第七話『問う者、応う者』
ハッと息を呑む音がし、次いで思考に耽る気配がする。そんな彼らの様子から室内にいる五人の内、彼と彼の父親であるエルザックさんの二人以外は(つまりはわたし含めた三人は)、この事実を知らなかったことが察せる。そして、学院長ほどの位につく人間が――彼を人間と呼んでいいのかはさておき――知らなかったということは極秘情報の中でも殊更の秘匿性を持つということ。
それほどの事態を今日まで誰の耳にも入れることなく、隠し通してきたことから、彼やエルザックさんには<聖域の崩壊>なんていう抽象的な言葉ではなく、より具体的なものとして告げられたという事が窺える。
「ほう。それで?」
「それで?、とはどういうことだ」
学院長の言葉をエルザックさんが反芻する。
その反応に片眉を吊り上げた学院長は言葉には載せないまでも些かの不機嫌を表し、言う。
「<聖域の崩壊>などという不明瞭な言葉で誤魔化すな、と言う事だ。何れ、卿が世間に公表するからこその強硬策であろう。然らば、ここでわざわざ隠す必要はあるまい。何を勿体ぶっておるのやら……」
「しかし、ここには一般の学生も居ります故――」
彼が口を開き、私がその発言に対して、視線を向けた瞬間だった。
「――メルクリウス・レイフォント。貴様が感情を認知し得ないことは知っておる。しかし、だ。貴様が知識として仕入れた中に、友人を無碍に扱って良いという教えがあったのか?」
意外にも先制して口を開いたのは学院長だった。
驚きに目を見張り、学院長の方を見ると副学院長が隣でウンウンと何度も頷きを見せている。要するにそういう事なのだ。
といっても学院長の言うことに関して、共感する所が無い訳ではない。
けれども――
「学院長殿。私に友人と呼べる存在はいません。過去をどんなに辿ろうとこれから先、未来永劫。そんな時は訪れはしませんよ」
――そう。彼は本心を以てしてそう答える。いや、心のない彼に"本心"などというのは失笑ものですらあるのかもしれない。
予想通りと言ってしまえば、それまでの彼の言葉に私は目を伏せるようにして耐え忍ぶ他なく……。
「と、今までの私ならば申していたところでしょう。されども、私もこの数カ月、この世界で生きるという事に対し、ただ胡座をかいていた訳ではありません。
そうですね。まずは言わねばならない」
彼の赤と青の瞳が私を捉える。そのコントラストは不思議な魅力を持ち、その奥で揺れる幻覚さえ、見せるよう。
分かっている。こんなの幻想なのだ。あの日、彼の思考を読んだとき、感情なんてものは見えなくて。
彼の為に生きると誓った私はその心棒の対象が決して届かない場所に居ることを知って。
だから、私はこの無価値なものへと変わってしまった私の生を擲ってしまおうと思ったのだ。これ以上、あの日を、あのたった数時間の出来事を、穢されることのないように、失いたくなくて。
わがままだと分かっていた。最初からただの子供の癇癪でしかないんだ。
どんなに欲しいとねだっても買ってもらえなかったことへの腹いせ。
そう、最初から知っていたんだ。
――もしも、彼に悲しみがあったなら……。
――もしも、彼に痛みが分かるのなら……。
――もしも、彼に心があったなら、彼はもうとっくに壊れている。
常人である事を辞めたんじゃない。彼でなければ出来ないことをするためにその身を捧げてまで彼は……。
「ルミア、本当にすまなか――」
――ゴーン、ゴォーン。ゴォーン、ゴーン。
『聖域に暮らす子らよ。我が声を聴け』
彼の言葉を遮り、突然、響き渡る鐘の音。次いで、拡声魔法特有のノイズが最小限抑えられたクリアーな若い男性の声が学生街に響き渡る。
そして、恐らくはこの声こそが……。
『我が名はラグレンズ。ロ・アーツ族が一柱、ラグレンズ卿である。』
「おい、こうなる事を知っていて今日、あのような事を言ったのか貴様!」
学院長がエルザックさんに食ってかかる。しかし、そんな学院長を尻目にエルザックさんはどこ吹く風。唇に人差し指を当て、静かに、のサインを送る。
状況が、状況。しかも学院街中に届けられているこの声はロ・アーツ族ともなれば、学院長はエルザックさんの指示に従わざるを得ない。
学院長は物凄い形相でエルザックさんを睨みつつも渋々、ラグレンズ卿の声におとなしく耳を傾ける様子をみせた。
