹を立てて然るべき話だろう。無論、自分の脆弱性を棚上げするつもりは無い。諸々を加味した上での苛立ちは極めて、正当なものだと自信がある。
ふふんっと普段の私なら絶対にしないだろう、したり顔でメルクリウスの方を見ると彼は考え深げに私と目を合わせ、そして口にする。
「それは──ルミアの言う通りなんだろう。心配というのが自他の無事を願い、身体面、精神面共に傷付くことを憂うことであるならば、俺の言いたいことと相違ない。君には生きてもらわないと困るからな」
空気が振動して、鼓膜がその振動を受け取り、脳がその意味を読み解いて、顔が熱を帯びる。
単純とそう言われようとも面と向かって、こんな風に言うメルクリウスは反則だ。
ただ。そんな感動も長くは続かない。痛いほど、理解している。メルクリウスの頭の中を一度、覗いた身。今の彼に希望的観測を抱けと言う方が無理な話。
だから、それに対して、「そう」と深く訊ねることはせず、颯爽と身を退く。触らぬ神に祟りなし、聞かぬが仏。わざわざ、馬鹿正直に現実を知る必要も無いだろう。それが自分に良いように働いている内は尚更だ。
「それで。魔界で生き残るための特訓って何?」
「そうだな、特訓の前にルミアには身体強化魔法を逆転させてもらいたい」
「どうやってやるの?」
身体強化魔法の基礎理論は魔力による肉体構築だ。体内に循環させた魔力を筋繊維や神経の一つ一つに纏わせ、伝達速度の向上と各器官の出力を高めて、それに伴った体組織の保護を行うことで驚異的な身体能力を発揮することの出来る身体を作る。これが身体強化魔法の原理であるが、魔力や身体の構造に疎いものが扱えば、血流の暴走や内臓破裂、骨折に肉離れ、その他様々な身体的負傷を負うことになる。ただ、それだけならば魔法による治療が可能でも怖いのは素人のミスよりもプロのミスの方だ。
とある魔術師が従来の身体強化魔法を超えるため、新型の魔法を編み出す過程において、これまではあくまで自分自身の肉体を基としていたのに対し、一から肉体の錬成を行い、人間以上のスペックを引き出せる身体を魔力によって構築しようとした。
しかしながら、身体強化の名の通り、この魔法は肉体ありきの魔法であって人を作り出す魔法ではない。幾ら、知識を蓄えた魔術師といえども人間の身体をゼロから演算、生成、運用することは困難を極め、術者は五感と魔力を失い、失意の内にボロボロとなった身体は寿命を迎え、灰となったという。
こういった失敗例を見るに安易な推測から使ったことも無い魔法を用いるのは憚られた。
それはメルクリウスも十分、承知の上だろう。私の疑問に「まずはいつも通りに」と説明を加える。言われるままに私は身体強化魔法を発動。すると瞬きの後に視界はより明瞭さを増し、感覚が研ぎ澄まされるのがわかる。とはいえ、臨戦態勢でも緊急時でもない今、出力は最低に抑えているが。
そして、そんな私の隣で魔力が吹き荒れ、瞬時に収束する。分かってはいても五感に訴えかける危険性は無視出来ないものだ。私は飛び退り、隣にいた、この室内で最も警戒すべき相手から距離をとる。
「メルクリウス、魔法を使うならそう言って」
ジト目で苦言を呈してみても彼は肩を竦めるだけ。メルクリウスからすれば、確かに見飽きた反応なのかもしれない。しかし、なのだとすれば余計に私への配慮としてひと声かけるか、説明ぐらいはして欲しいものだ。メルクリウスは報連相のほの字も出来てない。
ちょっとした苛立ちを覚えながらも私が再び、メルクリウスの近くまで行くと彼は説明を始める。
「ルミア、身体強化魔法というのはその名の通り、身体を強化し、肉体がより高次の能力を扱うことを可能とするものだ。で、あらばその逆転とは即ち、自身の持ち得るスペックを敢えて落とすということになる」
「スペックを敢えて……?どうしてそんなことをするの?」
「例えるなら鼻が詰まっている状態を意図的に作り出すためだ。或いは聞こえ辛い、味がし辛らい、見え辛いといったコンディションにするためだと言い換えてもいいだろう。大事なのはこれら不調にある時、自分の意識は無意識を意識しているということにある。鼻が詰まれば、人間は普段より呼吸を意識せざるを得なくなる。耳が聞こえ辛ければ、人間はいつも何気なく入ってきていたはずの音を聞こうと耳を澄ます。他のことにしてもそうだ。人間は面倒を嫌い、効率を愛する。そして、中でも魔術師は特にそういったきらいがある。これの目的は通常、無意識下で処理している情報が如何に膨大であるか、はたまた常の取捨選択が一体、どれ程の無駄を生んでいるかの体感と地力の底上げ、謂わばセンスを磨くことにある。だからこその枷だ」
所々、常識の欠如の見られるメルクリウスだが、なるほど。こと今回において、彼の説明は分かりやすい。体調不良なんてものとは縁のなさそうなメルクリウスだが、彼にも普通の人間らしい過去ぐらいあるのだろう。でなければ、いくら感情を模倣しているとはいえ、今のメルクリウスを説明することは出来ないだろう。
そういえば、と思い出す。メルクリウスが初めて自分の正体を明かした時、感情の喪失は後天的なものだと言っていたじゃないか、と。あの時は次から次に出てくる情報が脳の処理限界を超えてしまって、重要な情報を幾つも見落としていたように思う。
まさか、恩人は記憶も心も失っていて、自分の想いすら裏切られたのにまだ彼の隣に居座っているだなんて、半年前の自分には想像もし得なかったことだろう。
とまれ、目的は分かった。あとはメルクリウスの言う"意図的に不調を起こす魔法"を用いればいい訳だが。
「ルミア、まずは体内魔力の濃度を高める。普段、身体強化を施す際に用いる数倍の魔力を血管や神経系に通わせろ。但し、内臓や脳、その他器官への魔力供給は禁忌だ。確実に保護しろ。別段、失敗しても今なら治してやれるが時間のない今、倒れられると後々に支障をきたす。出来れば、一発で成功させてもらいたい。そのためにもまずは俺が魔力の誘導を行う」
そう言い、メルクリウスが手の平をこちらへ向け、差し出す。私が怪訝な目でそれを見ると彼は「手を」と一言。
心情的に言いたいことは色々とあるがここで反抗したって意味はない。仕方なく、彼の手に重ねるようにして自分自身の手を置くと意外にも強く、手首を握られる。
「ルミア、俺の手もしっかり握っていろ。指でも手のひらでもいいが、血管の集まる手首の方が好ましい」
私がそれに驚いているとメルクリウスが淡々と指示を出す。その指示通りに私はメルクリウスがそうしているように彼の手首を握り返す。
それを確認するメルクリウスは最後に私の目を見て言う。
「何があっても俺が『いい』と言うまで、手を離すなよ?」
そのメルクリウスの言葉を最後に私の目の前が真っ暗になる。




