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魔術師の涙  作者: 冬雅
第二章 巡る思い
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第十四話『ルミア・ラルカという少女』


 ルミア・ラルカは孤児だった。西方領土のとある孤児院で育ち、ゆくゆくは魔術師としてではなく、単なる領民として働いていたことだろう。彼女が軍属魔術師となるにはある一つの悲劇と救いがなくてはならなかった。


 それこそが《魔流事件》。そして、その惨劇の最中、《最強ザ・ワン》と出会うことだった。


 彼女に学院にいけるような金はなく、孤児院には魔法を教えるような人間もいない。魔術師の数は年々、増えていたし、新たな人材よりも既存の人材育成に熱心なのが今の世の中だ。そんな中で彼女が魔術師になるにはどうしてもその二つが必要だったのだ。だから、ルミアはそれを恨んだ事はない。自身に魔術師としての生を与えてくれた《最強ザ・ワン》という存在との巡り合わせを悔いたことなどなかった。今でもルミアは夢に見る。酷い悪夢だ。もう過去を変える事はできないというのに今でも義姉や義兄に義妹弟たちはルミアに手を伸ばして、血の涙を流しながら助けを求めている。それでも、とそう思い続けた五年。

 

 ずっと軍属魔術師として聖域内で力を乱用する外道魔術師の取り締まりや犯罪者たちに対して魔法を扱い、これならば、と半ば期待と願望を持っていた。これならば、彼の隣に立つことも許されるのではないかと。しかし、学生街に現れた魔物を前にしてルミアが出来たことは何だ。ただただ震えるばかりでちっともあの日と変わっていはしなかった。魔物の牙が、爪が、憎悪ばかりを煮詰めたような或いは無機質なあの目が恐ろしくて仕方がなくて。余りにも圧倒的で暴力的な存在感に押しつぶされそうになって。また救われたのだ。あの日を再現するようにして、彼はルミアの前に立ち、ただ一刀のもとに魔物を切り伏した。魔法を使わずして、人としての能力を最大限、活用して、もはや人外の領域にあるその力で恐怖の根源を打ち倒してみせた。

 そんな人の隣に立とうだなんてあまつさえ、それが自分に許されている事だなんて思ったことが間違いだったのだ。魔物を見れば、ルミアは震えが止まらず、激しい動悸がして、嫌な汗が出る。恐ろしくて堪らないのだ。けれども、戦いでは役に立たなくても彼を肯定することぐらいは自分にだって出来ると、そう思っていた。彼の存在を受け入れ、誰かとの橋渡しにぐらいはなれると、そう本気で思っていた。


 ルミアは学生街を走っていた。いつかとは違い、魔法を使うことなく駆ける街道は恐ろしく長く、そして他ならぬルミアの心に暗鬱とした感情を増幅させた。それはきっと心の片隅でメルクリウスが追いかけて来てくれると思っていたからなのだ。メルクリウスが待て、と。そんなことあり得る筈はないのに。彼にそんな心があるのならば、初めからルミアはあの場所から逃げ出してなどいないのだから。最早、ルミアは彼を肯定しきれなくなった。彼の側にいることが心底、恐ろしくなった。


 ルミア・ラルカには天から与えられたある才能があった。それをルミアは今、この時。自身が魔法において全てを持ち得る彼の役に立つため、魔法という手段では不可能に等しいのだということをまざまざと見せつけられ、そうして求めて初めて自覚したのだ。己の目は人の心を読みとることができる、と。

 精度はそれ程良くない。読み取るといってもそれはそのまま、理解できるという意味ではない。正しくは見える、だ。一見して意味のない記号のようなものが浮かび、ルミア自身の理解が及ぶ範囲でそれを読み解いていく。それは魔法言語のようなある一定の法則に基づいているように思われる文字列であり、ルミアの目が今まで、そんなものを映したことはなかった。気づいたのは極々最近の事だ。最初は何気なく、スーフィアに肩を叩かれた時のことだった。振り返り見たスーフィアの周りをふわふわと浮かぶものが見えた。なんだろうかと思っている内にそれは消え、次はメルクリウスにこけそうになったところを助けられた時だ。その時も反射的に身体が反応して、慌ててメルクリウスから離れた為に上手く見る事はできなかった。けれども確信を抱くには十分だったのだ。


――これは幻覚ではない、と。


 そして同性であるスーフィアならば、試せる機会も多いと試行を繰り返す内、これが感情を読み取るものであることに気付いた。意識しなくては、浮かぶことのない文字の羅列は人によって色も形も様々であったが魔法言語に似たそれらに対して幾つかの法則性や癖を見つけるのにそれ程、時間はかからなかった。


 勿論、まだまだ読み取ることのできるものは少ない。それだけ人の思考が複雑だということだろう。仮に読み取れたとしてもルミアには理解できないものも多いし、その一瞬に思い浮かんでいることしかどうやら見えないらしかった。


 ――本来、こんなものは見ないほうがいい。見てはいけないものだ。


  分かってはいてもメルクリウスの真意が知りたかった。本当は彼がただの人間のように感情的な思考を持っているという確証が欲しかった。


 されど、得られた結果はその場で蹲って泣きだしたいほどの現実で。 浮かんだ彼の心の声は単調、無彩の文字羅列。


 ――私は何を期待していたのだろう。ずっと迷い続けて、そうしてメルクリウスを人だと証明するんじゃなかったのか。


 自嘲気味にルミアは考える。


 それがこの様だ。自分自身でトドメを刺したようなものだ。いつも勝手に期待して、いつも勝手に傷ついて。メルクリウスは逃げ出した私に何を思うだろうか。心配するなんてことはないだろう。彼にとって私は手軽に人の心を学ぶ事のできる教本のようなものだったわけだ。ただ、唯一。私にとって慰めといえるのは。彼がこの学生街で私の目を気にしなくてはならなくなったということだろうか。