『さて、諸君。君らは偽りの安息地の中、魔物という害意から逃れ、遠ざけ、目を逸らすことで生き抜いてきた。それらの代償を一部の英雄たちに背負わせ、自らは戦う術を持たず、また、その立場に甘んじてきた。』
その声は明瞭なままに私の鼓膜を震わす。心の芯までその震えが伝ってくる。
懐かしいのだ、とそう思った。まるで彼に助けられたあの当時の私が抱いた英雄という存在。それに似ている。
違うのは私にとっての英雄がたった一人を指していた事ぐらい。
『しかしながら、今に諸君らはそのツケを払わねばならなくなるだろう。子らよ。諸君らは選ばねばなるまい。力を飼うのか、はたまた差し出すのか。
諸君らにとって聖域は既に安息の地に非ず。魔を退け続けてきた、この地はその聖なる力を失いつつある。
さぁ、子らよ。微睡みから目覚め、迷え。そして、定めるのだ、己が運命を』
町中を覆うほどの、そして、他の町でもそうであるとするならば、恐らくは聖域全体に届けられた拡声魔法の余波、それが引いていくのが分かった。
それ程の力、それ程の存在感。
このたった数秒の放送で誰もが理解した筈だ。
彼の存在が伝説に語られるだけの存在ではないのだ、と。
用いられた魔法の強大さがその言葉に真実味を帯びさせ、直に聖域内部は混乱に陥ることも考えられる。そうなれば、きっと……。
「なるほど。つまり貴様は今回、何もかも後手に回り、そのツケをこれからを担う学生に背負わせるつもりだった訳か?それを俺様が許すとでも?」
「しかし、レイデン。お前が許さないとして、だ。それで一体如何するというのだ。このまま何もせず、人類皆仲良く共倒れか?それが定めとでも?」
「そうではない!若い芽をそんなものに巻き込むな、とそう言っているのだ!今更、学生に魔界の恐ろしさを教え込み、如何する?死の恐怖はそれで薄れるのか?それで何が変わるというのだ。魔術師の育成には長い年月を要することぐらい貴様なら重々承知の筈であろう」
白熱していく超級の魔術師同士の言い争い。そこに挟まる咳払い。
室内の全員がその音に注意を向ければ、その注目に乗じて、これまで沈黙を守ってきた副学院長が口を開く。
「レイデン、やめてください。エルザック魔術師組合総会長殿も。今、話すべきことは目先の事でしょう。学生街は先の放送による混乱が予想され、その多くが学生であることから暴徒化する可能性が高いと考えられます。
二人は直ちにこの事態の収拾を図る為、拡声魔法による放送をして下さい。私は学院の先生方を集め、緊急集会を開きます。
そしてメルクリウスさん。あなたにはルミアさんの事を頼みます」
ルメニーア副学院長の指示は澱み無く、いがみ合っていたエルザックさんと学院長も互いを睨み合いながらも今はそれが先決と副学院長の意見に納得したのか、まず学院長が部屋を出ていき、エルザックさんもそれに続いた。
その様子に一見して可憐でお淑やかな印象を抱かせるルメニーア副学院長が学院長の補佐として有り続けられる理由を垣間見る。
そして、当の副学院長は残った私達に対しては暗に二人で行動するように、とだけ言い残すと学院長室を後にするのだった。
怒涛の展開に私は脳の処理が殆ど追いつかない……と普段ならば言いたい所だがそんな事を宣っている場合ではない。
今すぐに鈍った思考を加速させ、この事態の対処法を早急に導き出さねば。
まずはスーフィアやカルロにアルト、そしてアリシアの所在だ。彼女らの安全を確保した後、予想される暴徒の出現に対処、そして沈静化を考えなければならない。
しかしながら、問題は私の身分が今は兵士ではないこと。単なる学生の呼び掛けに学生街の住民が声を傾けるものだろうか。
やはり、力尽くか――と。
そんな事を考えていた折、私に向けられる視線に気付く。
言わずもがな、その視線の主はこの部屋にいる二人の内、私以外のもう一人。
不意に浮かぶのは例の放送が始まる前のこと。
馬鹿馬鹿しいとそう思う。
心ない謝罪に一体どれだけの価値があるというのか。メリットとデメリット、リスクとリターンだけで出来た関係に一体、どれだけの幸福を見い出せるというのだろう。
――しかし、それでも。
私はもう、口にはしまいと、そう誓った名前を再び紡ぐ。
年末に滑り込みです。皆様、良いお年を!