 そう考えると少しは愉快に思わないでもなかった。好きな人にちょっかいをかけたくなるあの感覚だった。たった一つ、感情のないメルクリウスの関心を惹かせることのできる方法なのではないかと思えた。


 ――そんなことを考える私は醜い。


 だとしても。だとしても、如何すればよかったというのだろうか。

 ルミア・ラルカという少女にとってたった一つの生き甲斐だったのだ。その悍ましくも輝かしい記憶こそが、私の生きる支えだったのだ。そんな危ういもので補強された生き方など、もとより決壊すること必須のもので、こうなることは予定調和でしかなかったのかもしれない。


 ――私は、生きることなんて誰からも許されていなかった。


 その結論に達したとき、ルミアの足は止まっていた。カクンと床に膝をつき、制服の内側に忍ばせていた短剣を抜き出し、それを右手で持つ。

 見上げた星空はぼやけていた。瞬く光は宇宙の神秘だった。それら一つ一つの光る由来など知らねば、ただ綺麗だと一言に済ませてしまえたというのに。近づいたがばかりにその幻想性を永遠に喪ってしまうのだ。

 握った短剣を首筋に当てる。深く息を吐き出し、一定のリズムを刻んで胸が上下する。


 ――何度もやってきたこと。それが他人から自分に変わっただけ。


 ルミアは目を瞑った。その瞼の裏に映る光景なんてものはなかった。そんな人生を歩んではこなかった。

 それでも短剣をほんの三寸ほどずらすこと叶わなかったのは、背後から届いた凛と澄んだ声の為だった。


 

「ルミアちゃん……?何をしていらっしゃるのですか?」

 


 その声に驚き、咄嗟に短剣を落とす要領で袖へと隠す。慌てたのが災いしたか、生皮を薄く切るがそんなことを気にしている場合ではなかった。


 

「ねぇ、ルミアちゃんですよね……?」


 

 ルミアが振り向き、相対した青髪の少女は彼女のその、精巧に整えられた人形が如き顔貌を心配の色に染め、暗闇に一筋の光を伴って現れる。

 その姿にルミアは酷く狼狽えるが、その動揺を必死に内面へと隠し、微笑みで持ってして答えようと、その口端を持ち上げる。


 

「ちょっと転んだだけ。スーが気にすることない、から」


 

 その自身の口から漏れた声に、失敗したと思った。あまりにも固く、あまりにもぎこちない。この分では笑顔もうまく作れたか如何か。そう思案するルミアを他所にスーフィアは彼女へと小走りで近づく。心なしかその顔色は青く、まるで幽鬼か何かでも見たような表情だ。普段は気丈な彼女でもこんな顔をするのか、と場違いにもルミアはそんな感想を抱く。

 ルミアの目前にまで来た彼女の顔を見上げ、再び微笑みを浮かべてみせる。今度は上手くいったのではないかという自信があった。つまるところ、それはそれだけ、先の動揺が大きかったということの裏返しにほかならない。しかし、スーフィアが起こした行動はルミアの思惑とは全く別のところにあった。

 


「ごめんね、大丈夫。もう大丈夫だからね」

 


 背に回る腕。ふわりと香る落ち着く匂い。柔らかな感触。端的に言うなら、そう。抱き締められていた。

 ルミアはこの瞬間、スーフィア・アルシェという少女に抱き締められていたのだ。そんな抱擁を受けたルミアの胸に去来するのは何故、という感情だった。


 

「なん、で……」


 

 やっとの思いで絞り出したその声は掠れていて、上手くスーフィアに伝わったのか分からない。けれど、スーフィアはそのルミアの戸惑いを言葉ではなく、感覚で感じ取ったのだろう。彼女の抱いた疑問に即座に答えてみせた。


 

「だってルミアちゃん、泣いているんだもん」


 

 分からなかった。それだけで抱き締められる理由が分からなかった。けれども、流れる涙は止まらず、その涙と一緒に零れ落ちる想いがあった。


 嗚呼、と。寒空に吐き出される溜息に、ルミアは思う。

 私は好かれなくてもいいなんていう嘘を吐いた。私は自分自身に機械を愛せると嘘を吐いた。ただ一方的でもいいだなんて、大嘘つきだ。私は、私は。


 ――好きだって言ってもらいたかった。このままずっと一緒にいてほしいって、そうじゃなくても興味を持ってもらいたかった。でも、それは傲慢だから。せめて、支える大勢の一人になりたくて。あなたを独りにさせたくなくて。私はあなたに助けられたの。だから、だからって。


 知ってほしかったんだ。ルミア・ラルカという少女の物語を。他でもないあなたに。頑張ったねって認めてもらいたかったんだ。

 あなたが私に教えてくれたから。生き方を、教えてくれたから。その答え合わせがしたくて。


 なんて、最低で。なんて、自分勝手なんだろう。でも、幸せでいたいと思うことはそんなにも罪なのだろうか。 

 

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